#6

 理由はどうであれ、悲しみから逃れようとこの街に足を踏み入れた僕らは、ドコカでナニカの欠けた同志みたいにも思える。


『高嶺 陽菜』という最愛の片翼を失ってから今日に至るまで、心に空いた穴を埋める事も消す事も出来なかった僕は、鬱々とした日々と袂を別つように涙を流した。それがルナへの身勝手で烏滸がましい同情なのかはよく分からなくても、清濁を併せ飲んで黒く煌めく夜の街が、仄暗い感情を乗せた雫を呼び寄せた事は痛いくらいに分かる。


「あの時のウチ、悲しかったのかなぁ……もうあんまり覚えてないや。ウチの知らない間に無くなったモノが多すぎて、明日からどう過ごそう〜とか、考えてて、生きるのにも自棄っぱちで……この街に飛び込んだ時も息をするのがやっとだったし」


 クスクスと目元を拭いながら笑う彼女は、一見すれば嬉し泣きや笑い泣きのように映るのに、僕にはその所作ひとつひとつが泣き噦る子供みたく思えた。


「僕に訊いたところでだけど……まぁ、ほら、悲しいに期限は無いし、泣くのに遅いも無い。……君に比べたら僕の事なんてアレだけどさ、人って心の感性を鈍らせると癖になるんだよ。その癖が一度ついたら、いつの間にか視界が味気なくなって、全部がちっぽけに思えてくる」


 ルナに向けて吐いた言葉は、今の今まで心を閉ざして逃げてきた僕に狙いを定め見事にブーメランして、抉れる程のクリティカルヒットを果たす。


「何ソレ、経験談?」


 ずずっ……と鼻を啜り上げた彼女はぐちゃぐちゃになった顔で無邪気に笑ってみせると、自分の頭に置かれた僕の手を取って頰に当てる。


「そうだね……僕も辛かった。辛くて、悲しくて、情けなくって……その全てを捨てようと思うたび、何も感じなくなっていく自分が大嫌いだった」

「大嫌い?」

「そ、大嫌い。漠然と朝が来れば起きて、出社して、仕事に没頭して1日を潰して。夜が来たら後悔と苦しさで寂しさに震えて。……30近い大人が、それも男が、女々しくウジウジしちゃって馬鹿みてぇって」


 1年間溜め込んだ不平やら不満やらがマグマみたいに口から噴き出した僕は、飲み下すたびに心を少しずつ刺して苛む棘を盛大に愚痴ってゆく。


「確かに僕と彼女は不釣り合いで、不相応な恋人だった。それでも陽菜を大切に想う気持ちは誰にも負けないつもりだった。一体僕らの何が分かってあんな言い方するんだよ糞ジジイ……!僕は、いや、僕が彼女を幸せにしてあげたかった……」


 見据えた先の未来が例え平凡でしかなくても、陽菜となら何処へでも飛べると思ったし、何があっても守る覚悟だってしていた。


 それなのに──。


 ガソリンを使い果たした車みたいに言葉がエンストを起こして途切れた僕は、思えば思うほど不甲斐ない自分に失望する。一通り言い尽くして気持ちが冷めた頃、残った虚しさと切なさを自嘲した僕が静かに溜息を吐いてみせると、少し冷たい手が僕の頰に触れた。


「何があったか知らんけど、ウチとお兄さんって似た者同士やね」


 心の隙間に入り込んで包み込む瘡蓋みたいな優しいルナの声が鼓膜に触れた時、僕はやっと地面に足が着いたような安心感を覚えた。

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