#5

 そっと息を吸って肺の空気を入れ替えた彼女は、小さく咳払いをして林檎色の唇を開いた。


「ウチの両親、学生結婚なんよ。2人が高校生の時に身篭ったのがウチで、それも意図して孕んだわけじゃない。元々深い関係でもなくって、ただその場の空気に流された感じらしいから、望まれて産まれた命ですらない」


 まるでどうってことないような口調のルナは、今夜の献立でも話すように飄々と身も蓋もない言葉を吐く。さも当たり前みたいな顔で次の句を続けようとする彼女を遮るように上体を起こした僕は、「ちょっ……」と慌てて声を上げた。


「何?」

「それって、僕にペラペラ言っていい話?」

「なんか駄目だった?」


 平然と笑ってみせたルナの白く細い腕が僕の首に絡んで優しくベットに戻されると、視界に収まりきらない彼女の整った顔が「ウチが聞いて欲しいだけだから」と綻ぶ。


「聞きたくなくなったらいつでも言って。……二度とこんな話しないって約束するから」


 ビックリするほど嫋やかな笑みの彼女がちぐはぐで痛々しい感情を二酸化炭素に乗せて僕を見つめると、まるで魔法にでも掛かったように喉の奥まで迫り上がっていた抗議の言葉達が静まり返った。僕が口を噤んだを見計らったルナは「ありがと」と頬を緩めて呟き、ビー玉みたいに綺麗な瞳を静かに閉じる。


「ウチが中学に上がる前に、両親は離婚したの。愛と呼べるほどの何かが最初から欠けていた2人を見て育ったウチは、絶対にあーなりたくないと思ってそれなりに生きてた。でね、ウチを引き取ってくれたママが朝から晩まで働いていたのもあって、ウチも進学せずに近所のスーパーでアルバイトしてなんとか生活したんよ」


 酷く暗い話を唯一救い上げる彼女の能天気な言い方が、僕の心を庇うように響く。本来この手の話を聞くのなら、相手を受け止めて包んであげるぐらいの矜持を見せても良いはずなのに、そんな余裕を持ち合わせない僕は苦虫を潰したように口を歪ませた。


「酷い顔……お兄さんがそんな顔しなくてもいいのに」


 黙ったままの僕を気遣って瞼を上げたルナはふふっ……と吹き出して、スラリとした人差し指で僕の眉間に優しく触れながら皺を伸ばす。


「本当、優しい人なんだね」


 何処か嬉しそうな彼女は柔和な笑みのまま深呼吸すると、外側に毛先がくるりとカールした茶髪を耳に掛ける。


「暫くはそれでどうにか暮らしてたんだけど、いつもみたいにスーパーから帰ったら、ママが2人で貯めたお金ごと蒸発しちゃってさ。それもウチの給料日の翌日!……後でわかった話では、仕事先で知り合った男のトコに走ったらしいけど」

「な……っ!……そ、それでどうなったの?」

「お兄さん驚き過ぎ……別に何にもしてない。ていうか、当時のウチは笑うことしかできなかった、っていうのが本音かな?……なんで周りより真面目に生きてきた筈なのに、ウチだけこんな不幸しか見ないんだろって」


 飛び切りの笑顔をみせたルナの瞳は薄っすらと潤み、僕はその時ハッとした。


 ──彼女の笑顔は、一種の癖なんだ。


 悲しくても前を向き続ける彼女はきっと、泣くこともできずに今を生きている。その代償を背負うように心にもない微笑みを保つルナの頭に手を添えた僕は、掛ける言葉も見つからないまま、揺れる視界で硝子細工を扱うみたいにそっと撫でた。


「なんでお兄さん泣いてるの?」


 明るくくぐもった彼女の声が態とらしく僕を揶揄したその時、ルナの瞳は一筋の雨垂れを零す。


「なんでって……悲しい時は泣くもんだろ、フツー」

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