#3

「そんな事、君に関係ないだろ……」


 彼女の真っ直ぐな瞳に射抜かれて口籠った僕は、鋭い問いかけの答えになっていない返事をモゴモゴと投げる。


「ないっちゃないケド、あるっちゃあるんだなぁーコレが。……ウチなら、お兄さんの心の隙間、埋めてあげられるよ?」


 月すら霞むほどのネオンが極彩色で彼女の顔をありありと照らし、色白の顔をカラフルに染めた美人はワンダーランドのチシャ猫みたく悪戯っぽい笑みで僕を誘う。


 いつもなら乗らない。


 こんな不確かで怪しげな勧誘、お気持ちすらも願い下げだ。


 でも──いつもじゃなかったら?


 平々凡々な生活をやけっぱちでかなぐり捨てると決めた今日なら、たとえ数千倍のしっぺ返しを受ける程の「じゃない方」を選び取るのも悪くないんじゃないのか?


「……埋めれるもんなら、埋めてみろよ」


 お遊戯会でもなかなか口にする事のない挑発的で少しクサい台詞を吐いた僕は、夜の街に迷い込んだアリスのような気分で彼女を見据えながら右手を差し出す。当たるも八卦、当たらぬも八卦……もはや道徳や理性で固めたこの身を投げ出して嗤う僕は、キザでもなんでも構わないと大きく開き直ってみせた。


「いいね。ウチ、お兄さんのそーゆーとこ好きよ?」


 空を切り裂く三日月よりも細く口元を吊り上げた彼女の細い手が僕の右手を攫い、とうに帳が降りた繁華街を掻い潜って駆ける。ルイスキャロルの白兎みたいに跳ね、揺れて流れる彼女の後ろ姿と逸れないよう繋がれた手の温もりに力を込めると、彼女もまた僕の存在を確かめるようにそっと握り返す。


「ねぇ」

「なぁに?」

「君の……名前は?」

「ルナ」


 へへっと自慢げな表情で振り返った彼女に息を飲んだ僕は、『月』がよく似合う彼女の名前を飴玉みたいに口の中で転がして噛み締める。


「……なんでルナはこの街に?」


 呑み屋の通りを細い路地から擦り抜けて街灯がピンク色に移り変わる頃、僕は速度を落としたルナの背中に尋ねながら進むたびに横切ってゆく店の看板を目で追う。ソープランド、人妻ヘルス、コンセプト喫茶……そのどれもに描かれたご婦人は、皆一様に妖艶な表情でこちらを窺っている。


「なんでってそんなの……聞くまでもないやん」


 ピタリと足を止めた彼女と僕を繋ぐ手を引っ張って寄せたルナは、そのまま腕を絡め取って胸で挟み込むようにくっついてみせた。


「この街がウチの仕事場だから」

「仕事場……ね」


 ルナの声に呼応するようにネオンが瞬いたその店には、ハッキリと「ヘルス とおりゃんせ」の文字が躍って僕に存在を主張する。


「夜の世界へようこそ」


 ──あぁ……本当に今日という日は、1年の中で一番僕を翻弄する厄日なんだな。


 悪戯に弄ばれたソレを『運命』と呼ぶ僕は、酷く滑稽な自らの人生を心の中で詰りながら自嘲した。

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