魔族の少女

人の声を真似る魔物も存在するらしいが、それならばもっと目立つように自己主張の声を上げるだろう。もしかすれば、森に迷い込んだ誰かが助けを求めているのかもしれない。


「あの、デュメルレイア様……デュメルレイア様?」


意見を求めようとデュメルレイアへと視線を向けるルクシアだったが、既に彼女の姿は何処にもなかった。どうやらルクシアが足を止めたことに気付かず、そのまま歩き去ってしまったようだ。


「でゅ、デュメルレイア様ッ!?ど、何処に……っ」


焦りから思わず声を上げそうになったルクシアは慌てて口を噤んだ。デュメルレイアという護衛がいなくなった今、迂闊に声を上げれば周囲の魔物を呼び寄せかねない。絶体絶命の状況に激しく脈打つ心臓の鼓動を感じながら、ルクシアは気分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。


デュメルレイアならば、すぐにルクシアの姿が無いことに気付いて戻ってくるだろう。無理に歩き回ってデュメルレイアの後を追うよりも、この場に留まって彼女を待つ方が賢明だ。


「…れ、か……」


「……!」


その時、茂みの奥から先程の声が聞こえてきた。今にも消え入りそうな、弱々しい少女のような声が助けを求めているように聞こえた。何故このようなところに少女がいるのか、ということはこの際考えない。助けを求めているのであれば、手を差し伸べない道理は無いのだから。


「誰かそこにいるの?ちょっと待って、すぐにーーー」


声を掛けながら茂みの中へと足を踏み出したルクシアを襲ったのは唐突な浮遊感。気付けばルクシアの身体は重力に引かれるまま茂みの中へと引き込まれ、その奥に隠されていた急勾配の坂道を転がり落ちていった。


「う、うわぁあああーーーーッ!?」


驚きと悲鳴が入り混じる声を上げながら土煙を上げてルクシアの身体は坂道を転がり落ち、そう経たない内に深い茂みのクッションに受け止められた。これが硬い地面の上であれば、骨の一本や二本は覚悟しなければならないところであった。


「た、助かったぁ……」


恐怖の余韻で強張る身体を起き上がらせるルクシア。ひとまず怪我は無いようだがーーー自身を見つめる眼差しに気付いて顔を向けた。


「…………」


「え……っ」


ルクシアの視線が向けられた先。そこには、この場に似つかわしくない幼い少女の姿があった。


どうやら、声の主はこの少女だったようだ。まだ十歳にもならないだろう、アメジストのような光沢を持つ長い髪や質素なワンピースを土まみれにしながら、恐怖と驚きによっめ見開かれた宝石のような大きな瞳がルクシアを見つめている。


本来のルクシアであれば、一二もなく優しく話し掛けて少女を安心させようとしたことだろう。だが、彼はそうすることが出来なかった。何故なら、ルクシアの意識は完全に少女本人ではなく、彼女が身体に備えた人在らざる部位の存在に向けられていたからだ。


薄紫色の髪を掻き分け、両側頭部から覗くのは禍々しい黒い角。スカートの裾からは黒い艶のある尻尾が伸び、ワンピースの背中でパックリと開いた割れ目からは翼が飛び出していた。


その身体的特徴にはルクシアも覚えがあった。最後に目にしたのは数年前、自身が幽閉されるキッカケとなったあの日に出会った人々。ルクシアの目の前にいるのは、紛れもなく魔族の少女であった。


「え、えっと、キミは……」


「ひっ……!」


ルクシアが恐る恐る声を掛けた瞬間、少女は小さな悲鳴と共に電流が走ったかのように立ち上がった。


「ちょ、ちょっと……!」


「きゃうっ!?」


そのまま走り去ってしまうかと思いきや、少女はすぐに転倒。地面に倒れ込んだまま立ち上がれずにバタバタともがいている。


「だ、大丈夫?怪我はしてない?」


「や、やぁああ……っ」


茂みの中から抜け出し、少女へと歩み寄るルクシア。怯える少女へと視線を落とせば、彼女の左足首が大きく腫れ上がっていることに気付いた。様子を見る限り、先程転んだために負った負傷ではない。ルクシアと遭遇する前のもののようだ。


「無理に動かしちゃダメだよ。ちょっと見せーーーうわっ!?」


「やぁあああーーーーっ!」


近付いてくるルクシアに対し、少女は応戦して手当たり次第に周囲の小石を投げ付け始めた。いくら子供の力とはいえ、石は当たればそれなりに痛い。さらに、少女の声を聞き付けて魔物が集まってくる危険性もあった。


「お、落ち着いてよ!変なことするわけじゃないから!僕はただ怪我の具合を……うっ!?」


「あ……っ」


少女からの抵抗に負けじと歩み寄ろうとするルクシアだったが、運悪く小石が防御を掻い潜って額に命中。思わずルクシアはその場に足を止め、少女もまた驚いて攻撃の手を止めた。


小石の当たった箇所に手を触れると、ぬるりとした生温かい感触が指先に伝わる。それほど傷は深くはないようだが、太い血管を傷付けてしまったようだ。


「ご、ごめんなさ……っ」


ルクシアの負傷によって罪悪感を覚えたか、全身を強張らせながら謝罪の言葉を口にする少女。そんな彼女へと、ルクシアは恨み言一つ口にすることはなく、普段通りの人の良さそうな笑みを浮かべてみせた。


「大した怪我じゃないから大丈夫。このくらい何でもないよ。それに、怖がらせちゃったのは僕の方だから。初対面の相手にいきなり近付かれたら、誰だって怖いよね」


震える少女を落ち着かせるように、ルクシアは彼女の頭を撫でる。微塵も悪意の感じられないルクシアの態度に少女も少しずつ警戒心が薄れてきたか、いつのまにか震えはなくなっていた。


「怖がらせちゃってごめんね。キミの怪我が心配だったんだ。大した治療は出来ないかもしれないけど、僕に見せてくれる?」


「……うん」


ルクシアの言葉に少女は小さく頷いて、腫れた右足を差し出した。


「ありがとう。痛くないようにするから、楽にしててね。そうだ、キミの名前は?」


「……ミリアム」


「ミリアムちゃんか。僕はルクシアっていうんだ。よろしくね」


簡単な自己紹介と共にルクシアがミリアムと名乗る少女の足首に触れると、薄い皮膚の直下に硬い骨の感触が伝わってきた。痩せすぎというわけではないが、あまり栄養状態は良くないようだ。


しかし、幸いだったのは折れているようではないということ。薬を塗って安静にしていれば腫れは次第に引いていくだろう。問題は、肝心の薬が手元に無いということだが。


「困ったなぁ……水辺でもあれば、冷やすことは出来たかもしれないのに……」


そういえば、過去にも同じような状況になったことがあるような気がする。ルクシアがふと思い出したのは、戦場で魔族の避難民を見逃した時。ルクシアはその場で、ミリアムと同じくらいの年齢の少女を助けた事があった。


幼い見た目とは裏腹に大人びた雰囲気を纏い、口調も特徴的な少女だったと記憶している。もっとも、鮮明に記憶している理由は容姿や口調ばかりではなく、彼女の積極的な行為によって鮮烈な経験をしているからなのだが。


あれから数年が経ったが、あの少女は息災にしているだろうか。ミリアムの負傷を見下ろしながら、ふとルクシアは思い出していた。


「…おにいちゃん、どうしたの……?」


「えっ?あ、ううん、何でもないよ。キミの怪我も、思ったより酷くなくて良かった。しばらく安静にしていれば、すぐに治るよ」


「ほんと……?」


「うん、本当だよ。だから、しばらくここでジッとしててね」


ルクシアは安心させるようにミリアムへとそう語り掛けると、立ち上がって状況を把握するべく周囲を見渡した。

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