霧の迷宮
「これは……想像以上ですね……」
デュメルレイアと共に迷いの森へと降り立ったルクシアは、目の前の光景を前に思わずそう呟いていた。
森の中は数歩先すら見通せないほどの濃霧が濛々と立ち込めており、いくら手で払ったところで視界が開けることはない。さらに周囲に聳える大木の太い木の根が隆起した地面は非常に歩き辛く、よくよく注意しなければまともに歩くことすら出来ないだろう。
この濃霧と複雑な地形が踏み込んだ者の方向感覚と体力を失わせ、死の淵へと誘うのだ。そこらの茂みを探れば、この地で果てた者の亡骸や遺品が転がっているかもしれない。
「なんだか霧が纏わりついてくるような……魔力を含む霧っていうのは本当なんですね」
「感心している場合ではないぞ、ルクシア。ここでは絶対に私から離れるな。一度霧に紛れてしまっては、私でもお前を見つけ出すことは困難なのだからな」
ルクシアに対しては猫撫で声なデュメルレイアも今回ばかりは真剣な表情を浮かべている。一定範囲内の他者の魔力を感知できる彼女も、この地においては霧に含まれる魔力がルクシアの姿を遮ってしまう。
仮にルクシアが逸れてしまえば、その生存は絶望的だろう。彼女が真剣にルクシアへと忠告するのも当然だった。
「わかりました。気を付けますから、案内はよろしくお願いしますね」
「うむ、任せておくがいい……不安ならば、私が抱いて歩いても良いのだぞ?」
「大丈夫ですよ。僕はもうデュメルレイア様と最後に会ったままの子供じゃないんですから」
「な、ならばせめて腕組み、もしくは手を繋いでーーー」
「デュメルレイア様って、意外と心配性なんですね。でも、デュメルレイア様のお手を煩わせるわけにはいきませんから。そのお言葉だけで十分です」
「い、いや、そうではなく……ぬ、ぬうう……」
まだ何か言いたそうにしていたが、結局諦めたようで肩を落としながらデュメルレイアはトボトボと背中に哀愁を漂わせながら歩き出した。
恐らくルクシアに悪気はない。ただ単にデュメルレイアの意図を汲むことが出来なかっただけである。歳不相応に賢いが、色恋には全くもって縁の無かったルクシアに恋の駆け引きというものは通用しないのである。
「ちっ……乙女心のわからぬ朴念仁め。やはりコレ相手には回りくどい手段よりは強行策が……」
「はい?何か仰いました?」
「何でもない!覚悟しておくのだな!」
「は、はぁ……?」
デュメルレイアの怒りの理由にルクシアが気付くわけもなく、先程よりも幾分足音の荒くなった彼女の後ろを歩きながらルクシアは周囲に視線を巡らせる。
何処を見ても濃い霧と深い森林の景色が続き、変わり映えのしない光景に堂々巡りをしているのではという不安すら覚えてしまう。しかし、そんなルクシアの不安を他所に、前を歩くデュメルレイアの歩みは全く躊躇がない。まるでその視線の先に既に目的地が見えているかのようである。
「…足音が軽いな。ちゃんと飯を食っていたのか?」
「ええ、勿論ですよ。毎日必要な分の食材は頂いてましたし、今じゃお料理だって出来るようになったんですから」
「む……お前が食事を作っていたのか?」
いくら身内から冷遇されていたとはいえ、王族に自炊をさせる国が何処にあるのか。遠目に王都を眺めることしか出来なかったデュメルレイアだったが、まさかここまでの扱いをされているとは思いもしなかった。
十分な食材を受け取っていたとは言っているが、ルクシアの体格は同年代の中では明らかに小柄で痩せているように見える。最低限飢えない程度の量しか与えられていないことは明らかであった。
それを知ってか知らずか、ルクシアがそれに対して不満を感じている様子は無い。それとも、彼が抱える罪の意識がそのような扱いをされて当然だと納得させているのか。どちらにせよ、その罪の意識というものがルクシアを歪めてしまっていた。
「初めは上手く出来ませんでしたが、使用人の方々にいろいろ教えてもらったんです。レパートリーだって結構あるんですよ?今度、デュメルレイア様にもご馳走させて頂きますね」
「…ああ、楽しみにしておこう」
ルクシアから罪の意識を払拭することが当面の課題か。嬉しそうに話すルクシアに肩越しに笑みを向けながら、デュメルレイアはそう決心するのだった。
「ところで、どのような料理が得意なのだ?私は肉が好きだが」
「それなら、きっと気に入って頂けると思いますよ。ドードー鳥のお肉をトロトロになるまで煮込んだシチューが……うん?」
歩いていたその時、ルクシアはふと足を止めた。彼が見つめる茂みの奥。そこで微かに子供の声が聞こえてきたような気がしたのである。
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