第二章 旅立ちと魔王と因縁と

救われし者達

夕刻の丘、紅に染まる平原にて。幾日もの夜を超えて、果てしなく思えた長い長い旅程の果てに、彼女達は最大の危機に瀕していた。


「テメェら、動くんじゃねぇぞ!妙な真似しやがったら叩き斬ってやるからなァッ!」


殺気立った怒声が飛ぶ。発したのは、彼女達を取り囲む屈強な獣人達。いずれも剣や槍で武装しているが、身に纏う鎧の胸元に刻印されている王都グランダルの紋章が、彼らが野盗の類ではなく、敵国の兵士であることを証明していた。


「お、お願いします、どうか見逃してください!」


「私達は争うつもりなんて無いんです!ただ平穏に暮らしたいだけで……!」


「せめて、せめて子供達だけでも!お願いします、お願いします……!」


危機的状況から恐慌状態に陥った者達から次々に命乞いの声が上がる。それを聞きながら、彼女は自身を守るように囲いを作る配下の中で気配を殺し、ただ息を潜めていた。


「魔王様、如何致しましょう?ここで奴等に殺されるくらいならば、いっそのこと玉砕覚悟で……!」


「阿呆か。傷付いた同胞達を愚か者の道連れにさせるわけにはいかぬ。黙っておれ」


「…っ、し、しかし……!」


「くどい」


彼女の厳しい言葉に沈黙する配下の女性。ここが戦場になれば、真っ先に犠牲になるのは自身を慕って付いてきた者達だ。ほんの僅かでも救いの道があるのであれば、それに賭けるべきだろう。


(くっくっ……救いの道、か)


泥を啜り、同胞の屍を踏み越えながら惨めに生き延びてきたが、彼女は内心では限界を感じていた。身に纏うボロボロのローブで顔を隠しながら、諦めたように力無い笑みを浮かべた。


厚い信頼を置いていた配下から玉座を追われ、長きに渡る幽閉の果てに一人の配下の助けを借りて城から逃れた。追手を躱しながら王都軍との戦火に焼け出された避難民に紛れ、とある場所を目指していたのだが、ここで運悪く接敵した王都軍によって捕縛されてしまった。これが人間の兵士であればやり過ごすことも出来ただろうが、鼻が利く獣人相手では身を隠すことなど無意味であった。


現在の王都と彼女達魔族の関係は最悪。たとえ戦う力を持たない民間人であろうとも決して命が保証されることはない。現に、指揮官の目が届かない末端の兵士達による侵攻先での乱暴狼藉は両軍共に日常茶飯事。道中訪れた村では、簒奪の果てに村人全員が惨殺されているところもあった。


部下達に背を押され、一度は再起を誓った我が身ではあったが、やはり無謀であったようだ。力を奪われた今の身体では、疲弊し、傷付いた同胞達を救うことは叶わない。そう経たない内に、王都の兵士達による略奪と殺戮が始まることだろう。


もはや、どうすることも出来ない。かつての為政者として、同胞達だけでも救わなければと思う彼女だったが、力を奪われた今の脆弱な身体では兵士一人すら倒すことは出来ないだろう。諦めと絶望によって縛られた身体は言う事を聞いてはくれなかった。


せめてもの救いは、死に場所が冷たい牢獄ではなく、やがて自然に還ることが出来るだろう、大地の上であることだけかーーー


「おう、待たせたなテメェら」


その時、野太い声と共に近付いてきたのは、周囲を取り囲む獣人達が小柄に見えてしまうほどの巨躯。その体格に見合う巨大な大剣を携えた狼獣人であった。


そして瞬時に、彼女は理解した。この男は、相当な実力の持ち主であることを。彼の眼光が魔族達へと向けられると、彼らは目の前に剣の切先を向けられたかのように身震いした。


「ほーん……安全第一、ってことで王都までの道を選んだつもりだったがよ……まさか、こんなところで魔族共に会うなんてなぁ」


「お疲れ様です、カシラ!コイツらどうしてやりましょうか!?いっそのこと、全員引っ張って王都への手土産にーーーぐへぁッ!?」


「その呼び方をすんじゃねぇって言ってんだろうが!」


狼獣人の逆鱗に触れたのか、拳の一撃で宙を舞う犬獣人。殴りつけられた彼の金属製の鎧には拳がめり込んだ跡がくっきりと刻まれており、その破壊力の高さを伺わせる。


どうやら、連中の指揮官は彼のようであるが、あまり利己的には見えない。少しは交渉出来る相手ならば救いもあったのだろうが、あの凶暴性の前には交渉など無意味に終わるだろう。


「お、お願いします、ここには怪我人と女子供しかおりません。どうか、どうか命ばかりは……」


狼獣人の放つ威圧感を前に、命乞いをする声は震え、瞳は絶望に染まっている。これがどれだけ無意味だとわかっていても、生き延びる術は彼らの慈悲に縋るしかないのだ。


「…だ、そうだ。どうするよ、坊?」


不意に、意見を求めるように狼獣人が振り返る。すると、その巨体を避けるように、小柄な人物が彼女達の前に姿を見せた。


「なっ……」


「こ、子供……?」


群衆にどよめきが起こる。何事なのかと身体をお越し、微かな隙間から覗き込んだ彼女の視線の先には、一人の少年の姿があった。


歳はまだ十を数えるくらいだろうか。まだ幼さの残る顔立ちは戦場には決して似つかわしくない少女のようで、艶のある銀髪が涼やかな風を受けて靡いている。小柄な身体に上等な魔法銀の鎧を纏う姿は気品があり、彼が何処ぞの貴族であることは容易に察しがついた。


少年は動揺する魔族達を冷静な眼差しで見渡したかと思えば、隣に立つ狼獣人を見上げた。


「グスタフさん、すぐに皆さんの治療と食事の用意を。それと、近くに哨戒中の友軍がいないか確認をお願いします」


「おう。坊ならそう言うと思ったぜ。聞いたなお前ら!さっさとやらねぇとケツを蹴り飛ばすぞ!」


『おおっ!』


その瞬間、驚くべきことが起こった。その少年の指示一つで兵士達は包囲を解き、慌ただしく動き始めた。待機させていた馬車から次々に食料や薬が入っているだろう木箱を下ろしていく。


「急げ急げ!隊長に蹴られりゃケツが四つに割れちまうぞ!」


「なぁ、全部出しちまうのか?俺達のメシはどうすんだよ」


「がはははっ!二、三日食わねぇくらいで死にやしねぇよ!前は五日は食えねぇこともあったじゃねぇか!」


「ブラムス!鼻が良い奴を二、三人連れて周り見てこい!ネズミ一匹見逃すんじゃねぇぞ!」


「おう!任せときな!」


一体、何が起こっているのか。彼女は信じられないとばかりに目の前の光景を茫然と眺めていた。王都の人間が、敵である自分達を救おうとしている。罠かと思ったが、戦えない者達を前にそのようなまどろっこしいことをするとは考えにくい。


仮に逆の立場であった場合、彼女ならば考えるまでもなく皆殺しを指示しているだろう。国を守るとは、民を守るとはそういうことなのだから。そう考えると、あの少年は聖人のような人格者でも為政者としては失格なのかもしれない。


「おーい、ガキと女から順番に取りに来い!全員に行き渡るだけの量はあるから心配すんな!」


「怪我してる奴はこっちだ!動けねぇ奴は手を上げろ!すぐに行く!」


「お、おお……っ」


「お、俺達……た、助かる、のか……?」


力無く座り込んでいた者達が重い腰を上げて、ゾロゾロと配給する獣人達の元へと向かっていく。よもや王都の人間に助けられるとは思わなかったが、生きるためにはこの好意に甘えるしかない。


「さ、さぁ、魔王様もお早く……」


「う、うむ……うぐっ!?」


彼女は配下の差し出した手を取り、立ち上がろうとしたが連日歩き詰めて疲弊した身体は思うように動かず、その場に尻餅をついてしまった。


「キミ、大丈夫?」


その時、彼女に声を掛ける者がいた。顔を向けると、あの少年が心配そうに彼女を見下ろしているのだった。

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