決別

「…以後、厳に慎め。国政に私が関与しては人の営みに歪みが生まれてしまう。それは望ましいことではない」


「ははっ、御意にございます」


先程までの焦りぶりは何処はやら、返事は良いアンドレア。その自信満々の笑みがどこまで信用出来るかーーーあまり期待は出来そうになさそうだ。


「さて、本題に移るとしよう。わざわざ出向いた理由は、お前に一言伝えておかねばならぬことがあったからだ」


「私に……?デュメルレイア様のお言葉ならば、謹んでお受け致します。何なりと仰ってください」


「そうか。お前がそう言うのであれば私も伝えやすい」


デュメルレイアの怒りを宥めようとしているのか、アンドレアは腰低く従順な姿勢に徹している。彼女がどんな申し立てをしようが、全て真摯に受け止めた後で受け流す万全の構え。この場を乗り切ってしまえばどうにでもなると考えているのだろう。


だが、次のデュメルレイアの言葉は、彼のそんな甘い考えを真っ向から叩き潰すものであった。


「しばらく、私は王都を離れるぞ」


「ほうほう、王都を……何ですと?」


何か聞き間違えてしまったのだろうか。いや、そうに決まっている。いくらなんでもそんなことを言い出すはずがない。あって良いはずがない。一度は頷きながら受け止めたアンドレアだったが、その意味、違和感を察して即座にデュメルレイアへと聞き返した。


だが、デュメルレイアの険しい眼差しがアンドレアの甘い期待を完膚なきまでに打ち砕いた。


「王都を離れると言ったのだ。二度も言わせるな」


「お、王都を離れる……あ、貴方様がですか!?」


やはり聞き間違いではなかったか、明らかな動揺を表情に表すアンドレア。いや、それも当然だろう。守護竜であるデュメルレイアが離れるなど、王都建立から初めての出来事なのだから。


「な、なななっ、何故突然そのようなことを!?貴方様には王都を守護するお役目があるはず!初代国王との誓約を破り、我々を見放されるのですか!?」


必死な形相でデュメルレイアへと食い下がるアンドレア。いや、それも当然か。他国との外交を優位に進められている要因はデュメルレイアの存在が何よりも大きい。他国にデュメルレイアが王都を離れたという噂が広がれば、今の力関係は大きく変化するだろう。


アンドレアは今、長年デュメルレイアのネームバリューに甘えてきたツケを払わされようとしている。それを回避しようとするのは当然の行動だ。


「無論、誓約を違えるつもりはない。個人的な用件がある。そのために王都をしばらく離れるだけだ」


「そ、そうですか。それならば安心致しました。それでは、期間はどれほど……?」


個人的な約束とは、言わずもがなルクシアのことである。デュメルレイアの言葉に、冷や汗を滲ませながらも安堵するアンドレア。だが、デュメルレイアはここでも彼の希望を打ち砕いた。


「うむ。確定しているわけではないが、向こう百年ほど戻ることはないだろう」


「ひゃ、ひゃく……!?」


デュメルレイアが語る期間は、人間の概ねの寿命である。ルクシアと添い遂げる最期まで、デュメルレイアは王都に戻るつもりはないらしい。


だが、彼女の言葉はアンドレアにとって死刑宣告にも近いものであった。


「な、なりません!なりませんぞ!デュメルレイア様にとっては短期間なのでしょうが、我々にとってはあまりにも長すぎます!ややもすれば、デュメルレイア様の不在中を狙い、再び魔族共が攻め込んで来るやもしれませぬ!」


魔族による侵攻を引き合いに出したのはアンドレアの建前。実情は前述した他国との関係性を危惧してのものである。


場合によっては、過去に得た利益を全て精算しなければならない事態に陥るかもしれない。その甘い汁の味を知ったアンドレアはとにかく必死であった。


「魔族達ならば先の侵略の際、私も随分と叩いておいた。軍の再編にはしばらくの時を要するだろう。王都を離れても奴等の動きは見逃さん。安心しろ」


「し、しかし、しかし……!」


「しかし……何だ?」


煩わしいほどに食い下がるアンドレアへと、デュメルレイアの矢のような眼差しが突き刺さる。呼吸すら躊躇うほどの緊張感が張り詰め、固まるアンドレアの頭にデュメルレイアは片手を置いて威嚇するように顔を覗き込んだ。


「勘違いをしているようだが……私はお前達王族の子守役ではない。私が守護するのはこの王都、そして民達だ。よもや、私の存在が無ければ国政に支障が出る……などと言うのではあるまいな?」


「い、いいえ!そのようなことは……!」


デュメルレイアにここまで言われてしまっては、首を縦に振ることなど出来るはずもない。青ざめたアンドレアからデュメルレイアは手を離した。


「よろしい。私が留守にする間も執務に励むがいい。用件はそれだけだ。ではな」


「お、お待ちを!」


玉座の間の侵入口なのだろう天窓へと向かうべく、両翼を広げたデュメルレイアを引き留めるアンドレア。彼女は煩わしそうな表情を浮かべてアンドレアを振り返った。


「何だ?まだ何かあるのか?」


「も、もしよろしければ、その用件とやらを……貴方様が王都を離れねばならぬ、その用件とは一体何なのです?」


「…ふむ、そうだな。理由くらいは伝えねば義理を欠くか」


何百年と守護してきた王都を離れるのだ。よほどの一大事、緊急的な理由があるのだろう。そう考えていたアンドレアだったが、その予想は大きく裏切られることとなった。


「私も永らく王都を見守ってきたが、少々ここらで息抜きをしようと思ってな。しばらく好いた男とこの地を離れて過ごそうと思っている」


「…は?」


思わず素の声が出てしまうアンドレア。いや、それも致し方ない。歴代国王の中にもデュメルレイアの美しさに惹かれて求婚した者もいたが、結果は言わずもがな。その彼女が、遂に恋に目覚めた。これに驚かずにはいられない。


「す、好いた男……ですか?」


「うむ。誰とは言わぬが、保護欲を刺激される愛らしい容姿でな。その者と百年ほど穏やかに過ごすつもりだ」


「お、男……デュメルレイア様が……」


「話は終わりだな?お前とは二度と会うことも無いだろうが、せいぜい息災にな」


愕然とするアンドレア。衝撃的過ぎて、半開きの口からはデュメルレイアを引き留めるための言葉も出てこない。思考停止しているアンドレアを他所に飛び立とうとしたデュメルレイアだったが、ふと思い出したようにアンドレアを振り返った。


「…ああ、一つ尋ねたいことがあったのだった」


「は、はぁ……?」


もはや思考が働いていないアンドレア。そんな彼にはお構いなしにデュメルレイアは言葉を続けた。


「お前の三男坊……ルクシアといったか。城に姿が見えぬようだが、どうした?」


その名前を聞いた瞬間、アンドレアの中で崩壊していたパズルのピースが繋がった。上手くすれば、デュメルレイアを引き留めることが出来るかもしれないと。


「あ、ああ!我が愚息ルクシアの事ですか!あの愚か者ならば、既に王都グランダルより、いや、グランダル王家より追放しております!」


「…ほう」


それを聞いたデュメルレイアの瞳が細められる。その意図、意味をアンドレアは察することが出来なかった。


「くっくっくっ……実を言いますとな、追放とは建前。真の目的は秘密裏にルクシアを葬ることにあるのです。我が国の、デュメルレイア様も愛する領民を犠牲にしたあの罪深い罪人めは私の手で断頭台送りにするつもりだったのですが、仮にも王族を断頭台に掛けては周辺諸国からの印象が悪いという長兄ヴァルゼンからの進言がありましてな。奴の案でルクシアめを追放した後で刺客を送り、始末することにしたのです」


デュメルレイアが守護する領民の命を奪ったルクシアを断罪したとなれば、彼女も失態を犯した王家の事を見直すかもしれない。印象が変われば交渉の結果もまた変わるものだ。


だが、アンドレアは気付かなかった。自身が、今まさにデュメルレイアの逆鱗に触れようとしていることを。


「今頃は、既に刺客の手によって骸となっている頃でしょうなぁ。まったく、最後まで親の手を煩わせるとは親不孝な息子だ。あれほどの悪名がついては何一つ使い道が無い。しかし、これで二度とあの顔を見ずに済むと思えば……ぐへぁっ!?」


甲高い破裂音が玉座の間に響き、アンドレアが床に倒れ込む。その頬にはくっきりと真っ赤になった痕が残り、デュメルレイアはアンドレアを見下ろしながら彼の頬を鞭のように打ち抜いた尻尾をくねらせた。


「でゅ、デュメルレイア様……な、何を……?」


「…耳障りな羽虫が飛んでいた。許せ」


「は、羽虫……?」


そんなものは飛んでいないことは明らかだったが、アンドレアを睨み付けるデュメルレイアの眼差しがさらなる追求を許さない。


アンドレアも、よもや追放した自身の息子がデュメルレイアに見初められていたとは夢にも思わないだろう。そんな息子の悪口を思い付く限り並べ立てれば、一撃喰らうのも致し方ない。むしろそれだけで済んで行幸とも言える。


頬を押さえたまま絶句しているアンドレアに、デュメルレイアは背を向けた。


「用件は終わりだ……ではな」


「は、ははっ!」


そして、デュメルレイアは飛び立った。百年という、あまりにも長い休暇のために。


「う、うぐぐぅ……っ!」


一連の流れを思い返したアンドレアは、疼き出した頬を押さえて唸る。デュメルレイアは王都を去ってしまった。これが近隣諸国に知られれば、どれだけの不利益を被ることになるのか想像も出来ない。


デュメルレイアの名を借りて得たものはあまりにも大きい。一度は魔族の侵攻を受けながらも、魔族領の一部を取り込み、近隣諸国からの支援という名の徴収を得て、アンドレアの代で王都は大きく発展した。その輝かしい繁栄に今、衰退の影が及ぼうとしていた。


「…知ったことか」


アンドレアが呟く。手放してたまるものか。この繁栄を、名誉を、たった一人の後ろ盾が無くなっただけで失うなどあってはならない。絶対に、あってはならないのだ。


「知ったことか、知ったことかぁッ!この王都は私の、この私のものだ!守護竜などに、あの忌々しいお目付け役などに指図されてたまるものか!は、はっはははははぁっ!」


彼はこのまま、これまでと何一つ変わる事なく王都を導いていくだろう。その道程を、足下が見えないほどの黒い影が覆っていようとも。見えない穴に気付かない、いや、気付こうともしないまま。


玉座の間に、アンドレアの狂ったような笑い声が響く。その時、微かに開いていた扉が音も無く閉じられたことを、彼は知る由もなかった。

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