玉座への訪問者
夜が深まる深夜、夜空の頂点で煌々と輝く満月に照らされた玉座の間。普段は国王を守る衛兵達が壁際にずらりと並び立っているのだが、さすがにこの時刻は誰一人の姿も無い。
いや、そうではなかった。玉座の間の最奥を飾る玉座にて、腰掛ける一人の人物。それは王都グランダルの国王、玉座の主、アンドレア=フォン=グランダルであった。
「うぬ、う……むうう……っ」
アンドレアの呻き声が静まり返った玉座の間に響く。額には脂汗を浮かべ、頭を抱えながら足下の床を凝視している。
アンドレアは悩んでいた。事の発端は、およそ半日前。一人の不出来な愚息を追放した後、執務室にて公務を執り行っている最中、その声は突然彼の頭に響いてきた。
『玉座に来い』
それは、透き通るような女性の声。顔は見えないが、アンドレアは声の主が誰であるのかすぐに理解した。その後は早かった。残った公務を机に残したまま尻に火がついたように執務室を飛び出し、訝しむ使用人達を押し退けながら急いで玉座の間に転がり込んだ。
そこに待っていたのは、アンドレアが予想した通りの人物。本来自身のみが腰掛けるはずの玉座に足を組みながら優雅に腰掛け、手持ち無沙汰に尻尾を揺らす人外の存在。王都グランダルの守護者、デュメルレイアであった。
日中は多くの兵士達が警護するはずの玉座の間は彼女以外の姿はなく静まり返り、まるでこの場所だけ世界から切り離されたかのようであった。
アンドレアにとって、デュメルレイアとは初の邂逅である。だが、彼は瞬時に彼女の正体を察した。普段は他者から傅かれる側であるアンドレアだったが、歴代国王を見守ってきたデュメルレイアを前に慌てて彼女の前に膝をついた。
「お、お初にお目に掛かります。私は王都グランダル七代目国王、アンドレア=フォン=グランダルと申します。貴方様はもしや、デュメルレイア様では……?」
「その通りだ。久しいな、アンドレアよ。宣誓の儀以来だが、少し見ぬ間に随分と老けたな。まるで枯れ木のようではないか」
玉座に頬杖をつきながらデュメルレイアは瞳を細める。最後に直接顔を見たのは数十年前。よほど不安だったのか、本来一人で執り行うべき宣誓の儀を先王の付き添いで行ったのは後にも先にもアンドレアだけだろう。
直接顔を合わせるわけではないのにも関わらず泣きながら父親である先王の腕にしがみつく様は、それを見守るデュメルレイアの記憶にも鮮明に残されていた。父親でありながら、まるでルクシアの時とは真逆の反応であった。
「と、ところで、本日は何故私の前に?もしや、私の執政に何か御意見でも……?」
「まだ私は何も言っていないのだが……その言い様では、まるで何か後ろめたい事でもあるようではないか」
妖しい笑みを浮かべるデュメルレイアの言葉に、アンドレアの心臓は口から飛び出さんばかりに高鳴った。実際、デュメルレイアの前では決して口に出来ないことがあるのだから。
初代国王とデュメルレイアの間で交わされた誓約の中に、彼女の威光を利用して諸国との外交を行うべからずと伝えられている。
これは力を持つデュメルレイア自身が必要以上に人間の営みに介入するべきではないとの考えから交わされたものだが、それにも関わらず、アンドレアを始め交易や外交の一端を担うリシェッドとプルミエールは彼女の名を盾に近隣諸国に対して不平等とも言うべき交渉を有利に進めている。これだけは、デュメルレイアに決して知られてはならないことだ。
しかし、王都を見守るデュメルレイアは全てを見越していた。
「そ、そのようなことは!初代国王とデュメルレイア様の誓約に泥を塗るような真似は決して……!」
「ほう……では、お前の次男坊が先日、南方のアジルダ王国より銀鉱山を一つ貰い受けた件についてはどう説明する?」
「な……っ!」
アンドレアは驚きを隠せなかった。何故、デュメルレイアがその事を知っているのか。表向きは魔族領との国境防衛に対する支援のためとされているが、実情は違う。アジルダ王国に対し、決裂した場合に守護竜の怒りに触れると圧力を掛けた結果の接収だ。
アンドレアの全身から冷や汗が噴き出し、床に汗が滴り落ちる。いや、もしかしたらデュメルレイアの名前を出した事は気付かれてはいないかもしれない。焦るアンドレアは一筋の光明を見出した。
「お、お耳が早いですな。それは無論、我が国が魔族共の侵略を塞ぐ重要な役割を果たしているとして、他国からの支援の一環として貰い受けたもので……」
「ほう……それは、断れば私の炎が貴国の領地を焼き払うだろうという戯言を添える必要があったのか?」
「お……」
一度は引いたと思われたアンドレアの冷や汗が再び噴出する。デュメルレイアの言葉は、交渉に当たったリシェッドが使用した文言と一言一句同じものであった。
間違いなく、デュメルレイアは全てを知っている。知っている上でアンドレアを試したのだろう。
デュメルレイアの言葉を最後に続く沈黙。アンドレアの頭上から、デュメルレイアの凍てつくような冷たい眼差しが注がれている。
「…どうした、答えよ」
「は、はっ……そ、それは……」
その後も続く沈黙に苛立つようにデュメルレイアの尻尾が鞭のように床を打つ。アンドレアは今日、初めて恐怖というものを体感した。次の言葉を間違えれば、間違いなくデュメルレイアの逆鱗に触れる。言い訳は無意味。だが、沈黙もまた結末は同じである。アンドレアの思考は、答えが見つからないままグルグルと渦を巻いていた。
もはや言い逃れは出来ない。そう確信したアンドレアの対応は早かった。
「も、もっ……申し訳ございませぬっ!」
ガツン、と床に頭を叩き付ける勢いで平伏するアンドレア。その拍子に王冠が外れ、デュメルレイアの足下に転がった。
「…不手際を認めるのだな」
尻尾の先で転がっていた王冠を引っ掛け、取り上げたそれを人差し指でクルクルと回すデュメルレイア。あまり潔い良い対応とは言えないが、これ以上取り繕わなかっただけ良しとするべきか。呆れたように溜息をつくデュメルレイアだったが、アンドレアはさらに言葉を続ける。
「え、ええ!ええ!その通りです!不肖の息子と娘達が、よもやデュメルレイア様の名を借りてそのようなことをしていたとは!全くけしからんことですな!二度とそのようなことをせぬよう、よく言い聞かせておきます!」
「…そうか」
頭痛を覚えてデュメルレイアは額を押さえる。床に額を擦り付けながら我が身可愛さから子供を差し出してまでの保身に走る、これが国王の姿か。デュメルレイアも怒りを通り越して呆れ果てた。
そんな彼女の気も知らず、責任転嫁に成功したと勝手に安堵した表情も腹立たしい。いや、宣誓の儀で初めて顔を見た頃から、デュメルレイアはアンドレアの素養を見抜いていた。
臆病で、それ故に小賢しい。己の保身のためならば他者に責を押し付けることも厭わない。先代も特に優秀というわけではなかったが、今代の国王は人の上に立つには無責任が過ぎる。そんな国王の下でも王都が近隣諸国に比べて栄えているのは良くも悪くも出来た王子、王女の功績、そしてデュメルレイアの存在があるからか。
このまま小一時間と言わず明朝まで説教をしてやりたいと思ったデュメルレイアだったが、今は一分一秒の時間も惜しかった。
何故なら、今日はアンドレアを糾弾するために訪れたわけではないのだから。
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