絶望の底で

「…今、何と言った?」


デュメルレイアの表情に変化は無かったが、その声色には少なからず動揺の色が感じ取れる。見下ろしてくるデュメルレイアの視線から逃れるように、ルクシアは瞳を閉じて俯いた。


「…お伝えした通りです。僕はもう……デュメルレイア様と一緒にいることはできません。本当に、申し訳ありません……」


「そのような言葉でこの私が納得すると思うのか。理由を話してみろ。私と添い遂げることに障害があるのならば、この私が全て打ち払ってくれる」


デュメルレイアの言葉に、ルクシアは力無く首を左右に振る。彼女の言葉通り、物理的な障害であれば彼女の手で難なく解決出来るだろう。だが、今回ばかりはそうはいかない。何故なら、ルクシアが口にする障害とは、紛れもない彼自身なのだから。


「…デュメルレイア様が幼い頃の僕との約束を大切に思ってくれていたこと、本当に嬉しく思います。ですが……僕はもう、貴方がつがいにして下さると仰った頃の僕ではありません。僕は……僕はもう、貴方の隣に立つには汚れ過ぎました」


どこまでも純粋で、何も知らない無垢だった頃の自分はもう何処にもいない。ここにいるのは、数多の領民達の怨嗟を背負う罪人だ。そんな彼が、遥か昔から王都グランダルを見守ってきたデュメルレイアに相応しいはずがない。自分は、デュメルレイアが守護する領民の命を奪ってしまったのだがら。


「…それに、僕はもう王族でもありません。本来であれば、デュメルレイア様にお目見えすることすら許されない立場なんです。ですから……僕の事は、もう忘れて下さい。身体が動くようになったら、すぐに出て行きますから」


「何をバカな……お前一人でどうするつもりだ。そのまま野垂れ死にするつもりか?」


「…そのつもりです」


元より、この生に意味など無いのだから。最後にデュメルレイアと再会することが出来ただけでルクシアにとっては十分すぎるほどであった。


「僕のせいで、大勢の人達が亡くなりました。これから先、その罪を……人々からの恨みを背負って生きていく勇気は……僕にはありません。ですから、どうか……ここで終わりにーーー」


「ルクシア」


ルクシアの言葉を強引に遮り、彼の名を呼ぶデュメルレイア。やはり怒っているのだろうか。いや、逢いたくて、逢いたくて、十年間も待ち続けてようやく再会することの出来た相手から死ぬつもりだと言われれば、誰でも怒るに決まっている。だが、自分の罪が浄化される手段は、自身の命を失う他に方法は無いのだから。


そう思いながら、彼女の怒りを受け止めるべく顔を見上げたルクシアだったが、その表情が驚きに変わる。何故なら、彼の視界に飛び込んできたのはデュメルレイアの悲痛な表情だったからだ。


「デュメルレイア様……」


「…………」


デュメルレイアは何も言わず、そのままルクシアの頭を抱いて抱擁する。傷付いた彼の心を労わるように彼女の手がルクシアの背を撫でると、ルクシアは不思議と自身の荒れ果てた心が落ち着いてくるような感覚を覚えた。


「…すまなかったな、ルクシア。私はお前が過去の罪に囚われ、苦しんでいると知っていながら、お前の傍に居てやることが出来なかった。だが、私にも事情があったのだ。どうか許して欲しい」


「そんな、デュメルレイア様が気にされることは何もありませんよ。全ては僕が……」


「いや、お前の抱える苦しみを共有することは、つがいである私の役目だ。これからは私が共にいる。だから、お前がそこまで思い詰める必要は無い。死ぬなどと、そのようなことを言ってくれるな」


デュメルレイアにそんな顔をさせたかったわけではなかったのに。悲壮感を感じさせるような彼女の表情を見上げながら、ルクシアは自身の胸が締め付けられるような痛みを感じた。


「でも、僕は……許されないことを……」


「確かにお前は、王族として許されぬことをしたのやもしれん。だが、仮にあの場で王族としての責務を果たしたとして、お前は今のように苦しまずにいられただろうか。戦火から逃れ、涙ながらに命乞いをする魔族達を葬った時、お前は今のように罪悪感を感じずにいられるだろうか」


デュメルレイアの言葉に、ルクシアは閉口する。彼女の言う通り、あの場で魔族達を殺していれば、確かに王族としての立場は守れたかもしれない。だが、彼の性格を考えれば今と変わらない罪悪感を感じ、苦しんでいたことだろう。


「そ、それは……」


「私は、お前らしい選択だと思った。あの時、お前の選択によって失われた命があったことは間違いない。だが、代わりに救われた命もあることを忘れるな。救われた命は、失われた命の数と比較すれば少ないやもしれん。しかし、命の価値は足し算引き算で比較出来るものではない。それが敵対する魔族の命だったとしても、決して無価値なものではないのだ。それは間違いなく、お前が救った命だ」


「僕が……救った……」


「故に、お前の命もまた無価値ではない。無論、私にとっても他に掛け替えのない命だが、お前にも覚えはあるはずだ。お前が死した時、悲しむ者達の姿が」


「あ……」


デュメルレイアの言葉によって、ルクシアの脳裏にグスタフ達、そしてロジャーの顔が過ぎる。自分の選択で、救われた命がある。その事実を噛み締めるように呟くルクシアだったが、すぐにその甘い思考を追い出すように顔を左右に振る。だからといって、自分の罪が相殺されるわけではない。自分が背負う責任は、そんなに軽いものではないのだ。


「でも、僕は……僕は……っ!」


デュメルレイアの言葉によって、たった一瞬でも救われた気持ちになってしまった。そんな自分が腹立たしくて、腹立たしくて仕方がない。乱れた精神に昂る激情。それをぶつけるように、ルクシアはデュメルレイアを見上げた。


「もう……堪えられないんです!あの時の光景が、皆からの怨嗟の声が、ずっと頭から離れなくて、それが毎晩夢に出てきて……っ!そんな日が何年も続いて、もう……頭がおかしくなりそうなんですよ!」


脳裏に焼き付いた記憶は、あれから数年間経つ今でもルクシアを罪の炎で焼き続けている。この悪夢から解放されるなら何でもすると考えたことは何度もある。たとえ、それが死が待つ奈落に飛び降りることになっても。


「…お願いします、デュメルレイア様……今でも僕のことを愛していると仰って下さるのなら、もう楽にさせて下さい。僕を守ってくれる城から追い出されて、これから先……人々から石を投げられながら生きていくのは……堪えられないんです……」

 

毎夜毎夜、悪夢にうなされては自身の呻く声で目覚める日々。熟睡など決して許されない。ルクシアの瞳の下に刻まれた色濃い隈は、彼の魂に刻まれた罪そのものであった。


自分の心を見透かしてくるデュメルレイア相手だからか、ルクシアの口から今まで誰にも明かすことのなかった想いが溢れる。心の許容量を越えて溢れる想いは涙に変わって、彼の瞳から溢れ出た。


「あ……」


その時、頬を滑り落ちていく涙を、視界の外から伸びてきた指先が受け止めた。顔を上げると、そこにはデュメルレイアの優しい微笑みがあった。

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