溢れる想い

燃え盛る村の炎に照らされ、灼熱に染まる暗い空。鮮血が染める深紅の大地で、ルクシアは耳を塞いで蹲っていた。


「お前のせいだ」


「アナタのせいで、私の子供が……!」


「お前が死ね、死ね、死ね……!」


辺りに響くのは無数の怨嗟と呪いの声。それは耳を塞ぐルクシアの手を素通りし、直接頭の中に響いてくる。


もう何度見たかもわからない、彼を苦しみ続ける呪いのような悪夢。ルクシアの罪悪感が生み出した幻影は、四年間の精神を蝕み続けている。生を拒絶し、死を懇願させるほどに。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


何度も懺悔の言葉を繰り返すルクシアに向かって這い寄る死者の群れ。四方八方から伸びる血塗れの腕が彼の腕や髪を掴み、無理矢理上げさせられた顔に生温かい鮮血が雨のように降り注ぐ。


これが、永遠に許されることのない罪。終わらない贖罪。終わらせることが出来るとしたら、その方法はたった一つ。自分の命を、捨てるしかーーー


「あ……」


その時、ルクシアが見上げる燃える空に走る光の亀裂。四年間、全く変わることのなかった悪夢に訪れた初めての変化に、ルクシアはただ呆然と空を見上げていた。


「何で……これ、一体……」


ルクシアが見つめる先で亀裂はさらに広がっていき、その裂け目から溢れるのは温かな光。オーロラのように光の帯が血塗れの世界を照らし出し、ルクシアを包み込んだ。


「ひか、り……光が……」


無意識に、ルクシアは光に向かって手を伸ばす。まるで、救いを求めるかのようにーーー



「あ……」


視界が光に包まれたかと思った瞬間、泥濘のように纏わりつく眠りから不意にルクシアは覚醒した。疲労もあったせいで一体どれだけ眠っていたのか、酷く身体が怠い。


だが、それを癒すような温かさにルクシアの全身が包み込まれていた。例えるのならば、まるで母の胸に抱かれているかのような。物心ついた時には既に自身を産んだ母親とは死別しているルクシアには母親との思い出は一つも無いが、不思議とそんな気分にさせられた。


(ここ……何処だろう……?)


状況を把握するべくルクシアが薄らと瞳を開くと、目の前に広がるのは一面の肌色の世界。顔を動かそうとすると顔に押し付けられているクッションのような何かの心地良い反発が返ってきて、呼吸をするとミルクのようにほんのりと甘い芳香が鼻腔を擽る。


一体何がどうしてこうなってしまったのか。ルクシアが朧げな記憶を辿ると、確か再会したデュメルレイアによって危機を救われた後、気を失ってしまったはずだ。


恐らく、ここは彼女によって運ばれた先の何処かなのだろう。しかし、ルクシアの記憶にはこれほどまでに心地の良い空間には覚えがなかった。


この不思議な安らぎを覚える居心地の良さにずっと浸っていたい衝動に駆られそうになるルクシアだったが、いつまでもこうしてはいられない。その正体を確かめるべく、ルクシアが自身の顔を包む目の前の肌色に触れると、微かな反発に抵抗して少しずつ指が沈み込みーーー


「愛らしい顔で随分と積極的ではないか、ルクシア」


「え……っ」


頭上から聞こえてきたのは紛れもないデュメルレイアの声。一気に眠気から解放されたルクシアが見上げると、そこにはニヤニヤと笑みを浮かべながら見下ろしてくるデュメルレイアの顔があった。


「やはり、お前も一人の男ということか。私を求めるお前の情欲に応えてやりたいところだが、今のお前が私の積もり積もった十年分の愛を受け止めるには体調が不十分だ。あまり無理をするべきではない」


「あ、や……っ、す、すみませんっ!そんなつもりでは……って、な、何で僕裸なんですかぁっ!?」


ルクシアは瞬時に顔を紅潮させながら、手を押し当てていたデュメルレイアの豊満な胸から手を離した。


デュメルレイアとの邂逅によって鮮明になった思考が瞬時に状況を理解する。ルクシアはデュメルレイアに抱かれながら、薄暗い洞窟に山と積まれた落ち葉の上に横たわっていたのだった。しかも、何故か一矢纏わぬ姿で。


一気に全身の体温の高ぶりを感じるルクシアだったが、そんな彼に対してデュメルレイアは冷静そのもの。抱擁から抜け出そうともがくルクシアを事も無げに抱き締めている。


「無論、お前の濡れて冷え切った体温を保つためだ。傷は塞いだが、消耗した体力と流れた血が戻るわけではないからな。それに、人肌に触れていれば痛みも和らぐだろう?」


「あ……」


デュメルレイアの言葉にルクシアが矢を受けた肩口に視線を向けると、傷口は跡形も無く消え去っていた。先刻の彼女の言葉通り舐めて治癒させたのかは定かではないが、傷が治癒していることは紛れもない事実だ。


「あ、ありがとうございます。助けて頂いた上に治療まで……その、ここって何処なんですか?」


「お前が気を失った後、近くに見つけた洞窟だ。あまりお前を動かせなかったものでな。せいぜい落ち葉を掻き集めて寝床を作る他になかったのだが、存外悪くは無いだろう?」


「えっ?え、ええ、その……はい……」


デュメルレイアの言葉にルクシアは言い淀む。ルクシアがどうにも落ち着かないのは、寝床が雑に積まれた落ち葉だからという理由ではないだろう。彼は今、文字通り人間離れした美しさを誇るデュメルレイアと裸で抱き合っているのだ。これで寛げるほどルクシアの感性は成熟してはいなかった。


洞窟の外はルクシアが気を失っている間に既に夜になっているらしく、微かにフクロウの鳴き声が聞こえてくる。追手の事も気になったが、どちらにせよ今は動けるような状態ではない。ここに息を潜めて隠れているのが最善か。


「ふっ……ふふっ……」


「な、何ですか?急に笑ったりして……」


「いや、許せ。ようやくお前に会えたと実感すれば、どうにも気分が高揚してしまってな。この十年、片時も忘れず思い焦がれたお前と……ふふふっ、この昂りは言葉では言い表せんな。よくここまで可愛らしく育ったものだ。この先お前を好きに出来ると思えば、この十年分の心労も忘れられるというものだ。というわけで来い、愛でさせろ」


「無理するなって言ったばかりじゃないですか!わっ、わっ、や、やめて下さいよ……っ!」


まるで愛玩動物でも愛でるかのように、デュメルレイアはルクシアの髪に頬擦りし、彼の足に自らの長くしなやかな足と尻尾を絡ませる。この喜び様、余程ルクシアとの再会が嬉しいのだろう。再会を待ち続けた十年間は、これまで彼女が生きてきた悠久の時の中で最も長く感じたはずだ。


ルクシアも出来る事なら、デュメルレイアと一緒に喜びを分かち合いたかった。だが、それは決して許されない。罪深い自分に、その資格は無いのだから。


「お前に怪我を負わせてしまったことが悔やまれる。私がお前を見付けるのが遅れたせいでお前に傷を負わせ、辛い目に遭わせてしまった……すまなかったな」


「そんな、謝らないで下さい。これは僕の……自業自得なんですから……」


「ルクシア……」


思い詰めたようにそう語るルクシアの心情を察してか、デュメルレイアは胸に抱いた彼の頭を優しく撫でる。ルクシアは何も言わず、ただそれを黙って受け入れていた。


「…お前が城でどのような立場に置かれていたのか、私も概ね把握している。だが、これからは私がお前と共にいる。お前のつがいとして、今後は私がお前を守ってやる。だから安心して今は私に身を委ねよ、ルクシア」


デュメルレイアの優しい言葉は、暗闇に沈んだルクシアの心を温かい光によって照らし出す。だが、今のルクシアにとって、その光はあまりにも眩し過ぎた。


一緒に居たい。去来するその想いを、罪悪感が押し潰す。幸福を、安寧を、自分が願っていいはずがないのだから。だからこそ、自分はこのデュメルレイアの笑顔に向かって言わなければならない。


彼女とは、共に歩むことが出来ないことを。


「…申し訳ありません、デュメルレイア様。僕は……もう、貴方と一緒にはいられません」


ルクシアの言葉が紡がれると同時に、彼の頭を撫でるデュメルレイアの手が止まった。

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