再会

「ああ、ルクシア……本当に、本当にお前なのだな。この長き十年間、何度お前と再び相見えることを夢見たことか。あの頃より多少背丈は伸びているようだが、その愛らしさは変わらんな。一目見てすぐにお前だとわかったぞ」


「デュメルレイア様……どうして、ここに……むぐっ!?」


「阿呆め、お前が約束通り我が聖域に現れなかったからだろうが。今日という十年越しの再会に胸躍らせ、この一年間はロクに眠れなかったというのに、もしや忘れてしまったのかと冷や汗をかいたぞ」


「んぐっ、……く、苦し、です……っ!」


「うるさい、黙れ。もうしばらく堪能させろ。こちとらこの十年間、お前を愛で倒したい衝動を抑えていたのだからな」


十年来の再会は永い時を生きてきた彼女にとって待ち遠しいものであったようで、デュメルレイアは今まで離れていた分の鬱憤を晴らすようにルクシアを抱擁する腕に力を込める。


そんな彼女からの愛情を文字通り全身で受け止め、頭を完全にデュメルレイアの柔らかな胸元の膨らみの中に埋もれさせながら、ルクシアもまたデュメルレイアとの再会を心から喜んでいた。


だが、その表情が浮かべる笑みには何処か陰りが見えた。まるで、この再会が一時のものであることを予期させるかのように。やがて、何とかデュメルレイアの甘美な抱擁から頭を出したルクシアの表情には、既にその陰りは消失していた。


「ぷはっ!す、すみません、デュメルレイア様。本当ならば僕から出向くべきだったのですが……」


「いや、皆まで言うな。込み入った事情があったことはお前の姿を見れば容易に察しがつく」


そう言って、デュメルレイアはルクシアの肩を貫いた矢傷に視線を向ける。激流に揉まれている間に矢は抜けていたが、穿たれた傷口からは少しずつ鮮血が流れ出ている。


見た目はそれほど重傷ではないように見えるが、相当な痛みはあるはずだ。デュメルレイアを心配させまいとしているのか、それを一切感じさせないルクシアの我慢強さには目を見張るものがあるが、今のルクシアの消耗した身体ではすぐに処置をしなければ命に関わる恐れもあった。


「お前の珠のような肌に傷を付けるなど罪深いことを。私に任せるがいい。僅かな傷痕すら残さず治してやろう」


「ありがとうございます。でも、驚きました。デュメルレイア様は治癒魔法の心得があるんですね」


デュメルレイアは王都建国の遥か以前より生き続けている古竜だ。その膨大な知識量は人間の学者など遥かに及ばず、悠久の時の間に身に付けた知識の中には当然魔法に関するものもあるのだろう。


そう思っていたのだが、ルクシアの予想に反し、デュメルレイアは怪訝そうにしながら小首を傾げてみせた。


「……?何を言っている。私にとっては子供の児戯に等しいヒトの魔術に頼る必要などあるまい」


「えっ……?」


言われてみれば納得でもある。魔法とは元来、火を起こし、雨を降らせ、傷を癒すなど、人間が本来持ち得ぬ力を発揮するために生み出されたもので、既に天変地異を起こすほどの力を秘め、この世の存在全てを遥かに置き去りにして超越した存在であるデュメルレイアが魔法に頼る理由は皆無である。


「じゃあ、どうするんです……?」


「決まっているだろう。この程度の傷、私がちょっと舐めてやればすぐに癒える。私に任せて、お前は動かぬようジッとしていろ」


「え、ええっ!?あ、あのっ、それはちょっと無理があるんじゃ……!」


まさかの動物的療法に思わず声を上げてしまうルクシアだったが、対するデュメルレイアが冗談を口にしている様子は微塵も無い。その間にも彼女はルクシアが逃れられないようにガッチリとホールドし、真剣な表情で少しずつ傷口に顔を近付けていく。


「だ、ダメです!待ってください!舐めるなんてダメです!汚ないですよ!」


「む……何を言う。お前の身体に汚ないところなどあるものか。お前が望むのならば尻でも何でも舐めてやるぞ。いや……むしろお前が望まなくとも全身舐め倒してやりたい」


「何を言ってるんですか……!」


悶々として会えなかった期間が長かったせいか、デュメルレイアのルクシアに対する感情が天元突破しているような気がする。


デュメルレイアに対する凛としたイメージが崩壊していく音を聞きながら、泥と土に塗れた傷口に触れさせてなるものかと抵抗するルクシアだったが、その弱りきった身体で数々の伝説を残す古竜に抵抗出来るはずもない。


ルクシアの抵抗虚しく、ぷるんと艶のある唇の合間から突き出された舌先が傷口に触れるまであと僅か。最後の力を込めるため、背を逸らして空を仰ぎ見るルクシアだったがーーー目の当たりにしてしまった。


「え……っ」


ルクシアとデュメルレイアを覆う大きな影。すっかり存在を忘れ去られていると思われたブレイドライガーが立ち上がり、今まさに真っ赤な口蓋を開けてデュメルレイアに喰らい付こうとしていた。


「デュメルレイア様ッ!う、後ろ!後ろですぅううーーーッ!」


「ぬ?」


ルクシアが切羽詰まった声を上げて、デュメルレイアが舌を伸ばしたまま振り返るも時既に遅し。デュメルレイアに覆い被さるように、ブレイドライガーはその白い首筋へと鋭牙を突き立てーーーられなかった。


「えっ……?」


デュメルレイアの柔肌に触れた瞬間、バキッと小気味良い音を立てて砕ける牙。ポトリと足下に転がった牙を見下ろして、ブレイドライガーも我が身に起こった有り得ない現実に困惑しているのか完全に思考停止して固まっている。


ブレイドライガー最大の不運。それは、この世に生を受けた瞬間から強者として定められた彼の人生ならぬ獣生において、一度たりと天敵と呼べる相手に遭遇しなかったことだろう。


育まれることのなかった彼の危機管理能力は、最大限発揮されるべき今この瞬間において取り返しのつかない失態を犯した。その溜まりに溜まったツケは、今まさに彼の身をもって精算されようとしていた。


「…ああ、そうか。知能の足らぬ獣に言いつけるには、あの程度の警告では不十分であったということか……」


「あ、あの、デュメルレイア様……?」


ルクシアとの抱擁を解き、言葉の端々に怒りを滲ませながらゆらりとその場に立ち上がるデュメルレイア。無傷とはいえ、十年来の想い人との再会に完全に水を差された彼女の怒りは計り知れない。大抵の事には気にも留めないデュメルレイアも、今回ばかりは激情の昂りを覚えずにはいられなかった。


「ならば、改めて警告してやろう。口頭では響かなかったのだ。次は多少手荒になるのは覚悟の上だな?」


デュメルレイアはブレイドライガーへと向き直るなり、どことなく引き攣った笑みを浮かべながらその頭部へと片手を置く。その瞬間、ブレイドライガーは全てを悟った。自身が、どれだけ強大な相手にちょっかいを掛けてしまったのか。


しかし、気付いた時にはもう何もかも遅かった。助命を懇願するようにデュメルレイアへと瞳を向けた瞬間、力を込めた彼女の腕によってブレイドライガーの頭部は殴り付けられたかのように直下の地面へと叩き付けられていた。


その勢いは凄まじく、ブレイドライガーの顎は地面に半分ほどめり込み、隕石でも落ちたような小さなクレーターを形成する。もはやそれだけでブレイドライガーは既にノックアウト状態だが、デュメルレイアはさらにダメ押しとばかりに片足を振り上げた。


「仕置きだ」


あまりにも素気なく短い言葉と共にブレイドライガーの頭部目掛けて打ち下ろされるデュメルレイアの足はクッキーでも砕くように地面を踏み砕き、大地に雷が走ったかのような亀裂を刻む。


彼女の怒りを真っ向から受け止める羽目となったブレイドライガーの安否は絶望的かと思われたが、デュメルレイアの足はブレイドライガーの頭のすぐ隣の地面を踏み抜いていた。


「…次は殺す。理解したな?」


ブレイドライガーを見下ろして再度忠告するデュメルレイアだったが、既に白目を剥いて泡を吹いたブレイドライガーの意識は夢の中。彼女の言葉は聞こえていないだろうが、生物としての圧倒的な格の違いを見せ付けたその恐怖心はしっかりと魂魄に刻み込まれたことだろう。


デュメルレイアがこれまでに相手にしてきた魔族達に比べれば遥かに格下の相手とはいえ、微かに片鱗を見せた古くから王都を守る守護竜の力。強く、そして美しい姿に、ルクシアはいつの間にか一時も目を離せないほどに魅入っていた。


(ああ……やっぱり、デュメルレイア様は……)


あの頃から少しも変わっていない。だが、変わってしまったのはーーー


「どうだ、ルクシアよ。この私の勇姿を存分に目に焼き付けてーーーむ?」


デュメルレイアが颯爽と振り返ったその時、目に飛び込んできたのは横たわるルクシアの姿。その瞬間、デュメルレイアは飛び付くようにルクシアを抱き上げた。


「ルクシア!どうした、しっかりしろ!ルクシア!」


緊張の糸が切れるのと同時に、遂に体力の限界が訪れてしまったのだろう。身体を揺りながら何度も名前を呼ぶデュメルレイアの声を聞きながら、ルクシアの意識は闇に溶けた。

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