生きる資格

「急にコソコソと何を話しているかと思えば……ロジャー爺さん、ここまで来てどういうつもりだ?」


「ルクシア様、私の後ろに……!」


ルクシアを衛兵達から守るように、ロジャーは彼らの前に立ち塞がる。だが、武装した衛兵達からルクシアを守る盾となるには、その老いた身体はあまりにも儚い。彼の行動が何一つ意味を成さないことは誰が見ても明らかであった。


「ハナから裏切るつもりだったのかよ、ロジャー爺さん。俺達と同じであんなに乗り気だったもんで、すっかり騙されちまった」


「今ならまだ一種の気の迷いって事にしておいてやる。だから退いてくれねぇか?」


「黙れ!貴様達にルクシア様の命を奪わせはせんぞ!ルクシア様、ここは私が食い止めますので、早くお逃げを!」


懐から取り出した短剣を手に、ロジャーは衛兵達と対峙する。完全武装の衛兵と一塊の御者でしかないロジャーの戦力差は歴然。さらに圧倒的人数差もあって、衛兵達がその気になればロジャーを退けることは足下の小石を払うように容易なことだっただろう。


しかし、何故か衛兵達はそうしようとはしなかった。互いに顔を見合わせながら、何処か困ったようにも見える表情を浮かべている。


「おいおい、どうしちまったんだよロジャー爺さん。何でまだそいつに加担しようとすんだ?もう芝居をする必要は無いんだぜ?」


「この日のために、俺達は今日まで生きてきたんじゃねぇか。まさか、今更情が湧いたなんて言うんじゃねぇだろうな?」


「…どういうこと?ロジャー、あの人達と知り合いなの?」


「そ、それは……」


衛兵達のロジャーに対する態度は、今日の策謀のために昨日今日顔を合わせたとは思えないほど親密に見えた。そんな違和感を感じてルクシアはロジャーへと顔を向けるが、彼は気まずそうに視線を地面に落としていた。


「もう隠し立てする必要もねぇか。おい、この世間知らずのガキに教えてやれよロジャー爺さん。テメェの命を狙う俺達が何者なのか、ってことをよ」


「や、やめろ!それ以上は言ってくれるな!」


「別に隠すようなことでもないだろ?自分で言えねぇのなら俺が代わりに教えてやるよ。俺達が、お前のせいで故郷を灰にされた被害者だってことをよ」


「え……っ」


衛兵のその言葉を耳にした瞬間、ドクンとルクシアの心臓が大きく跳ねた。鼓動は徐々に早くなり、痛いくらいに跳ねる心臓がルクシアの胸を圧迫する。内側から張り裂けるように痛む胸を押さえながら、ルクシアは衛兵達へと顔を向けた。


「じ、じゃあ……貴方達は、まさか……」


「ああ、そうさ。俺達は四年前、お前に滅ぼされた村の生き残りだ。そこのロジャー爺さんもな」


「ロジャー……それって本当なの?」


「む、う……」


ルクシアの言葉に沈黙するロジャー。だが、言葉は無くともその沈黙が全てを物語っていた。衛兵達の言葉が、全て事実であることを。


「あの日、俺達はロジャー爺さんと城下町まで買い付けに行ってたんだよ。魔族共のせいで村まで行商人も寄り付かなくなってたからな」


「で、用を済ませて村に戻った時はなぁ……震えたぜ。何せ、全部燃えて無くなっちまってたんだからな。俺の家も、畑も、父ちゃんと母ちゃんも、小さかった妹も……全部だ」


沈痛な表情で語る衛兵達の言葉が、ルクシアの心を罪悪感で埋め尽くしていく。四年前に目の当たりにした凄惨な光景がフラッシュバックし、震え出した身体を自身の腕で抱き締める。


「特に、ロジャー爺さんの所は酷かった。奥さんと娘夫婦を殺されちまったんだからな。もうすぐ孫が生まれるって時に……胎の中の赤ん坊を引き摺り出されて門に吊るされてる娘と奥さんを見たロジャー爺さんの気持ちが、テメェにわかるか?」


「あ……う、あああ……っ」


憎悪の籠った鋭い穂先のような眼差しがルクシアを貫く。自分のせいで大切な友人だと思っていたロジャーは愛する妻を、娘を、孫を失ってしまった。そんな彼に、今まで自分は何をしていた?ロジャーの気も知らず、友人のように接して、話して、笑ってーーー彼にとって、自分は憎むべき仇であるはずだったのに。


「ごめん……ごめん、ロジャー……僕の、僕のせいで……っ」


何度も、何度もルクシアは懺悔の言葉を口にする。次々に噴出するドス黒い感情が、ルクシアの思考を埋め尽くしていく。こんなに愚かしい人間は生きていいはずがない。この罪を清算するためには、彼らの復讐を受け入れるしかなかった。


「もうわかっただろ。お前がどれだけ大勢の人間に恨まれてるってのがよ」


「ロジャー爺さん、コイツに一番近くで接してたのはアンタだ。情が移っちまったって理由なら理解出来る。あとは俺達に任せときな。死んじまった連中の分までたっぷり痛めつけてやるからよ」


やはり、楽に死なせるつもりは無いらしい。だが、それも当然だ。大勢の人々を犠牲にして、安らかに死ねるとはルクシアも思ってはいなかった。近付いてくる一人の衛兵から逃れようとすることもなく、ルクシアはただその場に立ち尽くしてーーー


「させるものかァッ!」


「うおおっ!?」


その時、沈黙していたロジャーが歩み寄ってきていた衛兵に向かって短剣を振り回した。老人とは思えぬ胆力と行動に堪らず衛兵達も後退りする。


「な、何でだよロジャー爺さん!あと少しで復讐が終わるんだぞ!終わったら皆で受け取った金で村を復興するって言ってたじゃねぇか!」


「ろ、ロジャー……何で……?」


「ぜはっ……はっ……ルクシア様……確かに、私は復讐のため、あの方の誘いに乗って城の御者として潜り込みました。いつか、頃合いを見計らってルクシア様を亡き者にする……それだけが、今は亡き妻と娘達に誓った私の生きる理由でした」


肩で息をしながら、ロジャーはルクシアを振り返った。ボロボロになったルクシアの心を癒すような、温かい笑みを浮かべて。


「ですが、私は知ってしまった。あの日以降、貴方様がどんな思いで日々を過ごしてきたのか。罪悪感から毎夜悪夢にうなされて眠ることも出来ず、血を分けた親兄弟から見放されて冷遇されてなお、貴方様はただ一つの不満すら口にせず死者のために祈り続け、私のような下々の民にも温かく接して下さった。冬のある晩、あばら小屋で寒さを凌ぐ私に温かい毛布とホットワインを差し入れて下さった事、今でも忘れはしません。お前達も、ルクシア様の優しさに接したことがあるだろう?」


「そ、それは……」


ロジャーの言葉に衛兵達が沈黙する。衛兵達の詰所にもルクシアはたびたび顔を出し、ささやかながら差し入れをすることがあった。その記憶はまだ彼らの記憶にも新しいことだろう。


「だ、だから許すってのかよ!俺達の故郷を壊したのはそいつなんだぞ!謝罪してるから、後悔してるから許すって、そんなもん死んだ奴等だって納得しねぇだろ!」


「私もそう思っていた。だが、ルクシア様の事を知り、考えるようになったのだ。この四年間苦しみ続けたルクシア様を殺し、復讐を果たしたとして、妻は……アメリアは私を褒めてくれるのだろうかと。娘達は私を温かく私を迎えてくれるのかと……」


ロジャーは生い茂る枝葉の隙間から垣間見える小さな空を見上げた。まるで天国まで見通して見えるかのように晴れ渡った空。その蒼に、大切な人の顔を思い浮かべながら。


「お前達、難しい事を言うかもしれんが……もうルクシア様を許してやってはもらえないか。ルクシア様はもう十分苦しんだ。いや……生き永らえる限り、これからも苦しみ続けるのだろう。だが、私はそれでもルクシア様に生きて欲しい。それがどんなに険しい道であっても、いつの日か贖罪を終え、安息を得る日が来るとーーー」


「…認めねぇ」


衛兵の一人が呟く。彼は他の動揺する衛兵達とは違い、明らかな敵意と殺意を向けて立ち尽くすルクシアを睨み付けた。


「認めねぇ……俺は絶対に認めねぇぞ!たかが四年間の懺悔で罪が消えるわけねぇんだ!コイツが生きてる限り、あの日見たアイツの死顔が頭から消えねぇ!コイツを殺さなきゃ、俺も前に進む事が出来ねぇんだよォッ!」


「お、お前……ぬううッ!!」


「ひ……っ」


剣を振り翳し、突進してきた衛兵をロジャーは盾となって受け止める。だが、体格差は歴然。徐々に押され、少しずつルクシアに近付いてくる。


「そ、そうだ!ロジャー爺さんは、もうコイツに絆されちまってる!俺達で復讐を果たすんだ!」


「お、おう!そうだな!故郷を復興出来るのは俺達しかいねぇんだ!」


「る、ルクシア様、お逃げください!お早く!」


「で、出来ない……出来ないよ、ロジャー……」


同調した衛兵達までもがルクシアへと歩み寄り、ロジャー一人では抑え切ることは不可能だ。そのロジャーの決死の言葉に、ルクシアは首を左右に振る。完全にその場に蔓延する雰囲気に、自身に向けられた敵意と殺意が彼をこの場に縫い止めていた。


自分は、この場で復讐者達の凶刃で死ななければならない。狂気に呑まれ、理由なき義務感がルクシアを縛り付けていた。


「お逃げ下さい!貴方様は逃げて、生き延びねばなりません!生きなければ……贖罪をすることも出来ないのですよ!」


「あ……ああ……」


その時、ロジャーの眼差しがルクシアを射抜いた。贖罪。それはルクシアがこれまで生きてきた唯一の存在意義。たった一つの、ルクシアが生きる理由だった。


それが、微かにルクシアの足を縛る拘束を緩めた。


「う、うわぁあああーーーーーッ!!」


ロジャーの声に背中を押されるがまま、ルクシアは我武者羅に走り出していた。諦めていた生。真っ白になった頭が、ただそれだけを求めて。


「逃すかよ!取っ捕まえてーーーうぎゃああッ!?」


「ウィルッ!」


ルクシアの前に立ち塞がる衛兵にウィルの後ろ蹴りが炸裂。横倒しになった脇をルクシアが駆け抜けた。


「ルクシア様、どうか御無事で……ぬうっ!?」


「何やってんだ!さっさと追え!逃したら全員タダじゃ済まねぇぞ!」


「お、おう!」


ロジャーを突き飛ばし、衛兵達が逃げ出したルクシアを追う。道無き道を無我夢中で逃げ惑い、ルクシアは深い茂みの中を泳ぐように進み続けた。


何処に向かっているのかもわからない。蜘蛛の糸のように細い生という名の糸を離さないように、ただひたすら前に向かって。


だが、そんな行き当たりばったりの逃走劇も長くは続かない。茂みを抜けた先で、ルクシアはようやく足を止めた。


「はぁっ……はぁっ……」


息を切らせるルクシアの目の前に広がるのは怒涛の奔流。守護竜が住まう霊峰の雪解け水と先日までの大雨が流れ込み、流れの早い急流が白波を立てて嵐のように荒れ狂っている。


翼でもあれば向こう側に渡ることも出来るだろうが、そんな都合の良いものは無し。この急流に飛び込めばタダでは済まないことは勿論、運良く助かったとしても冷たい激流に身を任せれば、岩壁に容赦無く身を削られることは言うまでもない。


「どうしよう、このままじゃ……あっ」


その時、左肩に軽い衝撃。何が起こったかわからず、左肩へとルクシアが目を向けるとーーー肩から矢が生えていた。


頭が理解した瞬間、少し遅れて激痛が走る。じわりと肩口の衣服に鮮血が広がっていき、矢の勢いに押されて身体が前へと傾いた。


「え……っ」


気付いた時には、既にルクシアの身体は空中に投げ出されていた。眼下に見えるは波打つ激流。遠くに空を見上げながら、ルクシアの姿は激流に消えた。


「何やってんだ!死体無しにどうやってあの方に殺したって説明すんだよ!」


「し、仕方ねぇだろ、また逃げられたらって思って……」


少し離れた場所で仲間から詰め寄られる衛兵の手には発射されたばかりのクロスボウ。逃してはならないと焦るあまり引き金に指が掛かったのだろう。


「いや……これでいいんだ。この流れじゃ、どちらにしろ助からねぇ。俺達は遂に復讐を果たしたんだ。そうだろう?」


「お、おお、そうだよな!俺達は遂にやり遂げたんだよな!それに、あの方ならちゃんと復興のための金を出してくれるような気がするぜ」


「ああ!何せ、俺達の故郷を襲った魔族共を真っ先に駆け付けて片付けてくれた英雄……ヴァルゼン様なんだからな」


衛兵達は凱旋する。復讐という人生の大きな命題を達成して。王都グランダルの第三王子の行方は闇へと消えて、二度と表舞台に出ることは無いーーーそのはずだった。

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