急転直下
一体何が起きたというのか、盛大にすっ転んで座席におもいっきり背中を打ち付けるハメになってしまった。痛む背中をさすりながら、ルクシアはゆっくりと身体を起こした。
「あいたたた……ど、どうしたの?何かあった?」
「お怪我はありませんかな、ルクシア様?申し訳ありません、ウィルが突然立ち止まってしまいましてなぁ」
ウィルとは、今まさにこの馬車を引く芦毛の馬の事でロジャーの相棒だ。他の馬に比べて馬体は大きく、ルクシアも何度かその背中に乗せてもらったことがあった。
しかし、聞き分けの良いウィルが急に立ち止まるなど非常に珍しい。座席に座り直して再出発を待つルクシアだったが、一向に馬車が動き出す気配は無かった。
「普段はこのようなことは無いはずなのですが……ひょっとすると、ウィルもルクシア様との別れを惜しんでいるのやもしれませんな。ルクシア様、一度ウィルに顔を見せてやっては頂けませんか?」
「う、うん。それでウィルの気が済むのなら僕は構わないけど……」
馬は賢い動物だ。もしかしたら、ルクシアと今生の別れになることを悟ったのかもしれない。よく一緒に遊んでいた頃はルクシアの顔がべちょべちょになるまで舐め回したり、はたまた乗せている最中に藁山の上に放り出したりと少々度が過ぎていると言えなくもない悪戯好きの馬だったが、そんな繊細な一面があるとはルクシアも思ってもみなかった。
「ありがとうございます。衛兵さん、ルクシア様もこう仰っています。もう人目につく場所ではありませんので、どうか……」
「…仕方あるまい。ルクシア様、外へどうぞ」
溜息混じりにそう言って、仕方なくといった様子で追従する衛兵が閉ざされた馬車の扉を開いた。ルクシアが馬車の外へと一歩踏み出すと、待っていたのは新緑色の景色。涼やかな風が頬を撫で、ざわざわと風に揺れる枝葉が騒めいている。
どうやら、ここは王都の近くに広がる森の中のようだ。定期的に冒険者ギルドで雇われた冒険者が見回りを行なっているため、あまり森の奥に進みさえしなければ危険な魔物もほとんどいない。近くには小さな村もあり、村人だけでなく街の住民が自然の恵みを求めて訪れることもあった。
「どうしたのさ、ウィル。キミはちゃんと言う事を聞いてくれる良い子だったじゃないか」
ルクシアは立ち止まったウィルへと歩み寄ると、優しく声を掛けながら鬣を撫でる。普段ならばルクシアの顔を見るなり嗎を上げながら大興奮で舐め回してくるほど懐かれているのだが、今日の彼は普段とどこか様子が違った。
ウィルはチラリとルクシアを見たかと思えば、何処か寂しげな眼差しをして鼻先でルクシアを押し返したのだ。言葉が通じないとはいえウィルの明らかな拒絶する対応に衝撃を覚えるルクシア。愕然をまさに体現するかのような表情でウィルを凝視した。
「う、ウィル?僕だよ、わからないの?あんなに一緒に遊んだじゃないか。しばらく会ってなかったから僕の事忘れちゃったの?」
「ふむ……もしかすれば、見慣れぬ顔があることに緊張しているのやもしれませんな。衛兵さん方、少しの間だけ離れて頂けますかな?」
「ったく、言葉の通じねぇ動物相手じゃ仕方ねぇか。時間が無ぇんだ。早く済ませろよ」
五人の衛兵達はやれやれと肩を竦めながら馬車の後方へと向かって歩いていった。その明らかに不満そうな表情から察するに、彼らも嫌々ルクシアの護衛をしているのだろう。
ルクシアとしても、既に王家から追放された身の上で王都を警護する衛兵達にいつまでも面倒を掛けるのは心苦しい。早いところウィルに調子を取り戻させなければならないと思うのだが、ウィルのルクシアに対する塩対応に変化は無し。愛嬌の欠片も無く、向こうへ行けとばかりに鼻先でルクシアの胸を押し返している。
「本当にどうしちゃったの……?ロジャー、どうすればいいと思う?……ロジャー?」
「ルクシア様……」
その時、ルクシアはロジャーの様子が少しおかしい事に気が付いた。先程までの穏やかな雰囲気は何処へやら、普段の彼からは考えられない真剣な眼差しでルクシアを見つめている。
「ロジャーまで……どうしたの?」
「ルクシア様、お逃げください」
声を抑えながら、ロジャーはルクシアにハッキリと言い放つ。あまりにも突然過ぎて、ルクシアはその言葉の意味を一瞬理解することが出来なかった。
「それって、どういう……?」
「罠でございます。あの連中、ルクシア様をこの森にて密かに害するよう指示を受けているようです」
「罠……」
ロジャーの言葉を聞いてなお、ルクシアが取り乱すことなく冷静でいられたのは、自分でもそんな予感を覚えていたからかもしれない。
普通に考えれば決して有り得ない話ではない。自らの手で息子を手に掛けたとなっては諸外国への影響も少なからずあるだろう。それならば、追放という体で手元を離れたところで何らかの理由で殺された方が余程良い。
画策した側にとっては幸いとも言うべきか、ルクシアは多くの恨みを買っている。殺される理由ならば幾らでも都合はつく。
そして何より、小さな小屋の中に幽閉された四年間、一度として顔を合わせることもなかった実の父親。その父親が、自らの判断で追放を決めた不出来の息子に今更そんな親心を見せることなど決して有り得ないからだ。
有り得ないと理解していても、ルクシアはこれまで疑いの言葉一つ洩らさなかった。それは、父親の最後の手向けが血を分けた親の愛情であることを信じたかったことに他ならない。
だが、そんな想いは脆くも崩れ去った。いや、初めから存在しない蜃気楼のようなものだったのだろう。ルクシアは自身が今まさに殺されようとしている恐怖よりも、その優しさが嘘であったことの悲しみの方が遥かに勝っていた。
「幸い、この森は隠れる場所には事欠きませぬ。ひとまず何処かに身を隠してくだされ。奴等めがルクシア様を見失って諦めたその後、密かに遣いを寄越します。あとはその者を頼って……ルクシア様?」
「…ごめん、ロジャー。それは……出来ないよ」
ロジャーに向かって、ルクシアは力無く左右に首を振る。それもそのはず。彼には既にーーーいや、あの四年前のあの日から、生きる理由など無いのだから。
「僕が逃げたら、ロジャーやあの人達はどうなるの?絶対に殺されちゃうよ。僕……そんなの嫌だよ」
「何を仰いますか。この老いぼれとは違い、ルクシア様はグランダル王家の血を引く高貴なお方。このようなところで果てて良いはずが……」
「僕はもう、僕のせいで誰かが死ぬなんて嫌なんだ。だから……もう、いいんだ。ありがとう、ロジャー」
「ルクシア様……」
悲しげな表情を見せるロジャーの顔を直視出来ずに、顔を背けるルクシア。そこへ、ウィルがペロリとルクシアの頬を舐める。言葉を解さなくとも、ルクシアの覚悟は誰よりも伝わっているようであった。
「ははっ……ウィルもありがとう。もう一緒に遊ぶ事は出来ないけど……僕、先に待ってるから」
「その様子じゃ、もう覚悟は出来てるようだな。じゃあ、さっさと終わらせちまうとするか」
「ぬう……っ!」
その時、いつまでも馬車が動き出す様子を見せない事に様子がおかしいと気付いたのだろう。衛兵達が鞘から剣を抜き放ちながらルクシア達の元へと歩み寄ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます