悪夢の檻、罪の在処

「オマエのせいだ」


一歩先も見えない暗闇の中で、ルクシアは人々に囲まれていた。暗がりの中でも鮮明に浮かび上がる人々の表情は憤怒と悲嘆に満ち、頭の中に響いてくる怨嗟の声があちこちから聞こえて来る。彼はその場に蹲って、意味もなく耳を塞いでいた。


「俺の、家……俺の、故郷が……燃え……」


「痛い、痛いよ……」


「何処なの!?私の赤ちゃんは何処にいるの!?」


「無い、無いよ……僕の腕……僕の足……僕の目は、どこ……?」


血に濡れた男が、剣で胸を貫かれた少女が、狂い叫ぶ女が、頭が半分抉れて地面を這う少年が、ルクシアを見つめている。ずるり、ずるりと赤黒く染まった大地を這い、ルクシアへと近付いていく。


「どうして、私達がこんな目に……?」


「奴らが来るまで幸せだったのに、何で……」


「僕達が、何をしたの……?」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


降り掛かる声に向かって、何度も何度もルクシアは贖罪の言葉を口にする。こんなことで許されるわけがない。許されて良いはずがない。そう理解していても、彼は言葉を紡ぎ続ける。この光景こそ、ルクシアの罪。終わらない贖罪の根源。この怨嗟の声に永遠に苛まなされ、苦しみ続けるこそが唯一のーーー


「そうだよ。絶対に許さない……」


「償え、償え、償え……」


伸びてきた幾つもの腕がルクシアの髪を掴んで、無理矢理顔を引き上げる。蒼白の顔に血走った瞳で彼を見下ろす人々の顔から滴り落ちる血が雨のように降り注いで、絶望感の中で涙を流すルクシアの顔を真っ赤に染めていく。


『死んで、償えーーー』




「あ……」


がくん、と身体が揺れてルクシアは目を覚ました。辺りを見回すと、狭い馬車の殺風景な景色が目に入る。どうやら馬車に揺られている間にいつの間にか眠ってしまったようだ。


「また……同じ夢……」


いつもと変わらない同じ夢、同じ結末。夢の中で聞こえていた怨嗟の声が今も耳の奥に残っている。額は冷や汗でびっしょりと濡れ、心臓は痛いくらいに早鐘を打っている。


気分転換に風に当たりたいところではあったが、残念ながら全ての窓を塞がれた馬車の中では叶わない。ルクシアは仕方無く服の袖で汗を拭った。


夢の根源は、ルクシアが抱えた罪悪感。四年前、境界を接する魔族領からの侵攻を受けた際、犯してしまった大罪に起因する。


平和だった王都に突然降り掛かった数百年ぶりとなる魔族の侵攻は、領地に大きな傷跡を残した。以前の全世界を巻き込んだ大戦ほどではないにしろ、戦火に巻き込まれて多くの村々が焼き払われ、数え切れないほどの犠牲者と親を亡くした孤児を生み出した。


連日激しい戦いが繰り広げられ、自ら最前線で剣を手に戦ったヴァルゼンの働きによって苦戦の果てに王都は勝利を勝ち取った。


結果、王都は再び平穏を手にすることが出来た一方、対照的に魔族領と呼ばれる地域の一部が王都によって切り取られた。敗戦の際に併合された地域から逃れることの出来なかった魔族達は代償に苦役を科せられ、非常に苦しい生活を余儀なくされている。


大勢の犠牲の果てに平和は取り戻されたが、戦争が集結しても焼かれた村や亡くなった人々が戻ってくるわけではない。戦火に焼け出された人々は生活と働き口を求めて王都に落ち延びたが、待っていたのは仕事を得られず、爪の先に火を灯すような困窮した生活だった。


王都から新しい土地に移る気力も資金も無い彼らに残された道は、娼婦か物乞い。戦争から四年が経つ今現在に至っても、王都から物乞いをする人々の姿が消えることはなかった。


そんな多くの問題を今もなお残す当時の戦争に、ルクシアは兵士達の士気を上げるためのお飾りとして一時的にヴァルゼンの部隊に加わったことがある。そこで彼はーーー取り返しのつかない罪を犯した。


日も落ちかけた夕暮れ時、戦線から野営地に戻る途中、ルクシアはある一団と遭遇した。それは、住んでいた村を追われ、傷付き、逃げ延びてきた魔族達。戦う意思を持たず、泥と土に塗れて跪いて命乞いする彼らを、ルクシアは憐れに思って見逃した。


だが、それが長年に渡って彼を苦しめることになる過ちであった。見逃した魔族達の中に魔王軍が紛れ込んでいたことに気付かず、後刻報告を受け、襲撃を受けた村に向かったルクシアを待っていたのは、凄惨な光景だった。


その光景は、今もルクシアの網膜に焼き付いている。村の入り口に並べられた篝火の灯りに照らされた母親とその子供が串刺しにされたオブジェと、あちこちに転がる村人達の惨殺された亡骸。村の地面で鮮血に染まっていない場所は無く、その中心では魔王軍の襲撃者を斬り伏せたヴァルゼンがルクシアを待っていた。


本当に、本当にルクシアは後悔した。自分の選択のせいで、王族としてあるまじき無責任な行いのせいで、何の罪も無い領民達が死んでしまった。いやーーー彼が、殺してしまった。


自分の犯した罪が、その事実が直視出来ないほどに恐ろしく、恐ろしくーーー当時十歳だったルクシアは、ただ凄惨な光景を前に泣き喚くことしか出来なかった。ヴァルゼンは、そんな狂ったように泣きじゃくる彼を抱きしめた。その後、罪人として王都まで連行されたルクシアは、今日に至るまで王城の敷地内にある小さな小屋の中で過ごしてきた。


それが、ルクシアの罪。この王都の領内において、彼の過ちを知らない人間は誰もいない。グランダル王家の恥ーーーそれが、ルクシアであった。


「今、どの辺りかな……」


沈む気分を切り替えるように、ルクシアは低い天井を見上げる。それほど深い眠りではなかったため、そう時間は経っていないと思われたが、舗装の荒い道を音をガタガタと音を立てて揺れる振動から考えれば、既に外へと繋がる城下町の門を潜り抜けて街道に出ている頃だろう。


最後に王都の綺麗な街中の景色を見る事が出来なかったのは残念だが、自分が置かれている立場を考えれば仕方のないことだと納得出来た。


それに、万が一にも姿を見られたら街の住民達がきっと放ってはおかないだろう。誰もが足下の石を拾い上げて、力任せに投げつけてきたに違いない。


それほどに許されない、本当に許されないことをした。あの夢を見るたびに、ルクシアは全身が震えるほどの罪悪感が押し寄せてくる。本音を言ってしまえば、いっそのこと追放より断頭台に上げて欲しかった。領民達もきっとそれを望んでいる。死ぬことでこの罪悪感から、自分を縛る罪を償うことが出来るのなら、それでーーー


「目覚められましたかな、ルクシア様」


馬を操る御者台の方から聞こえてきたのは年老いた男の声。城で雇われている御者の中で一番の古株であるロジャーの声であった。


「う、うん、よくわかったね。イビキでもかいてたかな?」


「いやいや、外の景色も見られぬこのような無粋極まる馬車では退屈でいらっしゃるだろうと思いましてな。長らくルクシア様をお運びした爺の勘にございますよ。ホッホッホッ」


余裕ある老練な雰囲気に似合う柔和な口調でロジャーは笑った。茶色のベレー帽とたくわえた立派な白い髭、そして咥えパイプがトレードマークのロジャーはルクシア専属の御者である。いや、正しくはだったと言うべきか。


ルクシアが行く先々へと、ロジャーは巧みな手綱捌きで馬車を操り彼を運んだ。その付き合いは長く、ルクシアが城の敷地内に封じられ、ロジャーの馬車に乗ることがなくなった後もグスタフ達と同様に交流は続いていた。


「寂しいなぁ……もうロジャーともお別れだね。今までありがとう。身体を壊さないようにね」


「寂しゅうございますな……ルクシア様をお連れしたこと、今でも鮮明に思い出します。ルクシア様にせがまれ、密かに王都の外れにある花園までお連れしたこともありましたな」


「あはは……ロジャーから花園の事を聞いて、どうしても行きたくなっちゃったんだよね。あっ、港町のお祭りに行ったことは覚えてる?綺麗な花火が上がるから、どうしても見たいって言って。あの時はヴァルゼン兄様に物凄く怒られたなぁ」


「ルクシア様を捜すため、直属の騎士団まで駆り出しての大捜索でしたからなぁ。しかし、露店の飴菓子をお土産に差し上げましたら、すぐにご機嫌を直されましたな」


「ヴァルゼン兄様は、ああ見えて甘い物好きだから……急に機嫌が直ったから、他の騎士さん達の顔も唖然としてたよね」


「ホッホッホッ、あれは傑作でしたなぁ。ヴァルゼン様もあまり感情を表には出しませんが、根はお優しい方ですからな」


お互いを深く知る者同士、薄い壁越しに顔は見えずとも昔話に花が咲く。いつの間にかルクシアが抱えていた悪夢の余韻は払拭され、少しずつ心に平静が訪れていた。


こうして古くから気を許せる者と会話を出来るのもあと僅か。ルクシアは昔の思い出を記憶の中から掘り起こしては一つ一つ噛み締めるように語っていた。


「そうだ、あれは覚えてる?ロジャーが腰を悪くしてーーーうわっ!?」


直後、唐突に停車する馬車。慣性の働くまま、ルクシアはバランスを崩して対面の座席に身を投げ出すことになってしまった。

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