友との別れ

見慣れた中庭の景色を横目に、ルクシアは五人の屈強な衛兵達から周囲を囲まれながら城門に向かって歩いていた。住み慣れた小さな小屋で簡単な旅支度を終え、質素な服と硬い革の外套に身を包む今の彼は、恐らく誰が見てもつい先程まで王族だった人間とは思わないだろう。


いずれ城を出なければならなくなる日が来ると思い、少し前からいろいろと用意していたことが幸いした。メイドに頼んで少しずつ私物を処分してもらい、少しの硬貨と干し肉等の携帯食料やナイフ、火打ち金といった旅の必需品を詰め込んだリュックが今のルクシアの全財産だ。


とはいえ、その蓄えもせいぜい三日程度。その後はどうするか、それが一番の課題だ。


「あの……僕、ちゃんと一人で城門まで行きますから、皆さんはご自分の持ち場に戻ってもらっても大丈夫ですよ?」


「いえ、城下町の外にある集落までお送りします。ルクシア様お一人では城下町を抜けるのは少々危険かと思いますので」


「そう……ですよね。ありがとうございます」


恐らくルクシアの父、アンドレアの命令なのだろう。もう王族ではないとはいえ、王城のお膝元である城下町をうろつかれては何かと不都合があるらしい。


しかし、ルクシアとしてはありがたい申し出であった。この王都において、ルクシアに対する評判は最悪。城下町に出て顔を晒せば、周囲から投げつけられる石や悪行雑言が雨のように降り注ぐことになるのは明らかであったからだ。


それも全ては、ルクシアが犯した罪に起因する。


「ここも、今日で見納めか……」


不安に騒めく胸を落ち着かせるように、ルクシアは立ち止まって季節の花々が咲き乱れる美しい庭園を見つめる。物心つく前から、この大きな中庭がルクシアの遊び場であった。歳の離れた兄上達は幼い彼に構っている暇など無く、当時のルクシアは寂しさを紛らわせるように毎日疲れ果てるまで庭園を走り回っていた。


そんな彼に初めて遊び相手が出来たのは七歳になった頃。城勤めをしている彼らに一言別れの挨拶をしたいところだったが、今更そんな我儘が通用するはずもーーー


「ぼぉおおおーーーんっ!!」


「え……っ?」


不意に聞こえてきた野太い大声にルクシアは顔を上げる。何事かと思って視線を向けた城門から、およそ十人ほどの野性味溢れる屈強な獣人達が一塊となって一直線に駆け寄ってくる。


そして、その獣人達の顔は、ルクシアにとって凄く見覚えのあるものだった。


「な、何だ貴様達!?下がれ!ここは貴様達のような薄汚い連中がーーーひぃいいっ!?」


「ああ?オレ様達を知らねぇだと?テメェ、誰の前に立ち塞がってんのかわかってんのかぁ?」


とっさに立ち塞がる衛兵の前に立って威嚇するように見下ろすのは先頭に立つ巨躯の狼獣人。彼の気性の荒さを表しているかのように銀毛は逆立ち、長いマズルの間からは鋭い牙が覗いている。眼光は気の弱い人なら気絶してしまいそうなほどの威圧感を誇り、目の前の衛兵を睨み殺さんばかりに睨み付けている。


「アタシ達はねぇ、ルクシア様お抱えの親衛隊さ。わかったらさっさとそこを退きな!」


「へっへっへっ、俺達の前に立ち塞がるなんざ良い度胸だ。お頭、やっちまいまーーーうがぁっ!?」


「バカ野郎ッ!その呼び方をすんじゃねぇって何度言やわかんだマヌケェッ!」


狼獣人の鈍器のような太い腕に殴られて、犬獣人は放物線を描きながら宙を舞った。過激な感情表現だが、彼らにとっては日常茶飯事の光景だ。


血気盛んな獣人達を前に、衛兵達は可哀想なほどに縮み上がってしまっている。彼らも城を守る者として鍛えているとは思われるが、殺気立った見上げるような巨体に四方八方を囲まれてしまっては誰だって同じようになるだろう。


あまりにも気の毒な光景に、ルクシアは震え上がる衛兵の肩を叩いた。


「すみません、少しだけ皆さんとお話しをさせてください。子供の頃から僕に仕えてくれた人達なんです」


「あ、ああ、それなら……出来れば手短にお願いします」


「ええ、わかりました」


獣人達の登場によって動揺する衛兵達の間を縫ってルクシアは前に出る。その瞬間、冬の海のように荒れ狂う獣人達は即座にその場で跪いた。


「グスタフさん、それに皆さん。わざわざ見送りに来てくれたんだね。最後に会えて良かった」


「ぼ、坊んん……っ!」


顔を上げた狼獣人、グスタフは、さっきまでの獰猛さが嘘のように消え失せて、滝のように涙を溢れさせながらルクシアを見上げた。彼らはルクシアの親衛隊ーーーというのは彼らが勝手にそう言っているだけで、実際には城の兵士として普段は城下町を囲む街壁の外の哨戒任務を担当している。


「うう……何で、何でこんなことになっちまったんですか。何でお優しいルクシア様がここを出ていかなきゃならないんだ……っ」


「ひぐっ、うぐ……陛下も情が無さすぎるよ。血を分けた親子なんじゃないんですか……っ」


「て、テメェら、泣くんじゃねぇよぉ!坊に情けねぇツラ見せてんじゃねぇ!見せてんじゃねぇよぉおおおーーーっ!」


他の獣人達へと一喝しながら、誰よりも大泣きしているグスタフ。ルクシアと彼らの付き合いは長く、ルクシアの計らいによって城で働くことになった彼らだが、世間では劣等種族として扱われる獣人の彼らが城の一兵士として働くのは異例も異例。他の兵士達からもあまり良い扱いはされていないだろう。


だが、グスタフ達はそれを承知でルクシアのために働いた。昼夜問わず一日中街の外を警戒しなければならないキツい仕事にも関わらず、小屋に閉じ込めらているルクシアが寂しく無いように持ち回りで話し相手になったり、チェス等のテーブルゲームの相手をしてくれていた。


ルクシアにとって、グスタフ達は心の支えであった。そんな皆とも、今日で別れを迎える。本当ならばルクシアも泣きたいくらい悲しかったが、主として慕ってくれるグスタフ達を前にして同じように泣きじゃくるわけにはいかなかった。


「僕の事は心配しないで。僕はこの方達に近くの集落まで送ってもらえることになってるから、きっと何とかなるよ。グスタフさん達はこれからどうするの?」


「それがよ……何がどうしてそうなったかはわからねぇが、どうもヴァルゼン様の一軍に入れられるみてぇだ」


「恐らく、明日にもここを発つことになるかと……」


「ヴァルゼン兄様の……?」


ルクシアが追放処分を受けて間も無いにも関わらず、既に彼らが城に居た理由が判明した。既にヴァルゼンによって招集が掛けられていたのだろう。


対魔族の最前線に展開されているヴァルゼンの軍は、有事になれば真っ先に魔族と戦闘になる。ただ放り出されるルクシアより、命懸けの戦線へと向かうグスタフ達の方がよほど大変かもしれない。


だが、ルクシアはグスタフ達の異動先がヴァルゼンの軍だと聞いて少しだけ安心していた。ヴァルゼンは根っからの軍人であり、差別の対象である獣人達に対しても他の兵士と同じように扱う。忠実に指示命令に従っていれば、それほど悪いようには扱われないはずだ。


むしろ、他の兄弟のところに配属になった場合、恐らくルクシアへの当てつけに奴隷以下のとんでもない扱いをされたかもしれない。


「そっか……大変なところだけど、逆にチャンスだと思えばいいんじゃないかな。頑張って手柄を立てれば、もっと良いところに取り立ててもらえるよ。皆は他の兵士さん達と比べても凄く強いと思うし、ヴァルゼン兄様はそういうところをちゃんと見ていてくれる人だから」


「そんなこと言わねぇで下さいよ!俺達はルクシア様だから今まで仕えてきたんだぜ!?俺達はこれからもずっとアンタに仕えてぇよ!」


「お願いです、アタシらも一緒に連れて行って下さい!アタシ達、最後までルクシア様にお仕えするって決めてたんですから!」


「坊、陛下の決定に俺様が口を挟めるようなことじゃねぇが……コイツらの意思も汲んでやってはもらえねぇか?オレ様達ぁ、どいつもこいつも逸れ者のひねくれた連中だ。オレ様達を纏められんのは坊しかいねぇんだよ」


「グスタフさん……」


グスタフの申し出はとても嬉しいものであった。ルクシアが父から冷遇されるようになった後、離れていく側近達と違い、彼らはずっと一緒に居てくれた。本心では、ルクシアもグスタフ達と一緒に居たいと思っている。だが、それは絶対に許されないことであった。


「ありがとう、皆さん。だけど、僕の旅は多分凄く辛いものになると思うから、付き合わせるわけにはいかないよ」


「そんな冷てぇこと言うんじゃねぇよ!坊、オレ様達の腕っ節の強さはわかってんだろ?それならーーーうぉっ!?」


ルクシアはグスタフの口を塞ぐように、彼の首に腕を回して抱き付いた。彼の突然の行動に驚いているのか、普段は何一つ物怖じしない豪快な人物であるグスタフも指先一つ動かすことも出来ずに完全に身体が固まってしまっている。


「ありがとう……皆さんの事、絶対に忘れません。だから、どうか……ずっと元気で。僕の……大切な友達」


「あ、ああ……」


「る、ルクシア様……」


立場上、今まで伝えることが出来なかったが、自分はもう王族じゃない。それならば、ずっと付き合ってきた皆を友人と呼んでも何も問題は無いはずだ。


しばらく抱擁した後、ルクシアはグスタフ達から離れて控えていた衛兵達へと向かって歩き出す。もうグスタフ達を振り返ることはしない。振り返ったところで、涙の膜に遮られて彼らの顔がはっきりと見えないのだから。


「すみません、お待たせしました。行きましょう」


「は、はい」


ずっと待たせていた衛兵達と共に、ルクシアは城門へと向かって歩き出した。これで、この城に心残りは無い。あとは、ただこの場から去るだけーーー


「ぼぉおおおんッ!お前に何かあったら、オレ様達が絶対に駆け付けるからな!絶対だぞぉッ!」


「どうかお元気で!落ち着いたら必ず、必ずまた皆で暮らしましょうね!」


「…皆さん……」


後ろから聞こえてくる皆の涙声に、ルクシアは溢れる涙を抑えることが出来なかった。きっと、皆が自分に向かって手を振っているのだろう。ルクシアはもう一度皆の顔を見たい衝動に駆られたが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せるわけにはいかなかった。


皆には、自分の笑顔を最後に覚えていて欲しいから。グスタフ達の声に背を押されながら、再び城門へと向かって歩き出した。

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