第一章 追放と別れと再会と

喪失の日

「第三王子ルクシア、貴様をグランダル家より追放処分とする」


「…はい。寛大な処置、ありがとうございます……父上」


十四歳になったその日、およそ十年ぶりに賜る、父王アンドレア=フォン=グランダルーーー父親からの言葉に、ルクシアはただ項垂れて、それを受け入れることしか出来なかった。


立派な白髭を蓄え、一国の主君たる威厳と威容を纏いながら豪奢な玉座に腰掛けた父親の左右に並ぶのは五つの椅子。そこに腰掛けるのはルクシアの義母と二人の兄と姉、そして年の離れた義弟。その誰もが、目の前で跪く彼へと険しく、そして蔑むような眼差しを向けていた。


「あらやだ、申し開きは無し?無様に泣き喚いてお父様に縋り付く様を楽しみにしてたのに……あーあ、興醒めだわぁ」


やや特徴的な口調で心底残念そうに言い放つのは、高価なガウンを羽織り、銀縁の片眼鏡を掛けた第二王子リシェッド。王都を出入りする商人達によって流通する品物や大金の流れを一手に担い、王都の経済を管理する役目を担っていた。


その卓越した手腕は大陸を股にかける大店の豪商ですら舌を巻くほどで、四年前の魔族侵攻の折に豊かだった王都の経済は未曾有の大打撃を受けたが、それを短期間の内に立て直した実績は今もなお多くの人々に賞賛され、領民達から尊敬の念を集めている。


しかし、光ある所に影有りとはよく言ったもので、裏では表向きには流通させることの出来ない薬や近隣の村々から攫われてきた年端もいかない少年少女、中には愛玩用に魔物の幼体まで取り寄せて一部の貴族に売り払い、私腹を肥やしているという黒い噂もある。とはいえ、噂はあくまでも噂であり、真偽の程は定かではないのだが。


「はしたないですよ、リシェッド。いくら愚弟とはいえ、その潔さだけは認めなければ可哀想ではありませんか」


そうリシェッドを嗜めるのは、隣に腰掛ける麗しき第一王女プルミエール。齢二十という若さにして成熟した魔性の妖艶さを纏い、まるで高名な画家が描いた美人画から抜け出してきたかのような美貌は王都の至宝とも称され、その美しさを武器に近隣諸国との外交をその任としている。


王侯貴族のパーティに招かれてはその美貌と妖精のように優雅な立ち振る舞いで一身に羨望の眼差しを集め、様々な人物と交流しながら王都にとって数々の有益な情報や外交上優位に立つ誓約を取り決めてきた。


世の男達が理想とする女性の偶像をそのまま具現化させたような彼女だが、裏では諸国の有力な貴族や実力者を誘惑しては極上の美貌と肢体で咥え込み、裏では国王である父親をも凌駕するほどの勢力を従えているという噂もある。夫を寝取られた哀れな女性達から、彼女は妖精というよりは男を拐かす淫魔だと称されているのは、あながち間違いではないかもしれない。


「あらあら、お姉様ったら優しいのねぇ!やっぱりお気に入りのオモチャが無くなるのはショックなのかしら?」


「ええ、そうですね。今後、あの赤子のような柔肌が堪能出来ないと思えば、やはり名残惜しくもなるみたいで……ふふっ」


「……っ」


大袈裟に肩を竦める次兄とそれを嗜める姉の言葉に、ルクシアはぶるりと身震いする。この二人の言う通り、彼に申し開きなど出来る資格は無い。何故なら、彼はそれだけの大罪を犯してしまったのだから。


「かーさまかーさまぁ!ルクシアは何したの!?ねぇねぇ!ねぇってばぁ!」


「あまり見てはいけませんよ、妾の可愛いアブデル。アレはね、もう貴方の義兄様ではないの。アレはもう庶民……いえ、今はもう罪人と言った方が正しいのかしら」


「罪人?罪人って悪い奴のことでしょ!?なんでそんなのが僕達の前にいるの!?早く出てけ罪人!出てけー!」


「く……っ」


口周りをベタベタにしながら山のように積まれた菓子を頬張っていた義弟、アブデルが投げた食べ掛けのケーキが真っ直ぐにルクシアの顔に当たる。クリームで遮られたルクシアの視界の中で、扇子を手に嘲り笑う義母ヴァネッサの顔が見えた。


ルクシアの兄と姉は相当は曲者だが、タチの悪さで言えばこの二人には遥かに及ばない。ヴァネッサは今は亡きルクシア達の母親の後に女王の座についた人物であり、国王との間に生まれたアブデルを溺愛していた。


その可愛がりは度を越しており、アブデルの機嫌を損ねた使用人がヴァネッサの命一つで一族郎党共々捕えられ、鞭打ちの刑に処されたこともある。彼女が虎視眈々と自身の息子であるアブデルを玉座に据えようとしているのは明らかで、事あるごとに自分達の領分に首を突っ込んで貶めようと様々な妨害工作をしてくる二人をリシェッドとプルミエールは毛嫌いしていた。


「相変わらず煩わしいくらい元気が良いわねぇ、アブデルちゃん。これも義母上の愛情籠った英才教育の賜かしら?」


「言葉を慎みなさい、リシェッド。アブデルへの嘲りは許しませんよ」


「あらあら、ホントのことじゃなーい?これがお父様の招集じゃなかったら、即刻その醜いお腹を蹴飛ばして叩き出してるところよ?ウフフ、優しい義母上様がいて良かったわねぇ、アブデルちゃん?」


「ひっ……か、かかか母様ぁ!リシェッド兄様がイジめるよぉ!」


「怖がらないで、妾の可愛いアブデル。お母様が守ってあげますからね」


「黙れ……」


底から重く響くような国王アンドレアの威厳ある一言によって、先程までの騒々しさが嘘のようにピタリとその場の全員が押し黙る。アンドレアは手にしていた黄金の盃をテーブルに置き、その険しい眼差しでルクシアを射抜いた。


「貴様も自覚している通りだ、ルクシア。先の魔族共との戦における貴様の大罪は死罪に相当するものであるが……不出来の息子に対する最後の情けだ。王家より追放することにより、その処分とする」


「はっ……」


その場に跪き、ルクシアは再び首を垂れる。息子に対する父親の最後の慈悲とでも言うべき寛大な措置のように見えて、結局のところ死罪と大して変わらない。


今まで安全なお城の中で安穏と暮らしてきたルクシアにとって、城の外は未知の領域だ。そして、先に語られた大罪により、領民達から反感を買っているルクシアが頼れる人物は誰もいない。言うなれば、死に場所が処刑台から城の外に変わっただけであった。


「宣誓の儀の前で良かったですね、お父様。このような痴れ者を守護竜様の前に見せては、庇護も失われるというものです」


「ああ、そうだとも。守護竜は清廉な心の持ち主を好む。守護竜の前に大罪人を見せるわけにはいかぬからな」


プルミエールの口から語られた宣誓の儀ーーーそれは、グランダル王家の血筋を引く者にのみ許された儀式のことだ。


齢十四を迎えた者は王城の背後に聳える霊峰に踏み入り、永きに渡って王都を守護してきた守護竜の神像の前で国や領民を守ると宣誓する。何代か前までは守護竜が姿を見せていた要だが、いつしか守護竜が姿を見せなくなって以降、代わりの神像を立て、守護竜に宣誓することになっている。


ルクシアも本日で十四歳になり、本来なら宣誓の儀を行うはずだったのだが、追放された身の上となっては叶うはずもない。霊峰への道はグランダル王家の者でなければ通ることの出来ない強力な結界で守られており、大勢の兵士達が常に警護している。王家から追放され、守護竜に謁見する資格を持たない今のルクシアでは近付くことすら出来なかった。


「くだらん……」


不機嫌そうな低い声色の一言と共に、不意に玉座の隣の椅子から立ち上がった巨躯があった。そのまま国王の側を離れ、身に纏う甲冑の音を響かせながらルクシアの隣を抜けて外へと続く扉へと向かう大柄な男は、この場で終始沈黙を守っていた長兄、ヴァルゼンであった。


王位の第一継承者でありながら三十の年齢を越えてなお妻を娶ることもなく、戦線の第一線に立って魔族領との国境を守る護国の要。四年前、国境を冒して領内に侵入してきた魔族との戦いでも最前線で大きな功績を挙げ、兵士や領民からの支持も厚い。誰もが次の国王と信じて疑わない人物である。


そして、お世辞にも兄弟仲が良いとは言えないルクシア達兄弟の中で、ヴァルゼンだけは忙しい執務の合間を縫っては当時遊び相手もおらず孤独だった幼いルクシアに構ってくれた人物であった。


しかし、四年前のあの日以降、ルクシアとヴァルゼンの概ね良好だった関係は崩壊し、今となっては会話をするどころか目を合わすことも無くなってしまった。優しかった兄は、自分に失望してしまったのだろう。同じ血を引く兄弟の中で唯一優しかった兄の姿を見るたびに、ルクシアは絶望にも似た寂しさを覚えていた。


「何処へ行く、ヴァルゼン。まだ話は終わってはいないのだぞ」


「大事があると聞き、わざわざ戦線を離れて戻ってみれば、肉親が寄って集って愚か者の吊し上げか。このようなくだらんお遊びに付き合って戦線を離れていては、戦場に残る兵士達の士気に関わる。俺は帰らせてもらおう」


「む……」


アンドレアが取りつく島もなく、ヴァルゼンは振り返りもせずに玉座の間を出て行ってしまった。彼の辛辣な言葉で頭に冷水をぶちまけられたかのように、明らかにその場に立ち込めていた雰囲気の熱が冷めていった。


「アタシも、そろそろ帰っていいかしら?大切なお得意様をお待たせしてるのよね。これ以上おバカさんに付き合って時間を無駄にしていられないわ」


「それでは私も、この辺りでお暇すると致しましょう。この後、隣国の宰相様とお会いする約束がありますので」


「んーまっ!お姉様ったら、また別の男性とお約束なのぉ!?恋多き毒薔薇の名は伊達じゃないわね!」


「あら、人聞きの悪い。私はただ、様々な方面での友人が多いだけですよ?」


席を立ったリシェッドに続き、プルミエールも立ち上がる。アンドレアが声を掛ける暇も無く、二人はルクシアを一瞥することもなく立ち去ってしまった。


「アブデル、妾達も参りましょう。そろそろ先生がお見えになる頃ですよ」


「えーっ!やーだー!もっと食べたいー!まだ全然足りないんだもん!」


「仕方ありませんねぇ。では、お勉強前に料理長に何か作ってもらいましょうか。アナタ、妾達は失礼するわね」


「…うむ」


口周りをクリームでベタベタにしたアブデルを連れて、ヴァネッサも自室へと戻っていった。玉座の間に残されたのは、アンドレアとルクシアだけ。アンドレアもすっかり興醒めした様子で肘掛けに頬杖をついた。


「…まぁいい。ルクシア、貴様は早急にこの王城から立ち去れ。二度と我が前にその顔を見せるな……衛兵」


「はっ!」


隅で控えていた衛兵達がぞろぞろとルクシアへと集まり、彼らに両脇を抱えられながらルクシアはその場に立ち上がった。


「ルクシア様、こちらに。我らも手荒な真似をしたくはありませんので、どうか……」


「ええ、わかっています……父上、どうかお元気で」


「…連れて行け」


もはや完全に興味を失ってしまったかのように、視線すら向けなくなった父親に深々と頭を下げてルクシアはその場で踵を返す。


これで、自分はもう王家の人間ではなくなった。王族という家柄とそれが持つ権威が喪失することに関しては構わない。ただ、王族ではなくなることによって、ある一人の大切な人物との約束を果たせなくなること。ルクシアにとって、それだけは身を引き裂かれるほどに受け入れ難いものであった。


(申し訳ありません、守護竜様……もう、お会いすることは叶わなくなってしまいました)


胸の奥で何度も懺悔の言葉を繰り返しながら、ルクシアは玉座の間を外へと向かって歩き出す。王都グランダルの第三王子としての地位を失い、ルクシアは先の見えない暗闇の道程へと身を投じることになったのだったーーー

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