追放王子の復興録〜僕と魔王と守護竜と〜

Phantom

プロローグ

昔日の約束

「子供……ここで何をしている?」


眼下に広大な大地を望む尾根に腰掛ける私の隣に座るのは、作ったばかりの鮮やかな花の冠を弄ぶヒトの幼子。まだ五つにもならないだろう、毛先にクセのある短い銀髪と美しい翡翠色の穢れを知らぬ無垢な瞳に思わず目を奪われそうになる。


私ですら見惚れてしまうのだ。理性の無い魔物共が見れば、たまらずむしゃぶりつきたくなることだろう。現に、花園で冠作りの最中にマンイーターに頭から喰われそうになったところを救い、住処まで連れ帰ったばかりなのだから。まったく、久方ぶりに散歩に出たところで、とんでもない拾い物をしてしまったものだ。


「そもそも、ここにどうやって入った?ここはグランダル王家の者でなければ足を踏み入れられぬ地。おいそれを足を踏み入れて良い場所ではないのだぞ」


「えーっとね、るくしあ、あにうえにつれてきてもらったの」


まるで溶けた飴細工のように蕩けて、そして甘い無垢な声。その未発達な思考が繰り出す舌足らずな言葉に聴き惚れながら、同時に私は嫌な予感を覚えていた。


「ルクシア……それがお前の名か。兄上というのは……もしや、ヴァルゼンか?」 


「うん!あにうえはつよくてね、かっこいいの!」


あの馬鹿め。こんな子供をこんなところに放置するなど正気か。以前から何処か頭の足らぬ男だと思っていたが、よもやここまでとは思わなかった。すると、この幼子も王家の血筋を引く者か。ならば、この常人では決して立ち入れぬ不可視の領域に足を踏み入れることが出来た理由も頷ける。


「ほうほう、そうか。ならば、私が無責任なお前の兄にたっぷりと説教をしてやらねばな。兄は何処だ?」


「んっとねぇ〜、おしごとがいそがしいから、ここでしゅごりゅーさまにあそんでもらいなさいって」


「はっはっはっ、そうかそうか……アイツめ」


知己のよしみで説教だけで済ませてやろうと思ったが、拳骨も追加しておくか。しかし、まずはこの幼子をどうしたものか……まさか丸一日面倒を見させるつもりか?


「やれやれ……しかし、幼いのに随分と豪胆だな。お前は、この私が恐ろしくはないのか?」


「なんで?つの!はね!きれいで、すごくかっこいい!」


「む……この私が?」


「うん!」


幼子の言葉とはいえ、存外悪い気はしないな。一昔前には山と積んだ供物を捧げられ、国中の者達が私に首を垂れ、その功績を讃えたものだが、この者の言葉はそれに勝るほどの充実感を覚えた。むふ、今日は久しく気分が良いぞ。


「ふっふっふっ……そうかそうか。お前は兄と違って利口で良い子だな。後で甘い果実をくれてやろう。だが、私といたところで退屈だろう?ここには娯楽らしいものは何一つ無いからな」


「んーん、たのしい!だって、はじめておそらとんだ!とってもきれいだった!」


「ほう、それほどまでに気に入ったか。ならば、良い子にしていれば、またお前を連れて飛んでやろう。風が心地良い渓谷があるのだ。なかなかの絶景だぞ?」


「わぁー!いきたいいきたい!」


足をばたつかせながら浮かべる無邪気な笑みに、私もつい頬を綻ばせてしまう。こうしてヒトと話し、笑うのは何時振りになるだろう。


遥か昔、王都に押し寄せる魔族の軍勢を撃退し、初代国王との盟約により王都を守護する役割を担ったものの、代が移るごとに私に対する敬意は消え失せ、現在に至っては私の威光を盾に近隣諸国から搾取する始末。私に礼節を尽くし、臣民のために己の全てを捧げた初代国王が遺した国を見るに忍びなく、表舞台から姿を消した私の存在は、今となってはごく一部の者のみが知るだけとなった。


いずれ近い将来、私は人々の記憶から消え去る。その時、一体私は何者になるのだろう。盟約により、ヒトの営みを守るべく守護竜として長らくこの地を見守り続けたが、これから先はただこの地で醜い欲望の海に沈みゆく王都を望み、その果てに訪れる終焉を看取ることだけが、私の存在意義になってしまうのか。それはーーーたまらなく恐ろしい。


「しゅごりゅーさま、これあげる!」


「む……?」


柄にもなく物思いに耽る私にルクシアが差し出したのは、作ったばかりの花の冠だ。繋ぎは雑だが、色は見栄え良く選んである。なかなかの美的センスと言っていいだろう。だが、何故私にーーー


「これはお前が苦労して作ったものだろう?私が受け取っていいのか?」


「うん!だって、しゅごりゅーさま、さびしそうなかおしてたから……げんきでた?」


「あ……ああ、出たとも。感謝するぞ、ルクシア」


よもや、こんな幼子に気を遣わせてしまうとは。未熟な我が身を恥じつつ、ルクシアの頭を撫でてやる。私は少し力を入れれば壊れてしまいそうな花の冠を、右の角に引っ掛けるように被せた。


「どうだ?似合うだろうか?」


「うん!しゅごりゅーさま、とってもきれい!だけど……」


「だけど、何だ?」


「そのかんむり、ぼくのおよめさんにあげるつもりだったの。だから、もういっこつくらなきゃ、っておもって。うまくつくれるかなぁ……」


先程までの底抜けの元気が何処へやら、しゅんと肩を落とすルクシア。


お嫁さん、か。今までヒトに寄り添い、その営みを見守ってきた。歴代国王の中には私に求婚する身の程知らずが居たこともあったが、私自身つがいを持つということは一度も考えたことはなかったな。


私は横目でルクシアの顔を覗き見る。顔立ちは悪くない。むしろ野原に咲く一輪の白花のような儚げのある可愛らしさは、妙に保護欲を掻き立てられる。


なにより、この者の魂の輝きは美しい。静かに、温かく、そして優しい。このまま手元に留め置き、いつまでも眺めていたいという衝動に駆られそうになる。この輝きを曇らせぬよう、絶やさぬように守りたいとーーーそう思わされた。


「よし、わかった。私がお前のつがい……お嫁さんとやらになってやろうではないか」


「ええっ!いいのっ?いいのっ?やったぁ!」


恐らく、ルクシアは嫁、つがいの意味を理解していない。友人の延長線で考えているのだろう。だが、それでは困る。私が真に求めるものーーー私のつがいになる者ならば、必ず履行させなければならないことがある。


「ああ、もちろんだ。だが……一つ条件がある。それを絶対に破らないと約束出来るか?」


「うん、できるよ!だってぼく、やくそくやぶったことないもん!」


「はっはっはっ、それは結構なことだ。では、その条件というのはな……」


やる気に満ち溢れた眼差しで見上げてくるルクシアの頭を撫でながら、私は鼻先がぶつかる寸前のところでその宝石のような瞳を覗き込む。


「…私を一人にしてくれるな。常に私の隣に、手の届く場所にいろ。そうすれば、私がお前に降り掛かる全ての厄災を打ち払ってやる。約束出来るか?」


それは、私が抱く唯一の願い。だが、まだ幼いルクシアには難解だったらしい。あまりよくわかっていないのか、人差し指を咥えたまま首を傾げている。


やはり、まだこの話をするには早過ぎたか。つがいとなるのは、しばらく様子を見てーーーと思ったのだが、ルクシアはいきなり大きく頷いた。


「うん!やくそくする!ぼく、きょうのやくそく、にっきにもかくよ!ぜったいわすれないように!」


本当にわかっているのか甚だ疑問ではあるがーーーまぁいい。その分、しっかりと記憶に楔を打ち込んでおくか。


「約束したぞ、ルクシア。では……私のつがいとなる証をくれてやろう」


「えっ?なになに?なにをくれるーーーんむっ」


間近だった顔をさらに近付けると、唇に柔らかい感触が伝わる。驚いているのか、理解が追い付いていないのか、瞳を瞬かせているルクシアへと、私はさらに記憶へ刻み込むように二度、三度と小さな唇に自身の唇を重ねては、その心地良い弾力のある感触を弄びながら軽く吸って離してやる。


「ん、む……ふぅ……」


「ぷふぁ……」


それを数十秒ほど堪能してーーー少し名残惜しいが、顔を離した。


「ふふっ、惚けた顔をしてどうした?つがいとなる証に私の口付けをくれてやったのだ。せめて感想の一つでも聞かせてみろ」


「ふぇあ……なんか、ふわふわして……あ、あんまり、みちゃやぁ……っ」


幼いルクシアには少々刺激が強過ぎたか、真っ赤になった顔を両手で隠しながら俯いてしまった。


だが、逆に私は形容し難い歓喜に打ち震えていた。なんと、なんと愛しく可愛らしい存在なのだ。全てのヒトを等しく愛し、守護してきた私だが、これほどの情を一人のヒトに移してしまったのは初めての感覚だった。


唇に残るルクシアの感触が、私の感情を昂らせていく。もっと、もっとルクシアを感じたい。その小さな肢体を抱きしめ、私だけのモノにしてしまいたい。


いっそのこと、その無垢な表情が歪むほどに私という存在を嫌と言うほど叩き込んでやろうか。そうすれば片時も私のことを忘れるようなことはーーーいや、それはさすがにマズイか。


あの温厚なヴァルゼンも、ルクシアの身に何かあればさすがに穏やかではいられないかもしれない。それに、湧き上がる黒い衝動に身を任せてルクシアに嫌われてしまえば元も子もない。そんなことを考えている内に、私はルクシアに向けた情欲に沸き立つ思考が急速に落ち着いてくるのを感じていた。


「ど、どうしたの、しゅごりゅーさま?ぼくのかお、へん?」


「いや、そのようなことは無い。目に入れても痛くはないほどに愛らしいぞ。これでお前は私のつがいとなった。光栄に思うのだな」


「うん!じゃあ、しゅごりゅーさま、これからずっといっしょ?」


それも良いと思ったが、ここは冷静になるべきか。ルクシアは幼くともグランダル家の血筋を引く王族の一人だ。現国王にルクシアを寄越せと言えば応じるかもしれないが、それを交換条件にあれこれと要求されてはますます増長させかねない。


それに、ここの環境は幼いルクシアには些か劣悪だ。それらを考慮すれば、今はまだ時期尚早と言わざるを得ないかーーー至極残念なことだが。


「…いや、このままお前を引き留めるわけにはいかん。そうだな……うむ、お前が十四になった時に執り行われる儀にて、再び私はお前の前に現れよう。私との約束を、夢々忘れることのないようにな」


グランダル王家には代々齢十四を迎えた者が一人でこの地に踏み入り、私に宣誓する儀式がある。その時までにルクシアを迎え入れる環境を整え、ルクシアをつがいとして貰い受けるための国王との駆け引きはその時に改めて考えるとしよう。十年という時は悠久を生きる私にとっては瞬きにも等しいが、今回ばかりは長く感じてしまいそうだ。


「そっかぁ……うん!ぼく、ぜったいわすれないよ!」


「ふふっ……よしよし、良い子だ」


力を入れれば儚く壊れてしまいそうなほど小さな身体を抱き締める。あの口付けは少々幼子には刺激が強過ぎただろうが、これだけ鮮烈に記憶に刻み込んでおけば私との誓約を嫌でも忘れることはないだろう。


それに、私もどこか充足感のようなものを感じていた。このような感覚は私も初めての経験だ。不思議と胸がこうーーーぽかぽかすると言えばいいのか。意外と癖になるやもしれんな、これは。


口付けは一度きりにしておこうと思っていたのだが、今後十年は顔を合わせる機会は無いかもしれない。それならばーーー多少堪能したところで問題はあるまい。


「…まだ不安だな。念の為、もう少し味わって……いや、刻み込んでおくとするか」


「ふぇ?さっきの、もういっかいする?ちょっとくるしいから、あんまりすきじゃないかも……」


「この程度で泣き言は聞かんぞ。私のつがいとなったからには、精魂尽き果てるまで付き合ってもらう。それと、いつまでも他人行儀な名を呼ぶな。私の名はーーーデュメルレイアだ」


「でゅめ……?でゅめ、る……おぼえきれるかなぁ?」


「心配するな。覚えるまで何度でも念入りに教え込んでやる。早く頭に刻み込まねば唇が腫れ上がるぞ」


「えっ……?あっ、しゅごりゅ、……んむ…っ」


困惑する小さな身体を抱き寄せて、再び我がつがいと唇を重ねる。今までに感じたことのない、不可解な胸の高鳴り。それが私にとっての初恋だと気付いたのは、吸われすぎてぽってりと唇を腫らせて気絶したルクシアを、件の愚兄に引き渡した後であった。

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