マスクせぬ 曇る眼鏡に 能登地震

さんが(三可)

マスクせぬ 曇る眼鏡に 能登地震

マスクせぬ

曇る眼鏡に

能登地震



 最後のお題は「めがね」でしたね。「8」がらみと予想していた方は多いでしょうが、まさか「8」が横になるとは思いませんでしたね。

 「桃太郎侍の決め台詞、実は3つではなく8つまであった」とか考えませんでしたか?


 私は、兼題になるお題であれば、俳句とエッセイにしようと決めていました。もし、お題がストレートに「8」であれば、禁断の中8について書こうかとも。


 しかし「めがね」のお題。


 思うことは多くあります。俳句では、水眼鏡や雪眼鏡、サングラスも季語になりますが、やはり純粋に「めがね」への強い思いです。


 私は眼鏡。直ぐに充血してしまう目なので、コンタクトはしない眼鏡のみの、生粋の眼鏡人。


 コロナ禍では、眼鏡人にとってはマスクは厄介者でしかありません。眼鏡の曇りは仕事の邪魔でしかなく、曇った眼鏡は何処か情けなくもある。

 だから仕事がある日は毎朝、眼鏡に曇り止めスプレーをするのがルーティン。特に冬場の朝ともなれば、朝から雪掻きと忙しくなる。ただでさえ忙しいのに、曇り止めをしなければ活動出来ない。


 だが休日となれば、外出する予定がない限りは曇り止めはしない。些細なことが面倒臭くもあり、自分なりの仕事しない決意表明といえるかもしれません。


 そして、1月1日の能登半島地震。


 私の地区では震度4。大きくはないかもしれないが、初めての経験。テレビでも避難を告げ、近所の避難所となっている学校に避難。避難した時のことは、別のエッセイで書きましたが、これはそこでは書かなかった、地味な葛藤の話。


 スマートフォンと財布だけを持って、避難所となってる学校へと避難。そんな人は多かったと思います。

 そして以外と多かったのは、生粋の眼鏡人だけでなく、休日だけ眼鏡人も多かったはず。


 避難所でマスクをしたいが、マスクすれば眼鏡人の戦闘能力は大きく低下してしまう。マスクを着けたり外したり、呼吸の仕方を変えてみたりと無駄な抵抗を試みてみる。だが、それは無駄な抵抗でしかない。


 初めての避難で知った、痛感させられた、そんな眼鏡人の一句です。

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