私の彼氏
紫陽花の花びら
第1話
私の目の前にいる彼は守屋瞬。二十二才。190センチ色白。涼やかな顔立ちに、黒縁の眼鏡をかけ、少し長めの髪をなびかせて歩く姿は、理知的でどこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている。そこがまた堪らない魅力なのだと、まわりの女子たちが騒ぐ。
彼女の私でさえ、溜息が漏れてしまうのだから仕方ないと言えばそれまでだけど、気持はざわつく。
付き合って四カ月、亀の歩みのような付き合い方に、私は少し焦れったさを感じ始めていた。
私だって、一応経験はあるのに、いい雰囲気になってくると、瞬は必ずこう言う。
『来るべき時が来たら、自然にそうなる』
そんなこと言われると並女の私は色々と考えてしまう。
来るべき時っていつ? あと数日で社会へ出て行く私たちに、その時は来ないかもしれない。瞬はそれで良いのだろうか。
瞬が喋るたびに、喉仏を上下させるその姿すらセクシーだと思ってしまう私の頭の中は、妄想と不安でぐちゃぐちゃだ。
「由実聞いてる?」
その声で我に返る。
うんうんと頷く私を見る目は、蕩けそうに優しい。
「それでね、麻子は僕に気があるって、大和が力説するんだよ。確かに麻子可愛いし。悪い気はしないけど」
瞬は呟くように最後のフレーズを付けくわえるから、私は危うく聞き流すところだった。
二人の大切な時間なのに、 瞬の悪い癖が始まった。
私の心が波風が立つようなことを、こうやって唐突に挟んでくる。
惚れた弱み、もてる彼氏を持った並女の苦悩は半端ない。
「大和ってさ、ほんと失礼な奴だよね。いちいちそんなこと、瞬に言わなくていいのに。言われれば意識するじゃないね。って言うか、瞬も可愛いなんて言う?」
私の語気がどんどん強くなっていく。
「だって可愛いとは思うよ。でも安心して。僕は由実一筋だからね」
あまりにもさらっと言われると、信じていいの? と思ってしまう。
疑いたくはないけど、こう言うときの甘い言葉は、不安を余計に煽るだけなのだ。女心というか、『わたし心』と言うものを、瞬はまったく分かっていない。
「あのさ、だったら話さなくたっていいのに」
そう言って口を尖らせる私を、瞬はキョトンと見つめる。
その目もだめだ。なんでも許してしまいそうになる。
私は、瞬から視線をそらし、外を眺めた。
春の嵐に背中を押されて、燥ぎながら通り過ぎていく恋人同士。
なんだか無性に悔しくなってきた。
私は瞬を睨みつけ、この間の約束を覚えているかと詰め寄った。
「約束? なんかしたっけ?」
惚ける! 苛々は募る一方だ。
今度は、思いっきりそっぽを向いてふくれっ面をすると、瞬は慌てて携帯のメモ画面を見せた。
『あと一回由実の口を尖らせたら、なんでも言うこと聞きます』
「これだろう?」
「そう!」
私のお願いことを聞いたら、瞬はなんて答えるだろか。たぶん絶句するに違いない。
もしかしたら嫌われるかもしれない。
「何? なにを考えているの?」
にやりと笑う瞬。すべてを見透かされたような気がして、火照る顔を隠そうと、携帯を探すふりをして、バックのなかを覗き込んだ。
「耳赤いよ」
顔を上げ、口ごもる私の頭を軽くポンポンと叩く。
私は携帯を取り出し、ラインを打ち始めた。
『あのね、びっくりしないで聞いてね。私は瞬が大好きでしかなたいの。私たちもうすぐ卒業でしょ。だから~お願いがあります』ここで送信。
携帯の通知音で瞬がラインを開いた。黙って読んでいる姿に見とれていると、瞬は少し歩くこうかと言って立ち上がった。
カフェを出た私達は、春の嵐に逆らうように歩きだす。
抱き寄せられ、二人で体を前屈みにして笑いながら歩く。
大好きな人の優しい力を感じられる、この幸せが永遠であって欲しい。今はそれだけで良い。
気が付くと、瞬のアパートの前にいた。
瞬は私の肩を抱いたまま、なにも言わずに鍵を開けた。
私がそっと体を離そうとすると、思いきり抱き締められた。
離さないと呟く瞬の声が震えている。
「離れない」
私はしがみつく。
あとひと月もしたら、瞬は一年間の海外勤務に旅立つことになっていた。
初めて踏み入れた恋人の部屋は、ほとんどのものが運び出されていた。
殺風景な空間にあるベッドに私たちは縺れあいながら倒れ込む。
瞬は黒縁の眼鏡を外した。
優しい瞳は、いつもより少しだけ小さく見える。
おいでと、耳元で囁く温かい声に胸が苦しくなる。
溶け合う私たちに境界線が消えていく。
微睡みのなか、瞬の優しい声が私を包む。
とめどなく溢れだす涙を、掌で隠そうとする私の手首を、瞬が優しく掴む。
「隠さないの。すべて僕のものだから」
「瞬、わたし」
続く言葉が、心が、瞬の唇にのみ込まれていく。
私の彼氏 紫陽花の花びら @hina311311
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