第5話
――汐風くんへ。
桜です。実はこれ、私にとって初めての手紙です。
緊張するけど、汐風くんにどうしても伝えたいことがあって、手紙を書こうと決心しました。というのも、私はたぶん、もうすぐ死んじゃうと思うから。
私はクローンだから、先生たちいわく、ふつうのひとよりも寿命が短いんだって。とはいっても、思っていたよりずっとずっと長生きしたんだけどね。
お姉ちゃんが死んでから、私はずっと、生きる意味を探してました。だって私は、お姉ちゃんを生かすために生まれてきたから。それなのに私はたったひとつの使命すら果たせなかった。お姉ちゃんを救えなかった私に、クローンの私に、生きる資格なんてあるのかなって。
だから、せめてもと思って、私は先生たちの言うことをちゃんと聞くようにしました。
食べ物は与えられたものだけ。
検査もちゃんと受けて、わがままは言わない。
それは、生きているのか死んでいるのか、よく分からない毎日でした。
そんなときです。君に、出会ったのは。
あのね、お姉ちゃんがよく言っていたんだ。
――迷ったら桜の花を探して。
――桜を見上げれば、その先に空と太陽があるから。
――桜は、希望だよ。だから、あなたは私の希望なの。
お姉ちゃんが恋しくなって、私は先生に桜が見たいと頼んで、あの神社に行きました。そして、君に会いました。
あの場所で汐風くんを見つけたとき、すっごくどきどきして、わくわくしたんだ。
汐風くんと過ごした毎日は、信じられないくらい楽しくて、本当にあっという間でした。
もしかしたらお姉ちゃんは、この感情を私に知ってほしくて、私を生かしてくれたのかも、なんてことを考えちゃうくらい。
だけど汐風くんと出会ったとき、私に残された時間は既にほとんどなくって、だから私は、寿命よりも汐風くんを選びました。
汐風くんは優しいから、事実を知ったらきっと、じぶんに責任を感じちゃうよね。
ごめんね。
本当は、分かってたんだ。
私はふつうじゃないから、汐風くんとは一緒にいるべきじゃない。
汐風くんとの時間を求めるのは間違った選択肢なんだって分かってた。でも、選ばずにはいられなかった。
だって汐風くんが美味しいっていうものがどんなものなのか気になったし、汐風くんが好きって言うものを私も好きになりたかった。
だってそれは、汐風くんを知ることだから。
私は、汐風くんのそばで最後まで私らしくいることを選びたかったんだ。
わがままでごめんね。
ふつうの女の子じゃなくてごめんね。
ずっと一緒にいられなくてごめんね。
また、桜を一緒に見られたらよかった。
電車とか、飛行機にも乗って、もっと広い世界を見てみたかったな。
汐風くんが生まれた場所も見てみたかったし、親友の凪くんにも会ってみたかった。
やり残したことはたくさんある。でもね、後悔だけはひとつもないよ。
私ね、汐風くんに出会って初めて、幸せってなにか分かったよ。
私にとっての幸せは、汐風くんと出会えたこと。汐風くんとの時間すべて。
幸せを、教えてくれてありがとう。
大好きだよ。
ぜったい忘れない。
……。
最後まで手紙を読み切る前に、僕は勢いよく地面を蹴った。
走って家に帰りながら、強く思った。
いやだ。こんな手紙で終わりはいやだ。だって、桜はまだ生きてるんだ。
たとえ桜との未来はないのだとしても。
いや、だからこそだ。
だからこそちゃんと顔を見て、お別れをするべきなのだ。
だってこれは、桜が選んだことなのだから。
冷静でいられるかなんて、最初からどうだってよかったのだ。
重要なのは、桜の想いだ。
桜との別れを悲しいものにはしたくない。
もう二度と、あのときのような後悔をしたくない。
「蝶々さん!」
家に帰り、玄関を開けてすぐ大きな声で蝶々さんを呼ぶ。蝶々さんはすぐにリビングから顔を出した。
汗でびしょびしょの僕を見て、蝶々さんは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「どうするの?」
僕はまっすぐ蝶々さんを見て、言う。
「桜に会わせてください」
***
結賀大学病院の研究棟は、病院北側の隅にある。基本的に一般のひとは出入りできないため、人気はほとんどない。蝶々さんとともに受付を済ませ、桜がいる病室へ向かう。歩くたび、薬品のつんとした匂いが鼻を刺した。病室へ向かう間、僕と蝶々さんの間に言葉はなかった。
蝶々さんがとある扉の前で止まる。
「……ここですか?」
扉横のプレートには『千鳥夢』とあった。
プレートの前で足を止めた僕に気付いた蝶々さんが、「桜ちゃんは、ここでは夢ちゃんって呼ばれてるの」と言う。
「……そうなんですね」
蝶々さんは申し訳なさそうに微笑んだ。
「私はここにいるから、行っておいで」
「ありがとうございます」
蝶々さんに礼を言い、そっと中に入った。
病室の中は、意外にも可愛らしく飾り付けられていた。
淡いピンク色のレースのカーテンに、桜模様のシーツカバー。棚には桜の花びらの形をしたスタンドランプが置いてあり、その横のアクセサリースタンドには、僕があげた黒猫と桜のキーホルダーがかけられていた。
部屋の中央に目を向ける。少し大きめのベッドに、桜が横たわっていた。
「桜」
そっと近付き、名前を呼ぶ。
小さな声で呼びかけただけなのに、桜は起きていたのか、ゆっくりとまぶたを開けた。
「汐風くん?」
掠れた声で、桜が僕の名前を呼ぶ。
その表情はまるで、どうしてここに汐風くんが、と言っているようだった。
「桜、手紙読んだよ」
桜の小さな手を控えめに握りながら、僕は言う。
「でもごめん、途中でやめちゃった」
すると、桜はきょとんとした顔で首を傾げた。
「やっぱり桜の声が聞きたくて」
「ふふ……ごめん。いきなりびっくりしたでしょ」
「ま、ちょっとね」
そう答えると、桜はふわりとはにかんだ。その表情に、少しだけ切なくなる。
「……桜、あの」
ごめん、と言おうとして慌ててその言葉を飲み込む。言ってはいけない。この言葉は、言ってしまえば桜が責任を感じてしまう。
だから、代わりに。
「調子はどう?」
そう訊くと、桜は、
「最高だよ」
と言って笑った。
「そっか。それなら、いいんだけど」
あのさ、と、少し溜めてから、僕は口を開く。
「次は、旅行に行こう」
そう言うと、桜は眉を寄せて、なにかをこらえるような顔をした。
「りょ、こう……?」
「うん。まだまだ、桜とやりたいことたくさんあるからさ。次は沖縄に行ってアイスを食べようよ。あっちにしかないやつ。そのあとは文化祭を一緒に回って、年越しを一緒にして、初詣にも行こう」
気づいたら、声が震えていた。
「桜、ちょっと出かけるって聞いたからさ。次の約束をしておこうかなって」
桜の手を強く握り、笑いかける。
「だから今日は、行ってらっしゃいって言おうと思って」
「……ん」
桜の目尻から、涙がつたう。
「じゃあ……帰ったら、おかえりって、言ってくれる?」
僕の手を握る力が、ぐっと強くなった。
「もちろん。ずっと待ってるよ。桜が帰ってくるの、ずっと待ってる」
嗚咽混じりに頷いて、桜の手を両手で強く握った。
「僕はずっとここにいるから、だから、なにも怖くないよ」
「そっかぁ。汐風くんがいてくれるなら、ぜんぜん怖くないね」
力のない笑顔に、涙がこらえ切れなくなる。
「桜、僕……僕ね、じぶんがこんな気持ちになるなんて、有り得ないと思ってた。だれかを大切に思うなんて……だれかのために涙を流すなんて、だれかを愛すことなんて、一生ないと思ってた」
桜と出会わなかったら、こんな気持ちは知らなかった。
「ずっと、胸の中に桜がくれた言葉があるんだ。桜がいなかったら、僕はずっと俯いたままだった。ねぇ、桜。僕に愛を教えてくれてありがとう。僕を、愛してくれてありがとう」
そう言うと、桜は静かに涙を流して微笑んだ。
「こちらこそ」
それは間違いなく、世界中のだれよりも美しい微笑みだった。
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