わたしたちのファッション
長串望
∞×∞
「おはよう、トーコちゃん」
「おっはよーう、ニコちゃん」
ぽやぽや。
そんな擬音が似合いそうな女の子。それがニコちゃんだった。
名前の通りいっつもニコニコしていて、あたしはその笑顔に照らされるだけで心が癒される。
ニコちゃんの笑顔に魅了されるのはあたしだけじゃない。
クラスの男子だけじゃなく、女子だってニコちゃんのぽんやりした笑顔には微笑みを誘われる。
癒し系ってやつだ。それでいて人から嫌われることも少ないのはある種の才能だと思う。
なにより、ニコちゃんの顔の真ん中。
愛らしい眼鏡越しの愛らしいお目目が、まぶしい。
素敵な赤リムのウェリントンフレーム。フルリムのそれはちょっと重たげではあるけど、ニコちゃんの柔らかい印象とぴったりだ。
眼鏡は女を三分下げる、なんて言葉が昔はあったそうだ。
ようは、眼鏡をかけると魅力が三割引きされるという意味だ。
まあそれは、眼鏡は男を三分引き上げるなんて言葉に乗っかっただけのものだろう。
実際のところは、昔から眼鏡はある種のチャームポイントとして男女問わずかけられてきたし、視力は低くないけどかわいく見えるから、格好よく見えるからって、つまりは伊達眼鏡も広く使われている。
なんてまあ、言い訳みたいに言ったけど。
というよりは実際言い訳というか、ごまかしなんだけど。
あたしは眼鏡が好きだった。
もちろんニコちゃんのことも好きだけど、眼鏡をかけたニコちゃんはもはや天使だった。
あたしは昔から眼鏡が好きだった。
眼鏡そのものも好きだったし、眼鏡をかけている人も三割増しどころか七割増しぐらいには素敵に見えた。
眼鏡が本体だなんていうつもりはないけど、眼鏡をかけているかいないかで露骨に態度が変わる自覚はある。
家が眼鏡屋で、眼鏡が身近だったのもあるかもしれない。
両親ともに眼鏡をかけていて、店にくるお客さんもみんな眼鏡か、これから眼鏡をかける人たちばかりだった。
小学生のあたしにとってそれは過剰な眼鏡率だった。眼鏡の洪水だった。そりゃいろいろ、壊れると思う。価値観とか。
さすがに、眼鏡をかけていないと人相がよくわからないとか、そこまで深刻ではなかった。
ただ、普通はそこにあるべきものがないような、そんなちょっとした落ち着かなさはあった。
そしてそれは自分自身の顔にも感じていた。
なんであたしは眼鏡じゃないんだろう。
なんて深刻そうな自問には、そりゃ目がいいからだと呆れた自答が返る。
眼鏡屋の娘として生まれたにもかかわらず、というよりは眼鏡屋の娘として生まれたからか、あたしは視力が良かった。どういうことすると目が悪くなるか、そうならないようにはどうすればいいのかを、プロフェッショナルである両親に生活の中でしっかり教え込まれていたのだから。
おかげで高校生になった今でもあたしの視力は両目とも2.0をキープしている。
そう、あたしの眼鏡は、伊達眼鏡だった。
しかも別にファッションを追い求めた結果の伊達眼鏡ではなく、眼鏡女子に近づくためのいわば欺瞞眼鏡だった。迷彩眼鏡なのだった。
もっといえば、ニコちゃんと話題を共有するための、ニコちゃん専用眼鏡なのだった。
ツーポイント、いわゆるリムレスのおしゃれっぽく見える眼鏡なのも、単にフレームがあると視界が狭まって落ち着かないからだった。
あたしは眼鏡好きなのに眼鏡をかけるのは落ち着かない半端ものだった。悲しい。
落ち着かないながらもあたしが眼鏡を始めたのは、さっきも言ったけど眼鏡女子に近づくため。っていうよりやっぱり、ニコちゃんとお話するため。
なんとなーく同じ幼稚園で仲良く育って、なんとなーく同じ小学校で楽しく遊んだ幼馴染は、ある日突然、眼鏡をかけて降臨なされた。
いままで姉妹同然に一緒に過ごしてきた気の置けない友達の、アンバランスなオンナノコを垣間見てしまったような、そんなすさまじいショックだったのを覚えている。
そう。あの日あたしは、はじめてニコちゃんを意識し始めたのだった。
そして追いかけるようにあたしも眼鏡を作ってもらった。
ニコちゃんと同じ世界を共有したくて、お父さんに頼んで伊達眼鏡を作ってもらった。
それまでは目が悪くないと作っちゃダメって思ってたから、ダメもとでのお願いだったけど、それで世の中には伊達眼鏡っていうものがあるんだと知れたから、何でも言ってみるものだ。
そうしてあたしはニセ眼鏡女子として史上最強にかわいい眼鏡女子であるニコちゃんの隣をキープし続け、その素敵な眼鏡笑顔を高校生に至るまで最前線で見守り続けてきたのだった。
やっぱ眼鏡が本体なんじゃねーかと思われるかもしれないけど、ちょっと言い訳させてほしい。
確かにきっかけは眼鏡だった。いまでも好きなところを聞かれて、眼鏡が上位に来てしまうのも確かだ。でも同じ眼鏡であっても、ニコちゃん以外の顔にかけられていたらきっとそれにはときめかない。
ニコちゃんが眼鏡をかけている。好きなものと好きなものがかけあわさっている。これがあたしをときめかせ、とらえて離さない魅力なのだ。
仮にニコちゃんが(非常に残念ではあるけど)眼鏡を外してコンタクトレンズデビューをはたしたとしても、(死ぬほど惜しむ気持ちはあるけど)あたしはニコちゃんの選択を尊重するし、(思い出のアルバムに大事に大事にロックをかけるとしても)コンタクトレンズのニコちゃんだってかわいいと思うことだろう。
なんて眼鏡ヒストリーを思い返しながら学校についてしまえば、悲しいことにニコちゃんとは別のクラス。なぜそんなむごいことができるのか。学力別ではなく眼鏡か非眼鏡かでクラスを分けるべきだと思う。
困ったように笑いながら手を振るニコちゃんを見送って、あたしはしかたなく特進クラスに向かうのだった。
今日も元気にかわいいトーコちゃんを見送って、わたしは進学クラスのお友達と合流しました。
「おはよう、みんな」
「おう、おはようニコ」
「おはおはー」
トーコちゃんみたいに飛び切り頭が良いわけじゃないわたしは、クラスが違ってしまって少し残念。でも進学クラスのみんなもよくしてくれるから、これはこれで楽しい学校生活を送れてる。
お昼にはトーコちゃんと一緒にお弁当食べるし、投稿も下校も一緒だから、あんまり贅沢は言えない。
「はー、クラスメイトの顔見るなり憂い顔だよ」
「あ、ご、ごめんね、そういうつもりじゃなかったんだけど」
「また『トーコちゃん』でしょ?」
「かーっ、うらやましい話だね。クラス一の美少女が首ったけだ」
「もう、やめてよ」
クラスのみんなには、わたしがトーコちゃんのこと大好きだってことがバレバレだから、しょっちゅうからかわれちゃう。
でもそのおかげで、わたしが男の子に変に絡まれることもないし、女の子に嫉妬されることもあんまりない。さすがは進学校っていうのかな。民度が高いなあ、なんて。
中学の時は変に絡んでくる子とかいて、そのたびにトーコちゃんが助けてくれて、あれはあれでよかったなあ。ちっちゃい体で、まるでナイト様みたいだった。
おっといけないいけない。心のトーコちゃんアルバムを開きそうになっちゃった。
わたしは授業に備えてしっかりと予習の準備を整える。
来年こそはトーコちゃんのいる特進クラスに合流しないと。
特進クラスってみんなまじめに勉強してきた子ばっかりだから、眼鏡率が高いんだよね。
トーコちゃん、眼鏡かけてるだけですっごく優しくなっちゃうから、変に勘違いする子が出てくる前になんとかしなくちゃだもん。
わたしがトーコちゃんの眼鏡好きを知ったのは小学生のころ。
引っ込み思案な私はいつもトーコちゃんとばかり遊んでたけど、あれで社交的なトーコちゃんにはたくさん友達がいた。うらやましいなって思ってみてるうちに気づいたんだ。あれ、やけに眼鏡の子が多いなって。
それから気をつけてみてみたら、トーコちゃんが仲良くするのは眼鏡の子ばっかり。
なついてる先生も眼鏡かけてる先生ばっかり。
なんでわたしは眼鏡じゃないんだろうって、すっごくショックを受けちゃった。
そりゃあ、目が悪くないからなんだけどね。
トーコちゃんをいっつも見てるために、私は視力を鍛えてきたといっても過言じゃないからね。
でもある日、お姉ちゃんがファッション雑誌で伊達眼鏡っていうのを教えてくれた。
目が悪くなくても、眼鏡はかけていいんだって。
そう。
私の眼鏡は、伊達眼鏡。
それも、トーコちゃんが私のことをもっと見てくれるようにするための、トーコちゃん用眼鏡なんだ。
お菓子も買わないで、お手伝いもたくさんして、ためこんだお小遣いを握りしめて、トーコちゃんが遊びに行ってる間に、トーコちゃんのおかあさんに作ってもらった、トーコちゃんが特に好きそうな眼鏡。
幼馴染の私が眼鏡をかけちゃったからか、トーコちゃんも合わせるように眼鏡を作ってくれたときは、本当に天にも昇る気持ちだった。
トーコちゃんみたいに眼鏡かけてるだけでかわいいとまでは思わないけど、でも眼鏡をかけてどうかなって心配そうに私を見つめるトーコちゃんは、控えめに言って天使だった。鳥籠に入れてうちに置いておきたいくらい。
本人は私に合わせたっていうのは恥ずかしいのか、目が悪くなったって言い張ってるけど、そんな強がりなところもやっぱりかわいいから、私は今日も黙ってかわいいトーコちゃんを鑑賞する。
わたしだって恥ずかしがって、トーコちゃんに好きだよって言いだせないから、お互い様かな。
伊達眼鏡の私と、伊達眼鏡のトーコちゃん。
これがわたしたちの、ファッションだ。
わたしたちのファッション 長串望 @nagakushinozomi
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