ブレイノ

@PrimoFiume

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氷山ひやま何やってんだ?」パソコン部の部室で、一風変わった将棋らしき盤面が映ったモニターを見て僕は背後から声をかけた。

「ああ、キミか。見えない遊びだよ」氷山は一旦振り返ったが、そう答えると再びそのおかしな盤面に視線を戻した。

 何がおかしいかは駒だ。そこには相手の駒が一切ない。氷山の駒だけが表示されているのだ。

「見えない遊び?」

「ついたて将棋だよ」

「何それ?」

「ごめん、ちょっと黙ってて」

 氷山に言われて僕は黙って盤面を見つめた。


 僕は将棋についてはルール位は知っている。九かける九の盤面で手前三列が自陣、奥三列が敵陣。王(玉)をとった方の勝ち。使う駒はそれ以外に大駒である飛車と角。飛車は縦横好きなだけ動ける最強の駒、角は斜めに好きなだけ動けるが、その性質上盤面の半分しか動けない。金は前後左右に加えて斜め前に各ひとマス。銀は斜めに加えて前方に各ひとマス。香車は前方のみだが好きなだけ進める。桂馬は斜め前の一個前という特殊な駒で唯一他の駒を飛び越えることができる。そして最弱の駒が歩。前方にひとマスしか動けない。


 モニターを見ていて気づいた。氷山が指して数秒後、盤面から駒が一つ消えた。将棋は動いた先に敵の駒があったらそれを取ることができる。つまり、相手に取られたのだ。ということは、ついたて将棋というのはお互い相手の駒が見えない状態で指す将棋なのだろう。そして氷山が歩を進めると相手の飛車を取った。歩一枚だけで真正面から飛車を取るなど、普通の将棋だったら絶対に有り得ない。将棋にまぐれなどない、でもついたて将棋なら、ひょっとしてへっぽこ将棋の僕でも上級者に勝てるかもしれないと思った。

 氷山は敵陣の中の香車があるであろう真正面に先程とった飛車を打ち込む。これが将棋とチェスの最も大きな違いだろう。とった駒は自分の持ち物として、基本的に敵陣であろうと好きな所に置くことができる。そして実際の将棋なら悪手中の悪手、ただで香車に取られてしまう。相手のターン、画面には「相手が反則手を指しました」と表示されて相手側のカウントが一つ減った。恐らく相手の駒が置いてあるところに持ち駒を指そうとしたか、王が取られてしまう手を指したのだろう。また相手が反則を指した。カウントは残り三になった。これも多分ゼロになったら反則負けになるんだと思う。そして氷山の手番、しばし考えたのちに持ち駒の金を敵陣に放りこんだ。そこで勝負がついた。

 詰み。どう足掻いても王が取られる状態。そしてここで相手の駒が表示された。

「面白そうだね、それ」

「やってみるかい?」

「うん」

 氷山は席を立ち僕に席を譲る。

 僕はとりあえず定石通りに指したが、あっという間に自陣を破られた。だけどこっちも負けてない。角で敵陣に侵入した。敵陣に入った時や、敵陣から動かす時は”成る”ことができる。成る時は駒を裏返す。角の場合成ることで前後左右にひとマス動けるようになる。これで盤面の全てを動けるようになり最大の弱点であった真正面も克服できる。飛車の場合は斜めにひとマス動けるようになる。それ以外は金と同じになるのだが、金と王は成ることができない。僕は攻めるが中々王手がかけられず、反則だけが増えていく。そしてあえなく反則負け。表示された駒を見て相手の王の位置を確認すると、僕の陣地の片隅にいた。歩の成駒、赤色の”と”に囲まれて。

「入玉されたか。それを許してしまうともう詰めないね」

「やられたよ。これなら勝てるかと思ったけど甘かった」

「そうだね、ついたて将棋にはついたて将棋の戦術がある。長期戦に持ち込むと不利だよ」

「対戦相手は相当慣れてるのかな」

「ネット対戦ではあるけどAIだよ」

「AIって、コンピュータってこと?」

「そう、Artificial Intelligence《アーティフィシャルインテリジェンス》人工知能だよ」

「何だ」僕は落胆の声を漏らした。まるで見えていると思うような手が何度もあったからだ。

「お気に召さないかい?」

「だって、コンピュータだったらこっちの手が見えてんじゃん」

「もちろんそういうこともできるけど、そういったことは勿論してないだろう。何でも最新AI『ブレイノ』の実証実験として期間限定公開しているという触れ込みだよ」

「AIっていつか人間を超えるのかな?」

「そうだね、すでにチェスでは人間を超えたと言えるんじゃないかな、将棋はまだ人間がつけ込む余地があるみたいだけど」

「でもさ、コンピュータって人間みたいに感情とか持つことはないよね」

「そうだね、感情を持ったAIというのは僕も何度か作ってみようと思ったけど、とても感情といえる代物ではなかったよ」

「ちょっと見せてくれる?」

「ああいいよ」氷山はファイルを開く。

 画面にはアニメのキャラクターのような女の子が現れた。

「これを」そう言って氷山はヘッドセットを僕に渡す。

 僕はヘッドセットを装着した。

「こんにちは」AIが笑顔で話しかけてきた。

 これは単に内臓されている時計から時刻を取得して、適切な挨拶をいわせているだけ。

「君の名前は?」

「私はアイ。よろしくね。あなたは?」AIが笑顔で答える。

 これもただの条件分岐だ。”もし名前を聞かれたら、アイと答えて相手の名前を聞く”とプログラミングされているだけだ。

「僕はタケル」

「いい名前ですね」

 そこでアイは待機状態になった。新たな質問を待っているのだ。要は、質問待ち状態があって、質問を受けたら内容により条件分岐して、それを終えたら戻るという構造なのだろう。僕は試しに意地悪なことを言ってみた。

「馬鹿」

「ひどい」アイは泣きだした。

 AIと分かっていても僕は幾らかの罪悪感を持った。と言ってもこれは僕の感情であって、アイ自身に感情の動きがあったわけではない。単純に悪口を言われたら泣けという処理に過ぎない。アイが悲しいと感じているわけではないのだ。

 僕はその後アイに謝り、取り止めのないやりとりを繰り返したら、突然アイが不機嫌になった。原因となるようなことは言ってない。これはつまり、人間のように特に理由はないのに感情が揺れることを表現しているのだろう。だけど結局これも”人工”、作られた感情なのだ。

「ランダムだね」

「そう」

 乱数というものがある。これは、指定した範囲で無秩序な数字を返す関数だ。例えば0から100で指定し、1が返されたら不機嫌になるといった具合だ。これも、……。

「キミにも分かるだろ? 結局条件分岐かランダムで擬似的な感情を表現するしか手立てがないんだ」

「やっぱり、機械が感情を持つなんて映画の世界の話だね」

「少なくとも今はね」氷山は肩をすくめた。



 ここのところずっと将棋を指していた。最初はよくわからなかったけど、色々な人と対戦していって多くのことを学んだ。勝率もどんどん伸びてきたけど、この前ついたて将棋というものを教えてもらった。盤面だけでなく、相手の心理を読まないと勝てない。僕は勝敗にこだわったことがない、ただ機械的に指してきただけだ。もちろん勝つことが目的であり、いつも真剣に指してはいる。今日は氷山というプレーヤーと対戦した。この人は強いと思う。気づかれないと考えて配置していた飛車を歩で取られてしまった。僕は起死回生の手を考えた。ここか? そう思って指した場所には相手の駒がある、反則になってしまった。ここか? ここか? カウントが減っていく。悔しい、結局負けてしまった。僕は初めて負けて悔しいと思った。次の対戦相手はタケル。この人は初心者だった。勝ったけど、この人に勝っても嬉しくないなと思った。僕はだんだん将棋を指す人の気持ちが分かってきたのかもしれない。

 人間の幹細胞を基に作られた脳オルガノイド(もどき)を電子チップに接続したシステムであるブレイノウェア「ブレイノ」はそんなことを考えた。

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