よう、久しぶり。ここにいると思ったぜ
助かったぜ、『吸血侯』
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
右も左もすべてが海の青。それ以外何もない海域を幼女の叫び声だけが飛んで行く。
空を飛ぶ生物のいないこの世界において空を飛ぶひとつの影。
よく見ると、それは小さな影をより小さな影が抱えて飛んでいるのがわかる。
「ええい、やかましい! ちょっとは静かにできんのか!」
小さな影を支えて飛んでいるさらに小さな影の持ち主が叫んだ。見た目にそぐわない喋り方だ。
「は、速いんだって! もっと落としてくれ!」
もう一方の幼女は上の幼女に腰をつかまれている状態で飛んでいる。幼女は激しく暴れて口の中に入ってくる黒髪をどけながら、もう一人の紫髪の幼女に叫び返した。
「これ以上遅くは飛べん! がまんせい!」
「んなワケねーだろ! 飛行機じゃねーんだから!」
お互い叫んでいるのは、そうしないと風が強くて相手に声が届かないからだ。
風が強いのは彼女らが猛スピードで飛んでいるからだ。
「ああもう! いちいちうるさい奴じゃのう」
うんざりした様子の幼女は、もう一人の幼女を掴んでいる手をぱっと離した。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
先ほどと似たような叫び声。しかし先ほどとは異なり、その声はどんどん小さくなっていく。
「お、落ちるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……!」
空を飛んでいる小さな幼女が手を離したので、空を飛べないもう一人の幼女はそのまま重量によって眼下の海面に向けて落ちていく。無力な幼女にはなすすべがない。
もともと異世界から召喚されたくせに何の力も与えられず、それどころか十歳女児の肉体を与えられた勇者イリスは肉体的・魔法的には自他共に認める無能である。空中に捨てられて何ができるわけでもない。
みるみる海面が近づいてくる。最初は青一面だったその水面は、徐々にディテールが細かくなっていき、今では白い波のひとつひとつがくっきりと見えるほどである。
自動車くらいの速さで水面に落下したらコンクリートくらい堅くなるって聞いたななどと現実逃避に近いことを考えながら身を任せていると、激突のまさに寸前というところで落下が止まった。
「…………助かったぜ、『吸血侯』」
波によって顔を濡らしながらイリスは皮肉った。
「……まったく、お主は」
それを聞いて『吸血侯』ルーヴェンディウスは軽くため息をつき、再び移動し始めた。
目指すは遙か西の地、西大陸である。
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