第32話 日常業務

 魔法図書館はアンナ様が着任してから一週間後に予定通り開館した。最後まで、罰ゲームじみた管理職のなり手が見つからなかったためだ。まあ、二人いれば十分、という意見も分からなくもない。なにせ、魔導書の類を多数収蔵しているとはいえ、一万冊以下の数しかなく、その上、ほとんどの魔導書はそこらへんに転がしていても大丈夫なぐらいタフな実戦向けのものだ。つまり、手入れの手間もほとんどない。配置される職員が気を付けるべきは書庫中身と、盗難の予防である。それも、登録された身辺の綺麗な冒険者以外はこないのでさしたる手間ではない。とどのつまり、ほとんど業務に負担はなくむしろ退屈を持て余す仕事なのだ。事前のもめ事のせいか未だに来館者は少なく、暇を持て余していた。アンナ様も同じようで、持ち込んだ文庫本を読んでいる。最近、流行の布の保護覆い・・・・・・ブックカバーと言うんだっけ?を取り付けてあるせいでタイトルは読めない。気になったのでタイトルを尋ねたが適当にはぐらかされてしない知れずじまいである。アンナ様の表情を見るとさして面白いものでもなさそうなので私は程なく文庫本への興味を失った。



 魔法図書館の司書と言われてどんなハードスケジュールになるのだろうかと、戦々恐々としていたが、大したことは無かった。むしろ、暇で暇でしょうがない。仕事をしているのに、こんなで良いのだろうかと不安になるレベルで暇だ。まあ、大してやる気もない私には好都合ではあるが、何か釈然としない。結局、司書席に座って家に居た時の様に箸にも棒にも掛からぬ大衆小説を読んでいた。ザハリアス領では活版印刷技術と紙の大量製造が技術革新により可能になっているので庶民向けの娯楽小説も掃いて捨てるほど出回っているのだ。この事を聞くと他領の平民がうらやましがるかと言えばそうでは無い。

 他領にはザハリアス領のような平民向けの初等教育機関など設置されていないため、多くの平民が字を読む事すら困難だからである。それ故に、平民が初等教育を受けることの出来るザハリアス領への移住希望者が相次ぎ、これがザハリアス領躍進にさらなる勢いをつけることにつながったのだ。主に、大森林開拓の担い手として。まあ、きつい開拓の担い手になった対価に子供に初等教育を受けさせることが出来たからと言っても、その子供の就職が安泰、という訳でもない。ザハリアス領では初等教育を受けた人間がだぶついているからだ。ここで、大きく道が分かれるのだ。比較的金銭に余裕があり、優秀な者は領校などの中等教育学校へ、金品に余裕がなく優秀なものは、ザハリアス領の公的機関の紐付きになった上で領校に入学するか、はたまた領軍軍学校に入学するか、それ以外の者はそのまま軍に入るか、民間で就職するかの二択である。どのみち、金のない平民の選択肢が少ないというのは改革前と大して変わっていないのだが、それでも改革前よりは豊かな生活が手に入るようになったので誰も文句を言わず、むしろザハリアス子爵を賢候とあがめ奉り、彼の望むとおりに踊るのだ。


閑話休題


 そういう訳でザハリアス領において本は既に庶民の娯楽として定着しているのだ。まあ、最近では、官能小説の類まで出回るようになったというのだから驚きである。直接、人間の欲望にアプローチする題材の方が儲かるのだろうか。まあ、懐が温かくなれば発行されるのが高尚な文学作品だろうと、下世話な大衆小説だろうとどうでも良い、というのが印刷所の本音だろうが。何にしても、とてもではないが一国の国境すぐ側とは思えないほどの発展ぶりだ。まあ、国境の側でも雄藩——薩摩藩——のような例もあるので何とも言えないが。とにかく、何が言いたいかと言うとカレル王国の中でもザハリアス領は異彩を放っているという事だ。それ故に、常にザハリアス領では他の領主の間諜が潜伏しているのである。そして、その手の輩はザハリアス領にとって都合の悪い情報を拾い上げようと血道をあげているのだ。そんな、連中から見ればこの魔法図書館は調度よい鴨だろう。設立前後でこれだけの騒動を起こしたのだから何か、お父様の功績に瑕疵を付けられ可能性が高いとなれば必死こいて荒を探しまくるはずだ。ひょっとすると、大量盗難などの破壊工作でもやらかされるかと身構えていたが特にそう言ったそぶりもない。まあ、されないには越したことが無いが、前後の動乱から考えると不気味で仕方がなく感じられた。

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