正しいってなんだろう?
『部室でお昼を食べませんか?』
真綾からのメッセージがスマホに届いたのは三時間目の終わりだった。
四時間目の授業が終わると、少女はさりげない目配せと共に席を立った。教室を出ていくその背中を翠は追わない。
一緒に出ていかないほうが今は変に勘ぐられなくてすむ。
そうしなければいけないことに変な罪悪感と居心地の悪さを覚えて、
「小鳥遊さん、ちょっといいかな?」
顔を上げると二人のクラスメート。
あの子ではない。ちょうど彼女が席を立ち、出入り口へ向かうところだった。話しかけてきた子たちも気にしているのかちらりと様子を窺って、
「小鳥遊さんって、もしかして桜庭さんと付き合ってるの?」
「……え?」
「その、ほら。すごく仲良いし、桜庭さんって女の子が好きなんでしょ? だから、ね?」
「わ、私達は気にしないよ? でも、はっきりさせたほうがいいかなって」
教室に残っている生徒が翠たちの会話を気にしている。胸のもやもやが大きくなって、翠はなんだか泣き出したくなった。
「付き合ってないよ。わたしと桜庭さんは友達」
できる限りの笑顔で答えれば、二人は「ほら、やっぱり」「だって」と言い合う。
「ごめんね、なんか。意地悪するみたいになっちゃって」
ううん、気にしてないよ。
そう言うべきだとは思ったけれど、言葉は出てこなかった。気にしていないわけがない。ひどいともはっきり思っている。
なにも言えずに視線を落とすと、
「悪気があったわけじゃないんだよ! ……ただ、やっぱり、そういうのって珍しいから」
「そんなに、珍しいかな?」
少し卑怯な言い方をした。翠だって真綾に出会うまでは遠い世界の出来事だった。テレビでも、なんなら学校の授業でも「今はもう普通のこと」だと言われるけれど、身近にそういう人はいなかった。
もしかしたら、いたのに気づかなかっただけかもしれない。
「そうでも、黙ってる人が多いんじゃないかな。……ああいうふうに言われるかもしれないし」
他人事のような言い方だ、と、思ってしまうのは翠が真綾の側に感情移入してしまうからだろうか。けれど、思ったよりもこの子たちは中立に近い立場なのかもしれない。
少なくとも頭ごなしに否定しようとはしていない。
「言いづらいよね。だって普段は私たち、女の子から『そういう目』で見られるなんて思ってないじゃない?」
「っ」
思わぬ指摘をされた翠は言葉に詰まった。今までさんざんリクロスを「えっちだ」と言ってきた。真綾から「好きだ」と言われもした。それでも翠は女性同士のそれを男女のそれと完全に同一とは捉えていなかった。
恋愛とえっちなことは繋がっていても同じものじゃない。
真綾も、女の子を男子のように『そういう目』で見たりするのだろうか。
「女の子の好きは、男の子の好きと違うんじゃないかな」
「そう、かもね」
わかるけれど、完全に納得はできない。そんな表情。二人は迷うような素振りを見せてから、恐る恐る口を開いた。
「あのね。……あの子のことなんだけど」
「中学時代にいろいろあったらしいの。……女の先輩から告白されたせいで、友達からいじめられるようになった、とか」
◇ ◇ ◇
部室に着くと、真綾は一人で弁当を食べ始めていた。
お手伝いさんが作ってくれるという綺麗なお弁当。翠も弁当派だけれど自作のそれはSNS映えするような出来にはなってくれない。
「遅くなってごめん」
日常のちょっとしたことに触れて少し気分が上がるのを感じながら遅れたことを詫びた。
梨樹と葵のいない、二人だけの部室。
約二週間の間にここにも馴染んできたのを感じる。こうしていても居心地の悪さを感じない。真綾の向かいに腰を下ろし自分のお弁当を開けて、
「なにか用事があったのですか? 私がお誘いしただけですので無理をなさらなくとも……」
あ、ちょっと面倒臭いモードだ。
足が長いのか座高だと翠とほぼ変わらない真綾がじっと視線を向けてくる。若干拗ねているのが付き合いに慣れてきた翠にはわかる。
「違うよ。クラスの子から話しかけられただけ」
すると青い瞳が悲しげに揺らいで、
「また、私のことでなにか言われたのですか?」
「違うよ。……どっちかというとあの子のこと、かな」
聞いた内容を話すと、真綾は「……そうですか」と息を吐いた。
「そのお話はどこまで正しいものなのでしょうか」
「それは、どうだろ」
あの子に関する噂自体は詳しいものじゃない。
二人も同じ中学だったわけではないようで人づてに聞いた程度。偏見が混じっていてもおかしくないし、誇張や曲解が含まれている可能性もある。
それに。
「辛いことがあったからって人にあたっていい理由にはならないよね」
「小鳥遊さんがそんなふうに仰るのは珍しいですね」
「わたしだって怒るときは怒るよ。みんなと仲良くしたいからこそ、わけもわからず嫌われるのは嫌」
嫌われるのが自分ではなく友達ならなおのことだ。
真綾は「お優しいですね」と微笑んでから、どこか冷徹な、諦めたような表情を見せた。
「誰もがわかりあえるわけではありません。無理に理解を求めなくとも良いのではありませんか?」
「もちろん、こっちが絶対正しいなんて言うつもりはないよ。でも、どうしてそんなふうに言うのかわからないままじゃいられない」
「少数派は多数派から排斥される。そう言いましたよね」
人と違う青い瞳がそっと伏せられ、
「人は『自分が正しい』と思った時にこそ残酷になるものです。理屈なんていりません。正しいのだから批判する権利がある、それだけです。そして相手が少数派であればなおさら」
「桜庭さんは少し悪く考えすぎだよ。それに、このままじゃ」
クラスの雰囲気だって悪くなる。
女の子の人間関係は複雑で、単純だ。嫉妬や打算から好意を装うこともあれば、逆にあっさり離れていくこともある。
例えば「誰かから強烈に敵視されている」子からはみんな距離を取るものだ。そして、自分が目をつけられないように怒っている側につく。
「このままだと、私はクラスで孤立するかもしれませんね」
真綾もことの行く先を予想していたらしい。
彼女は少し寂しそうに微笑むと、
「どうぞ私から距離を取ってください。あなたが他の方と違うのはもう知っています。ですが今は、そのほうが小鳥遊さんのためです」
「だから、そういうのはだめだよ!」
席を立ってはっきりと告げる。けれど、どうしていいかはわからない。
翠はこういう話にまるきり向いていないのだ。誰かと仲良くなるのに「話をする」以外の方法を知らない。聞いてくれない相手にはどうしたらいいのか。
そもそも、こんなふうに孤立させられてしまうんじゃリクロスなんてやってられない。梨樹や葵は、姫百合の人たちは大丈夫だったのか。
「そうだ。先輩たちに相談できないかな?」
そう告げると、真綾は意外そうに目を瞬かせて首を傾げた。
◇ ◇ ◇
「……そっか、それは大変だったね」
放課後、部室で顔を合わせると梨樹はまず「マンガどうだった⁉」と楽しそうに尋ねてきた。そういえばあれはまだ今日の話なんだっけと思いつつ「聞いて欲しいことが……」と切り出して。
梨樹も葵も真剣に二人の話を聞いてくれた。
聞き終えた後も一切茶化すことなく頷いて、
「翠も真綾も偉かったよ。ムキになって喧嘩したり、相手の子を突き放したりしなかったんだからさ」
「でも、わたし、少しひどいことを言ってしまったかもしれません」
「仕方ないよ。悪いのは相手の子だし」
ばっさり。
意外にも言い切ったのは梨樹だった。人当たりが良くて柔和な先輩という印象だったのにこうもストレートな毒を吐くとは。
ぽかんと見つめていると彼女はバツが悪そうに片目を瞑って、
「わたしは百合に挟まろうとする男と百合をする人とは断固として戦うよ!」
「恥ずかしいからって誤魔化さない」
拳を握ったところを葵に叱られた。「だってー」と言いつつ表情を戻す彼女。
「でも、気持ちは本当だよ。一方的に人を軽蔑して悪者扱いするなんてやっていいことじゃない。……それは、わたしだって翠ちゃんと真綾ちゃんが悪いことをしたなら怒るけど」
「同性を好きになるのも、その気持ちを守ろうとするのも悪いことじゃない。誰が認めなくてもボクたちが認める」
「……先輩」
味方になってもらえただけでも気持ちがだいぶ楽になった。
みんながみんな否定的なわけじゃない。
「ありがとうございます。そうですよね。桜庭さんはなにも悪いことしてませんよね」
「もちろん。だから、どうすればいいかみんなで考えよ? わたしたちも協力するから」
「はいっ!」
嬉しいことは重なるもので、そこで部室に訪問者があった。
「誰だろ? はーい」
梨樹がドアを開けると、立っていたのは。
「あ、あの。こんにちは。桜庭さんと小鳥遊さんは……」
「あれ、どうしたの?」
朝、マンガに興味を持ってくれたクラスメートだった。彼女は恥ずかしそうにしながらも、梨樹の招きで部室に入ってきて、
「朝のこと、謝りたくて。それと本のこと、もう少し聞けたらって」
「そうだったんだ。うん、ありがとう──」
「それは百合に興味があるってこと⁉」
お礼を言いかけた翠をそっちのけで梨樹がきらきら目を輝かせた。本当、お姫様みたいに女の子らしい容姿をしているのに性格がぐいぐい来る。
「マンガがいいのかな? オススメいっぱいあるよ! あ、もちろん小説も。アニメとか映画とかゲームも。そうだ、いっそリクロス同好会に入っちゃおうよ! そうしたらいっぱいお話でき──」
「梨樹、ステイ」
「……ごめんなさい。つい興奮して」
しゅんとして席に戻る三年生の先輩。ついでに言うと同好会のトップ。
「翠。梨樹のスカウトがどのくらい駄目かよくわかっただろ?」
「はい。それはもうよくわかりました……」
「あ、えっと、ごめんなさい。私はもう文芸部に入ってるので入会はちょっと……」
「でも、お時間はあるのですよね? よろしければ本のお話をして行かれませんか?」
文芸部に入ったことからもわかる通り本が大好きらしい。読書量も多く、翠たちなんかよりよっぽどたくさん知識を持っていたけれど、こと百合ものの作品に関しては梨樹や真綾も負けてはいない。
というか二人は普通に一般作品も読むようで彼女と話が合っていた。
あんまり本とか読まない翠としてはなんだかアウェーな気分で、残る葵に目で助けを求めると、
「ごめん翠。ボクも話についていくくらいならなんとかなるんだ」
「裏切り者!」
「あ。っていうか名前聞いてなかったよね? なんていうの? 同好会に入らなくても、いつでも遊びに来てほしいなっ」
「ありがとうございます。私──
大人しい性格らしく、クラスでもあまり目立たないけれど真面目で礼儀正しい。落ち着いてくると翠とも普通に話をしてくれる。
「倉橋さんは大丈夫なの? ……その、百合とか、そういうの」
「はい。人が人を好きになるのは素敵なことです。同性相手だからと言って蔑まれるようなことではないと思います。……百合小説の表現の美しさには憧れるくらいで」
「うん、あなたには才能があります! やっぱりリクロス同好会に」
「なんか、西園先輩って誰にでも言っている気がしてきた」
「梨樹先輩の目は確かですよ。……私も少し割り引いて考えるべきかと思い始めましたが」
「二人ともひどい!」
眼鏡の文学少女──雫は翠たちのやりとりにくすくす笑顔をこぼしてから、再び「ごめんなさい」と言った。
「
「そんなこと気にしなくていいよ。悪気があったわけじゃないんだし」
「でも、私は知っていたんです。明日海さんがそういう話を好きじゃないことを」
あの子。
「明日海さんのこと、よく知ってるの?」
「詳しいというほどではありませんけど……同じ学校だったので少しくらいは。明日海さん──明日海
「っ。それ、本当⁉」
翠は話に飛びついた。
渡りに船。
こそこそ噂を集めるのもあまり良いことではないけれど、彼女のことを知るためには人から話を聞くしかない。そうすれば少しは話をする糸口がつかめるかもしれない。
雫もこくりと頷いて「お話できる範囲であれば」と言ってくれる。
「お茶を淹れるね」
あれこれ話していたせいか、終わる頃には日が暮れかけていた。
部室に顔を出して帰るという雫と別れ、みんなで部室の戸締まり。梨樹がふう、と息を吐いて、きっ、と表情を作って。
「よし。こうなったらリクロスの出番だね! こういう時はリクロスで解決しよう!」
「……あの、西園先輩って意外と変ですよね?」
「翠ちゃんさっきからひどくない⁉」
梨樹の提案が普通かどうかはともかく、雫のおかげで少しあの子──唯香のことがわかった気がした。
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