先輩は部長で誘拐犯

「わたしは西園にしぞの梨樹りじゅ。リクロス部の部長だよ。それで、あなたの名前は?」

小鳥遊たかなしです。小鳥遊みどり

「翠ちゃんかあ。いい名前だね」


 先輩──梨樹は自販機で飲み物を奢ってくれた。翠が選んだのはミルクティー。梨樹はレモンティーだった。彼女はペットボトルに軽く口をつけてから「あ、そうだ」とポケットを探って、


「羊羹、食べる?」

「どうして羊羹が出てくるんですか……⁉」

「小分け包装されてるし、賞味期限が長いからだよ?」


 コンビニとかで売ってるちっちゃいやつ。

 なるほど、常備しておくのにちょうどいいというわけか。せっかくなので受け取る。ただ、お菓子があるなら甘くない紅茶にすればよかった。

 さてはこの先輩、それを見越してレモンティーを選んだな?

 優しいけれどちょっと抜けている。翠は梨樹のことをそんなふうに判断した。


「それでね、翠ちゃん。良かったらリクロス部に」

「入りません」

「まだ最後まで言ってないのに」

「わたし、えっちな部には入りませんから」

「だからえっちじゃないってば!」


 部活時間真っ只中。

 自販機コーナーのベンチは人気がなく、吹奏楽部の演奏がどこかから聞こえてくるだけ。

 隣り合って座っていてもあんまり緊張しないで済んでいるのは梨樹の人柄なのだろうけれど。


「動画でキスしてたじゃないですか」

「それ以上のこともするよ?」

「えっちですよね?」

「えっちじゃないよ。えっちなこともするけど、リクロスはそれが目的の部活じゃないの」


 するんじゃん!


「撮影されてる中でえっちなことするって……それもうえっちな生配信みたいなものじゃないですか!」

「一回やってみたらわかると思うんだけどなあ」

「弱みを握られて抜け出せなくなるの間違いじゃないですか⁉」


 さっきからツッコミが止まらない。

 良い人そうに見えるけれど、やっぱり危ない人かもしれない。それはそうだ。リクロスなんて明らかに変な部活だし。

 逃げよう。

 翠はミルクティーのペットボトルを勢いよく傾けた。一気に飲んでしまおうとして盛大にむせる。梨樹が慌てて背中をさすってくれた。


「大丈夫? 制服汚れてない?」

「あ、ありがとうございます」


 振り返るとまた相手の顔が近くにあった。

 真綾も綺麗だったけれど、この人も。


「……先輩、まつ毛長いですよね」


 思ったまま呟けば、驚いたような表情。


「ありがとう。でも、いろいろ悩みもあるんだよ? このおっきすぎる胸とか」

「それだけ大きかったら男子大喜びじゃないですか」

「……うーん。わたしは翠ちゃんのほうが可愛いと思うなあ」

「わたしなんて平凡で。先輩や桜庭さんが羨ましいです」


 生まれてこのかた男子にモテた覚えがない。

 幼稚園から中学校まで女の子の友達と仲良くしてばかり。楽しかったけれど、自分が可愛いなどとは自惚れられない。

 梨樹はこっちをじーっと見て、


「少女マンガの主人公みたい」

「まさにそうですよ。どこにでもいる普通の女の子」

「……なるほど。そこで食い違ってるんだ」


 よくわからないまま納得された。


「あのね。わたし、同好会のメンバーを探してたの。うちは弱小で人数が足りなくて」

「あんなえっちな部活じゃそうなりますよね」

「可愛い子が揃ってるんだけどなあ」


 真綾も含めてそれには同意するけれど。


「女の子と出会いがあっても恋愛にはならないじゃないですか」

「あー」


 梨樹が天を仰いだ。

 顔を戻すとレモンティーを口にして息を吐く。「そうじゃないかと思ってたけど、やっぱりそういうことなんだ」。

 翠が頭上に「?」を浮かべているとすぐ傍に梨樹の手が置かれて、ぐいっとおっぱい──じゃない、お嬢様めいた美貌が近づけられる。

 眼鏡がなかったら見惚れていた。


「よし、翠ちゃん。今からうちの部室に行こ? とにかく行こ? いいから行こ?」

「なんでそうなったんですか⁉」

「なんでもいいから行くのー!」


 高校三年生で駄々っ子の誘拐犯とか手がつけられないにも程がある。



    ◇    ◇    ◇



「どうしてわたしがこんな目に……」

「大丈夫大丈夫、一度経験しちゃえば気持ちよくなれるから」

「だから絶対いかがわしい誘い方じゃないですか」


 背中を押されるようにして連れて来られたリクロス部の部室は旧校舎にあった。

 一部特別教室が授業で使われている他は部活用に割り当てられている旧校舎だけれど、時代を感じさせる雰囲気で決して悪くはない。

 耐震とかそっちもそんなに心配なさそうだし。


 ──ただ、部室が小さい。


 教室の半分くらいのサイズだろうか。

 隣のドアとの距離感からそう判断した翠は「ぜったい流行ってないなこの部活」と思った。そもそも同好会なのでそれはそうか。

 『リクロス同好会』。

 金属製のプレートに筆記体で彫られた表札(?)は格好いいけれどぱっと見でなんの部活かわからない。部員が少ないのはこのせいもあるのではなかろうか。

 ため息をつきつつノブに手をかけて、


「体験入部の子連れてきたよー」


 梨樹の勢いに負けた翠は、あることを忘れていた。

 仲違いしてしまったクラスメート。

 リクロス同好会に入ると言っていた彼女。梨樹が「真綾ちゃん」と呼んでいたところからして、高確率で、桜庭真綾が部室にいるはずだということ。


 目が、合った。


 真綾が目を丸くする。信じられない、とばかりに口を手で覆った彼女がかたんと椅子から立ち上がる。


 思った通り部室は広くない。

 四人がけのテーブル。明らかに五脚以上ある椅子。本棚。湯沸かしポットに紅茶とコーヒーの道具一式。小さな冷蔵庫にノートパソコン。

 雑然とした、一見なんの部かわからない空間。

 椅子の上に可愛いクッションが載っていたり、掃除自体は頻繁にされている感じが女の子ばかりの部という印象ではあるけれど、どうしてもごちゃっとしすぎているような。

 そんな空間に真綾や梨樹が当然のように存在しているのはなんだか不思議で。


 場違いな感想を抱いていた翠は次なる声に反応するのが遅れた。


「どうしてあなたがここに来るんですか、小鳥遊さん──っ!」


 ずき、と、胸が傷んだ。



     ◇    ◇    ◇



「梨樹のことだから飽きたら一人で帰って来ると思ってたんだけどね。まさか本当に新入生を連れて来るとは思わなかったよ」

「ひどい。わたし、やる時はやる子だよ?」

「知ってるよ。でも梨樹はすぐやる気がから回るじゃないか」

「もう、葵の意地悪」


 冷えた空気の部室を三年生二人が懸命に温める。


「…………」

「…………」


 真綾の隣に座らされた翠は、当のクラスメートと二人でただただ沈黙を貫いていた。

 喋りたくないというよりは気まずくてなにも言えない。

 ちらちら横目で窺ってもお姫様は知らん顔。

 こほん。

 葵と呼ばれた四人目──部活紹介における梨樹の相方が明るく声を出して。


「自己紹介をしようか。ボクは天苗あまなえあおい。リクロス同好会の副会長だよ」

「小鳥遊翠です。……えっと、よろしくお願いします?」


 葵は部活紹介の時と同じ雰囲気だ。

 格好いい系の顔立ちと爽やかな態度。これで男子ならと思わなくもない。


 ひとまずぺこりと頭を下げた翠だけれど、正直、あんまりよろしくする気はない。

 作り笑顔を浮かべつつ室内を見渡す。広くもない部屋に物がいっぱい。四人もいれば十分とはいえ。


「あの、他の部員の方は?」

「それがいないんだよね」

「二年生の部員──会員が一人いるんだけど、いまは休学中なの」


 じゃあ、真綾を含めても総勢四名ということか。

 翠の理解を待っていたかのように梨樹はにっこり笑って、


「だから、あと一人入ってくれれば部に昇格なの」

「あの」

「あと一人。どこかにいい人はいないかなあ?」

「この誘拐犯……!」

「だって翠ちゃんに来てほしかったんだもん」


 むっと睨めばくすくすと笑われてしまった。

 お嬢様タイプだと思ったけれど、梨樹先輩、真綾と違って思い立ったら一直線、欲しい物にアプローチせずにいられないタイプだ。

 これはなかなかの強敵──と、思ったところで、援軍が思わぬところから来た。


「梨樹先輩。彼女は絶対にリクロス部には入りません」


 礼儀正しい少女の冷たい断言。

 梨樹当人は「そう?」とどこ吹く風だったものの、代わりに翠の胸が痛む。それでも真綾は青い瞳を上級生から外さず、


「小鳥遊さんは高校で彼氏を作るのが目標だそうなので」

「彼氏? 彼女じゃだめなの?」

「部長!」


 咎めるように役職名を呼んだのは理性的な対応を求めるためか。

 ……ただ、理性的なのは梨樹のほうにも見える。

 翠だって聞いていて愉快な気分ではない。真綾の態度にもそろそろ我慢の限界だ。


「どうしてそんなに怒ってるの?」

「────」


 翠に対象を移すとその気勢は若干弱まるも、


「別に、怒ってはいません。……ただ、あなたと私では住む世界が違うというだけです」

「それって女の子が好きってこと? だったら──」

「止めてください!」


 しん、と、室内が静まり返った。

 梨樹は「あちゃあ」という顔。葵は苦笑。真綾もはっと我に返ったものの、今更退けないと言うように表情を引き締めて、


「形だけの慰めはいりません。どうせあなたも理解のあるふりをして私を見下すんでしょう? たくさんの人と同じような」

「そんな、わたしは!」


 クラスメートからの忠告、そして「よかった」という言葉を思い出して、両手をぎゅっと握る。


「確かに、わたしは、同性愛とかよくわからないけど」

「ほら、やっぱり」

「でも! わたしは、わからないからって『おかしい』なんて言いたくない!」


 勢いには勢いだ。

 立ち上がって言い切る。これにはさすがの真綾もぽかん、と小さく口を開けた。

 見上げる真綾と見下ろす翠。


「……なら、あなたはどうしたいって言うんですか?」

「桜庭さんと友達になりたい。桜庭さんのこと、もっと知りたい。それじゃ駄目?」


 偽りのない気持ち。

 真っ直ぐに伝えると、真綾は「っ」と顔を伏せた。なにか傷つけてしまったか。顔を覗き込もうとすると「違います」と小さな声。

 泣いているようにも、見える。


「どうして、あなたはそんなふうに言ってくれるんですか」

「それは」


 なんと言えばいいんだろう。

 適切な言葉が思いつかなかった翠は、飾らずストレートに表現することにした。


「わたしが、桜庭さんのことを好きだから」


 桜庭真綾には魔法がかかっているんだろうか。

 世界を物語のように変えてしまう魔法。だからこんななにどきどきして、こんなに自分が格好良く見えるんだろうか。

 返事は、一瞬遅れて。

 伏せたままの真綾から「……はい」と小さく、確かに聞こえた。


「私も、小鳥遊さんとお友達になりたいです」


 ほう、と、安堵の息が三つ重なる。

 これが二人っきりだったら、そのまま真綾に抱きついていたかもしれないけれど。そういえばこの場にはあと二人いるわけで。


 視線を向けると、梨樹と葵がものすっっごく、にこにこしていた。

 気まずい。

 愛の告白を人に見られたみたいな気分で「もう帰ろうかな」と思っていると、


「うん。翠ちゃん。翠ちゃんはリクロスやるべきだよ。あなたにはリクロスの才能がある!」

「え」


 ちょっと待っていただきたい。

 真綾と仲直りできたのは嬉しい。お礼も言いたい。けれどそれはそれ。リクロス同好会に入るかどうかとは別の話だ。


「いや、そもそもリクロスの才能ってなんですか。また適当なこと言ってますよね?」

「そんなことないよ! リクロスはね、誰でもできるけど、のめりこめる人は決まってるの」

「梨樹先輩が言うなら間違いありませんよ。彼女は国内のアマチュアの中で五本の指に入るリクロスプレイヤーですから」

「え? ほんとに? この変な人が?」

「翠ちゃん? わたしのこと変な人だと思ってたの?」

「変な人じゃないですか!」


 変な人が怒った。


「桜庭さんとは仲良くしたいよ。でも、この同好会はだめだよ。こんなえっちなところにいたら桜庭さんまで変になっちゃう」

「……小鳥遊さん。あなたは本当になにをしに来たんですか?」

「なんでそこでまた怒るの⁉ わたしは桜庭さんと仲直りしたいだけで、っていうかここには先輩に連れて来られただけだし!」

「梨樹先輩? 嫌がる生徒を連れてきてもメンバーは増えないと思うのですが?」

「ひっ、真綾ちゃんが怒った!」


 お嬢様とお嬢様がぶつかるとよりお嬢様度の高いほうが勝つということか。

 あっさりと言い訳を諦めて葵の背中に隠れようとする梨樹。

 葵は若干の呆れ顔で「真綾は怒ると怖いんだよね」と翠に向けて説明してくれる。


「間違いなくリクロスの才能はあるんだけど。……彼女と組める子はごくごく限られると思う。例えば、そう。この子の良さを知っていて、この子の気難しさに気後れしない子とか」


 そんな子、クラス中を探しても一人しかいなさそうだ。

 そう。きっと、翠以外には。


「案外、梨樹の言う通りかもね。翠と真綾が組めば全国優勝だって狙えるかも」


 直後、脳内に自分と真綾がキスしている情景が浮かんで、翠は慌ててその想像を打ち消した。

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