lily×battle 〜私立桜庭女子学院リクロス部〜

緑茶わいん

プロローグ 〜新しい出会い〜

 甘い吐息と押し殺したような声、服のこすれるかすかな音とほんのり甘い匂い。

 各所に設置されたカメラが室内の様子を余すところなく捉える。たくさんの人がこの光景を見ていると思うとそれだけで頬が熱くなる。


 ──どうしてこうなっちゃったんだっけ。


 熱に浮かされて鈍った思考の中、翠──小鳥遊たかなしみどりは思った。

 最初から目指していたわけじゃない。

 この甘い、とろとろと蕩けるような、おかしいはずなのに何故かのめり込んでしまう『世界』に翠が入り込んでしまったのは、ただの成り行きだった。


 流されるように、なにかに導かれるように、翠はにたどり着いた。


 ここは甘くて、柔らかくて、すべすべで、とろけるようで──そして、どこまでも熱い。

 始まりはそう、高校の入学式。


 あの日の朝、一人の女の子に出会ったことだった……。



    ◇    ◇    ◇



「わぁ……っ!」


 煉瓦色の校門の前に立った翠は思わず小さな歓声を上げた。

 伝統ある名門、私立桜庭女子学院。

 門よりも一段明るい色をした校舎と外壁を這う蔦。舞い散る桜の中、伸びるメインロードに目を向けると綺麗なベンチが等間隔で並んでいるのが見える。

 道を歩いていくのは薄桃色をした制服を纏う女の子たち。


「……綺麗」


 そよぐ風がセミロングの髪を揺らす。


「滑り止めだったけど、ここも良いかも」


 翠が纏うのも当然、真新しい桜庭の制服だ。

 家からは少し遠いのだけれど、制服が可愛いので志望校に選んだ。数年前にリニューアルされてぐっと今風になったという制服は可愛いと話題になっている。

 よし、と気合いを入れると一歩を踏み出し門をくぐる。

 革靴の歩みはどこかスキップをするように弾んでいた。


 この学校で、新しい友だちができるといいのだけれど──。






「人が多い」


 クラス分け発表の掲示板前には人だかりができていた。

 全員歳の近い女の子だからまだいいけれど。それでも人混みに割って入るにはちょっとした思いきりが必要だった。

 押し合いへしあい。

 並んで順番に見ればいいのにと思いつつ翠自身、一秒でも早く確認したい。なんとか前までたどり着いて『A組』に自分の名前を見つけた直後、


「ぐえ」


 女の子が上げるにはふさわしくない悲鳴と共に押し出された。

 押し出された先には新入生がいて、二人は一緒に転んでしまう。


「いたた……」


 咄嗟についた右手の人差し指が地面のざらざらで傷を作った。

 後でなんとかしようと思いつつ「ごめんなさい」と女の子を見下ろす。


 ──綺麗な、青い瞳と目が合った。


 沈黙。世界が翠と彼女二人だけになってしまったかのような感覚。物語のようなタイミングで出会うには、その子はあまりにも容姿をしすぎていた。

 ふわふわのロングヘア。

 人形めいた顔立ち。ふわりと香る匂いはどこかミルク──それもハニーミルクを思わせる。身長は翠より少し低いようで、守ってあげたくなるような魅力に溢れていた。

 可愛いなあ、と、頭の中がそれでいっぱいになった後で、自分が壁ドンならぬ床ドンをしていることに気づいた。


「ほ、本当にごめんなさいっ!」

「いえ、お気になさらないでください」


 慌てて身をどければ女の子もゆっくりと身を起こした。

 スカート、校則通りの膝下。

 肌はデニールの高いタイツに守られていてまさに鉄壁。


「怪我はない?」

「はい。あなたの方は?」

「わたしも大丈夫。ちょっとここを切ったくらい」


 人差し指を立てて見せると「来てください」と引っ張られた。邪魔にならない位置に来ると絆創膏を巻いてくれる。

 爽やかな匂いつき。

 お嬢様なのかな? と思っていると彼女は小さく口を開いて、


「先に消毒をするべきでした」

「いいよいいよ。消毒って言っても舐めるくらいしかなかったし」

「……そうですね」


 翠の指を数秒見つめた後でこくんと頷いて。


「私は桜庭さくらば真綾まあやと申します。……あの、あなたは?」

「わたしは小鳥遊翠。よろしくね」

「小鳥遊さん……。はい、よろしくお願いいたします」


 深く頭を下げた真綾は顔を上げるとにこりと微笑んだ。鉄壁のお嬢様の意外や柔らかさに胸の奥がきゅんとするのを、翠ははっきりと感じた。

 二人共にAクラスだと判明するのはこの数十秒後のことで。





「一緒のクラスで良かった。ね、わたしと友達になってくれる?」

「こちらこそよろしくお願いいたします。……その、私は人付き合いが苦手なもので」

「本当? そんなふうには見えないよ」


 1−Aの教室。席割りはまだ決まっていないので窓際の席を前後で取った。


「桜庭さんはどうしてこの学校に来たの? ……あれ? 桜庭?」

「私の先祖がここの設立者なのです。学院を選んだのはその縁と、それからもう一つ理由がありまして」

「もう一つ?」


 真綾は「秘密です」とでも言うように微笑むと「小鳥遊さんはどうしてこちらに?」と逆に問いかけてきた。美少女の様になった仕草のおかげでちっとも嫌な感じがしない。

 それにしても学校関係者の子孫とは、本当にお嬢様だったらしい。


「わたしは普通だよ。本命の高校に落ちちゃったから、滑り止めの桜庭に来たの」

「そうだったのですか。本命はどちらを?」

「黎明。高校では彼氏作ろうと思ってたんだけどなあ、残念」


 桜庭は制服が可愛いけど女子校なのが難点だ。郊外にあるので他校の男子とも接点ができづらいし。

 高校生ともなれば恋くらいしてみたい。

 格好いい男子との出会いを夢見る翠は「……そうですか」と真綾が素っ気なく答えたのをスルーしてしまった。

 先程までよりも若干硬い声音で「でしたら」と紡がれて、


「アルバイトをなさってはいかがですか? 男性との接点も増えるでしょう?」

「バイトかあ。それもいいかも。あ、じゃあ桜庭さん一緒にやらない?」

「私は遠慮しておきます。……男性は苦手なので」


 どこか突き放すような口調に虚を突かれた翠は話を続けられなくなってしまった。

 すぐに教室が賑やかになって他の生徒から話しかけられたので手持ち無沙汰にはならなかったのだけれど……異性が苦手なのに共学の話をされたから、真綾は気分を悪くしてしまったのだろうか。



    ◇    ◇    ◇



「ね、ちょっと」


 少し退屈な入学式を終えて教室へ戻る途中、翠は同じクラスの子から袖を引かれた。


「どうしたの?」

「朝、桜庭さんと話してたでしょ? ほら、青い目の子」

「ああ、うん。友達になったんだ」


 その子も仲良くなりたいのかと思って笑顔を浮かべると、相手は逆に表情を曇らせる。周囲をそれとなく窺いながら内緒話をするように、


「あんまりあの子と仲良くしないほうがいいよ」

「どうして?」

「いや。うーん、ほら。……男の子が嫌いって言ってたでしょ? つまりそれ、そういうことだから」

「?」


 よくわからないと首を傾げれば、その子は痺れを切らしたように、


「桜庭真綾は同性愛者だってこと!」

「────」


 ざわ、と、廊下に動揺。

 人波が割れて、その奥に真綾の姿。翠に話しかけてきた子は「まずい」という顔をすると翠を押しのけ、教室に駆けていく。

 どうすればいいんだろう。

 立ち尽くす翠の横を真綾が無言ですり抜けた。近いはずのその距離が、翠には果てしなく遠く思えた。






 ガイダンス中もほとんど上の空で。

 再びの教室移動──部活説明会の行われる体育館へとクラスメートたちが動きだす。

 先の騒ぎを知っている者はどのくらいか。さっきの子はなにもなかったかのように友人と談笑しながら教室を出ていく。

 教室から人が少なくなり始めてようやく、桜庭真綾はゆっくりと席を立ち、


「説明会、一緒に行かない?」

「…………」


 袖を掴んだ翠を冷ややかに見つめた。

 指を離せば、真綾はただ時を待って。教室に二人だけになるのにそう時間はかからず。


「聞いたでしょう? ……私とは関わらないほうがいいと思います」

「でも、あんなの気にする必要──」

「小鳥遊さん。私は入る部活動をもう決めています。lily crossing同好会です」

「っ」


 わからない。

 告げられた部の名前は初めて聞くもの。だから、翠には真綾がなにを言いたいのかわからなかった。

 けれど、自分がなにを言いたかったのかも、よくわからない。

 あんなの気にする必要はない?

 それはあの子の忠告が「本当だった場合」? それとも「嘘だった場合」?

 彼氏を作って恋愛をするのが普通、当たり前だと思っていた翠の言葉なんて、真綾にとってはとても軽いものなんじゃないか。


「わかったら、話しかけないでください」


 だから、離れていく真綾になにも言えなくて。

 翠は、一人になった教室で唇を噛み締めた。



    ◇    ◇    ◇



『続いてはlily crossing同好会──リクロス同好会の紹介です』

「……なんて?」


 ラクロスじゃなくてリクロス?

 よくわからないけれど、真綾が入ると言っていた部なのはわかる。

 翠は他の一年生と一緒に並べられた椅子(入学式で使ったものの流用)に座ってリクロス部員の登場を待った。

 程なくして現れたのは──。


「わ」


 美男美女、もとい美女二人組だった。

 一人は160台中盤の身長を持つショートヘアの三年生。もう一人も三年生で、こちらは髪の一部を編んだお嬢様風──確かハーフアップとかいう髪型だ。

 格好いい系と美人系。

 一年生からの歓声。これは確かに同性でも見惚れてしまう。


『リクロスは近年誕生したばかりの競技です。スポーツとゲームを融合させたこの新しい競技をわたしたちは広めようと活動しています』

「えっと……つまり、どういうこと?」


 翠の呟きに答えるかのように、背の高いほうが手を持ち上げ──お嬢様風のほうの顎を優しく掴んだ。

 再びの歓声。

 まるで少女マンガのような光景だ。二人とも制服なのだけれど、ついつい片方が男装しているかのように錯覚してしまう。


『lily──百合とはつまり女性同士の関係性。リクロスはパートナーと心ときめく関係や情景を作り出す競技です』


 抱きしめられたハーフアップの先輩がうっとりとパートナーを見つめる。その様はまるで恋に落ちているかのようで、部活説明だというのを忘れてどきどきしてしまいそうになる。

 つまり、演劇部に近いと思えばいいのだろうか?

 競技と言うからには得点を競うのだろうけれど。

 壇上のスクリーンに映像が映し出される。


『これは昨年行われた全国大会の様子です』

「っ」


 息を呑む。

 演劇──なんて平和なものじゃなかった。

 画面上に映し出されたのは、女の子同士が指を絡め合ったり、相手の肌に触れたり、さらにはキスしていたり、際どいところに指が入り込んでいたり!

 歓声に悲鳴が交じる。それはそうだ。いきなりえっちな動画を見せられたようなものである。さすがに18禁というほどえっちなものではなかったけれど……。

 でも、動画では見せなかっただけでえっちなことが繰り広げられていた可能性は十分ある。


 関係性。得点。身体的接触。


「もしかして、過激なほうが得点が高くなるってこと……⁉」


 驚いた声がちょっと大きかったのか、先輩方から『そういう側面がないとは言えません』と返事が来て、翠は赤面して縮こまることになった。



    ◇    ◇    ◇



 ありえない。

 部活に入るにしてもリクロスだけはありえない。

 思い出すだけで恥ずかしくなってくる。

 二日目、帰りのHR終了後、翠は鞄を抱えてため息をついた。


「あの、桜庭さん──」

「さようなら、小鳥遊さん」


 真綾に声をかけても取り付く島もなく。

 できればあの部活に入るのは止めてほしいのだけれど、昨日もこんな感じで突き放されてしまった。もしかしたらもう入部してしまったのかもしれない。

 それはまあ、どの部に入ろうと勝手だけど、あれはさすがに。


「ね。もしかして小鳥遊さんもそっちの人?」

「え?」


 顔を上げるとクラスメートにじっと見つめられていた。

 翠は「ないない」と笑って手を振った。


「そういうのじゃないよ。わたしは……そういうの、よくわからないし」

「そっか。そうだよね!」


 良かった、と無邪気に言って遊びに誘ってくるその子に「うん」と答えながら、翠は胸の痛みに気づかないふりをした。

 なんだろう。『そういうの』って。

 確かに翠にはよくわからないけれど、同性を好きになるのってそんなにいけないことだろうか。






 三日目の放課後。

 このままだと帰宅部になりそうだと適当に回ってみたものの、特に気になるところがなく。

 どこに入っても男子はいない。当初の目的だった恋愛はできないわけだし、友達を作るにしてもせっかく素敵な出会い方をした真綾には嫌われてしまった。

 そのうえ、一緒に部活見学をしてくれたクラスメートたちもたった今「飽きた」と帰ってしまって。


「……どうしたら桜庭さんと仲直りできるだろ」

「真綾ちゃんのお友達?」

「わっ⁉」


 廊下で独り言を言っていたせいか。

 知らない上級生に声をかけられ悲鳴を上げてしまった。「ごめんごめん」と微笑むのは眼鏡をかけた三年生だ。

 長い髪をなんというか、マンガとかで病弱な人がよくやっている感じに編んでいて、胸が羨ましいくらい大きい。あと、眼鏡のせいでわかりにくいけれどよく見ると美人──というか。


「あれ、もしかしてあの変な……リクロスとかいう部の紹介をしてた」

「覚えててくれたのっ?」

「わ」


 顔が近い。背の高い方の先輩からキスされそうになっていた人に近づかれるとなんかこう不思議な気分になる。

 あれ。というかリクロス同好会ということは。


「あのえっちな部活に新入生を引き込もうとしてる痴女!」

「痴女じゃないし、リクロスはえっちな部活でもないよ!」


 本音を言ったら真顔で怒られてしまった。

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