第19話 リオナサレイヤ
「ふむ、これはまた。随分と……アレだね」
「落ちぶれた家などこんなモノ、言ってやるな。貴族が全て金持ちと言う訳ではないのだ。ここの所の値上げで随分と客足も遠のいただろうしな」
カレーの人に案内されて、管理者の下へとたどり着いてみれば。
何と言うか……こう。
廃墟?
「何故掃除をしない。こんな立派な家なのに、勿体ないじゃないか」
「俺達に依頼してくれれば、一日で綺麗にしてやれるのにな」
筋肉二人はムキムキと上腕二頭筋を動かしながら、建物をジロジロと眺めていた。
だがその気持ちも分かる。
これではせっかくの豪邸が可哀そうだ。
そんな風に思ってしまう程、その家は廃れていた。
「リオナ……その」
「私の近くに居れば、大丈夫」
クスッと笑い掛けてから、アーシャの事を抱き寄せてみれば。
彼は大人しく此方に身を寄せ、更にローブをギュッと掴んで来るではないか。
この子も魔力への適性はある。
詳しくは分からなくとも、何かしら感じ取っているのだろう。
ということで、門番へと話しかけてみれば。
「えぇと、ご予約などは……」
「無い、思い立ったから来たまでだ。都合が悪ければ出直すが、本日当主様は御在宅だろうか?」
胸を張ってそう答えてみた訳だが。
普通なら追い返されるのがオチ、むしろ私の様な旅人では招いて貰える筈もない。
いざとなればカレーの人の権力でも使って……なんて、考えていたのだが。
相手は「そうですか……」覇気のない声を上げながら、というかぼんやりとしながらと言った方が良いのか。
あぁ、これはあまり良くないな。
「あーその、当主様に許可を取って来ますので、少々お待ちを……」
「いいや、それには及ばない。門さえ開けてくれれば、私達が勝手に話をしてこよう。君は室内に入る必要は無いよ」
「あぁ、それは助かります……屋敷に入る度、どんどん元気が無くなって行くというか……なんかもう、疲れちゃって」
門番らしからぬ態度を取りながら、彼は私の言葉に従って門を開いてみせた。
普通だったら、おいおいと言ってしまいそうな所だが。
この反応は、間違いない。
「アーシャ、皆と一緒に庭で待機していてくれるか? 状況を見るに、付いて来た方が大変そうだから」
ニコッと微笑んでみれば、逆に彼の表情は強張り。
「リオナ! 絶対危ない事しようとしていますよね!? 駄目です! 俺も行きます!」
ガシッと腰に引っ付いた彼は、これまでに無い程の自己主張をして来た。
あぁ、なるほど。
ほんのちょっとの時間、ただただ一緒に居ただけだと言うのに。
随分と信頼されてしまったものだ。
私の旅において、ここまで深く関わった者は他に居ただろうか?
「大丈夫だよ、アーシャ。簡単に言うとね、君が近くに居ると全力が出せないんだ」
「足手まといって、そう言いたいんですか?」
「違うよ、アーシャ。君には本気の私を見せたくない、私の我儘だ」
それだけ言って頭に手を乗せてみれば、緩やかに掌は離れ、アーシャ自身も私から離れてくれた。
そして、彼の肩に同行者達が手を置き。
「頼むよ」
「あぁ、傷一つ負わせないと誓おう。しかし、一人で大丈夫か? 何やら良くない空気だが」
「そんなに酷い状況なのか? 俺達には分からないが……それでもアーシャ君は俺達が守る、心配するな。物騒な事態になるのなら、手を貸すぞ? 俺達のどちらかでも同行した方が良くないか?」
「ありがとう、でも私だけで十分だ」
カレーの人とチキン兄弟から頼もしいお言葉を受け、私は一つ頷いてから屋敷の扉へと向かった。
普通だったら、ここまで警戒はしない。
話だけで済む様なら、こんなにも面倒くさい真似はしない。
だが、この土地から香って来る臭いは。
この鼻が曲がりそうな嫌な悪臭は、間違いなく。
「やぁ、悪魔。随分と好き放題やっている様だね」
正面玄関を蹴破ってみれば、視界には広い玄関ホールが広がる。
客が来た時の第一印象が決まる場所、だからこそどこの部屋よりも普段から綺麗にする筈。
だというのに。
多くの男女が、まぐわっているではないか。
人目も憚らず、真昼間から盛っている。
誰も彼も快楽に声を上げ、思わず怖気が走る様な光景ではあったが。
「あら、お客さん?」
やけに派手な格好をした若い女が、エントランスホールの階段に腰掛けながら酒を嗜んでいた。
その頭から生えているのは、随分と細い角が二本。
「だ、誰だ!? どうやってココへ入って来た! 門番、門番は何をしている!」
慌てた様子の男が声を荒げるが、彼が当主なんだろうか?
痩せこけており、顔色も悪い。
色々と、絞り取られたのだろう。
富、権力、財力。
そして何より、彼が健全に送る筈だった生活の全てを。
「人に関与し、より大きな影響を及ぼす存在。そして着実に人々の生活に支障をきたす悪魔。予想はしていたよ、“サキュバス”。君達が関わった事により、この家は狂い始めた」
「あぁ~もしかしてご同類? だとしたら、残念でしたぁ。この家は、もう私の物。全部の“欲”を搾り取ってからならあげるけど、欲しい? 馬鹿よねぇ、悪魔に頼って願いを叶えるって事がどういう事なのか、全く理解していない。だからこそ私の契約主は死に絶え、弟君が支払いを続けている。憎悪と、金と、肉欲を」
随分と楽しそうに笑う女は、両手を広げながら口元を吊り上げた。
大して味も分からないであろう酒を口に運び、更に表情を歪めてみせる。
「この家が管理する店の暴挙は、お前の指示と言う訳だ」
「だってそっちの方が手っ取り早いでしょう? 払えなければ借金、借金を返せなければ奴隷。それが分かっているのに店に足を運んでしまう。私の力によって、いくら値が張ろうと店自体はとても魅力的に見える。前当主との契約だけど、継続“させた”からこそ私への捧げ物を絶つ訳にはいかない。金持ちって楽よね、いくらでも人を集められる上、こうして男女が集まれば別の“欲”が湧く。あぁ、なんて素晴らしいのかしら、人間って。とても簡単に栄養補給が――」
「もう良いよ、黙れ」
演説の途中で、思い切り魔力を放った。
ここでやっと此方の存在がどう言う物か気が付いたらしく、彼女はヒクヒクと口元を痙攣させている。
だが、知るか。
私にとっては、本当に些細な事。
今を生きる人間がどうとか、そこに関わった悪魔がどうとか。
本当に些細な事に過ぎないんだ。
だとしても、少々気分が悪い。
「大会に出場していた者達も、君が手を加えたね? 既に人間ではない程に“混じっていた”。アレはもう、救えないだろう」
そんな事を言いながら一歩踏み出してみれば、まぐわっていた男女達が慌てて逃げ出し始めた。
そうだ、逃げろ。
私と言う存在に恐れて、逃げ出してしまえ。
その方が、楽だから。
巻き込まなくて済むから。
だから、とっとと失せろ。
「あ、あんなの悪魔だったら普通にやる事でしょう!? 自らの手駒を作る、当たり前の事……だというのに、何をそんなに怒っているの? お前だって同じ筈だ、同じ存在の筈だ!」
「同じ? ふざけるなよ下等生物が、私をお前如きと同等とぬかすか。せめて“ロード”の名を得てから私の前に立て」
周囲に魔力をまき散らし、徐々に体も変化していく。
爪は異常な程尖っていくし、最近アーシャに切って貰った筈の角もグングンと伸びていく。
やがてフードは角に押し退けられ、私の異様な姿を相手に見せつけた。
当主がまだ残っているから、色々と問題になるかもしれないが。
それでも、ここで対処しておかなければ。
この食の都を、この雑魚が食い荒らす結果になってしまうだろう。
「な、なんっ――!?」
既に腰を抜かしている当主は、私の事を指さしながら良く分からない言葉を残している。
しかし、悪魔は。
「ハ、ハハハッ! 嘘でしょ? こんな時代に、こんな平和な世の中で。街中に“知性ある竜”が紛れ込んでいるの? 勘弁してよ、お伽噺じゃないんだから」
流石に私の正体に気が付いたのか、引き攣った笑みを浮かべながらも。
分かりやすい程に、逃げる準備を進めていた。
未熟者め。
それこそ戦場に立った事も無い小物の悪魔か。
「そのお伽噺の様な存在が、目の前に立っている。さぁ、お前はどうするつもりだ?」
ガンッと床を踏み抜いて、仕掛けられていた相手の魔法陣を全て砕いた。
転移の魔法陣……もうこの家を捨てて、別の場所へと逃げる準備は整っていたという事なのだろう。
だが、逃がしてなんかやらない。
既に受肉が済んでいる悪魔は、何処へ行っても害悪に他ならないのだから。
逃げ道を潰してやれば、相手は本当に焦った表情を浮かべ始め。
「待って! 私は契約に応じて力を与えただけ! 何も悪い事はしていない!」
「ふざけるな! 兄貴がお前を呼んだ条件も明かさず、次々に周りの人間を巻き込んでいっただろうが! 最悪の事態にならない為に、俺がどれ程泥にまみれたか……今更命乞いか悪魔! 親父が残してくれた店を繁盛させてくれる約束はどうした!? 兄貴が残した野望を実現するという約束はどうなった! 差し出すばかりで、死を恐れるばかりで何も叶えてくれないじゃないか!」
言い訳を始めた悪魔に対して、当主の男が怒鳴りつけた。
先程の彼の言葉で、大体事態が掴めたと言っても良いのだろう。
悪魔の誘惑に負けたのは彼の兄君。
しかしながら、ろくに結果も残さず弟君に契約を引き継いだ。
兄がどんな条件で彼女を招いたのかは知らないが……どうにも、働き者の悪魔とは言い辛い様だ。
「契約した仕事さえまともにこなせないのなら、貴様は……ただの寄生虫だね」
「いやいやいや! 待ってよ! なんで飲食店をいくつか持っている程度の相手に対して、私達サキュバスが本気を出さないといけない訳!? おかしいでしょ! 悪魔とは違っても、アンタだってドラゴン! この“くだらなさ”が分からない訳じゃないでしょう!?」
相手方は、随分と必死に訴えかけて来るが。
すまないね、私には分からないや。
貴様等の傲慢さや、魔族は人よりも偉いって感覚は。
だからこそ。
「生憎と、ドラゴンっていう生き物は偏屈なんだ」
「い、いや……あの……」
未だ言い訳を考えているであろう彼女の元まで歩み寄り、相手の額にえらく尖った爪を叩き込んだ。
結果は……正直、食欲が減退する様な光景になってしまったが。
枯れていく、そう表現して良いのだろう。
今までの美しい姿が嘘の様に皺くちゃになり、ビクビクと震えながら枯れ木みたいに細くなっていく。
こんなモノから魔力を吸い上げた所で、私には得の一つも無いけれど。
それでも、この件は終わり。
当主が今後どういう判断を取るかは知らないが、悪魔は葬った。
だからこそ、私達は次の街へと旅立てば――
「っ! アーシャ!?」
ゾクッと、背筋が冷えた気がした。
コイツを殺した瞬間、何かが野に放たれた。
まるで枷を外された獣が檻から飛び出したかのような、嫌な気配。
思わず反転し、エントランスから再び玄関扉を蹴飛ばした。
そして、庭に飛び出してみれば。
「な、なんだお前等! 正気か!?」
「おいおいおい! 流石にソレは無しだぜ!?」
「武器は持っていなくても、それなりの対応をする! 良いよな!?」
大食い大会で見た四人。
一位の座を収めた二人と、五位の二人。
それが、仲間達に対して喰い掛かろうとしているではないか。
それこそ文字通り、喰おうとしているのだ。
人間とは思えぬ程大きな口を開け、相手が防御している腕に噛みつこうとしている。
彼等の肥大化させられた“欲”は、間違いなく食欲。
ソレを媒体に、先程のサキュバスに使われていたペットなのだろう。
だからこそ、主人が居なくなって暴走している。
だって既に、人を辞める程に入れ込んでいる者達だったのだから。
「うわぁぁ!」
アーシャが、悲鳴を上げて回避行動を取っていた。
でも、やはり未熟。
あのままでは、残る一人に齧られてしまうだろう。
私は回復魔法も使える。
即死しなければ、噛み千切られ様とも元に戻す事は出来るが。
だとしても。
彼の心の傷までは、回復魔法では癒せない。
そう思ってからは、決断を迷う事は無かった。
「あぁぁぁ!」
雄叫びを上げながら、全力で地面を蹴った。
今の姿形でも、あの四体程度なら消し去る事は難しくない。
しかし、気持ちが収まらなかった。
大地を蹴る脚は、より多くの地面を踏み締め。
届かぬ筈の腕の代わりに、首を伸ばした。
窮屈だと感じる事もあった“殻”を押し破る感覚。
肥大化していく身体、大きな羽を広げ、思い切り“敵”に対して牙を剥いた。
その結果。
「リオナ……ですか?」
四人をまとめ食いした白竜が、仲間達の前に姿を現してしまったのであった。
あぁ、くそ。
これは最悪だ。
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