第15話 怪しげなお話


「アーシャ様に寝室をご用意いたしました、どうぞ此方へ」


 メイドに案内され、先程の部屋とそう遠くない場所に足を運んでから、寝入ってしまったアーシャを横にすれば。


「リオナ様には、もう少々お時間を頂きたいと旦那様が――」


「あぁ、分かっている。さっきの部屋で良いのかな? それから、今度は珈琲ではなくお酒を頂けないかな」


「畏まりました」


 それだけ言ってから彼女は下がり、私は勝手に珈琲を頂いた部屋へと戻って来た。

 そこには当主の男と、大会で私達の給仕を務めてくれた初老の男性が。


「さて、ここからは大人同士でお話合いといこうか。アーシャ君に聞かせて、怖がらせてしまっても可哀そうだ。私の淹れた珈琲を飲んでもらえなかったのは、少々残念だが」


「お気遣いどうも、明日にでもまたご馳走してあげてくれ。と言いたい所だけれど……そんなにアーシャの事を気に入っているのかい?」


「それはもう、先程から言葉にしているではないか。養子にしたいというのも、嘘じゃないんだぞ?」


「そっちはお断りだけどね」


 なんて軽口を叩きながら彼の対面席に腰を下ろしてみれば、先程のメイドが部屋に戻り、私の前にはグラスが準備されワインが注がれていく。


「君は珈琲より酒の方が好きか?」


「どっちも好きだよ。ただ夜に飲むならお酒って気がしただけさ」


「なら、私も付き合おうかな」


 軽快に笑う彼が初老の……専属執事って感じなのかな。

 彼に視線を向けると一つ頷いた執事が、隣の部屋からカートに乗せて大量の酒瓶を持って現れるではないか。

 こういう席ではそれこそ互いにグラスを一つずつ手にしているだけで、机の上は普通大人しそうなモノだが。

 生憎と相手も此方に気を使うつもりも、気取るつもりもないらしく。

 テーブルの上には何種類ものお酒と、幾つものツマミが用意されていく。


「好きな物を飲んで良いぞ? 後で請求したりしないから、この機会に呑み比べでもしてみてはどうだ?」


「気前が良いね。見た事の無いお酒まで沢山……ねぇ、栓を抜いていない物ばかりだけど。本当に良いのかい?」


「あぁ、コレも私の趣味でな。こちらの見立てでは、リオナ殿は相当な酒豪とみた。であれば、今宵は楽しくなりそうだ」


 クックックと笑いつつ、彼は適当に取った瓶のコルクを抜いていく。

 それどころか執事まで座らせ、彼の前に置かれたグラスへ豪快に酒を注いでいくではないか。


「旦那様、あまりお客様の前では……」


「相変わらず固いなお前は。リオナ殿を見ろ、全く気にしていないだろうが。今日はお前も付き合え」


 権力者といえば、欲に塗れた性格が悪い奴等も結構見て来たが。

 彼の場合は随分と気安い様だ。

 そして何より、その権力を振りかざして来ない。

 アレをやられてしまうと、此方も抵抗する他無くなるので困る。

 しかし今回は、その必要が無さそうで良かった。

 フッと息を溢してから、先程メイドがワインを注いでくれたグラスを傾けてみれば。


「ほぉ、舌触りの良いワインだね。赤ワインなら、もう少し癖が強そうなモノなのに」


「それなりに良いお値段ではあるが、皆が手を出せる程度のモノだな。お客様に出すには少々安く見ているという印象を受けるかもしれないが、しかしこの街では“馴染みのある”良い酒と言う訳だ。リオナ殿は、コレをどう評価する?」


 どうやらアーシャだけではなく、私でも遊んでいる様だ。

 まぁ、何でも良いけど。

 もう一口頂いて、今度はしっかりと味を確かめていく。

 ワインに詳しい人物なら、見た目や香り、そして舌先で色々やって詳しい所まで分かるらしいが。

 生憎と私はソムリエと言う訳じゃない。


「此方も酒にそこまで詳しいと言う訳ではないからね、ただ美味しいと表現するしかないかな。万人受けしそうな柔らかい味わい、ブドウの渋みを随分と抑えた印象。鼻に抜ける香りはいやらしさの欠片も無い。だから、誰でも美味しく飲めるんじゃないかな。それから、コレに合わせるなら絶対お肉が食べたい。お高いと聞いた後でこんな事を言うのも何だけど、癖の強い肉でもコレがあればいくらでも食べられそうだ」


「流石は、アーシャ君の食の先生。と言った所か?」


「買いかぶり過ぎだよ。私はそう大したモノじゃない」


 何とかギリギリ合格は頂けたらしく、彼はニッと微笑んでからベルを鳴らす。

 するとメイド達がカートを押して入って来て、私の前にはいくつもの新しいツマミが用意されていくではないか。

 当主が用意したものはナッツやらドライフルーツだったが、今目の前に並んでいるのはまごう事無きお肉。


「アレだけ食べた後なのだ、不要だったかな?」


「いいや、頂こう。是非お酒と合わせてみたいね」


 とりあえず手近にあった皿から手を付けた。

 これはまた凄いな……お店で注文したら結構な御値段になりそうな厚切りのローストビーフ。

 昼間のステーキでも思ったが、彼が管理しているらしいお店は肉の扱いが上手いらしい。

 赤みが残る肉を客に出すと言うのなら、それだけ家畜の管理が上手く、更に言うなら衛生管理もしっかりしていると言う事。

 流石に野生動物では、赤身を残したまま食べるというのはキツイものがあるだろう。

 普通の人間なら、腹を下す恐れがある。

 鉄の胃袋を持つ者達や、私の様な存在であれば問題ないだろうが。

 そんな事を思いながらも、赤みの美しいローストビーフを口に運んでみれば。

 あぁ、これは旨い。

 厚切りであるからこその噛み応え、しかしやはり柔らかいお肉。

 しつこい感じもしないし、噛み切れないなんて事もない。

 しっかりと下味が付けられており、何より肉その物の旨味が強い。

 そしてすぐさまワインを口に運んでみれば……もはや見事という他無い。

 高い肉と酒ではあるが、酒の方は庶民でも手が出せる程度。

 これは、非常に良い物だ。


「それだけ旨そうに飲み食いしてもらうと、感想を聞くのが無粋に感じるな」


 ふぅと息を溢してみれば、彼等は楽しそうに笑い声を上げた。

 とはいえ、本当に美味しかった。

 アーシャがお酒を飲める歳になったら、絶対にコレを試して貰おう。

 きっと良い反応が返ってくるはずだ。

 しかし今は先の事ばかり見ている状況ではなく。


「私としては酒と肴を堪能してお開きでも構わないが、本題があるのだろう?」


 フッと笑みを浮かべてみると、彼もまた口元を吊り上げた。

 先程の様な珈琲や酒道楽とは違い、まぎれもなく貴族という表情。

 良い悪いではなく、“人を使う”人間の顔をしていた。


「少々きな臭い話が小耳に入って来てね。なんでも私の首を狙っている者達が、この街に蔓延っているらしい。おぉ、怖い怖い。この平和な時代に、まさか暗殺に怯えなくてはいけないとは」


「何か恨みを買う様な事をしたのかい?」


 やけに演技掛かった動きで、相手はそんな事を言ってみせた。

 確かに、この時代によくもまぁ……とは思うが。

 とはいえ、人間とはそういう生き物。

 自らの利益の為、鬱憤を晴らす為に他者を傷付けるなんてのはよくある事だ。


「まさか、自慢じゃないが私は後ろ暗い商売は一切していない。人生全てを食文化に捧げる勢いで、まっとうな事業を行っている。ブドウ畑から農業、牧場に食品を管理する施設まで。彼等が安心して、そして確かに稼げる為の取り組みに注力して来たつもりだ」


 これまた役者の様な身振り手振りで、大袈裟に表現した相手だったが。


「その言葉を信じるのであれば、単純に稼いでいる者を妬んだ。もしくは君の立場を奪おうとしている者が狙っていると言った所か。相変わらず人間とはおかしな事をするね? 自らが強くなろうとするのではなく、他者を蹴落とそうする。理解は出来ても、共感は出来ないよ」


「面白い表現をするものだ、まるで自らは人間ではないかの様な」


「さて、どうかな。この歳まで根無し草を続けていれば、そう言う人らしい感情が薄れたっておかしくはないだろう?」


 相手は演技を止め、ニッと口元を吊り上げた。

 しかしながら今回ばかりは作り物の笑顔では無く、獣の様に八重歯をむき出しにして笑っていたが。


「私に何を依頼したい? 酒の席なんだ、ゆっくり話を聞いても良い所だけど。結論だけは先に聞いてしまいたいな」


「物凄く単純に言葉にするのなら、助けて欲しい。見た所、君はただ者では無いな? ウチの執事が警戒して、給仕役を自ら代わったくらいだ。つまり、“戦闘能力”が高い証拠だ」


 おや、偶然彼がウチの席に付いたという訳では無いのか。

 それもまぁ、確かに話を聞けば納得と言う所だが。


「どう助けて欲しいんだい? それによって、対処も判断も変わって来る」


 そういってワインを飲み干してみれば、すぐさま執事がグラスを代えて新しい酒を注いで来た。

 ほぉ、今度は炭酸が入っているのか。

 シュワシュワと美しい空気の粒が浮き上がっているのが見える。

 この街が、というよりこの家が食に関して妥協していないというのは本当の様だ。

 言葉ではなく、実績がこの目で見えるのは良いね。


「今日の大会で優勝した二人と、五位に収まった二人。計四人を雇っているのは、少々厄介な家でね。私の事を目の敵にしているんだ」


「あぁ、アレらは同じ家から差し向けられた刺客って事かい? でも、何故あんなお遊びみたいな大会に? まさか君自身をバクリと食べるタイミングを見計らっていた訳ではあるまい?」


 冗談を交えながら、頂いたお酒を口に含むと。

 あぁ、コレは凄い。

 上質、そういう他無いだろう。

 口の中でシュワシュワと泡が躍り、酒を飲んでいるだけでも満足してしまいそうだ。

 コレに合わせるなら……肉も良いけど、乾きモノが良いな。

 などと思っていれば、テーブルの反対側にあったツマミを此方に寄せてくれる執事。

 いや本当に気が利くな、この人。

 私の旅に同行してくれないかな。


「きな臭い話だと言っただろう? その家は少々古臭い品を集めるのが好きでね、しかしなかなかどうしてセンスが良い。それらを元に、店の内装なども拘り名を上げて来た家とも言えるのだが……今回、とは言ってもそれなりに経つが。ソレらを使って行使したのが……悪魔を降ろすという術。それが成功したという話が出てきている」


「悪魔、悪魔ねぇ」


「信じられないか?」


「今の時代で言うのなら、ね。でも悪魔は実在するよ」


「ほぉ? 術師さえほとんど居ない世の中で、悪魔を否定しないのか」


「あぁ、戦った事が何度かあるからね」


 言葉を返しつつツマミをパクパク、お酒をゴクゴク。

 うん、シュワシュワするお酒には乾きモノが合う。

 ツマミを食べて水分が少なくなった口内を、炭酸がまとめて洗い流しくれるかの様だ。

 これは美味しい。


「それで、本物の悪魔だった場合。私の様な者はどうすれば良い? 相手はどうやったら倒せる? 生憎と我が家には、術師は居ないんだ」


 悪魔に有効なのは魔法、そして光や聖水。

 そんなお伽噺を、信じているのだろう。

 いや検証する術が無い故に、それしか情報が無いと言った方が正しいのか。

 しかしながら、戦闘なんて言うものは絶対的な攻略方など存在しない。

 それでもあえて一つだけ挙げるのであれば。


「この世に存在し、実体を持っているのなら」


 もう一杯おかわりを頂きながら、彼に向かってクスクスと笑い声を溢す。

 見た事が無いから恐ろしい、情報が無いからこそ必要以上に警戒する。

 それは非常に正しい行いだ。

 しかしながら、恐れ過ぎれば……それは“隙”に代わる事だってあるのだ。


「非常に簡単、物理で叩き潰してしまえば良い。例え悪魔だとしても、存在するのなら殺せるさ」


 戦闘において何にも負けない攻略法。

 そんなものは、圧倒的な火力の他に無い。

 実際、昔出現した悪魔は噛み砕いて退治したし。

 美味しくはなかったが、まぁ殺せない事は無いだろう。

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