第14話 珈琲と共に


 結果、私達は三位入賞と言う結果を収めた。

 可もなく不可もなく、丁度良い成績と言った所だろう。

 毎年参加している者達には申し訳ないが、それでも程良い金額が手に入った上に。

 あまり目立たずに済んだというのもありがたい。

 と、言えれば良かったのだが。


「坊主、俺達と一緒にチキンを食いに行かないか? なぁに心配するな、全部俺達のおごりだ」


「あ、あの……えっと。もうお腹いっぱいなので……」


「何を抜かすか筋肉兄弟、四位の分際で。ココは二位の我々が少年に奢るべきだろうが。ホラ、何が食べたい? なんでも言ってみろ、このカレーおじさんがどこへでも連れてってやるぞ?」


「い、いえですから……ちょっともう食べられないというか……」


 アーシャが、なんか滅茶苦茶絡まれていた。

 特に二位の人と四位の人。

 カレーとチキンの四人だ。

 何やらアーシャが食事に対して残した感想が随分と気に入ったらしく、表彰と賞金が授与されてからはずっとこんな感じ。

 まぁ確かにアーシャのお陰で店の人達から加点を頂き、私達はここまで上って来た様なモノ。

 だからこそ文句は無い、というか当然だと言っても良い光景だろう。

 しかしながら、筋肉ムキムキと貴族風おじ様にアーシャがもみくちゃにされているのは、少々気に入らない。


「申し訳ありませんが、この子は私のなんで。勝手に誘わないで貰って良いですか?」


 ムスッとしながらアーシャを男臭い環境から引っ張り出し、私のローブの中に隠してみれば。

 彼等は軽快に笑い声を上げ。


「ダハハッ! すまねぇな、お嬢さん。アンタも凄かった、是非とも今度一緒にチキンを食いに行こうぜ!」


「おぉ、挨拶が遅れてしまったな。これは大変失礼を。しかし母君、この子の舌は素晴らしい。是非私のお勧めのカレー屋に同行願いたい」


 私が絡んだ所で、二人の勢いは大して変わらなかった。

 おぉ、凄い。

 こういう人達が、多分食文化の進展に貢献してるのだろう。

 だからこそ、悪い気はしないが。

 でもアーシャだけ持っていかれるのは嫌だ。

 この子は私ので、美味しいモノを教えるのは私の役目なんだ。

 とか何とか、二人に対して威嚇していれば。


「リオナ様、アーシャ様。こちらからもお誘いしてよろしいですか?」


 背後から、私達の席の給仕を担当した男が話しかけて来た。

 人間で言えば初老、と言って良いのだろう。

 そんな彼が、深く頭を下げながら挨拶して来たではないか。


「先程は世話になったね。それで? 私達の様な旅人に何故そこまで関わろうとする? 君、結構位の高い家に雇われているよね? 雰囲気からして分かるよ」


 それだけ言ってみれば、彼はフフッと笑いながら顔を上げ。

 非常に緩やかな表情で微笑を溢していた。


「えぇ、一応そういう立場にある者で間違いはございません。そして今回の試合を見て、主人がお二方を気に入ったそうで。だからこそ屋敷にお招きしたいというお誘いになります。もちろん、無理にとは言いませんが」


「断った場合、何があるのかな?」


「何もございません。あぁ、敢えて一つ言うのであれば……とても美味しい珈琲の飲む機会が失われるくらいですかね?」


 彼の言葉に、ローブの中に入ったアーシャがビクッと反応を示した。

 そんなに美味しかったのかい? あの珈琲。

 今でも何か言いたげに、ローブとお腹の間でモゾモゾしているけど……。


「はぁ……まぁ珈琲くらいなら、まだアーシャも付き合えるかな。どう? アーシャ、もう一杯珈琲飲みたい?」


 ローブを開いて、お腹に閉じ込めていた彼に対して覗き込んでみれば。

 彼はプハッとばかりに大きく息を吐き出した後。


「飲みたいです!」


「これはまぁ、決まりかな」


 思わずため息を溢しながら、相手方に良いお返事を返してしまうのであった。

 執事らしき彼は、とても満足気な笑みを浮かべていたが。


「宿としても、ご期待くださいませ。本日は此方で全てご用意いたしますので」


「おぉ、それは凄い。出費が浮いて私達も嬉しいばかりだ。しかしながら……ちょっと聞きたい事もいくつかあるんだけど、良いかな?」


「そちらは屋敷に着いてから、で如何でしょう?」


「ほほぉ、私が警戒しているのが君の勤めている家では無く、他の事だと察してるんだ」


「私の若い頃であれば、少しばかり“そういう時代”を齧っていますから。貴女の瞳を見れば、大体は」


「本当に、有能だね」


 そんな会話を交えつつ、私達は彼が仕えているという主人の元へ向かう事になった。

 残る四人、というか代表者としては二人なのか。

 カレーの人と、チキンの人。

 このお二方には、後日付き合うという約束をしてから。


「こんな平和な世に、物騒な物が紛れ込んだモノだね」


「えぇ、旦那様もここ最近ソレを気にしております。だからこそ、少々お力添え願えないかと」


「ソレばかりは、条件次第かなぁ。私は既に、“ただの旅人”に成り下がった訳だし」


 なんて事を話しつつ、私達は馬車に乗せられた。

 アーシャに関しては何が何やらって顔をしていたが。

 あの老人、どうやら気が付いていた様だ。

 今回の行事で一位と五位の座を勝ち取った者達。

 アレは、普通の人間じゃない。

 私と同じように変異しているだけの、別の生き物だ。

 もしかしたら元人間という可能性はあるが、あそこまで“染まって”いれば手遅れという他無い。

 そして間違いなく、此方に興味を持っていた。

 だとすると……。


「アーシャ、私とずっと一緒に居るんだよ?」


「えぇと? いつも一緒に居る気がしますけど」


「それでも、さ。私の居ない所で何かに巻き込まれても、すぐに助けてあげられないからね」


「えと、はぁ……分かりました」


 いまいち事態が掴めていないらしいアーシャは、私に疑わしい視線を向けて来るのであった。

 それでも、警戒しておくに越したことはない。

 私と同じような存在が、この街に紛れ込んでいるのだ。

 もしかしたら……久々に戦闘になるかもしれない。


 ※※※


「はぁぁぁ……なんだいコレは、とても美味しい」


 リオナが、珈琲を一口飲んでから非常に大きな温かい溜息を溢してた。

 そして、対面席に座るのはやけに豪華な服を身に纏った貴族様。

 いやいやいや、普通に安堵できる状況では無いんですけど。


「お二人共沢山食べた後だからな。夕飯に誘うよりお茶に誘って、更には我が家を宿としてご招待した訳だが……いかがだろうか? 今日は泊まっていってくれるか?」


 対面席の貴族も、随分とワクワクした様子で招き入れてくれた訳だ。

 普通あり得ないでしょ、こんな状況。

 こっちは旅人、素性も知れない馬の骨。

 だというのにお屋敷に招待して頂き、しかも先程の珈琲までご馳走になっているのだ。


「あ、あの……失礼ながら、申し上げます。何故我々の様な下々の者を――」


「アーシャ君と言ったな? その様な言葉遣いは不要だ、むしろいらん。大会時の様な、素直な言葉で語ってくれ。頼む……私はソレを渇望しているのだ。君は凄く良い、とても良い! 美味しそうに食べる仕草、ウチの料理を食べて笑う表情。そして何より、珈琲に関しての理解度の高さ! 私も珈琲が好きでね、この味わいを本当の意味で共感出来る人間を探していたんだ! そちらのリオナ殿が許可してくれれば、我が家で養子に取りたいくらいだ! もしくはウチの客引きとして働いてみないかい?」


「アーシャは私のです。お断りします」


「だろうね。だからこそこうしてお誘いをして、一緒にお茶の席を設けているんだ。ささっ、飲んでみてくれ。私のお気に入りの珈琲なんだ」


 反論したリオナを尻目に、目の前の男性はガンガン珈琲を勧めて来る。

 だ、大丈夫かなこの人。

 とか思いながらも、いただきますと口にしてから珈琲を啜ってみれば。

 なんと、まろやかな味わいか。

 珈琲と言えば刺激物、飲めば飲む分だけ身体に悪いし眠れなくなる。

 そんな風に言われてしまうが。


「あぁ……なんでしょう。俺も詳しい訳ではないので、難しい事は言えませんが。とにかく、落ち着きます。まるでこの香りと温かさに包まれているみたいに。簡単に言うと……」


「簡単に言うと?」


「すっごく穏やかな気持ちになって、眠くなります。珈琲の成分はほとんど変わらない筈だから、おかしな感想だってのは分かりますけど。でも……眠くなります。それくらいに落ち着く香りと柔らかい味わいです。俺はコレ、凄く好きです」


「素晴らしい! アーシャ、君の感覚はとてつもなく素晴らしいよ!」


 彼は随分と興奮した様子で立ち上がり、メイドに新しい豆やら何やらを準備させた。

 慌ただしく目の前のテーブルに用意されたそれらを見つめながら、ボケッと珈琲を頂いていれば。


「リオナ殿、しばらくアーシャ君と二人で話したい。席を外せとは言わない、変に口を挟まないでくれ。彼の率直な意見が聞きたい」


「……良いだろう」


 そんな会話が聞こえて来たと思えば、彼は珈琲豆をその手に持って此方に近付けて来た。


「どうだ? コレは私自ら焼いているんだ。香りの違いまで分かるか?」


「すみません、そこまで専門的な内容になるとちょっと……良い香りだとしか」


「良いんだ、大丈夫。分かってくれればちょっと嬉しかったなと思うだけで、こればかりは私の趣味の領域だ。押し付けるつもりは無い……しかし、ここからだ。今から豆を擦るぞ? この匂いから堪能してくれ」


 やけに良い笑顔の男性は、その豆を器具に放り込みゴリゴリと擦り始めた。

 すると、何と言う事だろう。

 とても良い香りが室内に充満するではないか。


「凄いですね、匂いからでも分かります。コレは凄く良い珈琲豆だ」


「分かるか?」


「えぇ、何となく……にはなってしまいますけど。普通ならこの時点で結構強い匂いが漂って来そうなモノなのに、この距離で嗅いでいてもそれが無い。何故でしょうか? どんなに良い豆を使っていてもお湯に浸す前は強い香りを放ちそうなモノなのに」


「それはな、アーシャ君。仕事として作っているか、趣味として作っているかの差なのだよ。この段階から楽しんでいる人間が淹れる珈琲は……とにかく旨い。そういうのを楽しみたい人間は、この為に環境から作るんだよ」


 彼の言葉に視線を動かしてみれば、あぁ確かに。

 なるほどと納得してしまう空間が広がっていた。

 この部屋は、やけに広い。

 そして窓も開けてあるし、他に花などの匂いが強い物も一切置いていない。

 仕事で珈琲豆を砕いている現場であれば、ここまで贅沢な空間は作れないだろう。

 だからこそ、彼が擦っている豆の匂いに集中出来る。

 濃すぎる訳でも無く、他の匂いに邪魔される訳でも無く。


「あぁ……凄く良い香りです」


 一言呟いてみれば、彼は満足気に微笑み。

 擦り終った豆を紙皿に入れカップに乗せる。

 そして、お湯を注いでみれば。


「素晴らしい、という他ありません」


「分かってくれるか? この瞬間の感動を、君なら分かってくれると思ったんだ」


 トクトクと注がれていく、ただのお湯。

 だというのに砕いた珈琲豆を通過し、カップに流れ落ちていく際。

 それはただのお湯では無くなるのだ。

 間違い無く珈琲という代物に変化し、周囲に先程よりもフワッと香りを広げていく。

 湯気が立ち上るのと同時にその柔らかく香り高い匂いを乗せ、鼻を擽る様に広がっていくみたいだ。

 そしてやはり、この珈琲の香りは……“落ち着く”。


「この香りだけで、安らかな眠りに誘われてしまいそうです」


「本当に素晴らしいよ君は。舌も鼻も、そして言葉も達者だ。本当にウチの子にならないか?」


「おいコラ金持ち、アーシャを取ろうとするな。でもまぁ、確かに良い香りだね」


 口を挟んで来たリオナだったが、言葉に反して機嫌は良さそう。

 クンクンと鼻を揺らしながら、彼女もこの香りを楽しんでいる様だ。

 だがしかし、今の俺にとってはこの香りが良くなかった。

 先程一杯頂いた影響もあるのだろうが、物凄く落ち着きすぎてしまったのだ。

 つまりはまぁ、眠くなる。

 物凄くいっぱい食べた後だし、緊張のしっぱなしってのもあるが。

 今は大物貴族様のお家にお邪魔している訳だし。

 だからこそ、何が起こったかと言うと。


「アーシャ、大丈夫かい?」


 やはり眠くなってしまい、眼を擦っていれば。

 いつも通り、リオナが俺の事を抱き寄せる。

 その際に感じる彼女の体温、そして柔らかな香りは。

 この珈琲以上に眠気を誘うのだ。

 彼女の傍に居れば安全だ、守って貰える。

 ソレを本能で感じているかの如く、この人の匂いは凄く眠くなる。

 というか、警戒心が一気に解ける感じと言った方が良いのか。

 とにかく、安心してしまうのだ。


「リオナ、ごめんなさい……ちょっと、今日は限界かも……」


「良いよ、お休み。特に今日は頑張ったからね、偉いよ。ゆっくり、おやすみなさい」


 彼女からそんな言葉を貰ってしまえば、意識を保っている方が難しくなる。

 もう休んで良いんだ、リオナに甘えて良いんだ。

 そんな欲望が解放され、大人しく目を閉じて彼女の膝に頭を乗せてしまった。

 あぁ、今日は疲れた。

 人前にも出たし、勝負事でいっぱい食べた。

 だからこそ、彼女の膝の上で全身の力を抜いてみれば。


「おやすみ、アーシャ。良い夢を」


 リオナの掌が、優しく瞼を押さえて来るのだ。

 そして周囲からは優しい珈琲の香り。

 こればかりは、眠気に抗う方が難しかった。

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