第7話 失敗と囁き声


「はぁぁ……さっぱりした」


 風呂付きの宿を選んで、本当に正解だったと思う。

 アーシャも言っていたが、大浴場がある様な宿ではゆっくりお湯に浸かる事も出来なかった。

 むしろソレさえ無いのであれば、お湯で湿らしたタオルで身体を拭く等など。

 色々と対処方はあったのだが、でもやっぱり風呂は良い。

 ポカポカと温まる身体、解れる筋肉。

 そして何より。


「どうぞ、用意してありますよ。リオナ」


「ありがとうアーシャ! コレを待っていたんだよ!」


 彼が差し出して来た物を受け取り、腰に手を当ててグビリッ! とソイツを喉の奥に流し込んだ。

 キンキンに冷えた牛の乳。

 コレがまた、最高にこの瞬間と合うのだ。

 プハッ! と口を放してからアーシャに向き直ってみれば。

 妙に顔を逸らしている。

 思春期め、薄着だからといってそこまで気にする事ではないだろうに。


「ホラ、アーシャも入って来な? 君の分の牛乳も冷やしておくから。私が魔法で、パパッとね」


「い、行ってきます……でも、もう少し服を着てから出て来て下さい」


 赤い顔のまま、彼は風呂場へと向かって行った。

 最初の頃は何を言っても無関心、無感情だったのに。

 随分と人らしくなったものだ。

 今では齢数百年という竜人にだって、あんな態度を示すのだから。


「ま、十代前半の子供だからね。まだまだ色んな物に興味津々といった所か」


 クックックと悪い笑みを浮かべながら、彼の為に取っておいた牛乳を魔法袋から取り出し、果汁を混ぜていく。

 どこかの国で飲んだ、フルーツ牛乳というヤツだ。

 アレはかなり甘かったから、幼い彼はきっと気に入る事だろう。

 でも果汁だけであそこまで甘くなるか? いやならないだろう。

 と言う事で、液体砂糖の類も混ぜ込んでみた訳だが……これ、大丈夫かな?

 少々不安になりつつも、以前呑んだ飲み物を思い出しながら味の調整をしていれば。


「ただいま戻りまし……何やってるんですかリオナ! まださっきの格好のままじゃないですか! そんな薄着じゃ風邪ひきますよ!?」


「あ、いや。アーシャの為の特製ドリンクを作っていたのだが、なかなか配合が難しくてね。というか上手く行かなくて」


「どうでも良いですから服を着て下さい服を! あぁもう、髪も乾かしていないじゃないですか! ほら、こっちに来て下さい。俺が乾かしますから!」


 風呂上りのアーシャに怒られてしまい、大人しく髪の毛を乾かされる事になってしまった。

 魔道具を使って乾かしているとはいえ、私の髪の毛長いからなぁ……先にアーシャの髪の毛を乾かしてからでも良いんだけど。

 何てことを思いながらチラッと視線を向けてみれば。


「ホラ、動かないで下さい。乾かし辛いじゃないですか」


「うぅ、ごめんね」


 お風呂から上がってすぐの、体温ポカポカ状態で飲んで欲しかったのだが。

 生憎と私が作ったモノは未完成。

 更に調合の手間を考えたら、時間的にもぬるくなっているかもしれない。

 だとすれば、こればかりは失敗だったと言って良いのだろう。

 普通に冷えた牛乳を差し出してあげればよかった。

 はぁぁ、と大きな溜息を溢してみれば。


「どうしました? リオナ」


「いや何、昔飲んだ“フルーツ牛乳”というヤツを飲ませたかったんだけどね。幼い子なら好きな甘さかと思ったんだけど……作り方を詳しく聞いていなくて、上手く出来なかったんだよ。それにぬるくなってしまった、ごめんよぉ……今更冷たい物を飲んでも身体が冷えてしまうよね。うぅぅ……」


 数百年も生きている竜人だと言うのに、子供が喜ぶ飲み物一つ作れないとは。

 非常に悲しい結果になってしまい、我ながら情けない笑みを溢していれば。

 彼はテーブルの上に置いてあった瓶を手に取り、ゴクゴクと一気に飲み干した。

 そして。


「うーん? 何か、甘い様な酸っぱい様な?」


「ごめんねぇ……本当ならいろんな果汁の甘さが口に広がる筈なんだけど。あ、でも傷んでる訳じゃないから、そこは心配しないで? 私の配合ミスだから」


 すまない、アーシャ。

 私の力ではコレが限界だった様だ、嫌わないでおくれ……。

 ヨヨヨっとばかりに彼にしがみ付いてみれば、アーシャはニッと微笑みを溢し。


「リオナでも失敗する事があるんですね」


「そりゃあるよ、むしろ失敗ばかりだよ……」


 弱音を吐いた瞬間前を向かされ、再び魔道具によって髪の毛を乾かされる。

 はぁ、情けない所を見せてしまった。

 私としては、アーシャには良い所だけを見せたかったのに。

 などと考えている内に。


「俺は、嬉しかったですよ」


「うん?」


「動かない」


「はい」


 髪の毛を乾かされながら、アーシャが不思議な事を言って来た。

 嬉しいとは、どう言う事だろう?

 さっきのフルーツ牛乳だって、そんなに美味しい物じゃなかっただろうに。

 それでも、背後からはクスクスと笑い声が聞こえ。


「リオナでも失敗するんだなって、感じる事が出来ました」


「えぇ……それは嫌味なのかな?」


「より一層好きになったって事です」


「そうなの? でも私の失敗を見せるのは嫌だなぁ」


 そう呟いてみれば、彼は今まで以上に楽しそうに笑いながら再び私の髪の毛を乾かし始めた。

 もう、性格が悪いんだから。

 人の失敗を見て笑うタイプでは無かったと思ったのに、随分と緩い声を上げているアーシャ。


「同じなんだなぁって、思えて。俺は嬉しいです」


「人間とって事? そりゃそうだよ、竜人だからって全部上手く行くはずがない」


「そうですね。全ては経験、ですもんね」


「その通り、経験無くして結果は訪れない。だからこそ……ごめんよぉ、美味しく作れなくて……」


「大丈夫ですから、本当に。不思議な味でしたけど、リオナの作ったモノはいつも美味しいです」


 私の失敗を励ますかのように、アーシャはいつまでも楽しそうに笑っていた。

 今度は絶対美味しい物を作ってやるんだからな?

 食べたり飲んだりした瞬間、カッ! てなるほど衝撃的なモノを作ってやるからな?

 そんな事を考えながら、私は大人しく髪を乾かされるのであった。

 ちなみに。

 こういう時だけ、アーシャは私にもお返しをさせてくれる。

 彼の短い髪の毛を乾かしながら、ワシャワシャと頭を撫でてみれば。


「リオナ、くすぐったいです」


「フフッ、良いじゃないか。反抗期に入ったら、こんな事もさせてくれなくなると聞いたよ? だったら、今の内に堪能しておかないと」


「そんな事を言われたら、今すぐ反抗期になってしまいそうです」


「おや? だったらもう少し優しく乾かした方が良いのかな? 眠れるくらいに、優しく乾かしてあげればアーシャも満足するかな? 耳掃除もしてあげるよ?」


「本当に眠くなるんで止めて下さい……」


 彼の声を聴きながら、本日も夜が更けていくのであった。

 色々失敗してしまったが、明日は美味しい物を食べさせてあげよう。

 そうすれば、今日の失敗だって払拭できるはずだ。


 ※※※


「ごーはーんーだーよー」


 アーシャの耳元で囁いてみれば、彼はすぐさま飛び起きた。

 凄い、私だったら未だ毛布に包まっている自信があるのに。

 この子は声を掛けるとすぐに起きるのだ。


「偉い偉い、声を掛けられてすぐに起きられるのは才能だよ。これなら将来も心配ないね」


 クスクスと笑いながら掌を叩いてみれば。

 彼は大きなため息を溢しながら。


「あの、ですね……耳元で囁くの止めてもらって良いですか?」


「うん? 駄目かな。私としては朝騒がしく起こされると、結構ストレスを感じるんだけど。だから出来るだけ静かに起こす努力をだね」


「だからと言って、耳元で囁く必要あります?」


「……うん? 可能な限り静かに起こして貰った方が心地よくないかい? まぁ良いや、朝ご飯を食べに行こう。露店も朝昼夜と姿を変えるんだよ? 美味しい物を食べに行こう!」


 彼が何に不満を覚えているのかは分からないが、とにかくご飯だ。

 朝、朝だよ!

 さっぱり系のご飯を売っていたり、昼間より安かったり色々なんだ。

 コレを逃す手はない。

 そんな訳で、ちょっと早めにアーシャを起こしてみた訳なのだが。

 彼は、ガシガシと頭を掻きながら。


「すぐ準備しますから……ちょっとだけ後ろを向いていて貰って良いですか?」


「着替えを見られるのが恥ずかしいのかい? 年頃だねぇ、アーシャも。昨日だって一緒に寝たのに、フフッ。いいよ、それじゃ待ってるから」


 それだけ言って背中を向ければ、やけにバタバタと着替え始めるアーシャ。

 もう、そんなに慌てなくても良いのに。

 でもまぁ、それだけ旅を楽しんでくれていると言う事なのだろう。

 街の朝、市場の朝。

 それはもう、心が躍る。

 新鮮な品物が並ぶ上に、露店だって仕入れたばかりの物品を早速調理する。

 材料の鮮度で、ここまで違うのかと言う程に味が違う。

 楽しみだ、非常に楽しみで仕方ない。

 この街は、いったいどんな顔を見せてくれるのか。

 などと思いながら、アーシャから視線を逸らして待ちわびていれば。


「はぁ……本当に食い意地ばかりなんだから、この人は。ホラ、涎拭いて下さい。行きますよ」


「おっと、コレは失礼。では行こうか、朝の市場と露店へと」


 渡されたハンカチで涎を拭いている間に、アーシャはスタスタと部屋を出て行ってしまう。

 何か怒らせる事をしただろうか?

 なんて疑問を抱きながら、後ろから手を繋いでみれば。


「ウロウロして逸れないで下さいね」


 ぶっきらぼうな台詞と共に、彼は此方の手をギュッと掴んでくれた。

 良かった、嫌われた訳ではないらしい。


「うん、それじゃ行こうか。新しいご飯へ!」


「はぁぁ……こればっかりだなぁ、この人は」


 相方からは溜息を頂いてしまったが、それでも私達は早朝の市場へと足を向けた。

 新しい街に来たら早起きをしろ。

 これこそ、私の決めたルール。

 せっかく訪れた土地なのだ、より多くの事を知ってから去らなければ勿体ない。

 それこそ、食なんていうモノは。

 兵士であれば一日二食、朝晩だけ。

 時間のある一般家庭や労働者なら朝昼晩の三食。

 お昼はそれこそ、お弁当か近くのお店で簡単に済ませる。

 ソレが普通。

 でも何故、勿体ないと思わないのか。

 人間の食事は多くて日に三回。

 間食を含めても、五回程度が限界だろう。

 だが、この世界にはどれ程の料理がある?

 例え一日五食でも、一年で千八百回程度の食事。

 その程度で網羅できる数ではない料理が存在するのだ。

 だとすれば、普通の人間の寿命で考えれば。

 毎日同じ物で済ませる等、“非常に勿体ない”と言う他無いだろう。

 長寿の私だって、時間は有限だ。

 しかも時代が変われば料理も、そして味も変わる。

 だったら、ボケッとしている暇等一切ない筈なのだ。

 目の前に新しい物があると言うのなら、飛びつくのが当たり前と言うモノだ。


「珍しい物を食べようアーシャ! 美味しい物を見つけたら教えてあげるから、興味が湧いたら何でも言ってね! ソレも食べよう!」


「あぁぁぁ……この駄竜、食い意地ばっかり張ってる」


 未だ眠そうに眉を顰めるアーシャを連れて、私達はこの街の市場に踏み込むのであった。

 朝の市場、最高だよ!

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