エピローグ


「亜蘭! お前俺の法被どこにしたんだ! 次の曲で使うんだけど!」

「えっ嘘、無い? 下手舞台袖のめちゃくちゃ目立つところに置き去りにしたぜ」

「赤い法被? さっき二年生の誰かが回収してたやつは違う?」

「それそれ! あっ、後輩ちゃん待って! その法被これから九十九が使うやつ!」

「音々野々先輩! 幕間の曲紹介もういけます!」



 二月某日、百鬼総合和太鼓部の定期公演が行われているホールの舞台裏。

もうすぐ次の曲に移るタイミングだというのに、間宮が怒号を飛ばして慌ただしく駆け回っている。


 大揉めする音々野々らの横で、入りたての一年生がそわそわと落ち着きなく最上級生である彼らの動向を見守っているが、やがて杜若が不安を払拭するようにふわりと笑いかけた。



「すぐ解決するから大丈夫だよ。こんなのいつものことだし。亜蘭くんMC入れる? あと法被は僕が今すぐ取りに行くから、九十九くんはバチとか取りに行って」



 てきぱきと狼狽える音々野々や叱り足りないといった様子の間宮に次の動きを指示し、杜若自身も間宮の法被を回収するため駆け足で幕の間に消えていく。

 入部当時と比べてだいぶ体形は標準に近づいたが、鍛えた分筋肉量が増えたので体重はそこまで激減しなかったらしい。



「ほら九十九くん怖い顔しない。せっかく初春先輩たちが来てくれてるんだから良い所見せなきゃいけないんでしょ? じゃあ完璧に仕上げてこう」



 パンと杜若が手を叩いてその場の空気を引き締める。


 初春らの代が出場した全国大会では、やはり高文連と同じように優秀賞と優良賞のみの発表が行われ、東京都代表として出場した百鬼総合は入賞を逃した。

その次の年、寿屋や志貴が最上級生となり挑んだ高文連では、鳳をはじめとした神々廻が全国大会出場を奪い返す展開となり、惜しくも総合二位となる優良賞受賞という結果に終わった。


 意外にも寿屋らはその結果に大して悲しむ様子はなく、結果発表が終わった直後すら悔しさの涙を流さず、翌日にはケロリと部室にやってきた。

後に話を聞いたところ、寿屋はいつもの掴み所の無い笑顔を浮かべながらこう言った。



『別に結果は何でもいいもん。雅とあそこに立ちたかったから、それが叶えばもう十分』



 多少なりとも悔しい思いを抱いていた音々野々が、自分の味方をして欲しいが為に寿屋が口にしたことをそのまま志貴に伝えたところ、彼も彼で心底嬉しそうに顔を綻ばせながら同じような答えを口にしたのだ。



『あはは、理央らしいですね。でも僕は理央だけじゃなく、亜蘭たちと一緒に叩けたこと全てが宝物です。これでは満足しませんか?』



 太鼓の種類すら知らずに入部した頃から変わらない志貴の穏やかな笑顔に、同意してもらえなかったという気持ちは霧散して、途端何も言えなくなってしまったのが約一年半前。


 そうして音々野々たちがメインで出場した今年の高文連では、再び百鬼総合が優秀賞に輝き、一月に全国大会出場を果たした。

今はそれが終わったばかりのやや駆け足状態で迎えた定期公演の真っ最中である。


 初期に比べ喜怒哀楽がはっきりしたとはいえ、在籍している部員の中では技術面で頭一つ分抜き出ている間宮は後輩たちからやや怖がられている。

接し方は丁寧なのだがどうしても近寄りがたいらしい。

スキルも高く的確な指示も出せるという志貴の推薦もあり、和太鼓部部長に就任した間宮ではあるが、よく副部長の杜若が後輩と間宮の間に入って四苦八苦している。


かつて彼よりも恐ろしく、それ以上の才能を持っていた柊千鶴を今の生徒たちは知らない。

そう思っているからこそ、間宮も自分を曲げてまで無理に後輩に合わせようとしないのかもしれない。あくまでも自分らしく、自分の心が決めたことに従って生きている。



「……よよに免じて許すけど、次やったら締めバチ一セット没収するから」

「怖っ。ごめんごめん、マジで気を付ける」



 軽い調子で謝りながら、明日葉と同じエースの肩書を背負う音々野々亜蘭が、近くに引っ掛けてあった法被に勢いよく袖を通す。

鮮やかな赤が一際目立つ、彼らしい衣装だった。



「じゃあ、俺MCいきます!」 



 未だ不機嫌そうに間宮がじとっと見つめる中、音々野々が快活に笑って狭い通路を足早に駆け抜けていく。


 部長を決めるとき、音々野々はどうかという意見も当然あった。

 彼の実力は平均以上であり、特に長胴太鼓では右に出る者はいない。

人当たりがよく、誰にでも分け隔てなく接する。彼がいると場が華やかになる。そんなポジティブな意見が多数寄せられはしたが、音々野々その一つ一つに感謝を述べ、一つ残らず断った。



『俺はエースでありたい。誰かの上に立つんじゃなくて、皆の前に立ちたいんです』



 音々野々がそう伝えた瞬間、当時の部長と副部長であった志貴と寿屋は、顧問である結城の前で腹を抱えて笑った。

 部長職の責任が負えないからではない。彼は自分自身がどうあるべきかを、誰よりも理解していたし、それを貫き通す覚悟があった。

先輩である寿屋が部長はどうだと提案したとしても、顧問の結城からその役職に誘われても、音々野々は正面切って断った。


 駆け抜けていく視線の先に、観客席から漏れる明かりが見える。それがだんだんと大きくなって、やがて自分を包み込むほど眩しくなっていった。


 これから向かう先にいる者たちは全員、百鬼総合の演奏を観に足を運んでくれた大事なオーディエンスだ。

自分たちの音を心待ちにして、一心に舞台を見つめて待っている。


 タッと軽やかに最後の一歩を踏み出した瞬間、いくつものスポットライトが音々野々を照らした。

 客席に座る人たちの視線が全て自分に注がれる感覚に、ゾクゾクと背筋が震える。


何度経験しても色褪せることのない高揚感。少なくとも普通の高校生が知ることのない特別な感情に、音々野々が気を引き締め直した。

そうして大きく息を吸い込んだ後、彼は満開の笑顔と共にお決まりの口上を高々と叫ぶのだ。



「祭りの準備は出来てますか!」

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絢爛たれ!百鬼総合和太鼓部 空亡 ありあ @aran_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ