第2章


 夏の和太鼓部はというと、地元を中心に夏祭りの公演依頼が多数舞い込んでいるので、そちらに週一回ペースで足を運びながら、平日土日問わず毎日登校して練習に励んでいる。

朝のうちは太鼓の音による近所迷惑の面を考慮し、アップダウンのある校舎周り約三キロのランニング、筋トレや体感を鍛える運動を二時間ほどして、ようやく太鼓を叩き始める。


 この時期で毎年数名の生徒が退部する。

お客様扱いだった部活内容が通常の部員と同じ過酷な内容になるので、それを乗り越えられないものがどうしても出てきてしまうのだ。

加え夏という天候が相まって、体力作りはより過酷なものになる。

 一年生の中で特に体重が重い杜若も今のところきちんと登校してはいるが、ランニングのタイムも周回遅れになったり、筋トレ中に根を上げてしまったりと、ドロップアウトは時間の問題と一部の生徒からは心配されている。


夏は学年問わず一年で最も過酷な季節だ。

 しかし、多忙な公演スケジュールがぽっかりと空く週が七月の前半にある。

和太鼓部にも合宿があり、毎年この時期に他県の外部講師の元へ習いに行っているのだ。

普段は土日を利用して講師の方から来てくれることが多いのだが、夏休みは必ず三泊四日合宿所に泊まり込む。



「俺たちの外部コーチとして色々と世話をしてくれる『祭』は海外でも演奏するトップクラスの演奏者と、専属の職人さんがまとまってできたグループだ。ここ最近は忙しくてあまり百総にも顔を出してくれなかったから、一年生は今日初対面だな」



 和太鼓集団『祭』と百鬼総合高校和太鼓部は古くから付き合いがあるらしい。

初春らが一年生の頃から既にコーチとして様々な曲を教えてくれていたし、定期公演には数名のメンバーが必ず見に来ている。

 初夏も通り過ぎ、すっかり蝉が我が物顔で鳴いている。辺り一面には何もなく、ただなだらかな長い上り坂がバスの正面に広がっていた。

 やがてバスが建物の前で停止し、部員が降車し始めた。大きなバッグが狭い車内を行き交う。

観光目的ではないので私物は最低限しか持参していないが、練習に備えて汗をかいた用のTシャツやタオルを大量に持ってきている者がほとんどなので、皆一様に大荷物だ。


 やがて全員がバスから降りた後、結城が先頭に立って工房と思われる扉を横開きに開く。

 その瞬間、ふわりとヒノキの匂いが辺り一面に漂い、優しい香りと同時に一人の男性が和太鼓部員たちを迎え入れた。



「久しぶりだな百総! 少し見ない間に何だか皆大人になったような気さえするぞ。いやぁ歳は取りたくないものだ! 若さにすっかり打ち負かされてしまう。よく来てくれた、待っていたぞ」



初めてその男、十條晴彦を前にし、一年らは唖然とした。

プロレスラーかと勘違いするほど屈強に鍛え上げられた筋肉を惜しみなく披露するかのようなタンクトップがより彼の存在の大きさを誇張している。

しかしながら彼が開口一番部員たちを歓迎してくれたこと、そして太陽のような明るい笑顔に委縮していた体が解れていく。



「お久しぶりです十條さん。今日から四日間、部員一同お世話になります」

「あぁ、こちらこそよろしく頼む。まずは荷物を運び入れよう。二、三年生は寝室へ後輩を案内してやってくれ。紫先生は別室を用意してあるから後で案内しよう」



 やや早口で十條がテキパキと指示を出すと、初春らが先導して言われた通り二階へと上がっていく。

初めて訪れる祭の工房に、音々野々が子供のようにキラキラと目を輝かせていた。

壁沿いに置かれたメンテナンス中と思われるいくつもの締め太鼓や、彫っている最中と思われるヒノキの撥。目にする何もかもが新鮮で、感じる全てに胸が高鳴った。


杜若は音々野々の興奮に気付いていたが、ふいと見て見ぬ振りをする。十條が挨拶をした時も、一人返事が出来なかった。

荷物を握りしめる手に力を込めたけれど、ピリッとした痛みにすぐに弛緩させる。



「……嫌だなぁ」



 全開にした窓から吹き込んできた風が、杜若の小さな本音を攫っていく。



「さて。まずは合宿中に練習する曲だが、何にするか考えてきているか?」



 合宿一日目。着いて早々太鼓を叩くことはなく、木造造りの練習場に全部員を集めてのストレッチから始まった。

その最中、平然と百八十度開脚をしながら十條がふと問いかける。


 祭での合宿中に練習する曲は学年ごとに一曲のみという暗黙のルールがある。

百総和太鼓部の曲のレパートリーは十数曲あるが、十條の意向で四日間必ず同じ曲を練習させていた。

現役プロ演奏者に直接教えてもらえるまたとない機会ではあるが、十條は一つの事を極める前に他に手を出すことを酷く嫌った。

個人のエゴといえばそれまでだが、揺るがない彼の理念が百総を作り上げたと言っても過言ではない。


 百鬼総合高校の特徴、そして他の和太鼓部よりも優れている点は一打一打の打ち込みである。

その為、百総の撥は他の高校に比べてやや太いものを使用している。

細かいリズムを叩かなければならない時は当然ドラムのスティックのような細いバチの方が良い。けれど、百総は部の創立以来ずっと祭の作るヒノキの太い撥を使用してきた。

 一回の打ち込みを疎かにしないように。一打に魂を込められるように。



「一年はまだ体力づくりの真っ最中です。ですが、根幹が出来上がってきているこの時期にきちんと基礎を入れたいと思っています」

「ふむ、そうなると『屋台囃子』辺りが妥当だろうな。ひたすら四日間基礎打ちを続けてもいいが、さすがに勿体ない」



 十條が口にした屋台囃子という言葉に、数名の二年の表情が曇った。

 屋台囃子とは、長胴太鼓と締め太鼓の二つがメインになる楽曲で、老若男女問わず様々な年代の演奏者によって、全国各地で演奏されている有名な曲の一つだ。

本来立って演奏する長胴太鼓を座って演奏するのが特徴で、足で抱え込むように長胴太鼓に向かう。一見座って叩けるのだから楽なのではないかと思われがちであるが、実際は腹筋と背筋を酷使する非常にハードな演奏曲であり、和太鼓奏者の中でも好き嫌いが分かれる。

 今の二年生も去年は同じように屋台囃子を徹底的に練習し、それぞれ苦い思い出がある。



「それで? 三年と二年はどうする。一曲ずつ選んでいいぞ」



 一年の曲が決まり、そのまま流れで十條が初春の目を見て質問すると、それまで凛と前を向いていた初春がふと視線を下げた。

 突然の沈黙に、明日葉を始め他の三年生も驚いたようにストレッチの手を止める。

事前の打ち合わせで既に学年ごと希望曲は決まっていたので、それを言うだけだと思っていただけに、初春が言い淀んだ理由が分からず、皆一様に困惑した表情を浮かべる。

 やがて少しの静寂の後、初春が大きく息を吸い込んで、どこか苦しそうにこう言った。



「俺は、二学年合同で爛華がやりたいです」



 初春が彼にしては珍しく少し不安そうに口にしたその曲名に、三年生が揃って息を飲んだ。

二年生の中でも志貴を含め数名が事態を察したように視線を彷徨わせていたが、寿屋は平然と口元に笑みを浮かべている。


 まとまっていたはずの答えを、部長であった彼がこの土壇場でひっくり返したのだ。

 嫌な沈黙が室内に流れたのを十條も察したらしく、初春の提案に返事はしない。



「俺たちで話し合ったやつと違えぞ、瑛人。十條先生の前で寝言言ってんのか」

「本気だ」

「……はぁ? 爛華なんか練習したってどうせ大会には出ないんだから意味ねえだろ」



 沸々と沸く怒りで青筋を立てた柊のドスの効いた低音に杜若が肩を震わせる。

今にも殴り掛かりそうな一触即発の状況だが、初春は姿勢よく正座したまま、柊ではなく十條を正面から見つめるばかりだ。

その態度がより柊を刺激することになっているというのに、初春は自らの意志を貫き続ける。


 爛華。

その曲は主に百鬼総合高校では大会用曲として扱われており、その難易度も他のレパートリーに比べて格段に高い。

長胴太鼓をはじめとしたほぼ全ての種類の太鼓を数多く使用し、時には複合して演奏する。さらに笛のソロパートもあり、個々の技術が際立つ一曲だ。

 作曲者は十條も所属している和太鼓集団祭の創設者であるので、彼も当然暗譜している。



「俺は別に爛華でも構わないぞ。それがお前たちの希望ならな」



 十條が凛とした声音でさらりとそう言い、生徒らの様子を窺うように一人一人と目を合わせていく。

彼の射貫くような瞳が今の初春や柊には鋭く刺さる。この選択からは逃がさないという明確な圧が手に取るように分かるからだ。


 再び練習場内はしんと静まり返り、内情が良く分からない一年生がずっと困ったように先輩らを窺っている。

あの柊が声を荒げないのは十條の前という事もあるだろう。不気味なほどの静けさが、居心地の悪さを助長していた。



「返答が無いようなら俺からの質問はここまでだ。時間にして十数分。これほどあれば一年生らのフォームを確認することが出来た。それを無駄にしたのはお前たち上級生だぞ」



 合宿所に迎え入れてくれた時の笑顔や、快活な笑い声が思い出せなくなってしまうほど、今の十條の顔は険しかった。

第一線で活躍するプロの演奏者である彼らしい考え方ではあったが、まだ若い初春らには酷く厳しいものである。



「すまないが三年生はこの場から出て行ってくれるか。今から一、二年生の練習を始める。この問題はお前たちだけで決めろ」



 裏表なく、どんな時も真っすぐに本気で接する十條の明確な拒絶の言葉に、もう誰も何も言えなかった。

 それだけ告げると十條はテキパキと練習の支度を始め、硬直した一年生に太鼓を出すよう指示を出し始める。

言われるがまま生徒たちが練習場を整え始め、三年生が取り残されたように何も出来ずにその場に立ち尽くしていた。

 そんな心の置きどころのない彼らの前に、ふと寿屋が後ろ手に手を組みながら立った。

いつものようにふわふわと口元を緩ませて、初春の顔を覗き込むように体を折り曲げる。



「顔怖いですよ、瑛人さん」



窓の外に広がる夏の風景とは対照的に冷え切った練習場に、寿屋の柔らかな声が響いた。

部屋の中にいる全ての者の視線が寿屋に向けられ、彼の次の言葉をどこか祈るような気持ちで待っている。



「俺は先輩たちと作る音楽が好きなんで。それがどんな曲でも、どんな舞台でも。だから後悔しないようにちゃんと悩んで下さい。待ってますから」



 本音を一切包み隠さず、誰もが言おうとして言えなかった台詞をいとも簡単に口に出してしまう寿屋を、少し遠くから志貴が眩しそうに見つめている。

 何と返そうか迷った初春が、言葉が選べず再び口を一文字にきゅっと閉じてしまった瞬間、寿屋がへらりといつも怒られた後にする緩やかな笑顔を浮かべた。



「あ、でもやっぱり早く練習したいんで、なるはやでお願いします」



 最後に付け加えられた寿屋らしい一言に、明日葉がくすりと笑って肩を落とす。

初春や柊と違い、明日葉はただただ傍観者として事態の流れを見守っていた。二人の事をよく知り、かつ同じ三年生である彼はこの切迫した雰囲気を打破する方法をいくつも持っていた。

嫌な空気を孕んだその場の適当なしのぎ方も、とりあえず問題を先送りにする方法も、初春の味方をして大会曲である爛華を押し通す術も、柊の隣に寄り添って大会から逃げる為の手段も、全て彼は知っていた。


けれど何も出来なかったのだ。

明日葉は、初春の自身最後になる秋の大会にかける思いの強さと、柊が味わった屈辱を伴う苦しすぎる経験の両方を、痛いほど分かっているから。


寿屋の顔には「もう何も言いません」と書いてある。後はよろしくと、声に出さずとも雄弁に語る笑顔だった。

その場に縫い付けられたように固まる初春の横を通り、明日葉が二人の間に入る。そうしてやんわり握った拳で寿屋の胸の真ん中あたりをトンと軽く叩いた。



「ありがとな寿屋。後は俺が何とかする」

「はぁい。その間に俺たちめちゃくちゃレベルアップしてますから、急いだ方が良いですよ」



 なぜか嬉しそうに笑いながら軽口を叩いた寿屋の微笑が明日葉に伝染する。そうしてくるりと体を反転させ、明日葉が今度は十條の方を見やった。



「こんな所まで来てまだ迷っていてすみません。でも、あと少しだけ待って下さい」



 夏休みもとっくに始まっているし、そもそも大会に出る出ないの問題は今に浮かんだものではない。

もっと前から解決出来たといえばその通りであるし、その欠点を十條が指摘することは容易かった。

 しかし、明日葉がその目に宿した光の強さに、十條は何も言わずに出口を手で指し示す。


 誰一人口を開かずに三年生が静かに退室していく時、明日葉が音々野々と目を合わせた。

偶然か、もしくは明日葉が狙って音々野々を射抜いたのか分からないが、刹那音々野々の呼吸が止まる。

 声には出さなかったが、「頑張れ」と言われたような気がした。



「心臓が止まるかと思いましたよ、理央。あまりハラハラさせないで下さい……」

「ごめん。でも初めてだもん。瑛人さんがあんなに折れないの。その我儘を応援したいなって思っちゃうのは俺だけじゃないでしょ」



ね?と寿屋が隣に立っている志貴に問いかけると、無言でじっと見つめ返される。

傍から見たらまた志貴に寿屋が怒られているように見えたが、しかし寿屋にだけは分かっていた。志貴も自分と同じ気持ちだということと、言葉にしてくれたことを誇らしく思っていることを。


 夏の香りと共にすぐ傍に広がる澄んだ青空と瑞々しい木々の緑を背景にウォームアップする一年生たちを見て、寿屋がふわりと笑った。

その表情は先ほどまでの二年生の顔ではなく、今この場の最上級生としての大人びたものに変わっている。



「多分大丈夫。俺の先輩たちだもん」



 寿屋の言葉に根拠はなかったし、実際三年生がこのままなし崩し的に壊れていってしまう未来だって十分考えられた。

それ程に彼らが一年生時に経験した大会は残酷なものであったし、それを切り札にされた初春が柊に言い負かされないかと問われれば答えはすぐには出せない。もしかしたらという可能性もある。


けれど寿屋には自信があったのだ。自分が一年間背中を見続けてきた初春ら三年生が、自分たちで正しいと思える道を選ぶことが出来ると。



「だから俺たちも頑張ろ。あの人たちに着いて来てって言われた時に、待ってなんて言わずに済むように」

 寿屋のその言葉に、志貴が少しの間を空けて「そうですね」と小さく呟いた。



「三年がどのような判断を下すか俺には分からないが、もしあいつらが今秋の大会に出るという選択をした場合、この中の数名は三年生と共に舞台に立つことになる。俺は君たちに太鼓の基礎や曲ごとの打ち込み方を教えながら、そのメンバーの選定をするつもりだ」



 一通りのトレーニングが終わり、ようやく太鼓を叩けるといった雰囲気の中、十條がそう高らかに言い放った。

突然告げられたそれは、オーディション実施の宣言に違いない。


 主に二年生たちの顔が強張る中、その表情の変化すら堪能するように十條がゆっくりと練習場内を見渡す。

当然そうだろうといった風にふんわりと笑う寿屋や、どうでもよさそうにしている間宮を眺めた後、両手を握りしめて硬直する志貴と目を合わせた。



「とはいえ構え過ぎても仕方がない。普段のパフォーマンスが出来なければ舞台に上がる資格は無いからな。気負わず力まず、まずは俺の教える全てを吸収してくれ。それが、今お前たちに出来る最善のアピール方法だ」



 緊張感が張り詰めた雰囲気を一掃するような十條の笑顔に、場が少しだけ和む。時に彼の言葉は空気を引き締め、時に温かく包み込む。

無意識で十條の言動に振り回されている生徒たちの疲労は体力面だけでは済みそうになかった。


 そんな中、ふと寿屋が手を上げて「先生」と甘ったるい声で十條を呼んだ。

この場で質問が出るとは予想していなかった十條が片眉を上げて彼の方に視線を動かす。

 視線の先にいた寿屋は、あの日音々野々たちの前で言い放ったことと同じことを、大先輩であり講師である十條の前で軽やかに口にするのだ。



「もし俺が三年生より上手く叩けたら、当然舞台に立てますよね」



 舞台上では年齢は関係ない。必要なのは技術だけ。

 それこそが寿屋の銘であり、たとえ立場も年齢も上の十條相手でも揺るがない信念だった。

一見柔らかで余裕そうな彼の微笑も、不遜といえば当てはまる。

だが、十條は叱るどころか嬉しそうにニィと口角を吊り上げるのだった。



「いやぁ今年の生徒は非常に愉快だな、紫先生。これほど難航する合宿は初めてだ」



夜、結城の部屋に十條がやって来て唐突にそう話し始めた。

三泊四日ではあるが、結城は体を動かす訳でも汗をかいて半日に一度シャツを変えるわけでもないので荷物は非常に少ない。

女っ気のない教育委員会が作った謎キャラクターのプリントされたエコバッグに最低限の着替えだけを詰め込んできた彼にとって、十條から与えられた部屋は広すぎた。


机の上に置かれた灰皿の上に行き場がない煙草の吸殻が積み上がっている。それだけが唯一結城の部屋で物が密集している箇所と言えた。

十条の話にささやかな相槌を打ちながらその山にさらに一つ、結城が吸殻を乗せる。


結城の向かい側で十條はマスクをしていても分かるくらい愉快そうに笑っている。彼と同じ部屋で話す時はいつもこうだった。

一応客人である結城に煙草を止めてくれというのは彼の信念に反するらしく、それでも話したいときはこうしてマスクをして副流煙を吸わないように気を付けているらしい。

プロの演奏者として全ての臓器を健康に保つのは当然のことだと常日頃から言っている彼らしい行動だった。



「ランニングの時は特に目立ったが、一年杜若には困ったな。太鼓以前の問題だ。あれでは一曲と持たん。それから二年の寿屋と志貴だが、あれは対照的だな。気の毒なほど正反対だ」

「志貴? 彼は何か迷惑をかけましたか」



合宿一日目のことを邂逅して、十條が指折り問題点を上げる。それらは結城も感じていたことであったが、一つ違和感があって口を挟んだ。


 十條が至って真面目に練習に取り組んでいた志貴の名を上げたことが引っかかる。

同じ二年生の寿屋は色々と注意しようと思えばいくらでもする箇所を上げられる性格をしているが、志貴には特に何もない。

 向かい側に座って足を組んでいた十條に、結城が前のめりになって問い掛ける。



「あぁ、先生は演奏者ではないから気が付かなかったか。確かに彼は品行方正で熱心に練習に取り組んでいる。まさに学生の鏡だ。けれど、成長速度が著しく遅い」



 結城と十條には、生徒の扱い方に関して決定的な差があった。

 和太鼓部顧問である以前に一人の教師である結城は、全ての生徒を平等に成長させ、一人も置いていかずに歩ませることが求められているが、十條はそうではない。

彼が行うのは演奏者としての育成であり、元々個人が持っている才能を伸ばすことだ。

 十條は全ての人間の才能を引き上げる。ただし、その上げ幅は平等ではない。



「後輩に抜かれてしまうのも時間の問題かもしれないな。それと彼の隣に立つのが寿屋というのも同情する」



 結城が咥えることなく手にしたままの煙草からふわりと舞い上がった煙が、ゆらゆらと部屋中を当てもなく彷徨い、やがて眼に見えなくなる。

結城が顧問になってからずっと十條が外部コーチとして百鬼総合を担当していた。その間、現在三十二歳である十條にも、結城は基本的に敬語を崩さなかった。

自分よりも三つ年下ではあるものの、歩んできた経歴や立場といった様々なものを考慮しているらしい。



「火種は多いぞ、紫先生。これは推測じゃなく予言だ。覚悟しておいた方がいい。まぁ、一つ大きなことは完結したから良いだろう。良い一歩だ、誰にとってもな」

「肝に銘じておきます」



 苦々しく吐き出された白い煙が部屋に吸い込まれていくのと同時に、結城は十條が言った火種の話が杞憂で終わればいいのにと、そう心の中で溜息をついた。



 時刻は少し巻き戻り、一、二年生らがランニングを始めた正午過ぎ。

祭工房内にある先ほどとは別の小さい練習スペースに、三年生が輪になって座り込んでいた。

本来個人練習に使用される部屋なので、防音仕様になってはいるがかなり狭い。だが、身を寄せ合えば十分入りきる広さだった。


 その室内に漂う空気は非常に重く、一言目を誰が話すのかを皆が探り合っている様子であった。

あからさまに不機嫌そうに唇を尖らせている柊と、視線を下に向けたまま一言も発しない初春。誰もが二の句を継げずに押し黙っていたその時、二人の間に座っていた明日葉が、ようやく口を開いた。



「譲るつもりは無いんだろ、瑛人」



 シンと静まり返った防音室に明日葉の声だけが響く。

 問い掛けられた初春はしばしの沈黙の後に、「すまなかった」と深々と頭を下げた。突然の行動に、柊含め三年生らに動揺が走る。

再び顔を上げた初春の目に、十條へ提言した時のような強い光は無かった。



「秋介の言う通り、俺個人として諦めるという気持ちは無いが、俺の無遠慮な一言のせいでこうして皆に迷惑をかけている。だから、これ以上俺の希望を貫こうと今はもう思わない」



 大会に出たいという強い意思は今も持っている。

けれどこれ以上その欲を突き通すために戦うつもりは無いと、初春はそう言ったのだ。

 そんな中途半端な台詞を一番許さないのは、他でもない柊だろう。


 案の定すぐさま立ち上がって、そのまま振り上げた足で初春の右頬を蹴り飛ばす。

和太鼓部として三年間鍛えられた柊によるほぼ全力のキックを一切受け身を取れないまま喰らい、初春は明日葉のいる方へと倒れ込んだ。



「今ここにいる奴らの中であの舞台を経験したのは俺と手前だけだ! 大会に出たいなんて世迷言を否定できるのは俺たち二人しかいない!」



感情のまま行動し、本能のまま叫ぶ。それは初春にはどうしても出来ない事だった。

その性格を熟知しているからこそ、柊は初春を蹴り飛ばしたのだ。

そうして肩で息をしながら、柊が眼下で自分を様々な感情を含んだ目で見上げている初春を鋭く睨み付ける。



「努力したって届かない高みがある。でも、それは本当に俺たちが目指すべき場所なのかよ。俺たちは格付けされるために太鼓叩いてるわけじゃねえ。誰かを感動させる、その一瞬の為に練習してんだ! 俯瞰した態度で席に座って、ペン先で音楽を審査する奴らの為じゃねえよ!」



 通常の高校生であれば、特に何の疑問も無く高文連への出場を選ぶ。

確かに大会の結果次第では全国一の称号を手にすることになるし、相応の名誉を得ることが出来る。

それは当然の通過点であり、自分たちの力量を図る良い機会程度に捉えているからだ。


柊が頑なに大会出場を断り続けるのには理由があった。



* * *



「結城先生には伝えたんだけど、今年は全国大会出場を目標に一年取り組もうと思う。全国の舞台に立つことは百総の悲願だ。俺は今このメンバーならそれを果たせると思ってる。だから、秋までどうか俺の我儘をきいてほしい」


 二年前。当時の部長、浅縹凛太郎はそう笑顔で宣言した。

 確かに初春らが一年生の時の上級生は、当時から外部コーチであった十條も高く評価するほどの実力があった。


全国大会出場というものはいつの時代も学生の心を強く揺さぶるのである。

 特に浅縹は百総和太鼓部の中でも歴代トップクラスの実力者であり、長胴を叩かせれば右に出る者はいなかった。

しかしその才能を鼻にかけることは一切無く、彼は常に笑顔を絶やさず、父性すら感じる大らかな人柄で皆に愛された完璧な部長であった。



「努力すれば果たせない目標じゃない。必ず全国へ行こう!」



 理想主義者といえばそれまでだ。

ただ、浅縹の屈託のない笑顔と真っすぐな人柄を前に、彼が唱える夢のことごとくが、無謀な挑戦だと思うものは一人もいなかった。

 思えばこの辺りから浅縹は歪んでいたのかもしれない。そうでなければ、他の部員に一切相談しないまま、全ての公演依頼をキャンセルするよう顧問に依頼しないだろう。

 眩しすぎる夢を見た彼が、一番初めに崩落の一手を指したのだ。


 それからというもの、百総和太鼓部はただひたすら大会曲のみを練習し続けた。

 放課後は勿論、土日祝日の練習も基礎練習以外はずっと同じ曲を繰り返す。

パート練習や全体練習と、方法には多少のバリエーションはあったが、まるで何かに囚われたように延々と演奏する。


その曲こそが爛華だった。

 一年生の中で初春と柊だけがそれぞれ長胴と締め太鼓の出場メンバーに選ばれ、上級生に混ざって日々練習している。

他の一年生が既に引退した先輩らに様々な公演曲を教わる中、彼ら二人は延々と爛華だけを叩き続けていた。



「瑛人、大丈夫か? 千鶴も随分疲れてるみたいだけど、ちゃんと休憩してる?」



 ランニングの最中、明日葉が二人にそう問いかけたことがある。

 当時の明日葉はまだ才能が開花しておらず、出場メンバーには選ばれなかったため、毎日様々な曲を練習していた。後に部長となる初春に代わり、同級生をまとめていたのも彼だ。

 明日葉だけが普通に、そして楽しく和太鼓を叩くことが出来ていた。



「ありがとう、秋介。俺はまだ大丈夫。それよりも千鶴が心配だ。あいつは特にテクニカルな部分が求められるパートで、掛ける想いも俺なんかよりずっと強い。だからこそ不安だよ」



 不安?と明日葉が鸚鵡返しに質問すると、隣を走っていた初春が彼と目を合わせてふわりと笑った。

ランニングも二週目に入り疲れているだろうに、彼の笑顔はとても穏やかだ。



「その意思が折れてしまった時に、あいつは元に戻れるだろうかって」



 まだ入部して数カ月しか経っておらず、当然柊らとの時間はまだそれと同等くらいしかないはずなのに、初春は柊の持つ妄信的な向上心を見抜いて危惧していた。

 明日葉は二人と違うメニューをこなしているため、彼らの間にある特別な連帯感を共有することは出来ない。

 不意に明日葉が走るペースを速め、初春より前に飛び出す。そうしてしばらく先を走った後にくるりと振り返り、綺麗な人差し指を真っすぐ自身の後ろを走っていた初春に向けた。



「お前だって一年だ。辛いときは辛い、嫌な時は嫌って言え。俺はすぐに追いつくし、なんだったら抜かしてやる。だから、そん時までちゃんと待ってろ」



 初夏の緑がふわりと世界を包み込み、生温く湿った風が辺りを吹き抜ける。

夏の訪れを感じさせる香りが鼻腔を通り抜けていくのと同時に、明日葉は満開の笑顔を浮かべた。

 一瞬、初春の目に映る世界の全てがあまりに眩しくて美しくて、口を半開きにしたまま言葉を失う。


 そうして地を駆ける足に力を込め、数歩で前を走っていた明日葉に追いつく。

その抜き去り際に彼の背中をトンと叩き、初春は小さな声で「ありがとう」と最初に付けてから呟いた。



「助かる。もしも俺が膝を折って立ち止まっていたら、お前が迎えに来てくれ」



 初春の願いに、明日葉はピンと伸ばしたピースサインで答えた。



「どうしてこのくらいの事が出来ないんだ柊!」


 それまで音で溢れかえっていたセミナー室に轟いた怒号と、何かが張り飛ばされる物音に、一瞬にして辺りは静まり返った。

 合宿が終了し、夏季休暇も終盤に近付いてきている最中、その事件は起こった。


 やや遠くで締め太鼓のメンテナンスを教わっていた明日葉はその瞬間を見ることは出来ず、不自然に静かになったことに引っかかって首を伸ばす。

 そこには大会用に組まれた締め太鼓セットのすぐ傍に尻餅をついている柊と、酷く激高した様子の三年生がいた。

柊は顔の左半分を押さえて呆然と座り込むばかりで、何も言葉を発することが出来ない。真っ黒な前髪が彼の目元までかかり、その表情を読み辛いものにしている。


 その光景ですぐに柊が上級生に殴られたのだという事を理解した。

けれど誰もその間に入ることはせずに、ただ傍観することを選ぶ。皆が自分の事で精一杯であり、誰かの不幸を背負い込むほどの心の余裕が無かったのだ。


柊が選ばれた締め太鼓は、扱う太鼓の数が最も多く、さらに細かな連打ばかり求められる非常に難易度の高いパートだ。

時にリズムキーパーとして、時に長胴太鼓に花を添えるアシストとして、そしてまたある時は場を支配するソロ楽器として活躍する。

 隣の部屋で練習をしていた浅縹が騒ぎを聞きつけてセミナー室に入ってくる。その後ろについて来ていた初春が、柊の姿を見て絶句した。



「そんなに大きな声を出すんじゃない。まだ彼は一年だ。こっちへおいで、千鶴」



 浅縹がそう声をかけると、柊は操り人形のようにゆらりと立ち上がって彼の元へと向かう。

その手は肉刺だらけで、絆創膏をしている上からでも十分分かるくらい血が滲んでいた。

 自分より頭一つ分小さい所にある柊の頭に同じく肉刺だらけの自分の手を乗せ、浅縹が口元を優しく緩める。

そのいつもと変わらぬ柔らかな部長の顔に柊が安堵したその瞬間。

 パンという乾いた音と共に、柊の体がぐらりと左に大きくブレた。


数名の生徒が息を飲む中、状況を理解できない様子の柊が目を丸くして浅縹を見上げる。

 そこに、彼が憧れた浅縹凛太郎はいなかった。


「爛華を完璧に叩くくらい出来て当然だ。むしろそれ以上の仕上がりにしないと意味がない。お前は俺が選んだ選抜メンバーなんだよ? 俺の顔に泥を塗る様な真似はしないよね」



 先ほど柊を殴り飛ばしたその手で、再び彼の頭を優しく撫でる。

 かつての浅縹は人に完璧を求めるような真似はしなかった。自分に出来ることを全力でやる。そうすることが最も人を感動させることだと言い、足りなければ自身の才能を余すことなく他者に注いだ。

 けれど今の彼にあるのは全国出場という高すぎる理想のみ。

その現実は、一人の一年生の心を支配し、黒く染め上げるには十分すぎるものだった。



「さぁ、練習に戻るよ。大会まであと八十五日しかない。パート連が終わったら一曲通しを十周回そう。百パーセントの演奏が出来るよう体が無意識に動くまでね」



 浅縹が部室中に通る声でそう言うと、硬直していたり目を逸らしていた部員たちが再び手を動かし始める。

かつて浅縹はこの和太鼓部の絶対的エースであり、頼れる皆の部長であった。


けれど今は違う。誰一人彼に逆らわない。誰も彼を疑わない。浅縹こそが王だった。


ざわめきを取り戻す部屋を横断し、明日葉が立ち尽くす柊の元まで駆け寄ってその手を掴む。

振り払われるかと予想していたが、柊は抵抗するでもなく明日葉に引かれるまま腫れる頬を冷やしに少し遠くの水道まで着いてきた。


冷たい水で濡らしたタオルを顔に当てると、柊が小さく声を上げて目を細める。

 黙って連れ出したはいいものの、今の柊に何と声を掛けたらいいか分からず、明日葉も黙り込んでただ彼の顔にタオルを押し付けることしか出来なかった。



「俺が出来ないから駄目なんだ」



 受け取ろうとせず、明日葉の体温と冷たいタオルの感触を享受しながら柊がぽつりと呟く。



「部長たちの足を引っ張ってるのは事実だし、殴られて当然だ」

「まだお前は一年だ。出来て当たり前なんかじゃない、出来たらすごいことだろ!」

「でも出来ないと俺はここにいられない!」



 震える声で言い返した明日葉の言葉を遮るように、柊が廊下中に反響するほどの声で叫ぶ。

 柊からぶつけられた明確な怒りや憎悪に理不尽さを感じることは無かったが、同級生に否定された事実が明日葉の心に棘を刺す。胸を押さえても治る気配のない、果てしない悲しみ。


 音々野々が明日葉に憧れたように、柊もまた浅縹の太鼓に心酔して入部した身だった。

だからこそ彼から与えられることごとくが真っ新な柊を簡単に塗り替える。

 もう明日葉が手を伸ばしても届かない所に、彼は運ばれてしまったのだ。


 頬にあてられていたタオルを力ない手で払いのけ、おぼつかない足取りで柊が部室の方へと歩き出す。その姿をただ見つめることしか、明日葉には出来なかった。

 そうして二人の距離が五メートルほど空いた時、ふいに柊が足を止めて立ち止まる。



「もし全国に出たら、あの人は元に戻ると思うか」



 消え入りそうなほど小さな声だった。

 今の苛烈を具現化したかのような柊千鶴からは想像がつかないほど、か細く儚い言葉だった。



「俺の憧れた浅縹凛太郎に戻って、よく頑張ったって褒めてくれんのかな」



 正面から柊の顔をきちんと見ていれば、その時彼が隠した本音も涙も分かってやれたのかもしれない。

明日葉はそれを今でも思い出の箱から引きずり出しては後悔する。


 夏が、静かに終わる音がした。



 全てが瓦解するのにそう時間はかからなかった。

 満を持して挑んだ高文連で百鬼総合は優良賞にすら届かず、全国大会出場の夢は想像していたよりもずっと簡単に潰えた。


 その年の優秀賞は全国大会常連校である神々廻高校。そして優良賞は私立八柳高校という大会初出場の無名の和太鼓部であった。


 表彰式も閉会宣言も終了し、悲喜交々が渦巻く関東大会の会場から外に出てOBOGらに挨拶を終わらせた頃には、もう夜と呼べる時間になっていた。

 三年生や出場した下級生たちは大粒の涙と共に後悔と自責の言葉を吐き続け、出場していない二年生や一年生は目の前に広がるあまりにも悲しい世界に言葉を失っていた。


 帰校する為のバスに部員が満身創痍で乗り込む中、ふと柊の前を浅縹が通りかかった。

その憔悴しきった様子からそのまま何も言わずに通り過ぎると思っていた彼が、くるりと柊のすぐ傍で立ち止まる。

 向けられたその目にかつての輝きは一切無く、飲み込まれてしまいそうなほど深い悲しみがあるばかりだった。



「どうして俺を全国に連れて行ってくれなかったの?」



その言葉をかけるには、柊はあまりに未熟であった。

ただ浅縹の役に立ちたくて、精一杯背中に背負いこんだたくさんの想いが音を立てて零れ落ちていくような、はたまた彼の期待に応えるべく必死で積み上げた塔の最上部から突き落とされたかのような、そんな絶望を伴う感覚に立っていられなくなる。



「千鶴!」



 少し遠くで聞えた明日葉の呼び声に応えることなく、柊はその場に倒れ込んだ。


 ここから先の出来事を柊は記憶していない。彼が地面に倒れ込む前に駆け寄った初春がその体を抱きとめたが、初春も心身ともに疲弊しきっていた為、受け止めたままその場に座り込んでしまう。

 後輩が自らかけた言葉のせいで倒れたというのに、浅縹は表情一つ変えず再び歩き出した。


決して冷酷であったわけではない。ただ彼は普通のことを言っただけだ。

 その台詞がいかに人を追い詰めるかを知らずに。

 同じ大会に同じ目的で出場して無残に散ったというのに、自分の足元で強く己を見上げる初春の姿に、浅縹が小首を傾げる。



「努力は無意味だよ。俺がそれを体現した」

「違います。貴方はやり方を間違えた。でも俺なら間違えません」



 それまで浅縹を含め上級生に逆らうような行動を一切しなかった優等生の初春が、そう強い口調で言い放った。

 隣にしゃがみ込んだ明日葉に自身が抱えていた柊を託し、今度は立ち上がって正面から浅縹を見つめる。その表情には大切な同級生を壊した人間を憎悪する色すら見えた。



「俺は貴方が取り零したもの全部拾って全国に行きます。もう誰も置いていかない。何一つ捨てない。この悔しさも、憤りも、悲しみも、何も手離したりしない」

「無理だ。いつかお前にも分かる。一つの夢を叶える為には何かを切り捨てないと駄目なんだ。俺は大事な時間と部員を賭けた。もう何も手元に残っていないけれどね」

「……大事な部員を物扱いですか、貴方は」

「あーもームカつくなぁお前!」



 静かに堪忍袋の緒を切りそうになった初春の言葉を遮り、下の方で柊を支えていた明日葉が大声でそう叫んだ。

 不意に乱入してきた声に、浅縹と初春が驚いて視線を下に動かす。その先で片膝をついていた明日葉が、大きな瞳からぼろぼろ涙を流しながら、それでも真っ直ぐ浅縹を射抜いている。



「いつか絶対、これが俺の憧れた百鬼総合だ! すごいだろって誇れるようになってやる! だからそれまで、せいぜい指くわえて俺たちを見てろ、浅縹!」



 涙で時々裏返りながら、震えながら発せられた明日葉の宣戦布告。


 まるで彼らの周りだけ時間が止まったように静かになったが、やがて浅縹を呼ぶ声で再び時は動き出す。

最後に浅縹が首だけを後ろに動かして明日葉と目を合わせた。

 相変わらず彼の瞳には生気を感じられなかったが、刹那緩んだ口元に二人が呼吸を止める。

 その一瞬だけ、柊を始めとした一年生の彼らが憧れた浅縹凛太郎であったから。



「那々人、あれお兄さんでしょ?なんか叫んでるみたいだけど、どうかしたのかな」



 百鬼総合が転機を迎えていた同時刻、その少し遠くで真っ白の髪をした青年が彼らの事を指さした。

明らかに嘲笑するような表情を浮かべながら、隣を歩く同じジャージを着た男子生徒へ話しかけるが、彼がその歩を遅める様子は無い。

 「冷たいなぁ」とあまりダメージを受けていなさそうな声で呟き、白髪の青年は肩を落としながらその後に続く。


だんだんと百鬼総合との距離は離れ、やがてお互いの姿は見えなくなった。

 そうしてやっと冷たい声音ではあったが、ひとつ返事が返ってくる。



「愚兄だ」



 バッサリと一言口にし、彼は質問者を見上げる。



「どれほど喚こうが結果は結果。頑張ったなんていう言葉は自己満足に過ぎない」

「厳しいねぇ、僕らまだ一年生だよ? もう少し甘やかされようよ」

「微温湯で得られる程度のスキルなど必要ない」



人外を疑うほどの白を有した青年、御来屋棗がジャージのポケットに手を突っ込んだまま頬を膨らませた。

すれ違う女子生徒が黄色い声を上げながら二人を見やっている。

白地に金色の文字刺繍がされている特注のジャージも目を引く一因なのだろう。とにかく彼らは非常に人目を集めた。


彼ら二人は自身の特異性を理解していた。

自らの容姿や才能を惜しみなく晒し、そして時に過信することなく自制する。

表現すれば簡単そうなことであるが、それを日常の中で無意識に実行できる者は少ない。

それこそ、神に選ばれたと言っても過言でないほどに。



「神々廻にいる以上、最上は義務だ」 



全国常連校である神々廻高校和太鼓部史上初、一年生ながら大会メンバー入りを果たした演奏者、初春那々人がそう当然のように言った。


御来屋も那々人と同じく、選抜入りをした史上初の一年生である。

立場や学年は同じだったが、御来屋は必ず彼の後ろに立つ。那々人を引き立たせるように、自分は二番手だと常に発信していた。その理由は本人にしか分からない。

月明かりに照らされた神々しい金刺繍が、一際眩しい夜だった。



柊だけをバスに乗せて、明日葉と初春は逃げるように電車で帰路についていた。

本当は浅縹と同じ空間に柊をいさせたくはなかったが、頑として結城がそれを認めなかった。

そもそも二人が別ルートで帰ることだって認可されていないのだが、明日葉が口八丁適当な言い訳をして結城の目を逸らした隙に初春と共にそそくさ退散したという次第である。


 初春の最寄駅は次だ。もうすぐ着いてしまうから、何か話さなければ。そう思っていた時、初春が大きな伸びを一つしながら疲れ切った声を上げる。



「喧嘩しちゃったな、俺たち」



 ぱっと明日葉が顔を上げて初春の顔を見ると、目が合うのを待っていたように初春が穏やかな微笑みを浮かべた。



「今日で一生分の我儘を言った気がする」

「俺は年がら年中言ってる」

「はは、そんな気がするよ。なぁ秋介。一つだけお前に頼みがあるんだ。これはどうしても貫きたいほどの事じゃない。嫌なら断ってくれて構わないが、願えるなら……、そうだな。叶えて欲しいよ、本当に、心からそう思ってる」



 不安になるほど穏やかな口調だった。それは遺言でも残すかのように、ゆったりと、体の隅々に浸透していくような、それこそ浅縹が柊にかけた呪いと似ている。

けれど、それよりもずっと切なく暖かく、まるで幸せを願う魔法のようだった。



「お前だけは楽しんでくれ。和太鼓の全部を、一片も後悔しないように」



 俺にはもう難しい。

小さな声で付け加えてから、開いた自動扉に向かって初春が歩き出す。


 掛ける言葉が見当たらなかった。

何と返せばいいのか、どう返事をしたら初春は許してくれるのか、明日葉には分からなかった。

 ただ一つだけ知ることが出来たのは、その人柄から同級生から頼られて、大会出場メンバーに選ばれたといえど、初春瑛人は自分と同じ高校一年生なのだという事だけ。


 無情にも二人の世界を切り取るように音を立てて閉まったドアの向こうで、初春はひらりと片手を上げて笑った。

そうして背中を向けた瞬間、もうその顔に笑顔は無くなっていることを、明日葉は当然気付くはずもない。

 もう夜も遅くなってきた。がらんとした横並びのシートに座っているのは明日葉だけ。



「一人じゃ無理だよ。お前や千鶴が一緒じゃないと、俺には無理だ」



 両手の指を祈るように絡ませて、強く握りしめる。

彼もまた、入部して一年経っていない未熟な一年生なのだ。様々な経験が足りず、厳しい試練を乗り越えるには手持ちの武器が少ない。

 二年後の姿はおろか、明日の自分の事すら想像がつかない。

 車窓から何かに縋るように見上げた空も、真っ黒で何の色も見せてくれなかった。



* * *



 狭い練習室の中で、柊が座ったままの初春の前に仁王立ちになる。

 柊が不機嫌な事は日常的なものなので、イライラしている姿を見ても最近は誰も怯えなくなったが、こうして本気で怒りを露わにしている彼は心底恐ろしかった。

自分の怒りや憎しみをここまで全身から発せられるのかという畏怖にも似た尊敬すら覚えてしまう。


 それでも人を殴打しやすいバチに触れさえしなかったり、太鼓や他の和楽器に決してぶつかったりしないよう自制するのは、演奏者としての矜持だろう。



「死ぬほど努力したって、吐くほど緊張したって、結局は審査員のさじ加減で決まる。目指すだけ無駄だ。夢見るだけ傷付くんだよ。あの人も言ってただろ、努力は無意味だって!」

「それでも俺たちが挑戦できるのはこの秋が最後だ!」



 柊が勢いそのままに初春の胸元に掴みかかって叫んだその瞬間、初春が大声で反論した。

それまで大人しく柊の言葉を甘んじて受け止めていた彼の本気の咆哮に場が凍り付く。

凛と柊を見上げるその表情は、先刻失った強さそのものだった。



「卒業後も和太鼓を続ける選択をすれば今と同じような舞台が経験できるかもしれない。いや、もしかしたらそれ以上の舞台に立てる可能性だってある。でも高文連に挑戦できるのはあと一度しかないんだ。俺たちが失ったものを取り戻す機会は、一生のうちあと一回だけなんだよ」



 震える声で、けれど一つ言葉を吐く度に声にこもる力は強まっていく。

 今まで見たことの無い初春の姿に、その切っ先を向けられた柊は勿論、周りにいた三年生らも総じて目を見開いて一身に彼を見つめる事しか出来なくなる。



「どうしてそこまで挑もうとする。何がお前をそこまで動かす! 何で諦めないんだよ!」



刹那のフリーズの後、ぐっと息を詰めて再び柊が顔を歪めて叫ぶ。

けれど、明日葉にはなぜかその言葉が今までのものと少し違うように感じた。それまでの自分を解き放つような攻撃的なものではなく、形容しがたい空白を孕んだような声だと。


自分の想いで相手を傷付けて屈服させたいという意思が感じられない。

むしろそれとは逆のような、まるで壊れることを覚悟して最後にぶつけただけのような言葉。


チッと周りに十分聞こえるほどの大きな舌打ちをした後、初春が柊の首元を掴んで力強く自分の方へ引き寄せる。

柊より初春の方が体格的には上だ。右頬を蹴り飛ばされた時とは逆に、今度は柊ががくんと重心を保てず初春のされるがままになる。


もしかしたら柊はずっと待っていたのかもしれない。

温和で波風を立てたがらない初春の本音を引きずり出す、この瞬間を。



「悔しいからに決まってんだろ!」 



 ビリビリと音が部屋中に反響して様々な所に吸い込まれていく間、初春だけが肩で呼吸をしていた。

初春が曲中に掛け声として大声を上げることは多々あったが、一人の学生としてここまで力強く荒々しく叫んだのは初めてだった。


 皆どこか潜在的に、ただ「悔しい」という一つの感情で彼が動くような人間ではないと思っていた。多方面に気を遣い、色々な事柄を加味して物事を判断する男だと。

 しかし、誰もそんな彼の新しく見えた幼い一面に失望したりすることは無かった。

むしろ、彼も自分たちと同じ十八歳なのだと再認識したような安堵感すらある。


 しばらく息を整える為に肺に空気を入れては出すことを繰り返していたが、やがてはぁぁと深くため息をついて初春が掴んだままの柊の肩へ顎を乗せるようにもたれかかった。



「疲れた……」

「お前が言うか」



 全体重をかけられた柊が初春を支えきれずそのまま後ろに倒れてしまうのかと思っていたが、予想に反してしっかりと抱えてそのまま座り込む。

いつの間にか、あの秋に意識を手放した一年生はどこにもいない。

 心底疲れた様子の初春がもう一度溜息をついて、柊の肩越しに明日葉と目を合わせた。



「一生分の我儘、まだ残ってたな」



 そう言いながら初春がふにゃりと年相応の笑顔を浮かべた瞬間、明日葉がしゃがんだ体勢から勢いよく駆けだし、柊の背中に思い切り飛びついた。


柊としては初春を抱えることに全神経を集中させていたところに背後から明日葉に抱きつかれた、というよりは見えていないのでタックルされたようなものだ。

体は後ろに向けないが、首だけギリギリと動かして反対側の肩に顔を埋めた明日葉を睨み付ける。



「いきなり何しやがんだぶっ飛ばすぞ。……って、泣いてんのかお前」



 怒鳴り散らす気満々で振り返った先に見えた明日葉の頭が小さく震えていたこと。そして自身の肩口から聞こえる鼻をすする音と湿った感触に、柊が眉間に皺を寄せたまま固まる。



「だっさ。何でお前が一番泣くんだよ」

「うっせー泣き虫。俺知ってんだかんな、さっき瑛人にキレられた時ちょっと泣いてたこと」

「はぁ!? 泣いてねぇよ! 訂正しろこの愚図!」

「ほら二人とも喧嘩しながら泣かない。俺もう疲れ切ってるからちょっと休憩させてくれ。今になって口の中痛くなってきたし、叫んだから余計血の味がする、痛い痛い」



 柊にもたれたまま両手を上げた初春の視線の先にいた明日葉は、顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流していた。現在進行形で憎まれ口を叩いている柊も一切拭うことなく涙を流している。



「那由多、悪いが結城先生を呼んできてくれないか。俺はこの通り動けない」



 何も出来ずに呆気に取られていた他の三年生に初春が指示をする。

そうして言い渡された同級生、出雲那由多がにっこり笑いながら立ち上がり、すれ違いざまに初春の頭をくしゃりと撫でて部屋から出ていった。


 今まで同級生にどこか上に見られ過ぎていた初春にとって、それは間違いなく初めての経験であった。

じわりと胸の奥の方が温まるような感覚が酷く心地いい。



「お前たちと行きたいなぁ、全国」



 本当に無意識に、初春の口からそんな願いが溢れた。

 柊の肩を借りながら、明日葉の手の暖かさを感じながら、彼は穏やかな表情でそう呟いた。

 そのトリガーは去り際に残した同級生の慈愛を含む優しい手だったのだが、柊の吐露や明日葉のぬくもりが彼がひた隠しにしていた本心を暴いたことは間違いない。



「俺は全国に行く為に練習する気はねえぞ。今まで通り百総らしく、俺たちや見てくれる人達が楽しいと思える演奏をする。大会はそのうちの一つだ」

「爛華は大会曲だけあって見栄え良いし、普通に叩いてて楽しいからね。やっぱり難易度が高い曲は練習し甲斐があるよな。俺は結構好き。千鶴は?」



 柊から体を離さないまま明日葉がそう問いかける。

質問された瞬間は、露骨に答え辛そうな顔をしたが、しばし黙って思考を巡らせた後、初春とも明日葉とも目を合わせずに口を開く。



「好きだよ、俺も」 



 二年前の大会以降、柊が爛華を練習しているところを誰も見たことが無かった。

だから自然と柊は爛華という曲自体が嫌いになってしまったのだと初春たちはずっと思っていたが、その言葉に二人が数秒呼吸を止める。


もちろん爛華も百総の大事なレパートリーの一つなのだが、今までの公演では一度も披露していない。

その曲を今から仕上げて大会で披露する道を選んだ。決して平らな道ではないし、下級生にかかる負担も大きいだろう。

爛華よりも仕上がりが良い曲はいくつもあるし、百総の中の最高難易度の曲を選択しない事も出来た。

 それでも捨てきれなかったのは、今の部長が初春だからだろう。



「好きな曲を大きな舞台で叩けるのは幸せなことだな」



 自分が選んだ道は、今少し前まで歩いてきたそこよりもずっと険しい。

けれど、これから自分たちが走っていく未来は、挫折して諦めかけたあの過去よりもずっと素敵だ。



「それで? 俺に何を言いに来た。話し合い期限引き延ばしの懇願か?」


 三年生らの気持ちが固まった頃、下級生の練習は既に終了して夕食の席についていた。

皆不安そうに先輩の姿を見やっている。それはそうだろう。昼にあれだけ揉め、話し合いが夜まで難航したのだ。

 どこか緊張した面持ちの三年生に対し、十條はそんな意地の悪いことを言ってのける。



「いえ。やりたいことが決まったので、ご報告に来ました」

「そうか! では聞かせてもらおう。残りの三日間、俺に何を教わるつもりだ」



 立ち上がりながら十條が自分の真正面に立つ初春へ声をかけた。

いくら身長が高く体つきも良い初春でさえ、第一線で活躍するプロの体をした十條の前ではまだまだ高校生である。

 それでも、初春は自身に降りかかる圧力に負けず凛と十條を見上げた。



「爛華を、どの舞台でも通用するレベルにまで引き上げて下さい」



 初春の声が部屋中に反響して吸い込まれていく間、工房の中は静寂に包まれていた。



「正直今の俺たちでは一曲ただ叩くことしか出来ません。だから、ちゃんと人の心を震わせられるような、演奏を見た全ての人を感動させられるような爛華を叩けるようになりたいんです」

「っ、はっはっは! いいなぁいいなぁ! 実にお前らしい答えだ、初春」



 プロとして無駄なことを嫌い、実力至上主義とする十條に今の提案をすることは正直賭けでもあった。

一番初めにどの曲でも良いと言ってはくれていたけれど、今の実力に合っていない曲の提案をしたら、きっと彼はその申し出を簡単に断っただろう。


 今の百総で爛華をそれなりに叩けるのは三年生の中でも初春、柊、そして独学で覚えた明日葉の三人だけ。

後の三年生はそもそも二年前に大会には出ていないし、下級生に至ってはほぼ初見と言っても過言ではない。

無理だから諦めろと、そう言われるかもしれないという決死の覚悟で伝えた言葉は、彼らが想像していたよりずっとすんなり十條の中に溶け込んでいったのだ。



「音楽という特性上、全てのオーディエンスを須らく感動させることは不可能だ。だが、そうだなぁ」



 そこまで言った後、ふと十條が考え込むような仕草を取る。

 やがて彼は太陽が昇ったのかと勘違いするほど眩しく明るい笑顔を浮かべて、がっしりとした両手を腰の辺りに置きながら誇らしげに胸を張った。



「どうだ! 俺達の太鼓はすごいだろう! と、そう思わせる所までは連れて行ってやる」



 二年前、明日葉がかつての部長に叫んだ言葉がフラッシュバックする。


 あの時は何の打開策も無く、一切の未来も見えていなかった。

ただ目の前の彼が憎くて、その人に何か言い返したくて、自分たちは貴方よりも正しいと声に出したくて、そうして紡がれた軽薄な宣言であった。


 けれど今それがようやく形になって自分たちの前に現れたのだ。



「……で、俺たちが報告してた時に何で普通の顔して飯食ってたんだよお前。どんだけメンタル強いの」

「練習して腹減ってたんで我慢できませんでした! それに、なんか色々曲の事で揉めてましたけど、明日葉さんたちなら別に大丈夫って思ってたし」



 三年生の問題が解決し、改めて夕食再開となったタイミングで明日葉が音々野々の隣に座る。

お構いなしに目の前の皿を次々と空にしながら、音々野々が当然といった表情でそう言った。

 一切疑いが無いといった彼の表情に、明日葉が目を丸くする。



「ですよね、明日葉さん」



 無垢な脅迫。

そう言い換えてもいいほど一身に向けられる自分自身への信頼に、くらりと眩暈を覚えてしまう。

お前なら当然出来るだろうと、声に出さず音々野々は言っている。

能天気そうに見える彼が垣間見せる形容しがたい恐ろしさに、明日葉は少し嬉しそうに顔を歪めた。


止まっている暇はない。すぐ後ろから彼を慕って追いかけてくる者がいる。そんなプレッシャーが常に付きまとう。

音々野々亜蘭は、無意識に走るペースを上げさせる天才だった。


後輩の刺すような鋭い期待に明日葉が声を上げて笑い、くしゃくしゃと音々野々の髪を犬でも相手しているのかと思うほど乱暴に撫でた。右に左に体が揺れるが音々野々は箸を離さない。



「当然。俺を誰だと思ってんの。百鬼総合エースの明日葉秋介くんだぞ」



「二年前選抜されなかったくせにエースだってよ。言ってくれんじゃねえか」



 音々野々と明日葉の声が小さく聞こえるくらい距離の空いたテーブルで、柊と初春が顔を合わせて食事をしていた。

何となく他の部員は彼らの傍に近寄りがたくて、左右の椅子は空いている。



「今の百総では秋介が一番優秀だよ。締め太鼓だけでいえば千鶴の方が上だが、あいつは誰よりも舞台映えする」

「それ本人に言うなよ。これ以上調子に乗られたら迷惑だ」

「ふふ、気を付ける」



 柊の忠告をあまり聞く気がなさそうに、小さな微笑みを浮かべながら初春が受け流した。

 案の定その表情のゆるみに気が付いた柊が怪訝そうに初春の顔を覗き込む。



「なにヘラヘラしてんだよ」

「いや。お前が自分から大会の事を話すなんて初めてだったから、つい」



 それまでは大会の事や二年前の話を頭の中に浮かべるのさえ拒絶していた彼が、よもやそんな事を揶揄するなんて。

自分自身の中に根付いた記憶もあまり綺麗なものではなかったけれど、それでも初春にとっては嬉しかった。

 ずっとお互いがどこか傷物のように感じていて、ずっと遠ざけ続けたことが薄れたような、そんな晴れ晴れしさが今はある。

 正面に座って自分と目を合わせる柊へ、再び初春がふわりと笑いかけた。



「千鶴」



 名前を呼ばれたことに片眉を上げて返事をした柊であったが、次の瞬間何か雷にでも打たれたかのように俊敏に立ち上がって、そのまま飛びつくように初春の口元を両手で覆った。

ほぼ反射で動いたのか、突然奇行に走った柊本人もなぜか驚いたように瞬きを繰り返している。

 事態が飲み込めずきょとんと目を丸くする初春へ、なおも口元を喋るなというように押さえつけたままの柊が口を開いた。



「それは今じゃねえだろ。秋までとっとけ」



 口を突いて出そうになった感謝の言葉は、柊によってもう一度自身の中に戻された。


 夏の夜風がふわりと室内に入り込む。

 あの日に止まってしまった時計の針が、かちりと音を立ててまた進み始めた。



* * *



 合宿二日目。この日は朝食前のランニングから三年生と合同で進められた。

 まだ朝靄が残る坂道を生徒たちが駆けていく。気温は七月にしてはだいぶ涼しく、滲んだ汗が冷たく感じるほどだった。



「この時間のランニングは気持ちいいっすね、明日葉さん」

「走ってる時に話しかけるとは余裕じゃないか、音々野々くん。言っておくけど俺はお前と違って運動は嫌いなタイプの和太鼓奏者だから三年間経ってもランニングは必死だぞ」



 坂の手前でその背に追いついた音々野々が、これから始まる上り坂への覚悟を決めた明日葉へ話しかける。

今までは下りだったとはいえかなりのスピードを出していたのには変わりないので、既に疲れていると言えば疲れているのだ。

 露骨に嫌そうな顔をした明日葉に対し、汗をかいてはいるもののけろりとした表情の音々野々。



「俺今までしてきたランニングの中でここがダントツ気持ちいいです」

「いやだから俺普段から好き好んで運動とかしないから。ランニングランキングとか無いから。好きなだけ汗流して来いよ」

「了解しましたっ!」



 明日葉がそう声をかけた直後、それまで先輩に合わせていたらしい音々野々が本来のスピードを出し始め、あっという間に三メートルほどの距離を空ける。

 ようやく一人で落ち着いて走れる。そう思いながら明日葉も少しだけペースを上げた。


 その少し後方、もうすぐ下り坂が終わるという地点で、柊が間宮に追いついた。

 二人は入部説明会の時に柊が突っかかってからというもの、会話という会話が無く、今日まで挨拶すらろくにすることは無かった。

柊は年がら年中不機嫌そうにしており、間宮の方もあまり感情の起伏が激しくないため、二人が同じ空間にいると何もしてなくても喧嘩しているのかもしれないという危惧が浮かび上がる。

 とにかく一年生から三年生までの全学年がハラハラ心配するほど、柊と間宮は何となく仲が悪く見えるのだった。


 実際柊はまだ大会の事を受け入れられていない時期に間宮に地雷を踏み抜かれ、その件に関して大人げなく切れ散らかしたのだが、間宮は特に何もしていない。裏で悪口を言ったり、露骨に無視したりという事は一切していないのだ。


 好きの反対は嫌いではなく無関心。彼ほどのこの言葉を綺麗に体現する者は他にいないだろう。

別に好きでも嫌いでもないのだ。ただ関心が無いだけで。

 その間宮が柊の存在に気が付いたのは、彼が横から自分を抜かす時だった。



「はよ」



 もう少し息が上がっていたり、必死にランニングをしていたら聞き逃してしまうほどの小さな声で、柊がそう間宮に向かって呟く。

 それまでまっすぐ前を向いていた間宮がグルンと勢いよく横を向いた時にはもう柊はペースを上げて折り返し地点へ駆け下りて行ってしまったので、あの瞬間湯沸かし器がどんな顔で挨拶をしたのかは分からない。



「……おはようございます」



 確実にタイミングが遅れた。そう思いはしたが、ちゃんと標準的なボリュームで言ったから多分届いているだろうという謎の自信と共に間宮も折り返し地点へ向けて走る。

 間宮より一足早く登りへ転換した柊と、下り途中の間宮がすれ違いざま向き合う。柊は表情を読み取られたくなかったのか顔を伏せている。

 走っている二人が真横になる瞬間、間宮が柊の方を向いて彼にしては大きめの声を上げた。



「すみませんでした、最初」



 おそらく多くの人がピンと来ない最低限の言葉しか含まない謝罪の言葉だったが、柊にとっては百枚の原稿用紙に書かれた反省文よりずっと響いた。


 足を止めようかと思いはしたが、そうしてまで間宮にかける言葉が見つからない。それに、これ以上は何を言っても蛇足になるだろう。

 間宮の言葉に柊が振り返ることはなかったが、彼からは見えない口元は嬉しそうに緩んでいた。


 ぎくしゃくしていた二人組がそれぞれ折り返し地点を通過し、上り坂に入っていった頃、先頭集団のはるか後方を初春と杜若が走っていた。

並んで走る訳ではなく、杜若の後ろに初春が着いていくという形になっている。


 部長として初春は全ての生徒のことを気にかけるように普段から気を付けてはいるが、とはいえ自分の鍛錬を怠る気は一切無い。

しかし杜若に何の気もかけずに自身のランニングに注力できるほど無慈悲な性格をしていなかった為、ハイペースで一周して周回遅れの杜若の後ろに戻ってきたのだ。


 音々野々が追い付けないほどのスピードで上り坂を登り終えた後に、杜若のペースに合わせて減速するのはかなり身体的負担が大きい。

一気に全力を出して、その後脱力するのは酷く体力を消耗する。思わず足を止めたくなるほどのスローペースは逆に過負荷だ。


 後ろから観察していると、杜若は確かに走り辛く力の抜けやすいフォームをしていた。

初春もプロではないため、きちんとした筋肉の使い方等は指導してやれなかったが、素人目で見ても無駄な動きが多い。


それ以前の問題として、杜若は平均よりもずっと体重が重い。

 本格的に鍛えれば全て綺麗に筋肉になるだろうが、現役高校生がジムに通ってプロテインを飲んでという事は、不可能でないにしろなかなか難しい。

太っていることは和太鼓を叩く上でウィークポイントにはならない。ただ、それは使うべき時に使うべき力を使えればの話だ。

脂肪が本来発揮できる力を軽減させているのだとすれば、多少なりとも減量の必要がある。


だが初春の経験上、百鬼総合に入部した者は皆少なからず体重を落とす。

ランニングや筋トレを日常的に行っており、和太鼓という特性上一曲叩くだけでも相当の運動量になるからだ。



( 杜若は体重が落ちやすい体をしているし、現状運動量は申し分ない。合宿で見る限り食事も他の生徒に比べて遥かに多いわけではないし、これ以上何をしたらいいんだ……? )


「初春、先輩」



 一人で前で揺れる大きな背中を見ながら考え込んでいた時、ふと杜若が小さく振り返って初春の名を呼んだ。

 極力杜若に悟られないよう存在感を消す努力をしていたが、まさか名指しで呼ばれるとは。

どこか気まずさを覚えながら、初春が一瞬息を止める。



「どうした杜若。体調不良か?」

「すみません、デブで。足も遅くて体力も無いから、邪魔ですよね。お先、どうぞ」



 切れ切れの声でそう言いながら、杜若はその場で足を止めて歩き出してしまう。

アームカバーを付けた自分の左手を掻くように触りながら、彼は諦めたように小さく笑った。


 あまりにもストレートな自虐に初春が言葉を詰まらせてしまう。

こんな時柊ならどう叱咤するだろう、明日葉ならどう励ますだろう。

 元来自分を貫き通すことが苦手な初春にとって、誰かを傷付けない言葉を選ぶことは得意である反面、時としてその一切を失うことがある。

相手を否定しないように、追い詰めないように、そう言葉を選んでいるうちに、本当に伝えるべきことを見失ってしまう。



「やっと追いついた。早いですよ瑛人さん」



 言い淀んでいる間に、ふと後ろから飄々とした声が二人にかかる。

揃って視線を声のした方に動かすと、そこには普段あまり見ない息の上がった寿屋がいた。昨日と同じく、いつもに比べだいぶハイペースで走っているらしい。

 けれど、それを感じさせず初春や杜若と目を合わせた時にへらりと緩やかな笑みを浮かべる。



「あっ、いいなぁよよ。瑛人さん独り占めしてたの?」

「早いな寿屋。いつもはもう少し手を抜くのに」

「わぁ、いつもサボってたのバレバレですか。割と上手にやってたと思うんだけどなぁ。だって十條先生の前ではちゃんとやらなきゃ、何されるか分かんないし~」



 そう軽口を叩くのもいつもと変わらないが、すぐに表情を切り替えて今度は初春だけを見る。



「それに、俺結構本気なんで。別に今だって誰にも負ける気ないですけど、自信を確信に変えたいって思ったら、本腰入れてやるしかないでしょ」



 彼の目に浮かんだ光は初春さえも押し黙らせるほどの強さを持っていた。

 ペースを落としていた初春、そして歩き始めた杜若を追い抜き、寿屋が目の前の坂を軽快に下っていく。

本気を滲ませた彼の足取りに、初春は頼もしさと同時に恐怖すら覚える。



「あっ、そうだそうだ。よよ!」



 そのまま勢いよく走っていくのかと思っていた矢先、寿屋がくるりと体ごと振り返って後ろ向きになる。けれど歩を休めようとはせず、非常に危険だが下り坂を後ろ向きで走っていた。

 両手を自分の口の横に持っていき、肺いっぱいに空気を吸い込んでから叫ぶ。



「あんまりそれ押し付けない方が良いよ、化膿しちゃうからね」

「化膿?」



 寿屋が言っている意味が初春には分からなかったが、横並びになった杜若を見やると、その表情は凍り付いていた。信じられないというように青い顔で寿屋の事を見つめている。

 自分の言いたい事だけ言って、寿屋は「じゃあお先に」と言い残した後再びペースを上げて勢いよく坂を下っていく。



「杜若、今のは」

「さっ、先に行ってください! 僕はちょっと無理なので、ごめんなさい」



 初春がその意味を問おうとした瞬間、杜若が遮るように声を荒げた。

幸いにも今周りには初春以外いない。もうずいぶん遠くに寿屋が、そして坂を上り終えて達成感に包まれている音々野々がそれよりももっと遠くにいるだけだった。


 部長として、そして先輩として、初春がかけたい言葉は山のようにあった。

 けれど彼は何も言わずに、優しく微笑んで杜若の背中をトンと叩いて駆け出す。


 そうして一人残された杜若が、さらにペースを落とした。反対に初春はどんどんスピードを上げて自分から遠ざかっていく。

あっという間にその背中が伸ばした手のひらの中に埋もれてしまうほどの距離が空いてしまった。顔を出し始めた夏の光が目の前の彼を照らす。



「なんで駄目なんだろう」



 自分にも太陽の光は平等に差し込んでいたが、どうしてもその中にいることが怖くて、申し訳なくて。

まるで逃げるように杜若はぎゅっと目を瞑った。



「おはよう! 朝のランニングはどうだった? 良いものだろう」

「めちゃくちゃ良かったです!」

「気持ちいいですけど朝ご飯が全然入らないです」

「あっはっは! そうかそうか! だが食事は運動の基礎だ。吐かない程度にちゃんと食えよ」


 ランニング後、工房の食堂に十條の声が響いた。

朝からそんな大ボリュームの声が出せるのかと間宮が心の中で感嘆する。彼にはそうそう真似できないテンションだった。

負けず劣らず音々野々が元気いっぱいに返事をした後に、初春の隣で朝食とにらめっこをしていた明日葉が苦言を呈する。


 合宿中、朝昼晩の食事は祭工房の職員が作ってくれる。祭には十條以外にもチームメンバーが当然いるからだ。

しかし、それぞれが提携先の学校に指導しに行っていたり、公演の為に地方へ遠征していたりするので全員がこの工房に揃うことは非情に珍しいことだった。


 祭は演奏活動の他にバチなど和太鼓に関する小道具の製造販売も行っている。

その為建物中にヒノキの香りがほのかに漂っており、入室した者はまず初めにこの香りに驚くことが多い。


 百総の合宿中は、演奏はせず製造チームとして在籍している職員が十條と同じように二十四時間常駐していたので、彼では面倒を見切らない部分はサポートしてくれている。

 この朝も生徒がランニングしている間に数十個ものお握りを作り、疲れ切った彼らを笑顔で迎えてくれた。



「今日から本格的に曲の練習に入る。昨日の練習場を半分に分けて、それぞれ別室で爛華と屋台囃子を練習していくつもりだ」

「半分ってことは、二年生は全員爛華に入るってことですか?」



 十條が提案した練習内容に、ふと寿屋が疑問の声を上げた。

 当然一年生は爛華はおろか、一曲もものにしていないため屋台囃子を練習するだろう。

そうするとその他の生徒全員で爛華に取り組むという話になるのだが、爛華は今在籍している二、三年生全員で叩くにはパートが足りない。


 そこまで考えた時に、寿屋や志貴は十條の言っている事の意味に気が付いた。

 十條晴彦が平等な男ではないという事にもう少し早く気づいていれば、あのような質問はしなかっただろう。

 寿屋の質問に十條がニィと口角を吊り上げ、片手を腰に当てながら声高々に言う。



「そうだ。今日から三日間全員で同じ曲を練習し、合宿最終日に大会出場メンバーを選ぶ」



あえて言葉にされる方が、察するよりもずっと厳しく感じる。

 十條が提案した選抜方法は理にかなったやり方だ。今すぐに発表されるのではない、三日間猶予がある。

そして十條による特訓を受けた後に選定されるのだ。実力も格段に上がった時点で判定されることは間違いない。


 逆に言えば、選抜までに三日しかない。

二年生に至ってはほぼ初見の曲を三日で仕上げなければ、大会に出場することは出来ないという事だ。



「三年全員が然るべきパートに入れば、それだけで爛華は成立する。だから何があろうとも三年には必ずこの曲を仕上げてもらうぞ。公演曲のレパートリーに入れるには少々難易度が高いからな。この合宿中にマスターして帰ってくれ」



 十條の言葉に三年生らがぐっと息を詰めた。

緊張感が張り詰めてはいるが、誰一人として無理かもしれない、出来ないかもしれない、自信が無いという色は浮かべない。

 三年間百鬼総合で活動してきた先輩たちが見せる覚悟に、音々野々ら一年生も触発されて顔を強張らせる。

 良い意味でぴりついた部屋の中心で、十條がさらに言葉を重ねた。



「ただ、俺が同時に頼まれたのは大会メンバーの選出だ。これは公演用の練習とは違う。俺が優れていると思った者を学年関係なく選出する。ここに私情は一切無い。一人の演奏者として、お前たちの全てを精査して決める」

「あぁ間に合った。遅くなりました晴彦さん……」



 波紋一つない湖に一石投じるかの様な、けれど場の空気を変えるには少々か細すぎる声が扉の奥から聞こえてくる。

 空いた扉から顔を半分ほど覗かせて、声の主である男がおどおどと室内の様子を目視で確認した。


前髪は目にかかるほど長かったが、その奥に見える眉はハの字に下がっている。初対面の印象としては気弱という感じだった。

そうして十條が皆の前で何か話しているという状況を理解した瞬間、男がヒュッと息を飲む。



「とっ、取り込み中ですか? すみませんっ! 出直してきます、失礼します!」

「待て待て、今終わったところだ。帰るな」



 踵を返して去ろうとした男の首根っこを数歩で距離を縮めた十條が引っ掴んで生徒の前に半強制的に連れ出す。

途中嫌々と両手をばたつかせていたが、十條の隣に立たされた時にはもう観念したように棒立ちで視線を彷徨わせている。

 突然現れた彼に一年生だけはきょとんとしていたが、二、三年生は嬉しそうに各々表情を緩めた。



「良いタイミングだったな。彼は今日から一年の方を担当する、俺と同じ祭演奏者だ」 

「せ、世良拠千代です。宜しくお願いします」



 そう紹介された世良は、なおもびくびくと居心地が悪そうに伏目でくるくると周りを見渡していた。

隣に立つのが筋肉集合体の十條でなければ、きちんと鍛えられている綺麗な身体だと言えただろう。十條に比べてしまったら大抵の人は貧弱になってしまう。



「さぁ、拠千代も合流したことだ。早速練習に入ろう。とはいえまずは基礎打ちからだな」




「今年の一年は曲者揃ってるんで気を付けて下さいね」

「俺が練習に参加する前にがんがんハードル上げてくるじゃん、最近の若者怖い……」



 鬱々とした表情で自分のバチを手に三年生に背中を向ける世良であったが、「そうだ」と一声上げてくるりと再び彼らの方を見やる。

振り返った勢いで前髪も風に揺れ、彼の少し灰色がかった瞳が優しく緩むのが分かった。



「大会、俺も見に行くよ。だから頑張れ」



 思えば初春たちにとって、今のような言葉をかけられるのは初めてだった。

 それまでは大会に出場する気は一切なかった為、どうして頑張るのかと言われたら公演の為だというのが当たり前であったのだが、今はこういう励まし方もあるのだ。

 大会の為だけに爛華に取り組むわけではない。けれど、合宿用に爛華を選んだのは大会の為だ。


 今まで嫌悪感から無意識下で蓋をしていたことを、当たり前に世良は彼らに期待した。

 彼らしく締まらないゆるゆるとした笑顔で激励の言葉をかけた後、時計を確認して慌ただしく一年生の方の練習室へ走って向かっていく。

やがてペタペタと裸足がフローリングを踏む音が聞こえなくなった時、何も言わずに三人が目を合わせて頬を緩ませた。

 今までされることの無かった、新しい期待の形に浮足立っている。



 一年生の練習室。

一通りの基礎打ち練習が終わり、いよいよ曲練習に入るところだった。



「当然のことだけれど、和太鼓の世界に譜面は必要ない。吹奏楽のように楽譜も無ければ当然指揮者もいない。今から俺は、全て口頭で君たちに屋台囃子を教えます」



 何となく予想はついていた事であったが、改めて口に出されるとその意味が自分たちを殴りつけるような心地だった。

 やろうと思えば和太鼓の譜面を作成することは可能であるし、国内という広い眼でみれば和太鼓楽曲の譜面はあることにはあるが、ほとんどの演奏者は『口唱』と呼ばれるもので曲を学んでいく。


 口唱とは、その名の通りリズムを口で唱えるという意味合いであり、プロの演奏集団であろうと太鼓が叩けない時には口唱で練習をしたりもする。

笛を除いて和楽器にはドレミのような音階が存在しない。だからこそ紙の上で音を学ぶよりも、実際に手や口を動かす方が圧倒的に早いのだ。



「見て、聴いて、覚える。これが和太鼓を演奏していく上での基本的な学習方法です。これから君たちの頭には何十曲もの曲が入ることでしょう。けれど、君たちがこの屋台囃子を忘れてしまうことは絶対にありません」



 そうきっぱりと断言しながら、世良は長すぎる前髪を全てヘアバンドで上に上げる。

初めて見える彼の顔は、ソース顔の代表格と言える濃いめの顔立ちをした十條とも、初対面女性を一瞬で脅す目つきの悪さを有した塩顔の結城とも違う、その中間地点のような丁度いい具合の平均的な整った顔立ちであった。

その髪を上げた姿から、先ほど皆の前で怯えたように挨拶していた者と同一人物かどうか疑いそうになるが、左目の下の涙黒子が世良の隠し切らない陰鬱な性格を表しているようだった。



「なんで忘れないんですか?」

「素っ頓狂な質問しないで」



 世良が話し終えた時、至って真面目な顔で音々野々が手を上げて質問した。

その後間髪入れずに間宮が絶対零度の突っ込みを入れるが、本人は「何で?」といった顔をして世良の返答を待っている。

 直球過ぎる音々野々の問いに、しばし世良が言い淀んだ後にぽつりと呟いた。



「……辛いんですよ、屋台囃子は」



 注意していなければ聞き逃してしまいそうなくらいのボリュームで返ってきた回答に、体育座りをして大人しく話を聞いていた一年生らに微かな動揺が走る。



「普段使わない筋肉をフル活用したってまだ足りない。ありとあらゆる細胞を酷使しても筋繊維の回復が追いつかない。なんだろうこれは。やっているうちに、あれ、もしかして俺は太鼓を叩いているんじゃなくて腹筋やっていたのかな? と錯覚してくる」



 なぜ噛まないのかと不思議に思うほどの滑らかな早口だった。

 自分のバチに目線を落としてただ淡々と自分の頭の中を駆け巡る事柄全てを口に出しているような世良の狂気じみた一人語りに、外の蝉さえも啼くのを止めたようである。



「かといって締め太鼓なら屋台打ちをしないから楽で良いじゃないかと思われがちだがそれは違う。あれもそこそこに地獄だ。俺はどちらといえば屋台は締め太鼓の方が苦手だと断言できるくらい嫌だ。腕を真上まで振り上げて延々と連打を続けるんだぞ、もう人間じゃない。締め太鼓連打マシーンだ」

「屋台打ちって何ですか?」



 まだまだエスカレートしそうだった世良の一瞬の息継ぎの間に、音々野々が再び手を上げて質問する。

ふと自身にかけられた質問に世良もぴたりと言葉を止め、今度は何も言わずに斜め横に倒された太鼓の前に座った。


普段太鼓を叩く時は台に対して平行に面が来るように立てて配置している。

いつも百総練習室で使っている台と同じものであったが、今世良が前にしている太鼓は置き方が違っていた。



「座位打ちとも言うのですが、俺たちはこれを屋台打ちと呼んでいます。屋台はバチも普通のものとは違い、太く短い特別なバチを使用しています。……これがまた力の込め方が難しくて慣れないんだよなぁ。何で普通のバチじゃ駄目なんだろ、はみ出すから? それならもう立って叩けばいいのに。でもまぁこれが郷土芸能の派生した形でフォルム的にも綺麗だしかっこいいのは分かるんだけどさ」



 ぶつぶつと何か言いながら、世良は先ほどまで持っていた三十センチほどのバチから、恵方巻の様な標準に比べ太く短いバチに持ち替える。

 そうして太鼓の面が自分の正面に来る位置に座り直し、そのまま体を後ろに倒して。



「こう打つ」



 瞬きをするよりも早く、その一打は鳴り響いた。

 床につくギリギリまで身体を倒したと思ったら、そこからバチの軌道が見えないほどの速さで腕を振り、和太鼓の面ど真ん中を殴打する。

ドォン!という爆発音にも似た轟音が部屋中に響き渡り、それまで世良のじめじめした早口を聞き取ろうと耳を澄ませていた一年生たちの鼓膜が一気に貫かれる。



「これが約五分間延々と続きます」



 声のトーンで言えば、裁判官が被告に刑を宣告するそれと同じであった。

加えて世良の人生を諦めたかのように下がり切った眉が相乗で悲壮感を増している。



「相当しんどいですよ。君たちは初めての合宿だから良いでしょうが、俺はこれほぼ毎年やってるんですからね。何で百鬼総合は必ず一年目の夏は屋台なんだよ……。伝統なの? それとも俺に対するシンプルな試練?あぁぁ勘弁してよ、神々廻もこんなに辛くなかった」



 先程の力強い一打を繰り出した人間とは思えないほど大きく肩を落としながら、太鼓の前に座ったままの世良が再び文句を言いだしたが、その最後の一言に間宮が小さく反応した。

 そうしてずっと黙ったまま成り行きを見守っていた彼が世良に話しかける。



「世良先生は神々廻高校の卒業生なんですか」

「うん、そうだよ。俺が三年の時に初めて神々廻が全国で優勝したんだ。懐かしい、あの頃の身体に戻りたい。あぁでも祭から離れるのは嫌だ」



 全国優勝という功績を残したと世良は平然と言ってのけた。


 間宮と世良が口にしている神々廻とは、全国屈指の強豪和太鼓部を有する公立高校である。

中間一貫校という特性上、中学の頃から和太鼓を続けている生徒が多く、個人の実力も非常に優れていた。地元で公演を行えば常に満員御礼であり、大会に出れば個人賞から団体賞までを総なめにしている。

 初春らが惜敗した二年前の関東大会でも優秀賞を獲得し全国大会に出場していた。



「あぁそうか、もしも百総が今年大会に出るんだったら神々廻ともぶつかるんだな」



 ふと、たった今思いついたように世良が顎に手を当てながらそんな事を呟く。

 彼の言う通り、百総と神々廻は同じ予選エリアであるため、直接全国出場権を争う立場にあった。

 よっこいしょ、と二十四歳ながら老いを感じさせる掛け声を上げながら世良が立ち上がり、横倒しにした太鼓に触れながら小首を傾げて笑う。



「俺は神々廻が負けるところ見たことないから、君たちに期待してるよ。先輩たちと一緒に、のうのうと胡坐かいてる神様を玉座から引きずり下ろしてきてくれ」



 決して世良は神々廻が嫌いなわけではない。

それに神々廻にとって全国初優勝を飾った世良拠千代という男は英雄だろう。

けれど、こうして今目の前でかつての神自身が百鬼総合を応援している。

貴重な生の激励に、一年生たちの表情がより強いものに変わった。


その直後、顔を引きつらせる事態になるとは露知らず。



「じゃあまずはさっきの基本的な体勢を一分維持できるようになろう。曲入れはその後だ」



「どうだった? めちゃくちゃしんどいっしょ屋台」

「語彙力無くなるほど辛いっす」

「まだ日本語が話せてるから大丈夫だな」

「言語すら失う日が来るのか……」



 夕食後、工房内にあるバチ売り場で財布片手に悩んでいた明日葉が風呂上がりの音々野々を見つけて声をかける。

合宿中は基本的に三年生から順に学年ごと風呂に入ることが暗黙のルールになっており、これはいくら初春が遠慮しても変わらない事だった。


 音々野々の疲弊しきった様子をケタケタ笑いながら揶揄した明日葉だったが、彼も彼で一日中爛華を十條の指導の元練習してすっかり疲れ切っていた。

しかしながらそれを微塵も感じさせない余裕綽々な態度に、もう喋る体力すらつきそうな音々野々は心の中で感嘆の声を上げる。



「あれ、杜若は一緒じゃないの? 仲良しじゃんお前ら」

「俺と一緒に風呂入ってくれないんすよ。っていうか、そういえばよよが風呂入ってるところ見てないな」

「えっ汚い。汗だくなのに? 無理にでも入れろよ」



 げぇという遠慮の一切無い露骨な嫌悪的表現に、「そんな事言っちゃ駄目っす」という音々野々の注意が入る。

 二人で理由は何かと考えていると、不意にバタバタとあまり聞き慣れない酷く慌てた足音が聞えた。誰が勢いよく階段を下ってくる。


 やがて階段から現れたのは、珍しく血相を変えている間宮であり、音々野々と目を合わせるや否やその手を引っ掴んで再び一年生の寝室代わりになっている屋根裏部屋へ繋がる階段を駆け上がろうと体の向きを転換させた。



「音々野々、ちょっと来て」



 ぐいと普段の無気力な彼からは想像できない程の力強さで間宮が音々野々の手を引く。

 対音々野々に限らず、間宮は必要最低限しか同級生や先輩と接しようとしなかった。

取り留めもない世間話を自分から持ち掛けるようなことはしなかったし、練習も特に何も言わず黙々と取り組む男であったため、このような行動は非常に珍しい。彼に言われるがまま階段を上る。


 一番最初に目に飛び込んできたのは、白いシーツを染めるハッキリとした赤だった。


 思わず目を背けたくなるほど生々しく冷たい現実に、全身の血の気が引いていくような感覚がした。

 部屋の隅で布団で必死に左手を押さえつける杜若の瞳が、絶望の色を孕んでいく。



「何やってんだよお前!」



 杜若が言い訳を、そして間宮が自分の持つ情報を話そうとするよりもずっと早く、音々野々の腹の底から発せられた怒声が響き渡った。

 びくりと目に見えるほど体を震わせた杜若が大きな体を縮こませて息を止める。


 握り締めたカッターナイフと血で真っ赤に染まった手を見れば杜若が一体何をしていたのかを簡単に理解することが出来る。

理解していながらも、音々野々にはそう叫ぶことしか出来なかった。


 大きく一歩踏み出して音々野々が杜若に接近した瞬間、「来ないで」と杜若が悲鳴のような声を上げてその足を止めさせた。

 そうして大きな瞳からぼろぼろと涙を流し、手の震えを押さえるようにカッターナイフごと自身の両手を胸の前で抱きしめる。



「わっ、分かんないよ! 亜蘭くんには、分かんない! 絶対分かんない!」



 杜若がアームカバーをし始めたのは土日練習が始まった頃だった。

それまでの新入生扱いが鳴りを潜め、他の上級生と共にランニングや筋トレを本格的に始めたあたりから、彼の隠れていた自傷癖が顔を出し始めたのだろう。


 ランニングでは周回遅れは当たり前であり、いつも彼が最後にゴールした。全部員が彼の到着をゴール地点で待っていたが、それは早くゴールしなければという焦りと皆に迷惑をかけてしまっているというプレッシャーを杜若に与えた。

太っているせいで他の生徒が出来ることが出来ない。けれど体重は思うように減らない。

 その様々な自責が彼の腕に蓄積していったのだろう。



「かっこよくて運動も出来る、そんな君には絶対に分からない。僕みたいなデブの気持ちなんて分かんないよ!」

「分かる訳ないだろ他人だぞ!」



 音々野々が距離を詰めたのは、本当に一瞬の出来事だった。

 たった一歩で杜若の膝と自身の爪先がくっつくほどの場所まで跳躍し、刃を握る右手を掴む。

そうしてずいと顔を近付け、そのままガチンと間宮が息を飲むほどの鈍い音を立てながら自身の額を杜若の頭にぶつけた。



「全然分かんないけど、でも和太鼓叩いてんなら腕は傷付けちゃ駄目だ!」



 彼らしい真っすぐな言葉だった。

 そもそもリストカット自体してはいけないのだが、そんな忠告を杜若はもう何度も受けていた。

だからこそ、同じ部に所属して、同じ舞台に立とうとしてくれている音々野々の言葉が、傷付き崩壊しかけていた心にストンと入り込んでくる。

 いつの間にか布団に落ちる涙が一人分増えていた。



「俺はよよと一緒に太鼓叩くの楽しいよ。それがプレッシャーになってるんだったらごめん。気付かない所で追い詰めるような事言ったかもしんない。たくさん傷付けたかもしれないよな」



 自分よりも泣き始めた音々野々に、杜若が静かに涙は流しながらも呆気にとられた様子で肩を落としている。

 音々野々が溢れさせた大粒の涙がどす黒く染みになってしまったシーツや杜若の膝にぽとぽとと落ちていく度に、連動してズキズキと腕と心が痛みだす。

 自分の事を思って泣いてくれる同級生を前に、初めて自分は何をしてしまったのだろうという後悔が浮かんできた。

それまでリストカットは自分の心の安定の為にしていた節があった杜若にとって、それは初めて抱く感情であったことは間違いない。


 しばらくは震える声で謝り続けていた音々野々が、ぱっと顔を上げて杜若と目を合わせた。

 彼の瞳は涙で濡れて揺れていたけれど、しかし真っすぐ杜若を捉えて離さない。



「俺、よよと太鼓叩きたいんだ。だからそれを諦めることは出来ない」



 杜若はその容姿で虐められることも一切なく、家庭環境にも恵まれてふくよかに育った。


 皆が彼を好きになって大事にしてくれた。今まで杜若が接してきた人たちは、皆彼にペースを合わせてくれた。走るのが遅ければ待ってくれた。出来ない事があれば出来るように調整してくれた。

 それは紛れもなく愛であったし、杜若自身その優しい水で満たされた水槽の中で穏やかに過ごしてきた。

 けれど、音々野々亜蘭は決してその手を緩めることはしない。



「俺と一緒の舞台に立って」



 太陽のような同級生は、出来ない事はやらなくて良いと言わなかった。

今立っている場所で足踏みすることを否定し、自分と同じペースで走れと、そう告げている。

 初めてだった。期待されることを、泣き出しそうなくらい幸福に感じるのは。



「俺は頑張れって言わない。もうよよは頑張ってる。こんなになるくらいいっぱい」



 震える手で音々野々がそっと杜若の左手に触れた。あくまでも傷が無い所に、そっと。



「辛いって、苦しいって、何百回だって俺に言って。教えてくれないと分かんないよ」

「言われないと助けてあげられない」



 いつの間にかすぐ隣まで来ていた間宮が、相変わらずの無表情ながらもそう言いながら、手にした自分自身のフェイスタオルで杜若の左腕を覆った。

そのままくるくると腕ごと包むと、ぎゅうと強く握る。



「俺は知ってたよ。杜若がそうしてること」



 淡々とした呟きではあったが、その声には若干の懺悔と後悔が含まれているような気がした。



「そうすることが杜若にとって一番良くて、必要なことなのかと思ってたから、知ってたのに何もしなかった」



 ごめん。

小さく付け加えられた言葉に、杜若がぐっと息を詰まらせる。

その杜若の頭に、間宮がぽんと優しく手を置いた。撫でる訳ではなくただ乗せただけだったが、じわりと不器用な彼の精一杯の優しさが杜若になだれ込んでくる。



「もう謝りたくないから、今度はちゃんと言って」



 間宮が初めて見せる顔だった。

読み取りづらい鉄仮面ではなく、心配と後悔がはっきり分かる人間らしい表情。眼鏡の奥の目も不安で揺れていた。

その横で同じように未だに大泣きしながら音々野々が杜若の二の句を待っている。

 左右から自分に注がれるあたたかな想いの数々に、それまでせき止められていた涙が決壊したように再びぶわっと溢れだす。



「ごめんね……っ」



 涙が頬を伝った瞬間、音々野々も再び声を上げて泣き出す。

 自分は人より劣っているかもしれない。太っていることには変わりないし、それに伴って体力も無い。ランニングも筋トレも嫌いだ。


 けれど今の杜若には行かなければならない場所があり、背中を押して早く行こうと急かしてくれる人がいる。

 もうその人たちに謝らなくて済むように、その人たちに謝らせないように、精一杯生きたいと思った。



「ありがとぉ」



 ごめんねの代わりに、たくさんそう言えるように。



「んなとこで何してんだ。一年から通れねえって苦情来たぞ」



 階段の一段目に座り込みスマホを弄っていた明日葉に柊がドスの効いた声で話しかけた。

 一番相談しやすそうな初春は十條と打ち合わせをしており、二年生も学年ミーティングをしているので誰も手が空いていない。

消去法で普段怖くて声をかけることの無い柊へ泣きつくことしか出来なかった憐れな一年生が、二人の少し遠くで事の成り行きを見守っていた。


 自分たちの就寝スペースに続く階段に三年生がドカンと座っていたらそれはそれは通り辛いだろう。

明日葉なら声をかければどいてくれるかと思って初めに通ろうとした一年は、無言でにっこりと笑う彼の謎の圧力に屈してその場から逃げ去ってしまった。

 ぱっと顔を上げ、次に階段上の方をちらりと見やった後、明日葉がふうと息を吐く。



「もうそろそろ良いかな。千鶴、ちょっと瑛人呼んできて」

「はぁ? そこどけって言ってんだよ、さっさと自分の部屋に帰れ」

「こら何やってるんだ。秋介も千鶴も。ここは一年生の就寝場所だぞ」



 二人が階段下で揉めていると、打ち合わせを終わらせたらしい初春がやや早歩きで注意しに来た。

その後ろには一番最初に逃げ去った一年生がおり、彼が呼びに行ったのだという事が分かる。

 なぜか連帯責任で叱られた柊が納得いかないように眉間に皺を寄せるが、無駄な弁解はせず明日葉に分かる程度の舌打ちをして練習室の方へと歩いていった。



「打ち合わせ終わった? そしたらちょっと様子見てきてくんない? なんか二階でどったんばったん音がしててさ」

「一人で行けば良かっただろう。どうして俺を待ったんだ」

「んー、俺も今来たとこで」

「何分も前からここを通せんぼしていたらしいじゃないか」

「おっ鋭い。えーと、じゃあそれは嘘。ほら、瑛人が迎えに来てくれるの待ってて」

「適当なことを言うな。通るぞ」



終わるまで守ってただけだし、と自分にだけ聞こえるくらいの音量で呟き、上手く聞き取れなかった初春が怪訝そうな顔をして階段の一段目に足を掛けた。

続くように明日葉も立ち上がってスタスタと屋根裏部屋へ上がっていく。


それから間もなく初春が明日葉を叱りつける怒声が響いた後、すぐに呼ばれた結城や世良、十條が忙しなくバタバタと合宿所内を駆け回る。

一時は場が騒然としたのだが、やがて杜若の手当ても代わりのシーツの搬入も終わり、静かな夜が戻ってきた。



「大騒ぎになっちゃったね、ごめん」

「俺まで怒られた」

「うっ……、それもごめん」



 杜若が横になりながら小さく呟いた一言に、間宮が控えめな嫌味を言う。

杜若が自らそうしていたというのは大人たちにも説明したし、真っ先に説教の矢面に自ら立った明日葉から二人に対するフォローも入ったが、当然「なぜもっと早く呼ばなかった」という趣旨の厳重注意を音々野々と間宮は受けることになったのである。

 眼鏡を外して少し幼げに見える間宮が、眠りにつくでもなく仰向けで天井を見上げている。



「あんなに怒られたの初めてだ、俺」

「マジで? どんだけ品行方正なんだよ。俺なんて三日に一回は雷落とされてるのに」

「今までそこまでの感情をぶつけられることも、逆に誰かにぶつけようともしなかったし」



 露骨にため息を吐きながらころりと間宮が横を向く。反対方面に寝ている音々野々や杜若からは間宮の顔が見えなくなった。

 三人以外の一年生は既に寝息を立てている。皆初めての屋台囃子で疲れ切っているのだろう。

そんな同級生の眠りを妨げないように、極力声のボリュームを落として音々野々がふと体を少し起こした。



「なんか青春してるって感じ~」

「俺は人から説教されてそれを青春だって思える思考回路してない」

「そっかな。俺は初めて九十九が困ってたり動揺してるとこ見れたし、よよの気持ちも聞けたし、今日めっちゃ青春した! って言えるけどな」



 そう言った後、うーんと小さく背伸びをした後に再び敷布団の上に寝転がり、音々野々が右手を真っすぐ天井に伸ばす。

その手に出来たマメの一つ一つが、酷い痛みと共に自分の成長を証明してくれているようで、変わっていると言われても音々野々はこれを見るのが好きだった。



「分かったから早く寝て。亜蘭」



 間宮がそう音々野々を呼んだ。

ただでさえ皆が眠りについて静かだった室内がより一層静寂に包まれる。

 起きていたはずの音々野々と杜若も二人揃って目を丸くして黙り込んでしまう。


 やがて「はぁムカつく」と付け加えた間宮が布団を頭からかぶると、すかさず音々野々が彼の肩をトントンと叩いて興奮気味に話しかけた。

声の音量は控えめであったにしても、間宮からしたら普段と同じくらいの鬱陶しさだっただろう。



「えっ、ちょっともう一回言って!」

「黙れさっさと寝ろ、音々野々」

「戻ったしきつくなった!」



 二人のそんなやり取りを見ながら、杜若が小さく笑う。

その左手にはぐるぐるに包帯がまかれ、消毒液がジンジンとしみている感覚が今も続いていた。ふわりと微かに痛む箇所に手を添え、大きな体をくるりと丸める。


 まだ十分バチが握れる。まだ問題なく太鼓は叩ける。

十條は親からもらった体がどうこうと杜若をしこたま叱ったが、最後にそう付け加えて優しく笑ってくれた。

 おやすみと、柔らかな声で杜若が伝えた後は、二人の返事を最後に声は止んだ。



* * *



 合宿三日目。一年生三人揃ってゴールをしたランニングに始まり、この日も屋台囃子と爛華を各学年で練習をしていた。


爛華は長胴、連、締め、大締め、そして笛のパートに分かれる。それぞれの必要人数は楽器によって異なるが、最も多いのは長胴、その次が締めだ。

連というのは長胴太鼓を二つ組み合わせたスタイルの別称であり、叩くのは同じ物だ。

けれど平置きで一つの太鼓を叩くのと、二つ以上の太鼓を叩くのでは力の込め方がまた異なる。



「爛華における締め太鼓の役割は様々だ。リズムキーパーかと思ったら、長胴や連の裏でその光をさらに遠くまで届ける役目を担う。そして、またある時はソリストとして会場中の視線を一手に集めて、圧倒的な技巧で場を支配する」



 三つの締め太鼓と一台の桶が組まれた爛華用のセットの前で、十條はそう高らかにプレッシャーをかけた。

 十條の正面に運悪く立っていた志貴が彼の雰囲気に押されて肩をすくめる。そんな彼とは反対に、その隣にいた柊は当然と言った様子で十條の姿を静かに見据えていた。



「長胴は力で、連は一体感で魅せるが、締めは違う。お前たちに求められるのは純粋なテクニックだ。同じ演奏者たちが思わず呼吸を止めるほどの細かな連打や緩急をつけた音量の変化。全パートの中で最も多い四つの太鼓を扱う者として、求められることは多いぞ」

「出来ますよ、俺は」



 まだもう少し話しそうな雰囲気だった十條の言葉が一息途切れた時、柊が平然とした声で割り込んだ。

 遮られた十條が顔を柊の方に向けると、太陽の光に彼の金色が綺麗に反射する。

遠くからでも十條と分かるその髪色は、彼が百鬼総合の校門をくぐる時にいつも警備員に声をかけられる理由の一つだ。

 


「二年前の俺は出来なかったけど、今の俺なら出来ます」

「確かに前はお世辞にも上手とは言えなかったからな。何とかついていけていたが、あの頃のお前はただがむしゃらに先輩らを追いかけているだけだった」



 柊が一年生だった当時から十條は百鬼総合の担当をしていた。それに、あの大会にも来ている。



「なぁ柊、一つ聞くが、お前はなぜこの曲を選んだ」



 不意に十條がそう柊に尋ねた。

志貴を含む締めパートの生徒の視線が十條ではなく目を丸くして黙る柊に注がれる。


 それは酷く鋭い言葉だった。

柊の過去を知っている十條だからこそ出来た質問である反面、彼の冷たく淀んだ当時の心を理解していれば出来ないものでもあった。


 過去の自分の清算、又はその自分を無理やり肯定する為の昇華。全国出場を果たせなかった浅縹への復讐。

そんな演奏者が持つべきではない濁った理由はいくらでもある。


 十條自身、柊はそのうちのどれかを答えるのだと思っていた。だからこそこの練習が始まるタイミングで聞いたのだ。

 汚れた心持で叩けるほど爛華は簡単ではないし、そんな者が叩くべき曲ではない。言葉に出さずとも、彼の瞳はそう雄弁に語っていた。


 そんな厳しい質問をされたにも関わらず、柊はというと最初に驚いたようなリアクションを取った後は特にいつもと表情が変わらなかった。

 やがて、笑いもせず眉間に皺もよせず、彼は毅然とした態度で十条に向けて口を開く。



「爛華が好きだからです」



 たった一言、そう答えた。



「俺の好きな曲を大きな舞台で叩きたいですし、公演で一人でも多くの人に聴いてもらいたい。その為に上手くなりたいんです」



「好きって気持ちを何かの理由にしちゃいけないなら、皆一体何を理由に生きてるの?」


 夏の少し湿った香りがふわりと二人の間を吹き抜けていった。

 篠笛を手にしながら、寿屋がけろりとそう言うと、先ほど柊に言われた言葉が十條の中で再び思い出される。


「俺は太鼓が好きですよ。でも笛の方がもっと好きです。だってあんなに大きな音の中で、笛だけがメロディを持ってるんですよ。これってすごく特別じゃないですか」


五臓六腑まで響く太鼓の音と対照的に、笛は管楽器でしかない。

今の百鬼総合でも笛をメインに演奏したがるのは寿屋だけであり、一年生と三年生にはいなかった。

爛華に出場したいとなれば笛は競争率が低い。それは間違いなくそうなのだが、誰も手を上げようとしなかった。


誰一人として、寿屋理央には勝てない。

そう分かっていたから、二年生は勿論三年生も篠笛には立候補しなかった。

にこにこと屈託なく笑う彼の「好き」には誰も敵わないと。



「俺の音が世界を一閃する感覚を味わっちゃったら、もう戻れないですって」



 和太鼓だけで作り上げる黒白の譜面をカラフルに仕上げるのが笛の役目といっても過言ではない。

透き通るような軽やかな音が、和太鼓の響きをより一層奥深く鮮やかにしていく。寿屋はその感覚を知っていた。


真夏だというのに外で練習している寿屋の額には汗が滲んでおり、シャツにも随分染み込んでいるようだった。練習室は空調が効いていて涼しいのに、彼は頑として中に入りたがらない。

どうして屋外で練習するのかを知っている十條は、特に言及することなく同じように額に浮かんだ汗を拭った。



「その通りだな。全くお前には敵わんよ。体調管理には気を付けろ。熱中症になっては元も子も無いからな」



 軽く笑い声を上げながら十條が立ち上がるのと同時に、寿屋から「はぁい」という気の抜けた返事が飛んできた。

 透き通るような青空と緑が広がる外の世界に響くのは部屋の中から漏れる微かな太鼓の音。そして、寿屋の自由で美しい笛の音だけ。

 彼が猛暑の中外で練習する理由は、その風景を独り占めする為に他ならない。



 長胴太鼓は伝統芸能の中でも最もポピュラーな楽器であり、爛華でもその台数は他のパートよりもやや多い。ポジションではセンターも担っており、花形であることは間違いなかった。

目立つという事はそれだけ人の目を集めやすいという事。ゆえに長胴にも高いスキルが求められるのだった。実力の低さを人数で隠すのではなく、百点を掛け算するように叩く。



「正直初春以外はあまり期待出来んと思っていたが、さすがは俺の百鬼総合だな! なかなかに良い! ゼロスタートを予想していた過去の自分を殴り飛ばしてやりたい程に良い!」



 入りパートを切りのいい所まで叩いた時、十條がパァと顔を輝かせながら手を叩いた。

 爛華の演奏時間は約八分間。一曲としてはやや長めであるが、その中に各パートのソロも含まれているのでそれを加味すれば妥当な時間である。



「長胴として最も魅せたいのは笛ソロの後、二章解放だ」



 十條はこの二章解放を花びらが空中を激しく舞う様だと表現した。

 爛華という題名はそういったイメージから、十條たちの総まとめ役である祭の団長がつけたという話も付け加え、腕を組んだままにっかりと笑う。



「ただお花畑でふわふわするような曲を誰が聞きたい。俺たちに表現できるのは力強さだ。例えるなら桜が突風に吹かれて花弁を散らす最期のような、春になって様々な花が一斉に地面から顔を出して太陽を浴びるような、そういう生き生きとした強さだ」



 自身の想像よりも長胴パートの仕上がりが良かったのが大層嬉しいのか、十條はカラカラと笑いながら大股で部屋中を闊歩する。機嫌が良い時の彼の癖だった。何か酷く感情を揺さぶられるとその場に留まっていられないらしい。

 そんな十條の様子を初春が安心したように見つめていた。



「散り、枯れないものは無い。いつかは必ずそうなる。それが摂理だ」



 楽しそうに進めていた歩をふと止め、くるりと生徒たちの方を見やる。

 何か思う所があって急にテンションが下がってしまったのかと緊張感が走るが、すぐに彼はまた満開の笑みを浮かべた。



「案ずるな、たとえ散ってもまた華は咲く。お前たちが再び爛華を選んだようにな」



いつかの未来で再び散ってしまうと分かっていても、それでも水をやることを止めれない。

 窓の向こうから聞こえる優しい笛の旋律が、彼らの背中を押しているようだった。



「よし。それでは練習を始めよう! まだまだ課題は山ほどあるからな!」



***



 祭工房での最後の夕食は屋外でバーベキューと決まっている。

工房側が毎年気合を入れて材料を用意し、食事担当の職員は昼から野菜や肉を切り始める力の入れようだ。それを知っている二、三年生は心なしか午後に近づくにつれてそわそわとしていた。


 

「練習ご苦労だったな。祭で迎える夜は今日で最後だ。明日も午前中は通常通りに練習はあるが、今夜はよく食べよく笑い、各自親睦を深めてくれ」



 十條の一言の後、生徒たちが紙皿を手に肉や野菜を取りに向かう。

今日も朝から夕方まで屋台囃子を叩き通しだった一年生が、特に嬉しそうにグリルへ駆け寄っていった。



「行かなくていいの? 君は」



 音々野々が杜若の静止に耳を貸さずトングを振り回しているその少し遠く。

 一人で烏龍茶を手にぼんやりとその光景を見ていた間宮に、自分の分だけきっちり取ってきた世良が話しかけた。

そうして「隣いいかな」と問いかけると、間宮は軽い会釈だけで肯定を示す。

 すとんと間宮の隣に腰を降ろした世良が、彼と同じようにグリル周りで大はしゃぎをする生徒たちを見やった。



「若いなぁ……」

「先生も言うほど歳取ってないですよね」

「卒業すれば学生ブランドも通用しなくなる。昔とは立場が違うし、体も当時とは比べ物にならないくらい劣化してるから、もう若者気取ってられないよ」



 練習中に着用していたヘアバンドも今はしていないので、髪が降ろされてより若そうな雰囲気を感じさせる容姿をしているのだが、間宮の言葉に返ってきたのは力ない笑顔だった。それも長い前髪に隠されてあまり良く見えないのだが。

 年齢を感じるとは言いながら、その手にしている皿の上には山盛りの肉が乗っており、話している間にもそれらは一つ二つと口に運ばれていく。



「しかし明日も屋台囃子をやらなきゃいけないと思うと気が重いね。いや別にやりたくない訳じゃないんだけどさ、辛いじゃないですか、色々と。あ、もしかして辛かったの俺だけ? 晴彦さんはあんなにムキムキで若さに溢れてるのに。ねぇどうしたら俺も晴彦さんみたいになれると思う?」

「世良先生は、御来屋棗を知ってますか?」



 世良の長々とした感情の吐露を独り言と処理したらしい間宮が、その問いかけに答えず全く種類の違う質問で返した。

 すっかりスルーされてしまった世良が「えっ…」という情けない声を上げた後、少し考え込むように右手を顎の下に当てる。しばし考え込んだ後、何か思いついたように間宮と目を合わせた。



「世代は重なってないけど名前は知ってるよ。神々廻創立以来、初めて一年生の時に大会メンバー入りした片っぽの子だ」


 さらりと世良がそう答えると、自分から質問したというのに間宮は苦虫を噛み潰したような表情になる。

 年齢的に在籍は重なっていないだろうという事は予想できた。だから名前を伝えても知らない、知る術が無いという返事が来ればここまで嫌な顔はしなかっただろう。

 けれど今隣に座る元神々廻生は当然のように御来屋棗を知っていた。



「御来屋と知り合い?」

「従兄です。住んでる所は違うし、最近は向こうも部活があってあんまり会ってないけど、昔はよく一緒にいました」



 へぇ!という大きめの感嘆の声を上げながら、世良が顔を上げて前髪の奥の目を丸くする。



「じゃあ太鼓も御来屋の影響で始めたって感じなのか」

「影響っていうか、……あいつがやれって言ったんで」



少し遠くで騒ぐ部員たちの声を、彼らとは全く違う場所で聞いているような錯覚すら覚える。

目に見えている世界を額に入れて、一歩線を引いた向こう側で鑑賞しているような。

音々野々や杜若にはあまり見せなかった部分。彼が持っている透明な要素が世良の前に少しだけ姿を現している。



「自分は神々廻で叩いてるから、お前は百鬼総合で太鼓をやれって棗に言われたんです。別にどの部活も同じだろって思ってたから何でも良かったし。一度入った部活をすぐ抜けるのも面倒だから続けてるだけです」

「ねぇ九十九。君はどうして太鼓を叩くの?」



 間宮九十九は何も持たない空虚な男だった。

 夏の夜風がさぁと吹き抜けると、途端手の中にある全てが吹き飛んでしまうそうな程。



「棗に言われたから、ですかね」



***



四日目朝。

早朝ランニングや筋トレは勿論、それぞれの曲練習が終了したお昼前。一年生から三年生までが一か所に集められ、揃って十條と世良を見上げていた。

二人の少し後ろには結城も立っており、今練習室には全部員と講師が揃っている。



「それぞれ合宿期間中、大変良く励んだ。高く評価しよう。一年生も拠千代に面倒を見てもらったが、だいぶスキルアップできたようで何よりだ」



 かっかっか!と漫画のような笑い声を上げながら、十條が世良の背中をトンと叩く。

それまで夏の暑さにやられたのか、はたまた腹筋を酷使する屋台囃子の弊害が出たのか、やや生気の抜けた顔をしていた世良が、ふわりと嬉しそうに微笑む。

それ程十條に成果を評価されたのが嬉しかったらしい。



「さて。一昨日言った通り、この三日間の様々なことを鑑み、俺と拠千代で大会出場メンバーを選定した。昼食前で腹が減っているだろうが、緊張して食事が喉を通らない者もいるかもしれないと思ってな。先に発表することにした」



 集められた時からメンバーを発表するだろうという事は生徒たちに予想出来ていたけれど、こうして直接伝えられると緊張感がより一層増してくる。

 皆それぞれ緊迫した雰囲気であったが、特に思いつめたような顔をしている二年生が一人いる。


二年生たちが座っているエリアの一番後ろに隠れるように膝を抱えている志貴だ。

 俯いて自分の脚の辺りを見つめている志貴と目を合わせるように、寿屋がやや強引にその顔を覗き込む。珍しく不安そうに彼の目は揺れていた。



「俺、なんかドキドキしてきたから、手握ってもいい?」



 本当は緊張なんてしていなかった。

 寿屋は自分が選ばれるという確固たる自信があったし、その為の努力を怠らず、彼の才能は抱いた強い意思に最大限呼応した。

元から高かった実力の上限をさらに押し上げ、選出されるに相応しい程の技術を彼は物にしていた。

 それでも手を繋いだのは、たった一つの不安の種があったから。



「お願い、雅」



 乞い願うような寿屋の声に、志貴が静かに息を飲んだ。

そうして自身の手に重なる彼の手を少しだけ握り返し、小さく微笑みを浮かべる。力無いものではあったが、笑ってくれたという事が嬉しかったらしく、寿屋も応えるようににっこりと口角を上げた。

 そんな二人のやり取りは他の部員たちに聞かれることはなく、十條により淡々と選出メンバーが発表されていく。



「まずは長胴。センター、三年初春瑛人。以下最前列から出雲那由多、木賊律」



 やはり花形とも言える長胴太鼓のセンターは、部長であり長胴単体で言えば最も高い技術を持つ初春が選ばれ、両サイドも同じく三年生の中から選出された。

二列目には二年生が一人だけ選ばれ、小さな歓声が上がる。



「続いて連。裏センター位置は三年明日葉秋介。両サイドは同じく三年の……」



 連に続き、その後ろに配置される大締めのメンバーも発表され、今のところ各パート三年生で選ばれていない者はいない。

初春らの後ろに隠れがちの彼らだが、同じく百鬼総合で三年間過ごしている実力が高く評価されたのだろう。



「少し順番が前後するが、続いて笛。二年、寿屋理央」



 全体的に見た時の楽器の音量から考えると、笛パートは二人選ばれるかと思っていたが、十條が口にしたのは寿屋の名前だけだった。

締め太鼓では人数的に選ばれない三年生も出てくるかもしれないこのタイミングで、呼ばれたのはたった一人の二年生。

 動揺とざわめきが練習室内を支配したが、名前を呼ばれた本人は凛とした表情で真っ直ぐに十條を見つめていた。



「あえて一人にした。誰かの音に合わせるのは性に合わんだろう、寿屋」

「だから責任持って一人で何とかしろってことですよね」



 意地悪だなぁ、と小さく肩を落としながら付け足したが、言葉とは裏腹にその表情は綻んでいた。溢れだす嬉しさが隠しきれていない。

 自分よりも大きな音を出せる太鼓たちを前に、舞台上で篠笛を奏でることが出来るのは寿屋だけ。

誰も頼る事が出来ない代わりに、誰の音にも縛られず、誰の色にも自由に染まる事が出来る。孤独の特権だった。



「ありがとうございます、十條先生」

「しっかり励めよ。では、最後の発表に移る。締めに関してだが、前列上手側は三年柊千鶴。下手側は御門千里。後列下手側は黛煉。それで、ここからが少し問題でな」



 締めパートの前列は柊と同じく三年生の御門が選ばれた。まだ後列に黛三年生を除いたもう一人いるはずなのだが、十條がここで言葉を止める。

三年生の中でもまだ選ばれていない者がいる。それに、寿屋が手を握る彼の名前はまだ呼ばれていない。

 何事も爽快に決定する彼にしては非常に珍しく、何かを言い淀んでいる様子の十條を横目でちらりと世良が見やる。

選定に関して二人や結城も含めて話し合いもあっただろうに、それでも何かを決められなかったらしい。

 やがて少しの沈黙の後に十條がふと顔を上げる。その視線の先にいたのは、三年生でも志貴でもない。



「一年、間宮九十九。彼を選定対象に挙げる」



 射貫くような鋭い視線と共に十條が名前を呼んだ。

 一年生の中から選ばれるわけが無いと学年の中でも話をしていただけに、この状況は全く予想していないものだった。皆が驚いたように間宮の方へ視線を動かす。

 十條の隣に立っていた世良はただ黙って顎を引き、間宮の出方を窺っているようだった。



「今日までに全てのメンバーを選定すると言ったが、締めの残り一人は保留とさせてもらいたい。一か月後にまた俺が百総に行く。その時に簡単なオーディションを行わせてくれ。その結果を踏まえ、最後の出場メンバーを決定する。間宮に関しては今から新曲を練習するわけだが、無理ならそれで構わない。いつでも諦めて紫先生に辞退すると報告してくれ」



 それは明らかな挑発だった。

 音々野々や明日葉であれば間髪入れずに手を上げて宣戦布告し返すところではあるが、今十條が相手をしているのは百鬼総合きっての無感情ルーキーである。


 静まり返る練習室で、次の言葉を継ぐべきは間宮なのだが、ぼんやりと十條を見上げるだけで何も言い出すことはない。

 ただ世良だけが不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。



「一年生の間宮九十九君を大会に出場させることは難しいでしょうか」



 三日目の夜、バーベキューの片付けも終了し、生徒たちが風呂に入り始めたタイミングで、夜風に当たって涼んでいた十條に世良が話しかけた。

 ぴしりと背筋を伸ばした世良は相変わらず前髪をおろしたままであったが、立ったまま真っ直ぐに十條を見つめている。

同じ祭工房の演奏者といえど、十條の方が世良よりも年齢実力ともに上だ。十條は元から上下関係はあまり感じさせない人柄であるが、強豪神々廻高校で三年間過ごした世良には礼節が十分すぎるほど備わっている。

 国内各地を演奏や講習目的で転々と飛び回るメンバー同士、こうして顔を合わせてゆっくり話す機会はあまり無い。

十條が立ったままの世良に対して小さく笑いかけ、縁側に座る自分の隣をトントンと手で叩いた。



「随分と急だな。明日メンバーを発表するというのはお前も知っているだろう」

「すみません。僕の提案で迷惑をかけてしまうことは分かっています。でも」



 十條の言う通り、メンバー決定の前日に今まで一切練習に参加していない一年生を推薦するというのはかなり突飛な提案であった。

 確かに間宮は一年生の中でも技術が抜きん出ており、きちんと爛華の練習に励めば大会出場もあながち非現実的な話ではない。

加え、今回の大会選出メンバーに入れるという事は彼自身の更なるスキルアップにも繋がる。


しかし合宿も終わろうとしているこのタイミングだ。

既に爛華を数日担当した十條の中で誰をどのパートに入れるというのは粗方決まっているだろうという事も、数年彼と行動を共にしている世良には分かっていた。

 それでも声に出さずにはいられなかったのだ。



「僕はあの子に可能性をあげたいんです」



 切迫した声音で世良がそう言った瞬間、それまで静かに聞いていた十條が堪えきれなくなったというように突然噴き出し、恐らく室内にまで響くほどの大きな笑い声を上げる。

 しばらくの間快活に笑った後、くしゃりとした彼らしい笑顔を浮かべながら十條が世良と目を合わせた。


 二人は数年同じプロチームで活動してきた。

祭工房に所属する同僚として、先輩後輩として、演奏者として。

しかし、十條晴彦と世良拠千代という、実力も才能も立場も関係なく、垣根を超えた一個人として向かい合ったのは、星降るこの夜が初めてだった。



「珍しいなぁ、お前が俺に我が儘を言うのは」



 先輩の考えを否定するかもしれないという世良の一世一代の覚悟を持って進言した提案は、十條にとっては我儘程度の些細なものだった。

加え、その我が儘を彼は心底嬉しそうに享受し、大事そうに自分の手の中で転がしている。

 まるで我が子を慈しむように十條が顔を綻ばせ、そのまま言葉を続ける。



「俺は百鬼総合に所属する全ての生徒を平等に愛している。皆に可能性を与えたい。未来を夢みたい。俺も一人の人間だからな」



 見上げた空に一つ流星が瞬き、遠くの山へと吸い込まれて消えていく。



「才能が無くとも努力し続けられる奴が好きだ。高みに手が届かなくとも、みっともなくとも、それでももがいて戦って進んでいく奴が好きだ。技術が追い付かなくとも純粋に太鼓を楽しめる奴が大好きだ」



 瞳に映るきらきらとした星々の光が、より一層十條を引き立たせている。

 才能に溢れ、努力を怠らず、誰よりも太鼓を愛する男である十條がそう口にすると、それらの言葉たちは途端意味を持って輝きだす。

そうハッキリと感じているのは世良だけかもしれないが、百鬼総合の生徒たちも本能的な部分で感じ取っているだろう。

 思わず目を逸らしてしまいそうな程の眩しささえ感じる彼の横顔から、それでも目を離すまいと世良が両手を握りしめる。

 すると、ふと十條が彼と再び目を合わせて問いかけた。



「間宮はその者たちを差し置いて、俺たちが特別に煌めく可能性を与えるに足る演奏者か?」

「僕はそう感じました」



 世良の間髪を入れない回答に、少し予想外といった表情を浮かべて十條が口を閉じる。

 前髪の奥に今も隠れている瞳は、十條の前ではいつでも不安そうに、怯えたように小さく揺れてばかりだったのに、今は全く違う。



「お願いします。たとえ未来でとんだ見込み違いだったと叱責されたとしても、僕はこの選択を絶対に後悔しません。僕が可能性を感じた、ただそれだけです。それ以外何もない、単純な我が儘なんです」



 最後にもう一度凛とした声音で「お願いします」と付け加えながら世良が頭を下げる。

十條は下げたままの頭をしばらく黙って眺めた後、ぽんとその上に手を置いて犬でも撫でるかのように荒々しい手つきで撫でてみせた。

 すっかりくしゃくしゃになった黒髪をそのままに世良が顔を上げ、十條の次の言葉を待つ。

 彼の期待に応えるように十條はまたふわりと笑い、頭に手を置いたまま答えた。



「可愛い後輩の我儘を聞くのも先輩の務めだ。だが少し考えさせてくれ。また明日報告する」

「ありがとうございます!」



二人ともプロの演奏者として今も技術向上のため日々切磋琢磨しているが、すぐ傍にいる若き才能には敵わない。

体もこれからより鍛えられていく。心もスキルも日々研磨されて素晴らしいものへと色を変えていく。


その可能性を見出し引き上げるのは、いつだって大人の役目だ。

 自分に夢を見るのも止めない。けれど、自分ではない誰かに夢を見るのも講師の特権だった。

 遠くで飛び交う生徒たちの言葉に、ただ黙って二人顔を綻ばせた。



「……俺に出来ると先生方が判断されたなら、やります」



 しばらくの沈黙の後、間宮がそうぽつりと呟いた。

何事にも気持ちを動かさず淡々とこなしていく間宮らしからぬ迷いの見える返事に、音々野々や杜若も同級生が選ばれたという誇らしさよりも、不透明な不安の方が勝ってしまう。

やや重苦しい空気が練習室に漂い始めたその時、十條が大きな両手で拍手をして空気を切り替えた。



「俺からは以上だ。詳しいオーディション日は追って紫先生へ連絡する。それでは各自昼食の準備を手伝ってくれ」



 ほぼ全ての大会出場メンバーが決定した。それは間違いないのだ。喜ぶ者もいれば、悔しさに歯を食いしばる者もいる。

 ただどうしても、最後に取り上げられた一年生の存在が皆の中に引っかかってしまうのだ。

 十條の声でも拭いきらなかったどんよりとした雰囲気に、明日葉のからりとした声が光指す。



「あー、お腹減った。ほらご飯だってさ、皆支度しよ。なんかもう逆に吐きそうなくらいペコペコなんだけどもしかして俺だけ?」



 場違いな程いつも通りの彼の声に共鳴するように音々野々が勢い良く手を上げる。



「俺もです! 腹筋使い過ぎたんでなんか入れないと家まで帰れません!」

「ざぁんねんでした。今から帰るけど各家に直行じゃなくて持ってきた分の太鼓の搬入があるのですぐ帰れませ~ん。じゃんじゃん働いてもらわないと困りますなぁ?」

「よっしゃ! めっちゃ食お!」

「あれ待って違う方向にやる気出しちゃったじゃん、俺の分までいくつもりでしょ」

「いきます!」

「めちゃくちゃ馬鹿じゃん、絶対ダメ」



 軽やかな二人の会話にいつの間にか賑やかさを取り戻した部員たちが、各々クールダウンをとったり食堂に移動し始めた。

間宮もいつの間にかいなくなっており、どうやら杜若はその彼の後を追いかけていったらしい。


 伝えることを伝えた十條らも練習室から退出していく。

それぞれ振り分けられている待機室に移動する道中、後ろから飛んできた息せき切った声で呼び止められた。

 そこには全速力で走って来たのか、細かく呼吸をしいている寿屋がおり、十條と世良に向かって鋭い視線を向けている。



「どうして雅じゃ駄目なんですか」



 何となく二人は寿屋がそう言ってくるような気はしていた。

 常に志貴と共に行動し、彼の全てを気遣い肯定している寿屋が、このまま黙ってオーディションの敢行を認めはずが無いと。

 しかし、爛華の担当をしていない世良にさえ分かった。

彼の瞳から伝わる、鮮明な揺らぎを。



「お前が一番分かっているだろう。それを俺に聞いて、自分は逃げたような気になるな」



 十條が寿屋にかけた言葉は、十七歳にはあまりにも厳しいものであった。けれど何よりも寿屋の心情を表しており、自身もそれを理解していた為、途端何も言えなくなる。

 間宮の追加選抜を許してしまったのは明らかに志貴の実力不足だ。他の追随を許さない程上手かったら、十條は志貴を選んで世良の提案を退けただろう。


 しかしそれは叶わなかった。寿屋にある類稀なる才能が、志貴には無い。

 誰よりも近くで志貴を見続けてきた寿屋にはそれが痛いほど分かっていたけれど、それを自分以外の誰かに否定して欲しかったのかもしれない。



「舞台上で年齢は関係ない。そこに必要なのは才能とスキルだ。それを証明したのは他ならぬお前自身のはずだぞ」

「でも、そうじゃなくて、だって俺は……」



 次々と撃ち続けられる正論たちが寿屋の心臓を射抜いていく。その度に彼の頭の中は真っ白になり、何を言い返したらいいか分からなくなっていった。

 十條が言っていることは寿屋の頭の中にあることそのものだ。

常日頃から彼が胸を張って言っている理論。確かにそうだと、言う通りだと分かってはいる。


 けれど。

そう言葉にならない声を上げようとした瞬間、十條の隣に黙って立っていた世良が彼のオーバーヒートしかけた頭に優しく手を置いた。



「雅と一緒に舞台に立ちたいんですよね、理央は」



 十條の言葉で穴だらけになってしまった寿屋の心に、ふわりとベールがかけられた。

 今にも泣きそうな顔をしながら寿屋が世良と目を合わせると、彼も彼で少し辛そうな表情を浮かべながらにこりと笑いかける。

そんな世良とは対照的に、十條は腕を組みながら冷ややかな目で寿屋を見下ろしていた。



「たとえこの先何があろうと、お前は絶対に笛を手離すな。それが選ばれた者の義務だ」

「……雅が選ばれないみたいな言い方しないでよ」

「そうですね。まだ未来は分かりません。九十九以外にもあの場所を狙っている子たちはいます。誰が選ばれてもおかしくない。誰が舞台に立とうと、それはそういうことなんです」



 十條と世良。向けられる温度は違えど、二人の講師からそれぞれの形の指導を受けた寿屋が押し黙る。

しかしなおも言い足りないのか、己の心が整理できないのか、寿屋は小さな声で否定の言葉を吐き続けた。



「でも、今日選ぶんだったら絶対に雅じゃん。何で先延ばしにするんですか、どうして」

「いい加減にしろ、寿屋」



 その声は地を這うほど低く、立ち上がれなくなる程に重かった。

昼食の為に移動していた三年生らが目を丸くして十條を見やる程、寿屋を叱責したその一言は、今まで聞いたことの無いほど冷たいものだったのだ。

世良が次の台詞を出さないように引き留めるべく手を空に彷徨わせたが、間髪入れずに十條が話し続ける。



「先程から聞いていればまるでもう志貴が不合格にでもなったかのようにグズグズと。今のお前に出来ることは俺に恨み言を吐く事か? 覆らない現実に唾を吐く事か? 違うだろう」



 一言ずつ言葉を重ねる度に十條の声が大きくなっていく。決して温厚という訳ではないが、こうして太鼓以外ではっきりと生徒を叱る姿は、世良も初めて見るものだった。



「お前が信じなければ他に誰があいつの選抜を信じる。たとえ結末に気付いていたとしても、誰よりも志貴を信じて、最後まで頑張れと声をかけてやるのが、自分の役目だとは思わんのか」

「晴彦さん。もう行きましょう」



 寿屋に顔を一層近付けて言葉を続けようとした十條の肩を、世良が少し乱暴に引いて引き留める。

がくんと十條の重心が後ろへと揺らぎ、寿屋に向けていた鋭い視線がそのまま今度は世良に注がれる。

 しばしその場は凍り付いたように静かであったが、やがて十條が黙って寿屋に背を向けて再び歩き出した。


その後ろを追いかけるように着いていった世良が、建物の構造的に二人の姿が寿屋から見えなくなってしまう直前に小さく振り返り、十條から隠れるように小さく両手を合わせ、口だけで「ごめんね」と告げて姿を消した。



「……やめてくださいよ、ほんと」

「いやぁつい熱が入ってしまったな。すまない。だが俺は寿屋に謝る気はないぞ」



 待機室に向かう道中、疲弊しきった声を上げた世良に対して、十條は先ほどの冷たい怒りはどこへやら、カラカラといつも通り快活に笑ってみせた。



「俺はな、拠千代。正直間宮より志貴の方が好きだ。このような事を講師である俺が思うべきではないという事は重々分かっている」



 少し遠くから聞こえてくる若さ溢れる明るい声で、自分の仄暗い気持ちを隠すかのように十條は小さな声でそう言った。

 自分の気持ちだけで物事を進めるのが難しいと感じてしまうほど、背負った荷物が重く多い彼ら講師陣にとって、寿屋のような自分の想いに真っ直ぐに生きている人間は酷く眩しく見える。



「俺とて寿屋と同じく、志貴を舞台に立たせてやりたい。だが彼らが目指しているのは仲良しこよしの学芸会ではないのだろう」



 かつてその完璧な演奏で現在も不敗を誇っている神々廻に所属していた世良には、十條の言葉の意味が良く分かった。

だからこそ上手く考えを言い表すことが出来ずに、色々な気持ちの狭間でただ揺れ動くことしか出来ない。

 何も答えない世良の代わりに、十條が口を開いた。



「であれば、俺たちが出来ることは心を否定して実力のみで出演者を選別することだ。どの世界でも最後に勝つのは実力のある者と決まっている」

「後は彼らがどう進むかです。僕らがやることは一旦お終いですよ」

「はっはっは! お前も大人になったなぁ、拠千代」



 ほんの少しの後悔とたくさんの期待を込めた笑い声が、工房内に響いた。



 合宿所の前にバスが到着し、生徒たちが続々と荷物を搬入する。

太鼓を持参したとはいえ、祭が持っている分では少し足りなかった数台の締め太鼓やスペアのバチを持ってきただけだったので、さほど時間はかからず帰り支度が完了した。

 夏の日差しが容赦なく照り付ける中、十條と世良、そして生活管理などをしてくれていた職員も出て来て祭工房総出での見送りとなった。



「お忙しい中、四日間本当に色々とお世話になりました。ありがとうございました!」



 初春に続き、全員が大きな声でお礼を言って頭を深く下げる。



「体調管理には十分気を付けて頑張って下さい。僕も大会は応援しに行きますから」

「体が資本だ。良く食べ、良く寝て、良く叩け」



皆が再び顔を上げたタイミングで、世良がふわりと笑って労いの言葉をかけ、続いて十條が太陽を背に、その光に負けないほど明るく笑ってみせた。


長きに渡った葛藤に終止符を打ち、大会出場を決めた三年生。自分と向き合い、色々な事と戦い始めた二年生。そして新しいステージに進もうとしている一年生。



「期待しているぞ、百鬼総合!」



それぞれの想いを胸に、祭工房での夏に終わりを告げた。


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