序章 特別な夜に出会い⑤

 数時間後。

 リザは、王宮のどこかもわからない部屋に一人でいた。

 身の置き所のないろうえんつかれ果て、女官に再びけられた後、見たこともない軽くて美しい夜着を着せられて、しんだいほうり込まれた。

「あのぅ……、もうそろそろ帰ってはいけないのですか?」

 黙ったままの女官に、やっとの思いでたずねても「今夜はこの部屋でお休みください」と鹿にしたように言われるだけだ。女官たちは部屋のあかりを全て消すと、入り口に小さなランプをひとつだけともして立ち去った。

 一人になると、部屋の広さと暗さが押し寄せてくる。ごうそうしよくやわらかい寝具も、リザをなぐさめることはできなかった。心細さで体が震える。

 昼間の儀式のことはほとんど覚えていない。ちらりと見た男の金緑の瞳と深い声に、なぜかリザは一瞬の好ましさを覚えたが、今はニーケとオジーにひたすら会いたかった。

「ニーケ……」

 大きな寝台の上で、リザはたった一人の友人の名を呼んだ。とてもねむれそうにない。

 リザは後で𠮟しかられてもいいから、一度きゆうもどろうと決心し、そっと寝台を下りた。

 彼女はこの場所がにいどこの場だとは、思いもしなかったのである。

「私のことなんて、誰も知らないし、きっとだいじよう。この部屋は二階だから、後ろの階段を下りたらなんとかなるわ」

 自分をはげますためにそう呟いた時、驚くべきことが起きた。扉が音もなく開いたのだ。

「ニーケ? ニーケなの?」

 自分に会い来る者など、この世に一人しかいない、そう思ってリザが声をあげた時。

「ニーケとは?」

 暗いろうから低い声が聞こえた。驚いたリザの前に背の高い姿がゆっくりと現れる。

 昼間と同じ声だ。そのことにリザはなぜか少し安心し、勇気を出して答える。

「ニ、ニーケとは、私のじよで、友だちです」

「侍女で友だち?」

 男は不思議そうに首をひねっている。まるでリザがみようなことでも言ったように。

「はい。すっかりおそくなったので、むかえにきてくれたのかと……」

「……ええと、もしかして殿でんは今夜、友だちが迎えにくると思っていたのですか?」

「はい。ニーケならきてくれると思って……知らないところで、一人でるのがこわいから」

 リザの答えに男が黙り込む。

「あ、あの?」

 リザは急に怖くなった。

 自分がなにかひどいちがいをした、そう思ったのだ。それとも、自分がみにくいカラス娘だからすっかりいやになったのか。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。私、何も知らなかったのです。でも、もう帰りますから、あなたはゆっくりここで休んでください」

 リザは男の横をすりけようとしたが、すばやくうでつかまれて動けなくなった。

 驚いてり返ると、自分を見下ろす瞳とまともに目が合った。光の強い金緑の目。

「お待ちください殿下。そのうす裸足はだしではおしてしまいます。とりあえず寝台にいきましょう」

 あっという間に、リザはエルランドにかかえあげられた。

 その腕は大きくてかたく、そして温かい。彼は布団の中にリザを押し込むと、自分はテーブルの横の椅子いすこしをかけた。柔らかい布団はまだぬくもっていなかったが、彼のれたところだけが温かい。

 リザは自分だけでなく、エルランドも儀式やうたげの時の立派な服装とは違い、夜着を着ているだけだと気がついた。鉄色のかみが少し湿しめっている。彼も風呂に入ったのだろうか?

 前髪の下の目はやっぱりれいな緑色で、左のまゆのあたりにななめに傷が走っている。

 するどい顔だちだ。だが不思議とリザは怖いとは思わなかった。

「あなたもこの部屋で寝るのですか?」

 思わずそう尋ねていた。エルランドは目を丸くしている。

「……殿下、あなたは」

「殿下ってなんですか? 私の名前はリザです」

「ではリザ姫」

「リザです」

 今までほとんどけいしようで呼ばれたことのないリザは、改めて名乗った。なんとなくこの男には、自分の名を呼んでほしかったのだ。

「わかりました。では失礼して、おんを呼ばせていただきます。改めまして、私はエルランド・ヴァン・キーフェル。あなたの夫となった者です。よろしければ少しリザと話がしたいのですが」

「……はい。どうぞ」

「そして、申し訳ありませんが、そつちよくに話をするために、私のだんの話し方でしやべらせて欲しいのです。長い戦場暮らしで、かしこまったことに慣れていないので……無礼の段は先に謝罪いたします。申し訳ございません」

「どうぞ、つうにお話しください。私もれい作法はよく知りません」

 頭を下げる男に、リザも正直に伝えた。

「ではおたがい、のままというわけだ」

 エルランドは笑った。笑うと厳しい瞳が柔らかくなり、リザはまた少し力を抜いた。

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