序章 特別な夜に出会い③

 メノムの言ったとおり、二日後の昼間、二人の女官と四人の男が離宮にやってきた。女官は、リザにおざなりにあいさつをすると、男を指揮してを用意させている。今まで風呂といえば、おけで体をせいしきするだけだったリザは、非常におどろいた。

 女官たちはぼうぜんしつのリザを風呂に入れて洗いたて、髪とはだに良いにおいのものをり込む。その態度はぞんざいで、世間知らずのリザでも、敬意がじんふくまれていないことがわかった。それがすむと、彼女たちはリザにだいおくれのドレスを着つけた。はなよめ衣装である。

 しかし、痩せっぽちのリザには大きすぎる。女官は無言ではばめると、今度はかみいとしようにとりかかった。

 リザの黒い髪は貴婦人のように長くはない。それを無理やりきつく結い上げられ、生まれて初めての化粧をされた。

「結構です。こちらへ」

 女官に連れられて外に出ると、さっきの男たちが立派な輿こしを用意して待っている。

「ひ、一人で行かなきゃならないの?」

 心細さのきわみでリザの声はふるえる。しかし、女官は素っ気なく「さようでございます」と言っただけだった。問答無用で輿に乗せられ、視界が高くなる。

 だんとはちがう風景と、れてたよりない感覚にリザは急にこわくなった。

「嫌! やっぱり結婚やめます! おります、おろしてください! ニーケ、オジー!」

 リザはさけんだ。しかし、誰も耳を貸すことはなく、心配そうにしている二人を残して、輿はゆっくりと動きだす。

 高さにおびえたリザは手すりにしがみついて、ニーケとオジーを振り返った。

「怖いわ! 助けて! 兄上なんかだいきらいよ! ずっとほうっておいたくせに!」

 やがてそうれいな王宮が見えてくる。ごうで広大で、リザにとっておそろしい場所が。

 リザは物言わぬ女官たちに先導されてろうを進み、知らない部屋に通される。

 中は豪華だったが誰もいない。古ぼけた花嫁衣装のままのリザが一人立ちくしていると、しばらくってノックもせずに男が入ってきた。こちらも一人だが、豪華な服を身につけている。

 兄王、ヴェセルだった。

「久しいな、カラス」

 ヴェセルは横柄に言った。中背だが、小さなリザからすれば、見上げるたけである。

「おい、挨拶もできんのか。さすがにカラスだけのことはある」

「……あ、兄上様……お久しゅう、ございま……す」

 慌ててリザが頭を下げる。兄王は十七歳年が離れたリザのことを、いつもカラスと呼んだ。きんぱつの王家にふさわしくない、黒髪を持って生まれたゆえだろう。

「兄ではない、陛下と呼べ。カラスの分際で」

 返事の代わりにリザは、ますます深く頭を下げたが、乱暴に上を向かされてしまう。

「ふむ……せてはいるが、病気などはしておらぬようだな。お前の母親も、顔だけは見られた女だったから……これならいけるだろう」

 何がいけるのか、リザは聞かなかった。小さいころからほとんど会うこともなかった、会えばさげすまれ、虫でもはらうように追い払われたおくしかないちようけい

 この兄が現ミッドラーン国王なのだ。

「先日聞いたであろう。そなたは、この国一番の働きをした戦士に嫁ぐことになった。わかるな?」

「……」

「聞かれたら返事をしろ! そのくらいのれいわきまえないのか、このカラスが!」

「は、はい」

 リザはなんとか声をしぼり出した。

「その戦士は、一応貴族の出だがしやくはない。ずっとようへいをしていたが、このほどイストラーダの領地との称号をあたえた。お前はその男に嫁ぐのだ。だから、お前は領主夫人となる。あの古ぼけたきゆうで暮らすよりよほどいい身分、いい生活となるだろう」

「……はい」

 あれから何度もつぶやいた名前、騎士エルランド・ヴァン・キーフェル。

 名前と地位以外、顔も過去も知らない男が、今日これから自分の夫となる。それがリザの現実なのだ。

「言っておくが、お前の育ちを、あやつに言ってはならんぞ。今のように大人しくして、敬ってやるのだ。そうすれば田舎者のことだ、王家の血くらい尊重してくれるだろう」

「はい」

 素直な返事に、ヴェセルは満足したようだった。

「しばらくこの部屋で待て。むかえの者が来たら拝堂に向かうがよい。けつこんしきはそこで行われる。くわしくはその者から聞け。おっとそうだ、忘れていた。そら、これを顔にかけておけ。そんないんな顔では男は喜ばぬ」

 そう言って、ヴェセルはわきのテーブルからヴェールを取り上げ、リザの頭にかぶせた。

「お前のかみは、王家にあらざるカラス色だからな。せめてこれを被っておけ。ナンシーからのおくり物だぞ。ありがたく思うがよい。決して外すでないぞ」

 ヴェールは一部糸が切れて破れている。姉のナンシーもまた、いらないものをしたのだ。花嫁衣装は好きになれなかったリザだが、このヴェールはせんさいで好みに合った。

「そういえばお前、名はなんだった?」

 立ち去りかけたヴェセルは、ふと思いついたように振り返った。

「な?」

「名前だよ、このぐずが! 名を言えなくては、儀式の格好がつかぬではないか!」

「リザです」

「リザ? それだけか? そんなだったような気もするな。まぁ覚えやすくてよいわ」

 そう言い捨てて、ヴェセルは部屋を出て行き、再びリザは一人きりになった。

 体が震えるのは寒さのためか、これから起きる事のためか。

「……エルランド・ヴァン・キーフェル」

 リザはつぶやいた。その名を持つ男は、すぐそこにいるのだ。

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