第一章①

 かつては都内有数のかんらく街であり、興行の場としてもにぎわいを見せた玉繭地区。

 今ではかんせいな住宅街となったその一角に、蜘蛛縫組のしきはひっそりと建っていた。

 一見こぢんまりとした日本家屋だが、そこかしこにかんカメラが付いていて、ものものしい空気がただよっている。輪廻は古びているがよくみがかれたゆかを音もなく歩き、部屋の前で立ち止まると引き戸を開けた。

「ただ今もどりました」

「おかえり。ずいぶんとおそかったじゃないか」

 ふすまを開けると、部屋には和服をいきに着こなしたくろかみの利発そうな少年──と見まごうばかりのふうぼうをした男がゆったりと座っている。

 その横には、つややかな髪を結い上げた着物姿の美しい女が寄りっていた。

 男は蜘蛛縫組三代目組長、蜘蛛縫正太郎。女はその妻のつむぎである。

 先代までは他団体とのこうそうに明け暮れるような血気盛んな組であったが、正太郎が組長に就任してからは方針を一変。売られたけんは買うが、けることはしない。地域との交流を密に図り、おんけん派にてつするようになった。さらに上下関係にもさほど厳しくなく、たとえ使いっ走りの若衆の意見にも耳をかたむけるほどだ。

 そして、都内に事務所を構える三大組織とれんけいし、五組長会議という連合を成立させた。これは東日本に属する極道一家の和平を結ぶため、かんかつ地域で起こった問題を話し合い、解決する組織である。

 薬物や武器の密輸などに手を出すことを一切禁じたが、組の経営は傾くことなくむしろ安定している。

 フロント企業で収入を得ているという話だが、うわさによると都内の一等地にいくつか土地を所有しており、それらを他の組に貸すことで賃料を得ているのではないかとささやかれている。

 正太郎の容姿は、輪廻が十数年前にったころからまったく変わらない。それどころかみずみずしさを増しているような気さえする。

 ともかく、全てにおいてなぞに包まれているこの組長に、輪廻はこの上なく畏敬の念を抱いていた。

「少々、小バエ退治をしておりまして。最近暑くなったせいか、あちらこちらで湧くようになって困りますね」

 輪廻がいかにもけがらわしそうに、自分のスーツの肩を手のひらで払った。

「お前の【能力】のめんもくやくじよじゃないか」

 正太郎が目を細めて笑う。

 ──この世界には二種類の人間がいる。【能力】を持つ者と持たざる者。

 いつから【能力】を持つ人間が現れるようになったかは、定かではない。遺伝性はなくとつぜんへんだと言われている。

 多くは思春期を境に【能力】がはつげんすると言われているが、もちろん例外もあり、幼い頃から発揮する者もいる。【能力】の種類は多種多様で、分類が難しい。現在では一定の研究が進み、【能力】は生まれ持った特性のひとつとして受け入れられつつある。輪廻はその中のひとりなのであった。

「消毒は定期的に行っているつもりなんだけどねえ、ぜんせつってやつか」

 正太郎が煙管キセルをトンとやる。

「カタギさんが、クスリ売りをやるようになってしまいましたからねえ。最近はSNSでの取り引きがいつぱん的なようですし」

「そっちも頭が痛いところだね。カタギとはいえ、ウチのシマでクスリははつだから」

「ええ。そちらもなんとかしないといけないのですが──カタギさんにたかる小バエの方が、どうも匂うんですよねえ」

 輪廻はクンクンと鼻を鳴らしてみせた。

 ここのところ、蜘蛛縫組のシマで素人しろうと売人をきようはくし、金を巻き上げる──いわゆる売人たたきが急増している。

 というのも、この数ヶ月で素人売人の数が倍増しているのだ。しかも学生や会社員など、この世界とはえんそうな人間ばかり。

 トラブルの種になりかねないため、蜘蛛縫組でも若衆による見回りを増やして、声かけを行っている。

 しかし遠回しに注意するとおとなしく立ち去るが、数日後にまた同じ場所に戻って素知らぬ顔で密売を続けるのだ。

 この世界の人間が相手であれば話は簡単なのだが、カタギに手を出すわけにはいかないので、ほとほと困り果てているというわけである。

「五組長会議でも議題に上っていたね。他のシマでも同様の事件が多発していると」

 正太郎がたくの上にひじをついて手を組み、重々しく言った。

 ──五組長会議とは、りんせつするエリアにある、五つの組で結んだ協定である。

 ・武器の買い付けの承認制度

 ・武力行使前の通達の義務

 ・商業どくせんの禁止

 蜘蛛縫組の先代組長ぼつ、現組長である正太郎の提案によりていけつした。実質的な和平協定と言っても過言ではない。多大なえいきよう力を持つ五つの組が協定を結んだことにより、抗争に明け暮れていた東日本の裏社会に、ひとときの平和が訪れたのである。

 その五組長会議で議題に上るとは。想像以上に事態は深刻なようだ。

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