第5話 ワッフルと王子様

「お前さ。最近毎日うちに来てるけど、暇なの?」


「華の女子高生に向かって暇とは失礼な。なに、私がここに来たら迷惑かい?」


「いや全く。お金を落としてくれる人はいつでも歓迎してるよ」


「清々しい言葉をありがとう」


もはや定位置となっているカウンターで、優雅に珈琲を嗜む柚木。

それだけでも十分絵になるが、相変わらず俺への言葉は躊躇いがない。それだけ打ち解けられているのか、はたまた異性として思われていないのかは分からないが、今の柚木の方が気軽に話せて、俺としては好都合だった。


「まあ、私も人並みには忙しいけれどね。部活に入っていないだけで、ここに来る前はほとんどひなと一緒だったし」


「てことは、お姫様も柚木がこの店に来てること知ってるのか」


「いやまったく」


「なんて言い訳して来てんだよ、それ……」


確か、柚木と同じくお姫様も部活には入っていなかったはずだ。

二人が中良さげに登下校しているのは周知の事実だし、一緒に遊びに行くことなんてザラだろうに。


「ほら、今はテスト前だろう。この時期はひとりで勉強するって決めてるから、ひなとは一緒にいないんだ」


「テストって、まだ一ヶ月は先だろ」


「?一ヶ月前は十分テスト前だと思うけれど」


そういえば最初の中間テストで学年一位だった、こいつ。

テスト直前に焦り始めるのが高校生だと思っていたが、王子様にすればそんな常識は通用しないらしい。


「それに、来週はひなに勉強を教えないといけないから。教える側が理解していないと、意味はないからね」


「ああ……なるほど」


そう言えば、昼に彼女たちと廊下ですれ違った際、勉強がどうの話していた気がする。柚木への悪口の件で若干記憶はあやふやだが、柚木がうちの店に毎日足を運べている理由は分かった。


「けど、よくやるな。俺なんか、自分の勉強だけで精一杯だけど」


「まあ、慣れだね慣れ。ひなが勉強苦手なのは昔からだし。それに」


柚木はどこか懐かしそうに、嬉しそうに目を細めて言った。


「ひなにはたくさん助けられたから。恩返し、って言うと計算っぽくて嫌だけど、そんなかんじ」


彼女の言葉には、俺には到底理解できそうにない重みがあった。


リラックスした表情の彼女とは対極に、俺の顔は曇っていた。

柚木の口からお姫様の名前が出ると、つい昼のことを思い出してしまう。


『ひなちゃんも、あんなのに付き纏われて困ってるだろうにさ』


あの女子たちは、まるでお姫様が柚木を嫌っているかのような口ぶりだった。

けれど二人が親友なのは周知の事実だし、柚木の言葉もきっと本心だ。

でも。たとえお姫様と王子様が親友だったとしても、クラスの女子が柚木を嫌っていて、俺が悪口を聞いたという事実は変わらない。


これを、柚木に伝えた方がいいのだろうか。

悪口なんてよくあることだと一蹴した方がいいのか。そんなことを考えて考えて、ずっと答えが出せないでいた。


「どうしたの、浮かない顔して。今日はずっとそんな調子だね」


「……すまん」


俺が悩んでいることを察したのだろうか、柚木はそう言った。

それでもまともな返事をしないでいると、ムッとした表情の彼女はカウンターから身を乗り出す。

珈琲の入ったカップが揺れ、黒い液体がゆらりと波打った。


「えい」


「むぐっ」


白くしなやかな指が俺へと伸びて、鼻をギュッとつままれる。

なんだと柚木を睨むと、彼女はその整った容姿ながら、無邪気な子どもを連想させる様子で言った。


「いちおうお客さんなんだから、もっと笑顔で対応してほしいな。それに」


表情に、仕草に、言葉に。思わず見惚れてしまう。


「いつもみたいに容赦ないキミの方が、私は好きだよ」


いつもみたいに。その言葉は、俺の胸に深く響いた。

そうだ、俺らしくない。人の悩みに首を突っ込むのも、悪口をどうにかしようと考えるのも。俺と柚木は友達でも、恋人でもないのだから。


客と店員。陽気な常連客と、悪態をつく店員。そんな関係が心地よくて、彼女にとって安らげる店であって欲しいと、そう願ったはずだ。


なら。俺にできることは。


「ありがとな、柚木。目ぇ覚めたわ」


「……びっくりした」


「何がだよ」


「いや、珍しく素直だなって」


「まあ、感謝してるってこと。それに、俺も柚木のこと結構好きだしな」


「……はあ?!」


ん、待て待て、とんでもないこと口走ってないか俺。


「性格がな!お前の性格が好意的だなって話だよ勘違いすんな」


「勘違いしてないし、っていうか最初から分かってたよ分かってた!」


顔あっつ。


捲し立てる柚木から視線を逸らし、恥ずかしさを誤魔化すように身を翻してキッチンへと向かった。

慌てて手で顔を覆った彼女の顔が、ほんのりと赤く染まっていたのは見なかったことにする。


手を洗って、気持ちを切り替えるように伸びをひとつ。

いくつかの調理器具と、寝かせておいた生地を取り出し、型に流し込む。

火にかけて、焦げないよう火力を調整しながら待つこと数分。ほんのりと甘い香りが店内に充満し、思わず頬が緩んだ。

焼きあがったのを確認して、皿にアイスクリームと、冷凍のフルーツを盛り付ける。


「ほい、これサービスな」


「……ワッフル?いいの、食べて」


「おう。まだ店では出してないし、色々試してるやつだけど。味見ってことで」


短時間とはいえ、一人で働くことを認められた俺の次なる課題は、新メニューの開発だった。

そんなもん新人に任せるなとは思うが、それだけ信用されている証拠だろう。この店で働く学生は俺だけだし、若者の視点も重要らしい。

そこで提案したのがワッフルだった。調理器具さえあれば簡単に作れるし、トッピングを変えることで季節感さえ出す事ができる。


「……いや、食べろよ」


柚木はナイフとフォークを掴みながらも、目をぱちくりさせて食べようとしない。


「いやあ、キミにしてはやけに優しいなぁと」


「失礼な」


普段の俺はどんな鬼畜野郎なんだよ。

まあでも、自分らしくない行動だとは理解している。

だから、これはただの気まぐれだ。


「最近うちの店を贔屓にしてるどっかの常連さんに、もっと金を落としてもらおうと思ってな」


俺が悪戯っぽく笑いかけると、彼女はにやりとした表情を浮かべた。


「……ふふ。私のお財布の紐は固いから、覚悟しなよ」


「上等だね。俺の料理スキル舐めんな」


そんな柚木だったが、ワッフルを一口食べた後の様子を見れば、どう思ったかは一目瞭然だった。

花が咲くような、という表現が適切だろうか。目を輝かせながら、夢中になって食べるその姿は、いつもの王子様とは違っていて。

目を奪われるような、思わず眺めてしまうような。そんな魅力があった。


「頑張れよ、王子サマ」


カウンターに肘をつきながら、誰にも聞こえない小さな声でそう呟く。

クラスメートでも、友人でもなく。喫茶店の店員としての言葉だった。






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