第3話 猫被りと王子様
週が明けた月曜日。
いたって平和だった休日が終わり、意気揚々と出勤した直後のことだった。
「大将やってるー?」
「うちは居酒屋じゃなんで帰ってください」
「釣れないなあ咲良君は」
見慣れた制服で現れたのは、学校の王子様こと柚木凛音。
先週の宣言通り、律儀に訪ねてきたのだ。
「失礼なこと聞くけど、この店お客さん来てる?私が来るといつもすっからかんだけど」
「来てるわ。客層はマダムと社会人が多いから、これくらいの時間は人が少ないんだよ。柚木が帰った後がピークになるな」
「へえ……」
当然のように俺のいるカウンターの前の席に座った柚木は、頬杖をつきながら納得するように声を漏らした。
ちょっとした仕草でさえも、彼女のような美人だと様になる。
落ち着いた色合いの店内でも浮くことはなく、それでいて確かな存在感を放っている。もし他にお客さんがいたら、視線を集めることは間違いない。
「今日もカフェオレか?」
「うーん……せっかくだから他に挑戦したいけど、正直違いが分かってないんだよね。カフェモカやらカプチーノやら、種類が多すぎて」
「それでも華の女子高生かよ」
女子高生といえばスタバを棲み家にしていて、毎日のように映えと盛りを追求してるんじゃないのか。珈琲に詳しいイメージしかないんだが。
「スタバはひなたちとよく行くけど、注文は任せて席取ったりしてるから。あとは何も考えないで新作飲んでることが多いかな」
王子様の意外な一面だった。
紳士的な行動なのは納得だが、思ったよりは適当なのかもな。
「なるほどな……ま、俺も詳しいわけじゃないが、ミルクとかコーヒーの種類、割合とかで変わってくるな。勉強中だから偉いことは言えないけど、もし甘いのが好きならカフェモカがおすすめ。うちはチョコレート入ってるし」
「じゃあ、それでお願いするよ」
「はいよ」
注文を受け、カフェモカを淹れる準備をする。
マスターが俺一人でもこなせるように、難しい手順を省いてくれているから、俺でも淹れること自体はできる。
でも、マスターがサイフォンでじっくりと抽出した味には敵わない。いつか、あの味を再現できるようになりたいものだ。
「そういやさ」
調理をしながら、先週から気になっていたことを柚木に尋ねた。
「どうして俺が咲良って気づいたんだ?自慢じゃないが、学校じゃ全く目立ってないし」
「自慢のかけらもないけどねそれ……。ま、キミみたいな素敵な人、私が見間違えるわけないでしょ?」
柚木は俺の方を見つめながら、ニコッとしたイケメンスマイル。
キザな台詞ですら様になっていて、思わず顔を逸らしてしまう。
「なーんて、格好良いことが言えればよかったんだけどね。偶然だよ偶然。学校でたまたま目が合った時、この喫茶店の店員さんに似てるなーって思ってさ」
「やっぱあの時、目合ってたのか」
「うん。それに、ここの雰囲気とか味、結構気に入ってたから。次の日も来てみたら、咲良君が働いてたってわけ」
店を気に入ってもらえるのは素直に嬉しい。
俺も中学生の頃に初めて来店して、ここの喫茶店に惚れ込んだのだ。
毎週のように通い詰め、高校生になってすぐにバイトを始めた。
それほどまで思い入れのある場所だから、店が褒められると、俺も一緒に褒められているような気分になる。
「……そっか。この店、そこまで有名ではないけどさ。俺にとっては世界一なんだ。だから、柚木が気に入ってくれて光栄だよ」
俺が素直に感情を吐露すると、柚木は意外そうに口をもごもごさせた。
「咲良君、意外と情熱的な男の子なんだね」
「逆にどんな男だと思ってたんだよ」
「うーん、無趣味で無感情な人間?学校じゃいつもつまらなそうだし、人と積極的に関わってないし」
「ロボットか俺は。別に、苦手なだけで関わらないわけじゃない。相手から来たらちゃんと話すわ」
中学生の頃、対人関係がうまくいかなかったのを、この歳になってもズルズルと引き摺っているだけ。
いつか変わろう、いつか。そう思っているうちに時間は過ぎて、同級生はみんな当たり前のようにコミュニケーション能力を身につけて。
学校で学ぶ『普通』の波に取り残されたのが、俺や四ノ宮のような人間。欠けていることを言い訳に、いつの間にかここまで来てしまった。
「……学校で見えてることだけが、その人の全てじゃないだろ」
自分に言い聞かせるような小さな呟きは、コポコポとお湯が沸く音にかき消され、柚木の耳に入ることなく消えていった。
「私からすれば、今の咲良君の方が好きだな。軽い口調だからかな、気を使わないで会話できるから」
「気は使えよ。親しい仲にも礼儀ありだろうが」
「あは、ごめーん」
こいつ言葉に気持ちがこもってなさすぎる。
ただ、俺からしても柚木には同じことが言える。学校の彼女とは会話したことがないが、間違いなく今の方が話しやすい。
『王子様』でいる時の彼女は、まるで与えられた役割を演じている人形のよう。以前柚木に言った『猫被り』という表現は、あながち間違っていないのだろう。
「ほらよ。お待たせしました、お客サマ」
「ありがとう、いただくね」
淹れたカフェモカを柚木の元へ届けると、丁寧にお礼をしてから口元へティーカップを運んだ。
偶然見えた、潤いのあるぷるんとした唇に視線が奪われる。
可愛いよりかは格好良いという表現が似合う容姿の彼女だが、所作がいちいち艶やかである。顔のいい人間はこれだからずるい。
「……ん、おいしい」
甘さと暖かさを楽しむようにじっくり味わって、幸せそうに表情を緩める。
いつもに比べると子供らしい柚木を見守りながら、俺はゆったりとした店内の音楽に身を委ねた。
この時間が好きだ。
静かな店内が、珈琲の香りと音楽に満たされる。
どれだけ社会が忙しくても、消えたくなるような悩みがあっても。
今だけは、喫茶店だけは現実から隔離されていて、少しの間の安らぎを楽しんでから、また頑張ろうと思える。
柚木にとっても、ここが
『王子様』とは違う笑顔を浮かべる彼女を見て、そう思った。
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