第2話 店員と王子様

学校が終わり、教室で四ノ宮と別れた俺は、そのままの足でバイト先に向かった。

俺がシフトに入るのは夕方五時から閉店まで。

店で提供しているのは飲み物と軽食のみなので、閉店とは言ってもそう遅い時間ではない。学生の身分からすれば非常に助かっている。


喫茶店に着き、日中勤務していたバイトさんが帰るのを見届けてから制服に着替え、ゴムで前髪を上げる。いわゆるポンパドールだ。


今の時間はマスターが買い出しに行っているから、しばらく俺のワンオペ。

この店で働き始めて一ヶ月、一通りのメニューは作れるはずだ。小一時間程度のソロ労働、難なくこなして見せよう。


俺の決意も束の間、店のベルが鳴った。


「あ、いらっしゃいま……せ…」


扉の前にいたのは、見慣れた制服に身を包む女性。

目を惹く容姿に完璧なスタイル。紛れもなく、昨日も来店した王子様こと柚木凛音だった。


あんた今日も来るのかよ。めっちゃ気に入ってるじゃんうちの店。

心の中でそう呟きながら、昨日と同じ席に彼女を誘導する。


優雅な所作で椅子に座った王子様は、メニューを見始める……ことはせず、その透き通った大きな瞳で俺のことをじっと見つめてきた。


「やっぱり。私と同じクラスの人だよね、咲良優さくらゆう君」


「え?なんで気づいて……」


おいなんでバレてんだ。髪を上げたらそこそこ良い顔の別人に見える(四ノ宮談)はずなのに。

というか、学校では全く目立たないのにどうして見つけられるんだよ。ほとんど面識ないだろ俺たち。


ってか、今ならまだ誤魔化せるんじゃないか?


「すみません、誰のことですか?私は学生ではアリマセンヨ」


「いやもう誤魔化せないよ?だいぶ無理あるよそれ」


声色まで変えたというのに遅かったらしい。面白いと言わんばかりにイケメンスマイルを浮かべてこちらを眺める王子様に、俺は観念してため息を吐いた。


「連日のご来店どーも、王子サマ」


「その呼び名、恥ずかしいからやめて欲しいんだけどなあ……」


「学校では散々言われてるのにか?」


「そっちはもう諦めてるよ。私は何回もやめるように言ったんだけどさ、ひなが意外と乗り気になっちゃって」


「あー……なるほどな」


悪ノリするお姫様に振り回される目の前の美人が簡単に想像できて、肩をすくめる彼女の悩みが少しだけ分かった気がした。


「意外と苦労してんのな、あんた」


俺が思ったことを素直に口にすると、肘をつけてメニューを眺めていた彼女は驚いたように目を開いた。


「同情なんて初めてされたかも」


「いいや、同情じゃねーよ。ただ人気者の親友がいるってのも難儀だと思っただけ」


「……まあ、そうかも。でも、ひなに悪気はないんだ。ちょっと天然なだけで、あの子が優しくて立派なのは、私が一番知ってるから」


「そっか、仲良しなことで。ま、俺からしたら王子サマも人気者だけどな」


「その呼び方やめてってば……私も、キミがこんなに話してくれる人って分かって驚きだけど?学校で話してるとこほとんど見たことないし」


「随分とストレートに言いますねえ……」


人が気にしているところを躊躇いなく言いやがって。


肩肘をカウンターに乗せながらこちらをニヤニヤと見る彼女は、学校とは違った印象を受ける。

常にクールで冷静、頼まれたことはそつなくこなす。

女子からは崇拝、男子からは畏敬、教師陣からの信頼も厚い完璧超人。

お姫様の傍で優しくリードする、まさに理想の王子様。


それが柚木凛音だったはずだ。

しかし今は、少しだけ違って見える。人を揶揄うのも、いたずらっぽい笑みを浮かべている様子も、見るのは初めてだった。

まあ、でも。今の方が圧倒的に親しみやすい。


「同い年と会話するの、なんか苦手なんだよ。歳が上か下ならそこまで問題ないし、初対面なら割と喋れるんだけど」


「それ、コミュ障の典型的なやつじゃない?」


「うっせ。入学しても結局友達できないぼっちですよー。ま、ひとりでいる方が圧倒的に楽だし。ひとりが好きだから問題ないが」


「うわ強がりだー……でも、ひとりがいいのはちょっと分かる」


置いてある肘はそのままに、どこか遠いところを見つめるような、アンニュイな表情を浮かべながら続けた。


「みんな私を王子様って呼ぶけど。……そんな立派な人間じゃないのにね」


小さな声でそう言ってから、彼女はパッと顔を明るくさせる。


「ごめん、初対面なのにこんなこと言って。どうでもよかったよね」


「おう、まじどうでもいいわ。てか早く注文しろよ客だろ」


「辛辣?!いや、別に慰めて欲しいわけじゃなかったけどさ」


俺が思った通りのままを伝えると、ノリのいいツッコミが飛んできた。

だってうち喫茶店だし。飲み物頼んでから語ってくれよ。


「王子サマが悩んでるのは分かったけど、周りからのイメージと違うなんてよくある話だろ。人間みんな猫被ってるモンだし、俺だって学校じゃ喋らないキャラだけど、外だと饒舌だし」


「や、それは知らないけど……」


「そもそも、ずっと『王子様』でいるわけじゃねーんだろ?」


「……まあ、家族とかの前では違うかも」


「だろ。それに、今ここにいる柚木凛音は、俺の知ってる王子サマとは違って見えるけどな。ツッコむようなキャラじゃないし、楽しそうに人を揶揄うとこも初めて見たし。案外、こっちが本性だったりして」


「っ……」


図星だったようだ。

驚いたように目を見開き、すぐ後にふにゃりと顔を緩めて笑い出した。

表情豊かなやつだなおい。


「ふ、ふふ……初めてそこまで言われたかも。キミ、学校でもそのキャラの方がいいんじゃない?多分人気出るよ」


「だから同級生得意じゃねーんだって……」


「お世辞は苦手そうだしね。私が気にしないタイプでよかったじゃん」


「へいへい、ありがとうございます王子サマ」


めんどくささを全開にするも、彼女は笑みを浮かべて受け流す。

顔が整っているからか、その仕草さえも妙に様になっていた。


てか注文しろよ。


「王子サマって呼び方、やめてくれない?苦手だって言ったよね」


「へいへい。いらっしゃいませ柚木様ー、ご注文早くしやがれください」


「可愛くないなー」


「あいにく格好良いって呼ばれたい年頃なんで。カフェオレにするかよし」


「まだ注文してないけど?……甘めで」


「はいよ」



それから柚木は、ミルクをだいぶ多めに入れたカフェオレを、優雅な所作でちびちびと飲んでから席を立った。

注文するまでは意外な一面を見せていた彼女だったが、香りを楽しむように飲んだり、行動の節々から気品を感じさせる姿は、育ちの良さが伺えた。


会計を済ませ店を出る直前。

くるっとこちらを向いて、柚木は言った。


「この店気に入ったよ。また来るね、咲良君」


その時の笑顔があまりに綺麗で何も返せなかったのは、秘密にしておく。





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