第17話

 

 ——◆◇◆◇——


「ねえねえ。明日って暇?」


 学校が終わり放課後となった千里と来栖の二人。いつものように二人で揃ってネクストの拠点へと向かっていた二人だが、ふと何かを思い出したように千里が来栖へと問いかけた。


「明日? 一応『塾』に行くけど、どうかしたの?」


 千里も来栖も、ネクストのことを外で言うわけにはいかない。そのため、ネクストに向かう時は対外的には『塾』に通っているということにしていた。


 そんな来栖の言葉を聞き、千里はうんうんと頷くと楽しげな笑みを浮かべて言葉を続けた。


「じゃあさじゃあさ、遊びに行こうよ! まあ遊びって言っても大したものじゃないんだけどね。前の時と同じような感じのやつ。白城さんも二人で遊んでこいって言ってたしさ」

「それは……でも……」


 確かに先日白城から『二人で遊ぶように』と言い含められていた。だが、いまだに千里に対する罪悪感を持っている来栖としては、あまり進んで実行したいとは思えない話だった。

 そのため、千里から誘われた来栖は言い淀んでしまった。


 そんな来栖を見て、千里はわずかに眉を寄せて悲しげな表情をした。千里とて人間関係にそう疎いわけではないのだ。来栖が何を思っているのか、なぜ自分と距離をとっているのかも、正確ではなくともおおよそのところは理解していた。


「来栖さんが何を気にしてるのかはわかってるつもりだよ。多分だけど、この間のことを気にしてるんでしょ? 自分から遊びに誘ったのに、あんな終わり方になっちゃった、みたいな」


 正確には襲ったこと自体を、ではあるがあの日のことを悔いているのは概ね間違いではなかった。


「……そうね。ええ、その通りよ。あの時のあれは必要だったけれど、それはこっちの都合だった。あなたは純粋に案内してくれていたのに、その善意を台無しにしちゃったんだもの。あなただって、恨み言くらいあるでしょう?」


 恨んでいるはずだ。恨まないわけがない。だがその恨みは自分に向けられて当然のものなんだから、ここで逃げてはいけないのだ。来栖はそう自分に言い聞かせる。

 そして一度息を吐き出してからぐっと拳を握り締め、千里のことをまっすぐ見つめ直して問いかけた。


 だが、そんな来栖に対する千里の答えは……


「んー、ないよ」

「え?」


 あっけらかんと言い放った千里だったが、それは来栖を慮っての言葉ではなく、実際に千里はなんとも思っていなかったがために出てきた言葉だった。


 今までも口にしたことがあったが、千里としてはあの状況は仕方ないと本気で思っているのだ。だから恨みも何もない。


 だが、自分の思っていたのとは違う千里の答えに、来栖は間の抜けた声を漏らすしかなかった。


「だって、実際あれは必要だったでしょ? 後から考えてみたけど、まあ仕方ないかなって感じが自分でもするもん」


 どこか呆けた顔をしている来栖を見て、千里はくすりと笑ってから話を続けた。


「それに、今後はパートナーになるんでしょ? だったら無駄に壁作るなんてつまんないじゃん。一緒にいることは受け入れたんだし、それはそれでいいと思ってる。だったら!」


 話しながら千里は来栖へと近づいていき、握りしめられていた来栖の両手を取った。


「せっかくなんだし、楽しんだ方がいいじゃん。その方が絶対お得だって」


 心の底から笑いながら言われた言葉に、来栖は知らずのうちに千里に握られていた拳を緩めていた。


「それに私、パートナーだから、なんて理由がなくても来栖さんと仲良くなりたいし」

「……どうして?」


 恨んでいないのならよかった。そう安堵したと同時に、疑問も浮かび上がってくる。

 どうして千里歩という少女はこれほどまでに前向きでいられるのか。どうして正しいからといって自分のことを恨まずにいられるのか。状況的には正しくとも、感情的には恨まれても仕方のないことだったはずなのに。

 どうして自分の人生が狂ってしまったのにそうも笑っていられるのか。


 そんな思いが言葉となって、口からこぼれ出てしまった。


「え? だって来栖さん優しいもん」

「……そんなことないわ」

「自分の良さは自分じゃ気づけないってことじゃない?」


 来栖は千里の言葉に顔を顰めながら返したが、千里は首を横に振った。


 そんな千里の言葉も、来栖にとってはなかなか受け入れ難いものだったようで顔を顰めたままだが、

 だが、この場合は千里が正しいのだろう。何せ来栖は今も千里のことを心配しているのだから。

 たとえそれが罪悪感が原因なのだとしても、それは間違いなく〝優しさ〟から来たものなのだ。

 この会話だってそう。そもそも何も感じていないような者であればこんな話を切り出したりはしなかっただろう。


 しかし、千里や他の者がどう考えたところで、その考えを受け入れるかどうかは来栖自身の問題だ。そして、来栖はそんな千里の評価を受け入れることができないでいた。


「それじゃあ、明日の土曜日にね!」

「でも……」

「知らなーい。〝でも〟なんて聞かないよー、っと」


 勝手に明日の予定を決め、ステップを踏むように軽やかに前を進む千里に対し、来栖は少し慌てた様子で手を伸ばしながら千里のことを呼び止めようとする。


 そんな来栖の行動に対して、千里は楽しげに笑いながら拒絶の意を示しつつ、さらに先へと歩いていく。


 だが、来栖からある程度距離が開いたところで千里は足を止め、くるりと身を翻して来栖へと向き直った。


「でも、本当に嫌ならちゃんと言ってね。それなら、私も諦めるから。まあ、こんなふうに聞いて嫌だ、なんて言う人は少ないだろうし、言い辛いと思うけどさ」


 そう言って千里は苦笑する。

 確かに、こうも真っ直ぐに気持ちをぶつけられたのであれば、それを断るのは難しいだろう。断れば多少なりとも人間関係が崩れることとなり、それは今後の活動に支障をきたす。そう考えれば、そう大した事でもない今回の話を普通は断らないだろう。


「……嫌では、ないわ」


 その答えは嘘ではない。今後の千里との関係を考えたわけでも、ただ外面をよく見せるためのものでもなく、来栖は純粋に千里からの誘いを喜んでいたのだ。


 来栖には罪悪感がある。千里が表の世界から外れてしまった原因は自分にあるのだ、と。


 だがそれはそれとして、来栖とて千里と仲良くなりたいとは思っているのだ。

 普通の女の子のように友達を作って、遊んで、笑って……もう自分にはできないと思っていたことが、千里と共にならできる。人間的にも千里は楽しく、友達がいのある人物で、できることなら友達になりたいと、そう思っているのだ。


「あの時は、私も楽しいと思っていたから」

「……。……! わあ〜お。ほんとに!? ならまた遊びに行こうね!」


 楽しい。自分といて楽しいのだと、初めて告げられた来栖の気持ちに、千里は驚きに目を見開いて来栖のことを見つめ、知らずのうちにとても楽しげな様子で弧を描くように口元に笑みを浮かべてそう言った。


「ええ」

「いえーい! やたー!」

「早く『塾』に行きましょう。遅れたら怒られるわよ」

「はいはーい。それじゃあ次のお休みは空けといてねー」


 そうして二人は再び並んで歩き出したが、その距離は今までよりも少し近いように感じられた。


 ——◆◇◆◇——


「と言うわけで、やってきましたデートの日!」


 遊びに行くと約束をした翌日。千里と来栖は普段であればネクストの拠点に行くところを、本日は白城に話を通して休みとさせてもらっていた。

 そして、昨日の約束通り千里と来栖は二人で遊ぶために街へと繰り出しているのだが、よほど楽しみだったのか千里は随分と高揚している。

 その様子は、散歩前の犬のように今にも走り出してしまうのではないかと思えるほどである。


「別にデートというわけでもないでしょう」


 騒がしい雰囲気を纏っている千里とは対照的に、来栖は落ち着いた様子で呆れを滲ませながら千里を見ている。だがその様子はどこか楽しげなものに見えた。


 そんな来栖の内心を知ってか知らずか、千里は楽しげで騒がしい雰囲気のまま話を続ける。


「いやいや、デートだよ、デート。だってそう言った方が楽しい感じするでしょ?」

「そうかしら?」

「そうだって。なんか気分的にそっちの方がいい感じなあれがするって」

「……まあ、なんでもいいけれど」


 フィーリングで話す千里に対して、来栖はまだ完全に納得したわけではない様子だが、それでも楽しんではいるようでその口元はかすかにではあるが楽しげに弧を描いている。


「それで、どこに行くの?」

「さあ? どこかそこら辺をぶらーっと歩いて、気になったお店にちょちょいっと寄って、だらーっと商品を見てればいいんでない? あ、でもちょっとここは寄りたいかな。なんかいい感じ……かは分からないけど、前から寄ろうと思っていまだに寄れてなかったカフェがあるんだよね」

「そう。なら、適当に歩きましょうか」


 そうして二人は並んで歩き出した。

 だが、数歩ほど歩いたところで千里が顔だけ来栖へと振り返り、口を開いた。


「あ、そうだ。その服、この間買ったやつでしょ? 気に入ってくれた?」

「ええ。せっかくだからというのもあるけど、いざという時にも動きやすいもの」

「気にするところはそこかい!」


 千里は来栖の言葉にツッコミを入れているが、来栖としては本当に重要なことだった。これまでネクストの一員として活動してきた来栖だが、その中には非番の時であっても何かしらの騒動に巻き込まれる、と言うこともあったし、突然の呼び出しということもあった。

 そんな突発的な何かが起こった時に、着替えないと動けないような格好ではまずい。

 そのため、来栖は前回千里を捕まえる際に千里と共に選んだ服を着ることにしたのだ。


 もっとも、それだけが理由であるのならば他にも服でも良かっただろう。

 それでも前回買った服を着てきたというのは、千里と——友達と選んだ服を気に入っていたからに他ならなかった。


「普通に気に入っているのも事実よ?」

「そう? ならまあ、よかったかな」


 自分が選んだ服が気に入っていると言われ、千里はルンルンと楽しげな足取りで進んでいき、来栖はそんな千里の姿を見たからか口元に小さく優しげな笑みを浮かべていた。


「今日は何か欲しいものってあるー?」

「そうね……強いて言うなら、カバンかしら。一応持ってることは持ってはいるけれど、この服似合うような外行きのはないのよ。『塾』で配られたものは、ちょっと違うから」

「あー、あれかぁ。私も一応一式もらったけど、あれはねー。普段使いもできるけど、なんていうか……ちょっとダサいよねー」


 来栖と千里に限らず、ネクストの所属員には全員に制服と鞄などの装備が渡されている。

 だが、有事の際には身を守るための道具であり、敵を倒すための武器でもあるため、その見た目はどこか野暮ったさがあった。

 男性の所属員はそれほど気にしないかもしれないが、女性の目線で言えば落第点な代物である。


「まあじゃあ、その辺見て回ろっか」


 そうして千里たちは近くにあるショッピングモールへと向かって歩いて行った。


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