第16話

 

 ——◆◇◆◇——


「あの子、やはりおかしいですね」


 千里達がいなくなった部屋の中で、白城は先ほど初めて顔を合わせたばかりの千里に対する感想を口にした。

 その感想は捉え方次第では失礼なことではあるのだが、言った本人である白城もその言葉を聞いた天野も訂正しようとはしない。


「だな。こんな状況に放り込まれたってのに、順応が早すぎる。考えてねえわけじゃねえだろうから、おそらくは恐怖心が麻痺してんじゃねえか?」


 千里は基本的には普通の少女だ。突然の状況に困惑するし、怒られれば悲しいと感じ、恐怖を抱くこともある。能力が使えること以外は、|ほぼ(・・)普通の少女と変わらない。

 だが、普通の少女とは決定的に違うところも、確かに存在しているのだった。


 これまで千里は、ネクストの施設に来てから何度か殺気のように自信を害する感情を向けられたことがあった。なんだったら、感情だけではなくしっかりと言葉にされて脅されもした。

 天野とも初対面の時もそうだが、今回もそうだ。普通であったら『殺す』や『襲われる』と脅されただけで怯むものだろう。ただの妄言としてではなく、銃を持ち、自分のような人間を攫う組織が言ってきた言葉だ。それを嘘だと切り捨てることはできないし、恐怖を感じてもおかしくはない。


 だが千里は、最初こそ怖がっているような様子を見せたが、すぐにその恐怖を消して普段通りに話してみせた。ひとかけらの怯えもなく、ただいつも通りの態度で。

 それはどう考えてもおかしいことだ。異常だと言ってもいい。


「まあ、その理由はわからなくもねえけどな。お前も調査報告は読んでんだろ?」

「はい。あのような事故が起これば、影響があってもおかしくはないでしょう」

「事故、ね……」


 白城は事故と言ったが、天野としては〝事件〟以外に他ならないと思っている。白城とて理解はしているだろう。ただ、そのまま言うには不謹慎な気がしたために言い方を多少なりとも包んだものにしただけで。


 千里は、幼い頃に〝事件〟に遭遇している。いや遭遇というのは正確ではないか。何せ、千里はその事件の当事者であり、生き残りなのだから。


 事件の当事者であり生き残りと言っても、能力者の関係したような事件ではない。ある意味でどこにでもありふれているような、普通の出来事だった。


 その事件の内容とは——一家心中。

 仕事に失敗した父親が、妻と娘を殺して自殺をしようとした。ただそれだけの、言ってしまえばありふれた出来事の一つ。


 結果として千里は父親に殺されずにすんだが、だからと言って実の父親に殺されかけた経験は『千里歩』という存在を歪ませるには十分すぎる出来事だっただろう。


「恐怖心が麻痺しているとのことですが、本当に麻痺しているだけだと思っていますか?」

「さあな。そこんところは今はわからねえだろ。麻痺なのか完全に消え失せてんのか、あるいは心そのものがぶっ壊れちまってるのか……。今は様子を見るしかねえだろ。後になって何か異変があるようならその時に、ってことでやってくしかねえ」


 千里の心がどうなっているかなど千里自身にしか……いや、誰にもわからないのかもしれない。だからこそ、天野たちは見守るしかないのだ。


「では、彼女については初期の想定よりも一段強化して見守らせておきます」

「ああ。〝監視〟は任せた。ケアの方は来栖がいるからそっちとの関係を強化させろ」

「はい」


 そうし千里に対する扱いの話は一段落し、白城と天野は揃ってため息を吐き出した。

 だがそうして話に区切りがつけば他のことが気になってくるもので、ふと思い出したように白城は口を開いた。


「……しかし、来栖さんですか。先ほどの来栖さんのあの態度はよかったのですか? だいぶ嫌われているようですが」


 通常であれば、先ほどの来栖のような態度はあってはならないことだ。

 千里の安定のために呼んだとはいえ、任務に直接関係ない者が所長であり、任務の責任者である天野に反論してはならないし、最後の睨みつけるような視線はもってのほか。

 あのような反抗的な態度を見せれば、何かしらの罰則や制限が科されてもおかしくはないほどだ。


「ま、しゃーねえだろうな。あいつとしては、千里を巻き込んだことに罪悪感を感じてるみてえだし、危険に放り込もうとする俺たちはあいつにとって警戒すべき対象だろうよ。もしかしたら、敵の一歩手前くらいには思ってっかもな」

「それはまた……面倒なことにならにといいですね」

「ならねえだろ。来栖だってその程度のことは弁えてるさ。それにだ、一人くらいは千里のことを守ってくれるやつってのがいてもいいだろ」


 白城と話しながら、天野は千里の出て行った扉を見ていた。その眼差しは苛立ちや不満を宿しているように思えるが、それは来栖に対してではない。どちらかといえば、自分自身。


 天野とて、日本で生まれ、日本で育ち、日本の価値観を持っている真っ当な大人だ。千里や来栖のような子供が平和で平凡な日常から外れてこんな裏社会に身を浸さなくてはならない状況には思うところがある。しかも、そんな状況に追い込むのは自分ときた。


 千里の過去を知っていることも相まって、できることならば何事もなく過ごしてほしいものだとは思っている。


 それでも、天野は千里を止めたりはしない。それが仕事で、必要なことだと理解しているから。


 だがそう思っていたとしても、自分は力になることができないとしても、誰か助けになってくれる者がいるのなら、それは喜ぶべきことだし、そうであってほしいと願っていた。


 ——◆◇◆◇——


 初めてネクストからの任務を終わらせた千里だったが、前回の任務以来特に何かを頼まれることなく、ただ学校とネクストでのいつも通り変わり映えのない日常を送ること一ヶ月が経過した。


『千里歩、来栖瞳。C—05室に来なさい』


 だがそんなある日、千里たちが学校を終えてネクストの拠点にやってくると、二人が来たという知らせを受けたのかしばらくしてから放送による呼び出しが行われた。


「なんの用だろ?」

「任務、かしらね。今の声は白城さんだったと思うから」


 訓練用の服に着替えている時に行われた突然の呼び出しに、千里も来栖もお互いに顔を見合わせて首を傾げる。

 わざわざ二人をそろって呼び出すということは前回と同じなのではないかと予想することができる。

 だが実際のところはどんな内容なのか分からず、二人は疑問に思いながらも呼び出された部屋へと向かうことにした。


「でもさ、にしてはなんでC区画なの? 任務だったら機密だろうし、私の能力を使うにしてもA区画でやるものじゃないの?」

「そうね……なんにしても、行くしかないんだから行きましょう」

「そーだねー。お茶とお菓子で楽しくおしゃべり、だったらいいんだけどね」

「そんなことはないから諦めなさい」

「だよねー」


 ただお菓子を食べておしゃべりをするだけで終わればいいな、と思いながらも、そんなことはあり得ないだろうとため息を吐きだし、千里は来栖と共に廊下を歩くのだった。


「失礼します」

「失礼しまーす」

「よく来てくれましたね。おかけください」


 呼び出された部屋にたどり着いた二人は、すでに部屋の中で待っていた白城に席を勧められ、座ることにした。


 部屋はそれほど広くなく精々が十畳程度のもので、前回とは違い部屋の中には白城しかいなかった。


「こちらをどうぞ」

「おお! 来栖さん、本当にお菓子が出たよ!」

「これ、いいんですか?」

「ええ。どうせ経費ですので」

「経費……」


 それでいいのか、と思いながら来栖は自分たちの前に出されたケーキを見つめる。

 確かに接待用として買うこともあるのだから経費でお菓子を買うことはまずいことではないのだが、それを自分たちが食べてもいいのだろうかと思わずにはいられない。


「こちらは先日所長……の奥様と共に行ったところで買ってきたものです。何か問題があれば全て所長に行くようにしてありますので、遠慮なくどうぞ」

「わー、ありがとうございます。いただっきまーす!」

「来栖さんもどうぞ」

「ありがとうございます」


 千里が遠慮なく食べ始めたのを見ていた来栖だったが、白城から改めて勧められたことで観念し、自身も出されたケーキを食べることにした。


「それで、今日はどんな要件で呼ばれたのでしょうか?」


 そして、ケーキを食べ、お茶を飲み一息ついたところで、来栖がそう切り出した。


「強いて言うなら、特には。所長からはお二人のこと……特に千里さんのことを気にかけておくように言われておりますので、前回の依頼から一ヶ月経過して何か変化などはあったか、問題はないか、といったことを聞き取るためにお二人をお呼びしました。ですので、気楽にしてもらって構いませんよ」

「そうですか。ですが、私の方はこれと言って変化や問題等はありません。これまで通りです」

「来栖さんはすでに三年目ですからね。ですが、環境が変われば自ずと変わるところがあるはずです。問題はそれに気づいているかいないかでしかありません。現在は相方となる千里さんがいるのですから、来栖さんも何かしらの変化や違いがあることでしょう」

「そう、でしょうか……いえ、ちょっと待ってください。相方と言いましたけど……私たちがですか?」


 来栖は白城の話を聞いて眉を寄せて訝しげな顔をした。だが、今までの来栖の活動を考えればそうなるのも仕方ないかもしれない。何せ来栖は外に出て戦う者……いわば実働部隊だ。

 それに対して千里は、後方で来栖たちのことをサポートする裏方。そんな二人が組んでパートナーとして一緒に動くとは考えづらかった。


 だからこそ来栖は疑問に思いながら千里のことを見たのだが……当の千里本人は、自分が来栖のパートナーとなると聞いて、サムズアップをしながらニヤリと自信に満ちた笑みを浮かべている。なんとも楽しげな様子で、まるで自分に任せろとでも言っているかのようだ。


 だが、来栖はそんな千里の態度に反応することなく無視し、白城へと顔を戻した。


「ええ。お二人は同じ特型能力者ですから、一緒にしておいた方がいいという結論になりました。それに、能力の相性も悪くないようですから」

「そうでしょうか? 私は実際に動き回る能力で、千里さんは見る能力です。一緒に行動できるとは思いませんが……」

「共に行動する場合はそうでしょう。ですが、必ずしも共に行動する必要というわけではないのではありませんか? 例えば、千里さんが敵の居場所を見て、それを来栖さんに伝えて移動する。あるいは通信を繋いだまま来栖さんが任務を行い、千里さんが周囲の警戒をする。そういった形であればなんの問題もなく、むしろ他の職員たちよりもよほど上手く任務を達成することができるのではないでしょうか。他の職員たちでは、あなたの速度についていけませんから。いかに他の部分で頼りになると言っても、来栖さんの最大の持ち味を殺してしまうようでは意味がありません。速度が必要ない任務であれば、元から他の者達に頼めばいいだけなのですから」


 確かに、その役割で行くのであれば千里と来栖はいいパートナーとなれることだろう。

 監視カメラなんてそこらについているとはいえ、世界の全てを監視できるわけではない。ドローンを飛ばすにしても、音や見た目でバレてしまう。

 だが、千里の能力である『千里眼』であれば、他人からは姿形が見えず、世界のどこであろうとも敵を逃さずに見ることができる。

 加えて、もし敵に特型能力者がいたら感知することもできる優れものだ。パートナーとして相応しくない、とはいえないだろう。


 そのことを理解した来栖は何も言えずに言葉に詰まってしまった。


「しかし、そのためにはお二人の連携が重要となってくるのですが……まだ硬いようですね。一度お二人でどこかに遊びに行ってはいかがですか?」


 二人の仲が悪い、と言うわけではないのだが、ただ硬いのだ。

 だがそれも、千里と来栖の間に壁があると言うよりも、来栖が勝手に壁を作っているために、というように見える。と言うよりもその通りだった。

 いまだに来栖は千里に対して罪悪感を抱いており、千里のことを補助しているが、自分からはあまり距離を詰めようとはしない。むしろ開いたままの距離を維持しようとしている状態だった。


 しかし、そんな状態ではこれからの任務に支障が出てくることは間違いない。命がかかるような危険な任務の中で相手を心から信頼し、頼ることができないのであれば、それは自ら危険を高めることに他ならない。


「遊びに? ですが、任務や訓練は……」


 できることなら千里と距離を縮めたくない来栖としては、任務や訓練を言い訳にしようとしたのだが、今回話を持ってきた白城がその程度のことを考えていないはずがなかった。


「それくらいの時間はあると思いますが。必要ならこっちで休みを取っても構いません」

「いいんですか!?」

「パートナー間の親密度は重要ですから。特に、貴方がたのような若者であれば尚のことです。信頼していない相手から指示をされたとしても、素直にそれを聞くことができるかというと、難しいのではないでしょうか? 今後、他の方々のように作戦ごとに相方が変わる可能性があるというわけでもないのですから、お二人が仲良くなっておいて損はないのでは?」


 そんな白城の言葉を受けて、千里はとても楽しげな様子で笑みを浮かべて喜んでいるが、それとは対照的に来栖は眉を顰めて険しい顔つきになっている。


「そういうわけですので、今度どこかにデートでも行ってくるといいでしょう」

「デートって……」

「わーい! ……あっ! お休みもらえるのはいいんですけど、軍資金とかって出てきます?」

「仕方ありません。では経費で落としておきましょう。所長の名を使っておけばマッサージチェアを買おうと洗濯機を買おうと、ホテルに泊まろうと全てが経費で解決します」

「ほわぁー。経費ってすごいんですねー」


 不満そうな顔をしている来栖だが、そんな来栖を置いて話は進んでいき、結局千里と来栖は二人で遊びに行くことに決まった。


「普通はそんな使い方しないわよ……」


 楽しそうにしている千里と、どんどん話を進めていく白城に対し、来栖はせめてもの抵抗にそう呟くことしかできなかった。


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