第14話

 

 ——◆◇◆◇——


 千里がネクストに加入してから一ヶ月と少しが過ぎたある日。


「きょっうのごっよていは〜、ななななんだろな〜、っと」


 普段の千里は、まだ何かこれと言ってやることがあるわけでもないため毎日訓練をしているだけだ。

 だが、効率的に鍛えるために、毎日トレーニングメニューは違っている。通常はそんなことはないが、千里に死んでもらってはまずいため、千里を育てるのに最適なメニューが組んであった。


「千里さん。今日はこっちよ」


 いつも通りネクストの拠点であるビルにやってきた千里は、そんないつも通りの訓練があるんだろうなと思っていたのだが、どうやら今日はいつも通りとはいかないようだ。


「ほえ? こっちって……うーんと、説教室?」


 集団での生活なのだから、当然ながら中には問題を起こす者もいる。普通の組織であればその場で咎めておしまいとなることもあるだろうが、千里たちの場合は普通とは違う『力』を持っている集団なのだ。そんな者たちが問題を起こしたにもかかわらずただ怒られただけで終わりでいいのかと言ったら、そんなわけはない。

 力があるのだから、その力を振るうものは相応に心も鍛えなければならない。そのための『説教室』だ。

 規則を破った者を入れて反省を促すための部屋。


 千里は他の者と共に訓練をすることは少ないが、それでも全く関わりがないわけではない。

 見かければ挨拶をするし、時間があれば雑談をするくらいの仲はある。そんな仲間達から聞いた話を思い出し、口から出たのだが、そんな言葉は来栖によって否定された。


「会議室よ。今日は私達はこっちに来るようにって連絡があったの」

「ほほーん。私たち二人ってことは、また何かお話でもあるのかな?」


 この拠点の中で千里と来栖が揃って行動するのは、最初に一週間程度なものだった。あとはそれぞれ別行動をし、一緒なのは拠点の外、学校での生活の時だけだ。


 もっと言えば、こうしてどこかに呼び出されたのは初日の話があった時だけだったため、今回こうして二人揃って呼び出されたのはまた何か話があるのではないかと千里は考えた。

 だがそんな千里の言葉を聞いて、来栖は眉を顰めて難しい顔をした。


「いいえ。多分だけれど、違うでしょうね」

「んっと、来栖さんは何があるか知ってる感じだったりする?」

「私も知らない。でも、おおよその予想はつくわ」

「……ふーん」


 何かわからないけど、来栖の様子を見る感じだとあまり良い事ではないのだろうと予想しながら、千里は無駄口を叩くのをやめて黙って来栖の後をついていくのだった。


「ああ、二人ともよく来たな。その後の調子はどうだ? 問題はねえか?」


 しばらく歩き、一つの部屋に入ると、そこにはすでに人が待っていた。

 お茶を飲み、お菓子を食べながらダラダラとした雰囲気で待っていた人物——天野は、千里たちが入ってきたのを見るとその軽い雰囲気のまま千里たちに話しかけて来た。


 そちらは、まあ普段通りと言えば普段通りなので気にする必要はない。だが、この部屋にはもう一人気にせざるを得ない人物がいた。

 天野の後ろに背筋を伸ばして立っている女性。その女性を千里は見たことなく、誰だろうと思ったが、席を勧められたので会釈をしながら座ることにした。


「バッチしでーす! おばあちゃんたちにもバイトと部活と委員会って言っておけば大体問題ないですし、ここでの訓練とかも意外と楽しいんで」

「そうか? ならいい。なんか問題あったら事務の奴らに言っとけ」

「所長に、じゃないんですか?」

「おれぁこれでも忙しいんだよ。今日は初回だからってことで来ただけだ」

「初回?」


 顔合わせという意味では〝初〟ではないし、この場所に来たのもそうだ。初回と言われてもなんのことかわからない千里は首を傾げるしかなかった。


「仕事だ。俺じゃなくて、お前のな」

「……あー、やっぱりそういう感じのだったかぁ」


 来栖があまり楽しげな様子ではないことから、千里も何かあるんだろうな、そしてそれは自身の能力に関することなんだろうな、と薄々感じてはいた。そのため、天野から仕事だと言われても特に驚くことなく受け入れることができた。


「驚かねえんだな。まあその方が楽でいいけどよ」

「まあ私がここにいる理由自体がそのためですしねー。今まで一ヶ月もこんな便利な能力を遊ばせておいた方が不思議かなって。それに、今日だけいつもと違ってここについてすぐに来栖さんと一緒のお呼び出しですから、なんとなくそんな感じはしてたんです」


 それに、もともと能力を使うためにここに雇われており、その時にすでに覚悟はできていたため、今更慌てることもない。


「そうか。なら話が早え。ちなみに、来栖はお前のアシストだな。初回ってことでビビったり精神的に不安定になるかもしんねえから、その補佐っつーか、安定剤代わりだな。それで落ち着くんだったら、来栖に抱きついても匂いを嗅いでもかまわねえよ」

「本当に!?」


 天野の言葉を受けて、千里はキランと目を光らせると勢いよく来栖へと顔を向けた。


「かまいますよ! やらせるわけないじゃないですか!」

「えー……ダメなのー?」

「ダメに決まってるでしょ!」


 ちょっとだけ、と両手を広げて近寄る千里と、そんな千里から少しでも距離を取ろうとジリジリ離れていく来栖。


 そんな二人を見ながらニヤニヤと楽しげに笑ってお茶を啜っている天野だったが、その頭をスパンと叩く音が室内に響いたことで千里達の動きが止まることとなった。


「馬鹿なこと言ってないでちゃんと話を進めてください。そんなだから奥さんにため息つかれるんですよ」

「おま、それ本人に言っていい言葉じゃねえだろ」


 天野は結婚しているし、夫婦仲も悪いわけではない。だが、お互いになんの不満もないわけではなく、呆れを感じる場面もある。しかし、その頻度は明らかに妻から夫に対するものの方が多いものだった。

 そのことを自覚しているからこそ、天野は苦々しい表情をしているのだ。


「では、そんなふざけているから浮気されるんですよ、でいかがでしょうか?」

「いかがですかじゃねえよ。如何もクソもあるか」


 言っていい冗談と悪い冗談があるだろ、と苛立ちを滲ませながら天野が顔を顰めて文句を言う。だが……


「その反応……まさか、ご存知ない?」

「ご存知って、何がだよ」

「奥様のご様子です。全てを把握しているわけではありませんが、最も新しいものとしてつい三日ほど前に〝友人と遊んでくる〟とおっしゃられていたようですが、何かおかしな点は確認できませんでしたか?」


 言われてみれば、と頭によぎった天野は一瞬だけだったが思案げな顔を見せ、だがすぐにそんなことあるわけないと頭を振ってから目の前の女性のことを睨みつけた。


「なんでお前が人様んちの予定を知ってんだよ。まあ確かにその日は出かけてたみてえだけど、浮気なんてそんなことはねえだろ」

「世の男性は皆そのように甘く考えていますが、女ほど狡猾で狡賢く、卑怯で賢しい存在はいませんよ」


 そう言われてしまうと反論できなかったのか、天野は怯んだように声を漏らして黙ってしまった。


「ねえ、今乗って全部おんなじ意味だよね?」

「しっ。ひとまず黙って聞いてましょう」


 小声で話す千里と来栖だったが、いくら小声とはいえど室内でのこの距離であれば聞こえないわけがない。だが、二人のことは無視しているのか、それとも頭に入ってこないだけなのか、天野と女性はそのまま話を続けていく。


「いや……いや、そんなことはねえっての。だったら証拠でも見せてみろや」

「でしたら、こちらは如何でしょう? 先日奥様が経費として提出したレシートですが、こちらの店名はカフェのものとなっております」

「まさか……いや、そんな……」


 衝撃的な話を聞かされ、それが事実かもしれないと証拠まで見せられた天野は、いつものふざけているようなゆるい雰囲気をけし、口元に手を当てて考え込み始めてしまった。だが、こんな状況であればそれも仕方のないことだろう。


 なんだかいきなり目の前でドロドロとした話が繰り広げられたことで、千里は困惑しながらもなんだか楽しげな様子で二人の話を聞いていた。

 だが、流石に色々とまずいのではないかと狼狽始めたところで再び状況に変化が起こった。


「ちなみに、先日の遊び相手というのは私です」

「は?」

「ほえ?」

「ああ……」


 女性の言葉に、天野はもちろんのこと、関係者ではなく話を聞いていただけの千里までもが思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。だが、来栖は何かを理解していたのか納得した様子を見せている。


「奥様はここを辞めましたが、それでも私の先輩であったことは変わりませんので、今でも時折お茶をすることがあります。これもその時のものです」

「あ、怪しい態度だってのは……?」

「怪しいところがあったのは経費でケーキバイキングに行ったからでしょう。仕事を辞めた者が元の仕事先の経費としてカフェに行けば、誰しもやましさを感じるに決まっているではありませんか」

「なんだ、そうだったのか……じゃねえよ! いや、よかったはよかったんだが、経費をそんなことに使ってんじゃねえ!」


 妻が浮気をしていなかったことを理解し、それと同時に自分が揶揄われたことを理解した天野は、安堵と苛立ちのせいで感情を抑えることができず叫んでしまった。だがこればかりは仕方のないことだろう。


「補足になりますが、定期的に行う職員、及び職員の関係者を対象とした身辺調査にて、奥様の浮気は確認できませんでしたのでご安心ください」

「だ、だよな! び、びびらせんじゃねえよこんな時に……」


 改めて女性の口から浮気なんてなかったのだと言葉にされたことで、天野は改めて安堵し、息を吐いた。


「奥様を信じていたのであれば、ビビる必要などないはずですが? ビビった。それはつまり〝そうかもしれない〟と思ってしまったということで、奥様のことを心から信用していない、ということではないでしょうか? この場合、悪いのは私ですか? それとも、自身が愛すると誓ったにも関わらず信じることができていないあなた自身ですか?」

「それは……」


 確かに、他者からの言葉で自身の愛した者を信じられなかったとなれば、それこそ夫婦間に傷が入ってもおかしくないことだ。

 騙すようなことを言った方も悪いとはいえ、信じられなかったのは自分なのだから、と天野は女性の言葉に反論できず唇を噛み、黙ってしまう。


「ちなみに、奥様からの伝言を預かっておりますが、〝もし信じきれないようであれば、信じられるようにしてやるわ〟とのことでした。よかったですね。またお子さんが増えることになるかもしれませんよ」


 それは夫婦にとっては良いことなのだろう。天野はそれなりの役職についているために給料もよく、今更もう一人子供が増えたところで何か問題があるような暮らしではないのだから、夫婦間の愛情を確認するという行為が悪いことのはずがなかった。


「……お前それ、女が堂々という事じゃねえだろ」


 だが、ここまでいいように揶揄われた自覚のある天野としては、やられっぱなしというのも気に入らない。そう思っていたからだろう。反論にもならない言葉が口からこぼれてしまった。


「なんと、これはひどい女性差別を受けました。今の世の中、女だからこれを言ってはいけない、女だからこうしなくてはいけない、などといった差別的な発言をするべきではありませんよ。炎上してもおかしくない発言です。そのような発言をするなど、男らしくないですよ」

「お、おう。……って、お前だって男らしくとか言ってんじゃねえか! 自分が言った言葉の内容を思い出してみろ!」

「ダブルスタンダード。それが 全女性の生まれ持った特殊能力です。女性は生まれながらにして能力者なのです。あとは政治家も後天的に得ることができますね」

「くっそいらねえ能力だな。そんなもん無くなっちまえ!」

「それは同感です。自身の言葉を翻すことも、自身の言葉に責任を持たないことも、実にみっともないことです。人間としての品位を落とす言動はやめてもらいたいものですね」


 どの口が、と出てきそうになった天野だったが、このまま話したところで収拾がつかなくなるだけだし、そもそも自分がこの女に口で勝てるとは思えないと判断して言葉を飲み込むことにした。


 だがそれでもやるせなさを感じた天野は、意識を切り替えるためにも大きく深呼吸を一つして心を落ち着かせる。


「ともかく、奥様の件は問題ありません。問題があるとしたら、夫婦の関係がどう深まるのか不明というところでしょうか。今のうちに機嫌をとる準備をしておいた方が良いと思いますので、所長は本日はお帰りになられては?」

「おう。でも仕事がな……ってそうじゃねえよ! 何人の仕事を勝手に終わらせようとしてんだ!」


 女性の言葉に従って帰ろうかな、と席を立ち上がりかけたところで、天野の視界に千里の姿が映った。

 そのおかげでこの後の予定を思い出した天野は、自分のことを帰らせようと誘導していた女性のことを睨み、怒鳴りつけた。


 だが、女性はそんな天野の怒声などまるで恐れていないようで、どこ吹く風とばかりにただ立っているだけだった。


「あー、千里。このクソみてえなアホが一応俺の補佐で、次からお前の任務を担当するアホだ」


 と、ため息を吐いてから行われた女性の紹介だが、それはとてもではないが紹介とは呼べないような者だった。

 あんまりといえばあんまりな紹介だが、先ほどの二人の話を聞いているとその紹介も仕方ないかな、と千里には思えてきたため、どう反応していいのかわからず苦笑するしかなかった。


「所長。イグハラですよ」

「イグハラ? なんだそりゃあ」

「イグジスティングハラスメントの略称です。意味は『存在してほしくないのに存在している』となりますね」

「そんなもんどうしようもねえだろ。っつーかそこまでいくとただの暴言じゃねえか?」

「頭の緩い阿呆が考えた言葉なので、仕方ないでしょう」

「お前のは普通に暴言だな。っつーか『アホ』って言葉に対する反応じゃねえのかよ」


 女性からの無駄な横槍を受けたことで、まだ本来の目的を果たすことができていないどころかその話に入ってすらいないにも関わらず、天野はなんだかもうすでに疲れた様子で再びため息を吐き出した。


「さて、それではまともに人のことを紹介することもできない役立たずな所長に代わり、自己紹介をさせていただきます」

「紹介できなかったのはお前がちゃちゃ入れてきたからだろ……」

「白城透子と申します。能力はありませんが、強いて言うのなら所長を調教することができる能力でしょうか」

「そんな能力要らねえよ! っつーか調教ってなんだよ!」


 やはりと言うべきか、とても個性的な自己紹介をして女性——白城を手で押し退けて、天野は千里たちに向き直った。

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