第12話

 

「ひっ! びゃあっ! にゃあっ!」


 千里が相手だから手を抜いている、というのもあるだろう。だがそれにしても千里はうまく鬼から避けることができている。体の動かしかたは素人そのものだし、走る速度も遅い。体力だって他の者達より圧倒的に劣っている。千里が勝てる要素なんてないどころか、短時間であろうとも逃げることは難しい。そのはずなのだ。


 だがそれでも、千里は鬼からの攻撃を避け、生き延びることができていた。


「……よくあれで避けられるわね」

「目がいいんだろうな。遠くを見るだけが能じゃないってことだ」


 誰に話したつもりでもないのだが、知らずのうちに溢れていた来栖の呟きに久坂が答えた。

 独り言に答えが返ってきたことに少し驚きつつも、何事もなかったかのように来栖は話を続ける。


「確かに、それはあるかもしれないですね。能力が強いと、その能力の要となる部位に副次効果が出ることがありますし。彼女の場合は、それが動体視力なんでしょうね」

「多分な。まあ素の視力も上がってるかもしれないが、おおよそその辺の能力が強化されてんだろ」


 それは間違い無いだろう。だが、それだけというわけでもない。

 千里は鬼からの攻撃を避けるだけではなく、時には物陰に隠れている者の側を通って状況を混乱させ、逃げ延びている。


 本来は物陰に隠れた者など、千里の角度からでは見えるはずがないし、奥まった面倒なところであり尚且つ通りづらい場所なので普通は逃げ道として選ぶこともない。

 だが、そんな場所へ千里は自らの意思で進んでいき、その近くに潜んでいた者達に鬼をなすりつけて逃げていく。


「あの子……使うなって言ったのに……」

「恐るべきは千里眼、か……。他の奴らも能力を使ってるからな。つられたんじゃないか? あとで改めて言い含めておいた方がいいな」

「はい。そうしておきます」

「しかしまあ、後方での活躍を期待されているんだろうが、あれなら前線でもいけそうだな」

「だとしても、千里さんが前線に出ることはほとんどないと思います。万が一を考えると、どうしたって危険はありますから」

「だろうな。だが、お前とのペアならいい線行くと思うんだがな。確か、お前が千里のパートナーなんだろう?」

「それは、そうですが……でもやはり千里さんは後方での支援を行うべきです」


 そうして一方的に話を打ち切るように来栖の意識は正面の鬼ごっこへと向けられ、そのことを理解した久坂は小さく肩を竦めてから同じように千里達の訓練へと意識を集中させた。


「ぜえ……はあ……」


 それからしばらくして、久坂の合図で鬼ごっこは終わることとなったのだが、やはりというべきか、他の者達も疲労で息を切らしているが、千里は息も絶え絶えに床に倒れ伏してしまった。


「うえぇぇ……きっつう〜! みんないつもこんなことしてるんですか?」


 少ししてから、千里は久坂と来栖がそばにやってきたことに気づき、体を起こしながら叫んだ。


「まあそうだな。なんだったら今日は軽いくらいだ」

「うべっ!? マジっすか?」

「マジだ。ほら、もう次のゲーム始まってんだろ」


 久坂が指差した方を見ると、先ほどの千里を交えた時と同じくらい……いや、それ以上に激しく動き回っている皆の姿があった。


「うっはー。やっば。みんな体力が異世界人じゃん」

「これくらいできなかったら、実際に作戦を行うときについてけないからな。そうなったら——死ぬぞ」


 普段の優しげな雰囲気を消して、久坂は千里に忠告をするように話す。


「……死ぬ、かぁ。そうだよね。死ぬのはやだもんねー」


 今日だけで自身が死ぬ可能性を何度も示唆された千里は、もう驚くこともなく受け止めて自分の中に落とし込むように呟いた。


 だが、そうして既に受け止めることができてしまっている千里に対して、来栖はわずかに眉を寄せて千里の態度に訝しんだ。

 しかし、まだ本当の意味で受け止めることができたわけではないのだろう、と考え直して来栖は千里と久坂の話に耳を傾けることにした。


「だろうな。だが、実際にそうなる可能性は十分にある。だから訓練してるんだ。お前も、多分基本は後方での務めになるだろうが、最低限逃げ足くらいは鍛えておいて損はないぞ。それに、女子的には適度な運動はダイエットにもなるだろ」

「あー、それセクハラって言うんじゃないんですかー?」

「何がセクハラだ。この程度の言葉狩りしてたらコミュニケーションなんて取れないだろ。相手を尊重する気持ちがあって、実際にそう行動することができるんだったら言葉の内容なんて関係ないさ」

「大事なのは見せかけじゃなくって心ってわけですね!」

「そういうことだ。何かにつけてハラスメントと騒ぐやつは、他人を尊重できない人間のクズだってことだ。お前はそうならないように気をつけるんだぞ」

「なんか、含蓄があるっていうか……歴史を感じさせる言葉ですねー」

「歴史って……俺はまだ四十代なんだけどな」

「若者にとっては四十はおじさんですよ」

「……ああ。わかってはいるけど、はっきり言われるとなんだかくるものがあるな」


 千里としてはなんとなくの気分で話していただけなのだが、その言葉が思った以上に久坂の心を抉ったようで、その背中はどこか哀愁が漂っているように見えてしまった。


「うーん。まあ久坂さんはイケおじって感じの渋さがあるんでいいんじゃないんですか? かっこいいですってば」


 そんな久坂の変化を感じ取ったのか、千里は若干慌てながらもフォローのために言葉を口にする。だが、それは別にまるっきりの嘘というわけでもない。

 だからだろうか。千里の言葉はすんなりと落ち込んでいた久坂へ届いた。


「お、おお。渋さか……あるか?」

「あるある! サングラスと革ジャン着たら似合うんと思う。あとバイクも! あのドゥンドゥン重い音がするやつ」

「あー、ああいうのか。バイク自体は普段から乗ってるが、あの手のやつは乗ったことがないな。憧れはするけどな」

「そうなんですか?」

「まあこういう仕事だからな。敵を追うにしても敵から逃げるにしても、あんなの乗ってられないだろ」

「あー……深刻な問題ですねー」

「深刻なの?」


 千里と久坂のあまり意味のない会話を聞きながしていた来栖だったが、訳知り顔で頷いている千里を見て思わず問いかけてしまった。


「深刻だよ! かっこよさを追求しないでどうするの! この業界舐められたらおしまいなんだよ!?」

「いや、この業界ってあなた今日入ったばかりじゃない」


 そんな来栖と千里のやりとりを見て、久坂は小さく笑うと二人に向けて口を開いた。


「まあなんだ。色々役に立つからここでの訓練がんばるといい」

「はーい! めぎょっと活躍して見せます!」

「めぎょってなんだ……?」


 初めて聞いた擬音語の意味が理解できず、久坂は考えるような表情で千里へと問いかけたが、千里はそんな久坂の言葉に自慢げに頷きながら答えた。


「驚きで眼がぎょっと見開かれちゃうくらいすごい活躍ってことですよ」


 ——◆◇◆◇——


 訓練場を見た後も『組織名』の案内をしてもらった千里は、そのままゲストルームに泊まり、翌日の朝になって来栖とともに学校へと登校していた。


「おっはよー」

「ういー。はよー」


 自身の教室についた千里は、いつものように友人達と挨拶を交わしていく。その様子は本当にいつも通りで、昨日の出来事なんてまるでなかったかのようにすら思えるくらいだ。


 そんな友達と楽しそうに挨拶を交わした千里を一瞥した来栖は、その横を抜けて自身の席へと進んでいく。


 来栖が席について、ふうっと小さく息を吐き出したところで、その隣から元気な声がかけられた。


「来栖さん。今日もよろしくねー!」

「……ええ。こちらこそよろしくお願いするわ」


 朝の挨拶は既にしたし、なんだったらここまで一緒に来たのだが、それでも挨拶をするというのは一緒に登校したことを隠すためか、あるいは学生として改めて挨拶をしたかったからか。

 千里の考えなど来栖にはわからないが、来栖は一瞬の躊躇いを見せた後にすぐに笑みを浮かべて挨拶を返した。


 昼休み。昨日に続き学校を案内するということで、手早く昼食を済ませてしまった千里と来栖は二人で廊下を歩いていた。


「あなた、よく話しかけてくる気になったわね」

「ほえ? 何が?」

「何がって……昨日あんなことがあったのよ? 色々とあなたの人生を変えちゃって……私なんて、あなたに銃を突きつけたのに」


 来栖としては、千里は自分と距離を取るものだと考えていた。何せ、千里の人生は一変したのだ。その理由は千里が能力を無闇に使っていたためではあるが、来栖が報告しなければ何もなかったかもしれない。

 それに、千里のことを捕まえるにあたり最も重要な役割をこなしたのも来栖だ。


 自分の人生がおかしくなったのは来栖のせいだ、なんて思ってもおかしくない。そこまで思わなくとも恨み言の一つでもあるものだろうし、確執のようなものが生じているものだろう。


 少なくとも、いつも通りの態度で挨拶をしたり、授業の合間に雑談を求めたりなどということは無いのではないだろうか。


 しかし、そんな来栖の考えを否定するように千里は笑みを浮かべたまま普段通りの調子で答えた。


「でも結局死んでないしー? 死んでなければどうとでもなるんだから、そううじうじしてる必要なんてないって。それに、まあ仕方ないっかなーとは思ってるんだよね。こんな力、普通の人には過ぎたものだし、いつまでも普通でいられると思う方が間違いでしょ」


 元々、こんな能力を自分が手に入れてしまっていいんだろうか。いつか何かあるんじゃ無いだろうか、などと千里は考えていたのだ。今まで何もなかっただけで、昨日になってようやくそんな考えが実際に起こったというだけ。


「むしろ、私のことを見つけてくれたのが来栖さんで良かったかなって思ってるよ。他の人たちだったら、もっと雑っていうか、荒っぽい扱い受けてたでしょ? 他の組織? だったら尚更だったんじゃないかな」

「……そうかもしれないわね。あなたの能力は、それだけの価値があるものだから」

「だよねー。で、だよ。そう考えると、怪我一つせずに友好的な感じでお話が終わったのはいいことでしょ。こうして普通に学校生活もできてるし、家だって何事もなく過ごすことができてるもん」


 実際、もし千里の能力を知ったのが来栖ではなく別の組織だったら、千里はこんな風に学生として生活することはできなかっただろう。


 今回来栖に見つからなかったとしても、いつかどこかでやらかしていたはずだ。そうなれば来栖よりも強引に拐って、どこかに閉じ込めて無理やり能力を使わせる。あるいは、能力の研究のために実験体にされるかのどちらかだった可能性が高いだろう。


 そういう意味では、来栖に見つかったのは千里にとって良かったことだったのかもしれない。


「だからさ。私を見つけてくれてありがと」


 千里は来栖の正面に立つと足を止め、来栖のことを真正面から見つめながら心からの笑顔でそう告げた。


「……そう」


 恥ずかしげもなく告げられた千里の言葉に、来栖は何かにを思ったのか目を瞑ると一つ深呼吸をした。

 そして目を開けた後は、何事もなかったかのように千里から顔を逸らし、自身の前に立ち止まっていた千里を避けて歩き出した。

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