第9話

 


「千里さん。ついてきてちょうだい」

「あ、うん」


 来栖の言葉を受けて千里はほっとしたように頷き、立ち上がると、来栖とともに部屋を出て行こうと歩き出した。


 が、来栖がドアノブに手をかけたところで、先ほどまでの真剣な様子からだらけた雰囲気へと変わった天野が来栖へと話しかけた。


「っと、ああ。来栖。ひとまずお前が担当な。ここでの生き方を教えてやれや。一般区画は全部使用許可出しとくからよ」

「はい。承知しました」

「それと、そのうち仕事もしてもらうがその時はお前がパートナーな。特型同士ちょうどいいだろ」

「……彼女を前線に出すつもりですか?」

「基本的には裏での仕事だ。何せ、わざわざ外に出なくても見えるんだから出る必要ねえだろ」


 千里には二人が何を話しているのか正確に把握することはできないが、来栖は天野の言葉をしっかりと理解し、安堵したように小さく息を吐いた。


「ただまあ、場合によっては前に出ることもあるだろうなあ」


 だが、続けられた天野の言葉に来栖は思わず眉を顰めてしまう。

 前に出る。その言葉の意味するところは、命のかかる場所へ放り込まれるということなのだから。

 こんな危険な場所に連れてきたのは来栖だ。千里の好意を裏切って連れてきた来栖に、千里のことを心配する権利などないだろう。そのことは本人も理解している。

 だがそれでも、心苦しさはあった。一般人で、ただ特別な眼を手に入れてしまっただけの少女を命懸けの場所へ送るだなんて、と。


「彼女は一般人ですが……」


 だからだろう。決定事項であるはずの天野の言葉に歯向かうようなことを言ってしまったのは。

 そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。予想外の言葉を聞いた天野は、だらけた態勢ながらも顔だけを来栖に向け、軽く睨んだ。

 だがそれでも来栖は視線を逸らすことはなく、そんな来栖の様子に天野はため息を吐いてから来栖の言葉に答えた。


「もううちの組織の人間だし、能力がある時点で一般人じゃねえだろ。ああそうだ。そんなわけで、訓練もしてもらうからそのつもりでな」

「前線に出ないのであれば、必要ないのでじゃないですか? 彼女を組織に入れることは必要だと理解していますけど、それでもできる限りの日常は保証すべきです」


 先ほど千里が組織に入る条件として普段の生活を壊さないことを約束した。であれば、ここでの訓練などよりもそちらの学生としての生活の方を優先すべきではないのか。来栖はそう話すが、天野は首を横に降りながら答えた。


「わかってねえな。だからこそ、だろうが。日常を過ごす。それはいいさ。俺達だってそこは構やしねえ。だが、外に出てる時に襲われたらどうすんだ? お前がペアとしてついてるって言っても、四六時中ずっとってわけにもいかねえだろ。少しだけでも目を離した隙に襲われる、拐われるなんてことがあり得る。それは理解できんだろ? だからこそ、多少日常を壊したとしても訓練させる必要があんだよ。最低限、逃げることができる程度は動けるようにな」


 そんな天野の言葉にも理があると感じたのか、来栖は天を見つめながら眉を寄せ、黙り込んでしまった。


「あ、あの。私、訓練くらいします」


 二人の間に流れる空気を厭ったのか、千里が若干慌てた様子で手をあげてそう告げた。

 それは、なんだか空気が悪くなっているなと感じたからとりなす意味もあったが、実際に千里も天野の言うことは正しいのだろうなと感じたからでもあった。


 これから千里は〝裏〟の世界に踏み込んでいくことになる。日常を守ってくれると言っていたが、それはあくまでも〝ある程度〟の話だ。完璧に守れるわけではない。

 ではどうすればいいのかと言ったら、誰かに守ってもらうのではなく自分で守るほかないのだ。いざという時にただ助けを待つだけにならなくて済むように。


 そうでなくとも、訓練をする、というのは千里にとってはありがたいことだと言えるだろう。

 今の千里はまだ何をするのかよくわかっていないが、〝訓練をする〟という目的があれば、少なくとも何もやることが分からずに考えるだけということはなくなるから。


「見ろ。千里はもうやる気だぞ」

「……わかりました」

「精々怪我しねえように面倒見てやれ」

「はい」


 結論が出てもなお不満げな様子を見せている来栖だが、所長からの命令なのだ。元々断れるものでもないし、千里が同意した以上はなおのことどうすることもできない。


 来栖はチラリと千里のことを一瞥すると、天野へと向き直ってから頷いた。


「そんじゃあ、行って——ああ、待った。まだ言うことあったわ」


 話が終わり今度こそ、と二人が歩き出そうとしたところで、またも天野に止められることとなった。


「千里。能力はあんまし使うな」


 先ほどまでの砕けた雰囲気ではなく、千里のことを脅した時ほどではないが真剣な様子で千里のことを見つめながら天野が言った。


 それはこの場所のことや自分たちの秘密を知られたくないからだろう、と千里は考えた。実際、この場所に来てから能力を使おうとして、来栖に止められたのだ。上司でありこの場所を管理している天野であれば止めるのは当然だろう。

 そう考えて、千里は頷きを返した。


「それは、まあはい。わかってますけど……」


 だが、そんな千里の答えの何が違ったのか、天野は緩く首を横に振りながら千里の考えを訂正するべく口を開いた。


「そうじゃねえ。能力ってのは、簡単に言えば人間の限界を越えさせる力だ。そんなもんを使い続ければ、そのうち体にガタが来ることになる。お前の場合は、眼にな」

「え? ……えっ! それって見えなくなるってことですかっ!?」


 突然の話に、千里は一瞬理解できないとばかりに呆けた顔を晒したが、すぐに天野の言葉の意味を理解して眼を見開き、声を荒らげた。


「最終的にはな。だから使うなっつったんだ」


 事実、能力というのは気軽に使っていいものではない。人間には許された範囲の力があるが、能力はそれを超えてしまうことができるのだ。許された範囲——限界を超える力を使うのだから、代償があるに決まっている。

 ただ、普通の能力者……自身の体を強化したり、少し感覚が鋭くなったりする程度の能力であれば、その代償も軽くて済む。普通の人も、限界まで走ったり鍛えたりしたら心臓や肺が痛むだろうし、後日身体中が痛むだろうが、その程度だ。それと同じで、ただのありふれた能力であれば、その代償はあまり気にしなくとも問題ない程度のものでしかない。


 だが、千里は違う。肉体を強化する、感覚を鋭くする、などというちっぽけなものではなく、〝世界中を見通す眼〟という、人間の限界どころか、生物としての限界を超えた能力だ。そんなものを人の身で使ってタダで済むわけがない。

 今のところは何も問題が出ていないのかもしれないが、使い続ければいずれは不具合が出てくるに決まっている。そして、その不具合として最も発現しやすい箇所が、千里の場合は眼なのだ。


 さらに、天野は言っていなかったが、眼の他にも影響の出る箇所がある。それは——脳。

 考えてみれば当たり前の話だ。ただ目が良くなるだけで世界中を見ることができるのかと言ったら不可能に決まっている。その光景を受け取り、処理する器官である脳にも影響が出ると考えるべきだろう。


 だがそのことを天野は言わない。言って能力を使うことを過度に厭われたら困るし、ただでさえ今日は千里にとって色々なことがあったのだ。そこに立て続けに不安になるような話をするのは、千里の精神状態的にも良くないだろうと判断したからだ。


 言わなければ無茶をするかもしれないので言うしかなかっただけで、能力の代償についてだって、できることならあまり言いたくなかった。少なくとも、今日はまだ。


 だがそれでも、能力には代償があるという事実に千里はショックを受けていた。当然だろう。今までそんなことを考えてこずに使ってきたのだから。


 いや、正確には代償について考えていたこともあった。こんな力は普通ではない。何か自分の身に起こるのではないだろうか、と。

 だがそれでもしばらく何もなく、今日まで使い続けてこれたので千里はそのことを気にしないようにしていた。大丈夫だろう。きっと平気だ。何かあったらその時はその時だ、と。


 しかし、そう考えていたことと実際に告げられることは別だった。それも、どこの誰とも知れない他人ではなく、自分と同じ能力者を幾人も保有している組織のトップからの言葉だ。

 軽く流すことなど、いくら千里であってもできはしなかった。


「ただまあ、使い過ぎなきゃ問題ねえ。じゃなかったら、流石に俺たちだって能力者を前線に送って任務をさせたりなんてしねえからな」


 そんな沈んだ様子の千里を見てか、天野は一旦息を吐き出すと頭を掻きながら慰めるようにそう口にした。


 事実、使い方の問題ではあるのだ。過去の事例から考えれば、能力を使うのは負担がかかるが、使いすぎなければ問題らしい問題があるとは言えない。


「要は使い方の問題だ。車と同じで、短時間にエンジンをオンオフをさせてると消耗が激しくなる。だから連続で使い続けるのはいいが、使い直すのはやめろ。お前みたいな特型は、特に負荷がかかりやすいんだからな」

「は、はい……」


 安心させようと説明をした天野だが、誰かを慰めることに慣れていないのかその説明はどこか不安を煽るようにも聞こえる。実際、千里はそんな天野の言葉を聞いて余計に沈んだ様子を見せた。


 意図しない状況に天野は眉を寄せ、内心で舌打ちをしたが、そのまま放置することもできないために再び口を開き、迷いながらも安心させるべく言葉を重ねていく。


「——なんて、まあ脅しはしたが、実際に能力の負荷で体のどっかに異常が出たやつはそういねえ。いても、完全にダメになったわけじゃねえ精々が関節痛がするようになったとか、腰痛がひどくなったとかその程度の問題だ」

「なんだ。そうなんですね」


 天野が心を砕いて励ました甲斐あってか、千里は副作用が大したことないと知り、ほっと安堵の息を漏らした。

 それを見て天野も内心で安堵したのだが、あまり気が緩みすぎてもいけないと、言葉を考えながら改めて注意をすることにした。


「ああ。だが、お前の場合は〝眼〟だ。ちょっとした異変が致命傷になりかねない。だから、能力は任務の時か、もしくは本当に必要な時にしか使うな。そんで、あー……何かあったらすぐに教えろ」

「はい。わかりました」

「よし。そんじゃあ今度こそ話は終わりだ。行け」


 そうして千里と天野の初めての接触は、特に問題らしい問題が起こることもなく無事に終わることとなった。

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