第8話
千里は来栖以外の〝敵〟がやってきたことで警戒して僅かに身構えたが、そんな千里とは違って来栖は冷静に返事を……
「はい、どう——」
「入るぞー」
「ぞ……あの、まだどうぞと言っている途中だったのですが」
中にいた来栖が入室の許可を出す前に扉を開き、中へと入ってきたのは四十から五十程度の男性だった。
そのこと自体はおかしくない。ここは来栖曰く国の機関なのだから、むしろ来栖のような女子高生がいることの方がおかしいと言えるだろう。だからこのやってきた男性のような人物がいるのはおかしなことではない。
だが、その姿があまりにもこの場所、この状況に不釣り合いだった。
「結局許可する事には変わんねえんだからいいだろ。それに、どうせ許可なんざなくても入ったし、気にすんな」
部屋に入ってきた男性は、席を勧められることもないのに勝手に椅子に座り、テーブルに肘をついて千里のことをじっと観察するように見つめた。
「せめて身だしなみを整えた姿で来てくれませんか?」
観察されて居心地の悪そうにしている千里のことを見てから、来栖は一度ため息を吐き出してから男性にそう告げた。
これまでの態度を見る限り、この男性は来栖の上司であろう。そうでなくとも、来栖よりは立場が上だと思われる。そんな人物を相手に身だしなみを整えろと言うのは失礼かもしれないが、言わずにはいられないほど男性の格好はひどい。ありていに言えば、みっともなかった。
切り揃えることもなくボサボサに伸びた髪をかき上げて、全て後ろでひとまとめにしている頭部。
服装に関しても、国の機関であるというのになぜか『私たちは美味しいリンゴを提供します』と書かれたシャツと作業服の下を着ているというおかしさだ。
この部屋にやってこなければ、そして来栖との話しを聞かなければ、千里は清掃のおじさんとでも思ったことだろう。
「身なり整えて能力が変わるわけでもあるめえよ。構いやしねえって」
「内部の相手にはそれでも良いかもしれませんが、外から来た方に対しては失礼ではないでしょうか?」
「一応最低限は整えてるだろ? ほれ、髪だって纏めてるぞ」
「それくらいじゃないですか……端的に言って、不潔です」
「不潔っ!? んまっ、なんてことを言うんでしょっ! この子ったら!」
上司だろうに、上司にかけるとは思えない言葉を受けて男性は芝居がかった言動で来栖のことを批難する。
「キモいのでやめてください」
「えー……」
単純な、勘違いしようのない罵倒の言葉を受けて、男性は不満そうに声を漏らした。だがそれ以上はしつこいと判断したようで、肩を竦めてからそれまでのふざけた雰囲気を消して来栖へと話しかけた。
「あー、それじゃあ、えー、まあ本題に入るわけだが……どこまで話した?」
「能力者は他にもいることと、私達が能力者を集めて仕事をしていることくらいです」
「そか。んじゃまあ、自己紹介をしようか。俺はここの支部で頭はってる天野祐一だ。簡単に言えば、所長だな」
自身のことを所長と言った男性——天野に対し、千里はその言葉を信じることができず、思わず来栖へと顔を向けてしまう。
だが、来栖としてもその感情は理解できるのか、ハアとため息を吐いたあとに小さく、だがはっきりと頷いた。
そんな来栖からの答えを受けて千里は驚いた様子を見せたが、すぐに気を取り直して天野に向かって自身も自己紹介をし始めた。
「えっと……千里歩です」
「おっけおっけ。『千里眼』の千里ちゃんね」
「はい……え? あの、え?」
先ほどまでは多少なりとも真剣な雰囲気が感じられたのに、またも突然へらりと緩い雰囲気が感じられ始め、その変化に千里は困惑するしかなかった。
「天野さん。おかしな言動は控えてください」
「おかしな言動―? いやいや、そんなんしてないでしょーに」
「その話し方がすでにおかしいのですが」
確かに、来栖の言うように天野の言動は所長という立場の者がするものではないし、国の機関に勤めるも者のものでもない。加えて言えば、組織にとって重要な人物を前にしての振る舞いでもない。
「はあ。なんとも辛辣な子に育っちゃって……」
「天野さん」
「あー、はいはい。……で、まあ本題に入るが、千里歩。お前には俺達の組織に入ってもらう」
来栖の言葉によって渋々と言った様子で頷いた天野は、またも様子を一変させた。だが、今回は先ほどまでのような半端に真面目な態度ではない。本当に〝所長〟としての態度で千里へと〝決定事項〟を告げた。
「はあ……えっ!?」
一瞬頷きかけた千里だったが、断言された言葉の意味を理解して驚きの声を漏らした。
「驚くのもわかる。が、異論は受け付けない。これは提案でもお願いでもない。強制なんでな」
「なんでっ……そんなの、急に言われても……」
ただ淡々と告げる天野の言葉に、千里は半ば身を乗り出し、困惑しながらも拒絶の意思を告げようとする。
だが、自分が〝普通〟ではないことを自覚しているからか、心の中ではどこか仕方ないと思ってしまっているのだろう。その言葉には力がないものだった。
「そう、急だな。だが、仕方がない。何せ、お前は能力者なんだから。それも貴重な特型能力者。俺達としても、手放すわけにはいかないんだよ。もし断るとすれば、その時は事故に遭うことになる」
「じこ……」
「そう。事故だ。お前を殺す意図で偶然起こってしまう、事故。そんなことが起こる理由は……わかるだろ?」
わかる。わかってしまう。今まではなんてことのない力だと思っていたが、誘拐なんてことをされてまで話されれば、いやでも理解できてしまう。
(なんでこんなことに……)
能力を手に入れた時には思っていなかった。なんだったらつい昨日まで自分がこんな状況に陥るだなんて考えもしなかった。
それなのに、今の千里の状況は普段の平穏とは真逆と言ってもいい方向へ進もうとしている。
そんな状況を嘆く千里だったが、そんな千里をよそに天野は話しを進めていく。
「その力は、はっきり言って脅威だ。極秘の資料だろうと、作戦中の伏兵だろうと、男女の営みや通帳の中までなんでも丸見えだ。金庫の中だろうとシェルターの中だろうと関係なくな。もし敵対勢力にでも渡れば、その被害は計り知れないことになる。だから、そうなるくらいだったらこちらで処理する」
最近の記録は紙ではなくデータでの保存が多い。だが、紙での保存がなくなったわけではないし、重要な記録や伝達はいまだに紙で行っている場合もある。なぜなら、その方が安全だから。多少手間がかかろうとも、紙という現物さえなくさなければ他者へと漏れる心配がなく、用がなくなれば燃やせばいい。
だが、そんな安全性が、千里の能力によって崩れることとなる。
そんな能力が味方であればありがたいことこの上ないが、もし敵に回るのであれば厄介極まりない。
だからこそ来栖たちが動いたのだし、これから動く可能性もある。
「もっとわかりやすく、はっきり言えば——殺す」
そう言い放つとともに、天野は千里のことを睨みつけた。
天野の全身からは、殺気とでも言えるような圧が放たれており、一般人……普通の女子高生がそんな圧を受ければ、たとえそれが殺気なのだと理解していなくとも途端に萎縮してしまうだろうものだった。
「ころす……」
そんな天野からの圧を受けた千里がどうなったかというと、どうにもなっていない。
天野からかけられた言葉を口の中で転がすように呟いただけで、その言葉にも圧にも、何も感じていない。怯えや恐れを感じた様子はな口、むしろ先ほどまでの方がよほど怖がっていたようにすら思えてくる態度だ。
そんな千里の様子を訝しんだのか、天野は眉を顰めたが、すぐに表情を取り繕って全身から放っていた圧を霧散させた。
「と言っても、それはお前が断った場合の話だ。俺個人としてもこの支部のトップとしてもそんなことにはなってほしくはないし、お前には頷いてほしい。それに、今は脅すようなことを言ったが、組織に入ってくれればいいことだってあるもんさ。仕事以外は自由にしても構わねえし、学校も行ける。まあこれは今までの生活と大して変わらないか。だが、どんなことがあってもお前は退学にはならないし、金に困ることも、まあないだろ。よっぽどあれな使い方をしなきゃだけどな。まあ、普通の暮らしよりはよっぽどいい暮らしができると断言してもいい」
先に話された『殺す』という脅しこそあったが、天野からの提案は千里にとってそう悪くはないものだ。
協力を求められることはあったとしても、それで自身のことを狙う敵から守ってくれるのだから。
その上、普通の仕事のように給料も出て、私生活も壊さずにいてくれる。
要は自分にだけできる特殊技能を活かしたアルバイトのようなもの。その後も就職に迷うことなく仕事につながるアルバイトだ。
そう考えれば、一年後には就職活動をするつもりだった千里にとってはありがたい話しだと言ってもいいだろう。
千里の能力を使いたいだけなら、殺すだの家族を狙うだのと色々と方法はあるはずだ。
だがそうせずに千里にも利のある提案をしている。先に『殺す』と脅しをしているが、それを考えたとしても誠実な対応だと言えるだろう。
「他にも、何かしらの事件に巻き込まれても冤罪をかけられることはねえし、本当にお前が何かしらの罪を犯したのだとしても捕まることもねえ。まあ、その分うちで余分に働いてもらうことにはなるが、生活の保障はする。祖父母にだって、大企業に勤めているんだと言うこともできる。実際、組織のフロント企業はそれなりのでかいもんだからな」
千里が頼まれているのは、仕事は仕事でも後ろ暗い仕事だ。やっていることは大っぴらには言えず、祖父母に誇っていいようなものではない。そんな場所へ勤めることとなったら、二人はきっと心配するだろう。何せ自身らの孫がどこともしれぬ怪しい場所で仕事をするのだから。
だが、実際に存在している会社へと勤めることになれば、それだけで安心できる。その実態はよくわからなくとも、それなりに名の知れている会社であれば誇らしくも思うだろう。
これまでの話しを聞く限りでは、千里にとってマイナスの要素はほとんどないと言ってもいい。全くないわけではないが、それは仕方のないことだし、そのマイナスを消せるだけの利があった。
それにそもそも、断れば殺されてしまうのだから受けるほかない。
そう考えて千里は承諾の意を口にしようとしたが、そこでふと気がついたことがあり、眉を寄せて考え込むような表情を見せた。
「で、でも、わたしは……わたしに、そんな価値があるんですか? 来栖さんにも気づかれてたし、そんな能力を使っても、すぐにバレちゃうんじゃ……」
千里が気になったのはそこだ。聞いた限りではかなり良い待遇で迎えられることになるだろう千里。だが、そうするからには何かを期待しているからだ。この場合天野達が何を期待しているのかと言ったら、千里の能力とその働きだ。そこに期待をしているからこそ、高待遇で千里を迎えようとしている。
だからこそ気になる。もし自身が天野達の求める水準に達しておらず、期待に応えることができなければどうなるのか、と。
実際、千里は一度失敗しているのだ。任務を受けたわけではなく単なる偶然ではあったが、覗いていたことが来栖にバレてしまい、場所まで把握されていた。
もし今後もそんなことがあるのなら、天野達の期待に応えることができないかもしれない。千里はそう思ったのだ。
「ある。来栖にバレたのは、こいつが同じ特型能力者だからだ。詳しくはわからねえが、特型同士は、能力を使用する際のなんか波長みたいなもんがわかるらしい。だから、それ以外には有効だ。それに、それで気づかれたってことは、相手は特型だってことだ。それがわかるだけでも十分収穫にはなる」
だが、千里の迷いを切り捨てるように天野は断言をした。
「……」
だがそれでも、容易に決められるようなことではない。待遇はいい。安全も確保してくれる。表向きの所属も誇れるものだ。
だが、ここで天野達の手を取ることにすれば、千里は一生『裏』の人間と関わりを持って生きることになる。それは〝普通〟ではない。
「悩むようなら、簡単に、シンプルにいくか。死ぬか生きるか、どっちがいい?」
千里が悩んでいるのを見て、天野は言葉を飾らずに単純な二択で問いかけた。
だが、単純ではあるし、なんだったら単純すぎるようにも思えるが、話の内容としては間違いではないのだ。自分たちに協力して生きるか、協力しないで殺されるか。その二択。
生きるか死ぬか。冗談で言う者はいくらでもいるだろうが、実際に命がかかっている状況になってそんなことを問われるものはそうそういないだろう。そして、それまで一般人として過ごしてきた学生の少女がいざ〝本気〟の場面に遭遇し、問われたとなれば、冷静に応えることなんてできない。そのはずだ。
「……死ぬのは、いやかなぁ」
だが、千里は目を瞑り軽くため息を吐くと、そう呟いた。そして、千里の反応はそれで終わりだった。
「? ……俺たちに協力する意思があるってことでいいな」
「はい」
「そんじゃあそういうことで。ようこそ俺達の腹ん中へ。仕事の内容についての詳細は後で連絡するからよろしくな」
あまりにも淡白と言ってもいい千里の反応に眉を顰めた天野だったが、千里が自分たちに協力する意思があるのだと確認ができると、千里のことをしっしと追い払うように手を振る。
だが、いきなりそんな対応をされてもこの場所に初めてきた千里はどうすればいいのかわからず困惑するしかない。
その状況に、今まで黙っていた来栖はため息を吐き出すと椅子から立ち上がり、千里のそばまで歩いて行った。
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