第6話

 

 ——◆◇◆◇——


「——ふぁ……?」


 揺れる感覚と普段は聞こえてこないような音で目を覚ました千里。

 目を覚ましたはいいが、まだ頭の方ははっきりとしていないのか、見慣れない風景に首を傾げながらもその表情は緩んでいる。


「っ!」


 しかし、すぐに自身が眠る前の状況を思い出したのか、その場から飛び退こうと跳ねるように立ち上がった。


 だが悲しいかな、あいにくと現在の千里は車に座らされて護送中だ。そんな状態で突然立ち上がったために……


「いがっ! っ〜〜〜〜〜〜!」


 ガンッと硬い音を鳴らして頭を天井にぶつけ、千里は再び席に座り直すこととなった。


「どこっ……車っ!?」


 頭を押さえながらも周りの状況を確認しようとして、千里はまず自身が頭をぶつけたばかりの頭上へと視線を向けた。そして見上げたまま右へ左へと視線を動かし、正面へと顔を戻すとそこでようやく自身のいる場所を理解した。


「思ったより早く起きたのね。やっぱり、甲種能力者は色々と耐性がついてるのかしら?」

「え? あ、え……来栖、さん……?」


 しかし、自分のいる場所は理解できても周りにいる者にまでは気が回っていなかったようで、来栖に話しかけられたことでようやくその存在に気づくことができた。


「ええ。具合はどう? どこか悪いところはある?」

「え? えっと……頭が、痛いかな」

「っ〜! ……それは私にはどうしようもないわ」


 悩んだ末に頭をさすりながら話した千里を見て、来栖は一瞬吹き出しそうになったのを堪えながら千里から顔を背けた。


 ——違う。そうじゃない。


 そう言いたかった。来栖が聞きたいのは薬による体の異変であって、頭の痛みはどうでもいいのだ。そもそも頭が痛いのはつい今しがた頭をぶつけたので当然である。


 だが、そのことを言ってしまえば笑いが溢れてしまいそうだったため、来栖は冷静さを装って答えるだけだった。


 なぜ来栖が顔を背けたのか気づいていない千里は首を傾げているが、ハッと今の状況を思い出して真剣な眼差しで来栖のことを見つめながら問いかけた。


「……来栖さん。どうしてこんなことをしたの? なんで私を……私はどうなるの?」


 現在の千里は走行している車の中であり、逃げ出すことなんてできはしない。

 だが、それでも拷問のような苦しむことをやられるのであれば、死傷を覚悟で車から飛び降りた方がいいに決まっている。


 もっとも、この車はチャイルドロックがかかっているので千里の側からは扉を開けることなどできないのだが、そんなことを知らない千里は、場合によっては車から飛び降りる覚悟で来栖へと問いかけた。


 問いかけた千里の喉がごくりと鳴り、緊迫した空気が漂う中で、来栖は千里のことを一瞥してから再び正面に向き直り、答えた。


「どうして、か。その問いの答えは、もうわかっているんでしょう? でも安心していいわ。用があるから来てもらっているけど、殺したり拷問したりというのはないわ。少なくとも、私達はね」

「私達はって……来栖さん以外はやるってこと?」


 自分はやらない。けど他の部署の者が……ということを想像した千里だったが、そんな千里の考えを来栖は首を横に振って否定した。


「そういう意味での〝私達〟じゃないわ。私の所属している組織はやらない。けど、他の者達に捕まったらそうなる可能性もあるってことよ。あなたは、自分の力がどれほど強力で邪魔なものなのか理解しているかしら?」

「強力は……まあわかるけど……邪魔?」


 遠くのものを見ることができる。それは普通の人間にできることではないのだから、使えるとなれば強力な能力だと言えるだろう。

 だが、所詮〝見る〟だけなのだ。遠く離れたところであろうと、衛生やドローンなどを使えば同じようなことはできる。

 そう考えていた千里としては、邪魔とまで言われて首を傾げてしまった。


「一応確認しておくけれど、あなたは遠くを見ることができる能力があるでしょう?」

「……うん」


 一瞬誤魔化そうかと迷った千里だったが、すでに攫われている以上はそんなことをしても意味がないと判断し、無駄に抵抗して相手を苛立たせるくらいだったら素直に答えた方がいいと判断して頷いた。


「やっぱり、そうだったのね」


 千里の答えを聞いて来栖はそう呟きながら頷いたが、その様子は千里からしてみれば予想外もいいところ。だってそうだろう。その反応は、まるで確証もないのに自分のことを攫ったのだと言っているようなものなのだから。

 故に千里は思わず目を見開いて来栖のことを見つめてしまった。


「やっぱりって……え、それってただの予想だったの?」

「確証はなかったわ。だって、確認する方法がないもの。わかりやすく炎を出す、人間の限界を超えた身体能力を見せるなんかだったらわかるけど、遠くが見える、なんて能力は他の人からは何もわからないわ」


 確かに、千里は人前で能力を使ったことがない。何せ、人前で使う必要がない能力なのだから。誰かと顔を合わせて話している最中にどこか遠くの景色を見る必要があるかと言ったら、そんなものあるわけがない。実際、これまで千里は人前で能力を使ってこなかった。


 そのため、千里が本当に遠くを見ることができる能力を持っているのか、と言われれば、いくら来栖達が千里のことを調べたからと言って断言することはできなかった。


「権力者からすれば、金庫の奥にしまっていてもシェルターの中で暮らしていても、全て丸見えよ。音はどうかわからないけど、厄介なことに変わりはないわ。そして、それは政治家だけじゃない。犯罪者達だってそう。だから、多少の犠牲を払っても真っ先に処理しようとするはずだと私達は考えたの」


 そう。千里自身は衛星などで代用の効く能力だと思っていたが、そうではない。ただ遠くを見ることができるのではなく、物体を透過して見ることができるのだから、脅威的だという他ない。


 だからこそ、確証がない状態であっても来栖達は千里のことを攫うことにした。千里のことを守るために。そして、千里の能力が敵の手に渡らないようにするために。


「その説明のためだけど、いきなり能力について話をしたとしても、あなたは誤魔化して逃げようとするでしょう? そして、一度疑われればもう二度と私達の前で隙を見せないかもしれない。そうして手をこまねいている間に他の組織があなたのことを見つける可能性は十分にあった。だから、多少の無茶をしてでもあなたの事を確保する必要があったの」


 千里は他人と多少感性がずれているところもあるが、バカではない。一度逃してしまえば、自分が狙われていることを知った千里は何がなんでも能力のことを隠すだろう。そして、自分のことを狙っている集団の一員である来栖のことを避け、その話を聞かなくなるかもしれない。

 だが、時間をかけていては他の者達が千里のことを見つけるかもしれない。そうなったらおしまいだ。

 だから今回のことは仕方のないことであった。


「……あなたは善意で私のことを案内してくれたのにそれを無碍にするようなことをして、悪いとは思っているわ。でも、このまま帰すわけにはいかないの。少なくとも、今日はこのまま私達に付き合ってもらうわ」


 だが、仕方がないとはいえ、無理やり攫うような真似をしたことも、善意で案内をしてくれていたのに自分は作戦のために近づいたことも、心苦しく思っていた。


 しかし、千里にとっては今この場をどうするのかということが重要であり、来栖達の事情や内心などどうでも良かった。


「お、おばあちゃんたちが心配するし……」


 この場から逃げ出すための言い訳として、千里は祖母のことを出したが、いいわけではなくとも純粋に気になったというのは事実だ。自分がなんの連絡も無しに帰らなければ、きっと心配するだろう、と。


 だが、そんな千里の心配は来栖によって否定された。


「それなら安心していいわ。すでにあなたの電話から連絡しておいたから」

「え……れ、連絡って、おばあちゃんたちはメールとか使うことなんてできないけど……」

「メールじゃないわ。snsでもない。直接電話したのよ。今日は友達の家に泊まります、って」

「でも、他の人が電話してもそれを信じて許可してくれるような人じゃ——」


 祖母がそんな電話で信じるはずがない。そう確信できる千里は疑惑の視線を向けながら否定の言葉を口にしたが、その言葉は最後まで紡がれることなく止まってしまった。


『あ、おばあちゃん? 実はさぁ。今日友達の家に泊まりたいんだけど、いいかなぁ? いやー、転校生の子と意気投合しちゃってさ、今遊んでるんだけどせっかくだからこのまま止まらないかーって誘われたんだよね。だから、お願い。どうかな?』


 そう言葉を発したのは千里——ではなく、来栖の手元にある機械からだった。

 そこから千里の声で、だが千里の言ったことがない言葉が流れてくることに、千里本人は目を見開いて来栖の手の中にある機械を凝視した。


「わた、しの……こえ……?」

「ええ。この程度なら、そう難しいことでもないわ」


 合成音声か変声機か声真似か……いずれにしても、声を模倣するだけならば方法なんていくらでもある。

 一般人では難しくとも、人一人を攫おうとするような組織がその程度できないはずがなかった。


「難しいことじゃないって、難しいに決まってるでしょ! だって、普通はそんなことできるわけがないじゃない! な、なんなの? 来栖さんは、なんなの?」


 だが千里は、自身の声を真似され、勝手に祖母に連絡を入れられていたという事実に恐怖心を感じ、来栖に掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。


「なに、とは随分と曖昧ね。でも、そう。予想がついてはいたけど、その言葉で確証が持てたわ。やっぱり、あなたは〝あっち側〟じゃなかったのね」


 叫ぶ千里とは対照的に、千里のことを見ていた来栖は安堵したように息を吐き出しながらつぶやいた。


「何がっ!? なんなの!? わけわかんないよ!」

「そう。ええ、まあそうでしょうね。色々と説明してあげるから落ち着いてちょうだい」

「落ち着け!? 落ち着けって、こんな状況で落ち着けるわけないじゃん! だって拐われてるんだよ!? なんで私が……どうしてまたこんなっ——」

「なら、これで落ち着けるかしら? 今回もおもちゃじゃないわ」


 そう言いながら、来栖は拳銃を取り出し、千里の顔の前に突きつけた。

 実際に撃っていないし、そもそも撃つつもりはない。だが、それでも現実を教え込むには十分な威力があった。


「……なんで、私なんかが……」


 自身に突きつけられた拳銃を見て、千里は消沈したように視線を落とし、両手で顔を覆った。


「詳しくは支部についてから話すわ。だから、今は大人しくしていてちょうだい」

「支部……」


 そんな千里の呟きを最後に、車の中は誰も喋ることのない時間が過ぎていった。


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