第4話
——◆◇◆◇——
「ただいまー」
学校が終わり、祖父母の待つ家へと帰った千里。
いつものように玄関を開け、居間の扉を開けるが……
「っ!?」
フローリングの床。綺麗な壁紙。つきっぱなしの電気。
そして……部屋の中央にある母の体と、それを見下ろす父。
父は赤く染まった包丁を手に、歪に笑いながらこちらへと近づいてくる。
ひた、ひた——。その足取りはとてもゆっくりだった。けど、千里はそんな父に反応することができず、指一つ動かすことができない。まるで、時が止まった世界の中で、父だけが動けるかのようにすら感じられる。
——逃げなくてはならない。でも母が倒れているから助けなければ。でも父がいる。なんで父は包丁なんて……。なんであんなに赤いの? あれは血? 母はなんで倒れてるの? なんで泣きながら笑ってるの? なんで私に近寄ってきてるの?
なんで、どうして。……わからない。
考えてもいつまでも答えが出ない問いばかりが千里の頭を埋め尽くした。
だが、そうして考えている間にも千里に——己の娘に近づこうとしている父親の足は止まることはなく、ついには千里の前で足を止め、一言。
「ごめんなぁ、瞳」
泣き笑いを浮かべながらの父親からの謝罪がただの音として千里の耳を通り抜け、逃げなければならないはずの体は動かず、視線は持ち上げられた包丁だけを見続けた。
動かない千里を見下ろしながら、父親は持ち上げた包丁を振り下ろし——
「あんれ、瞳かい。もう帰ってきたんかい?」
「っ!」
突然背後からかけられた声によって、千里はハッと我に帰ると勢いよく声のかけられた方へと振り返った。
「どうかしたんかい?」
突然の千里の行動に、声をかけた主である女性——千里の祖母である幸子はキョトンとした様子で千里へと問いかけた。
そんな祖母の姿を見て、千里は先ほどの光景は現実ではなく、単なる白昼夢のようなものだと理解し、小さく深呼吸をしてから笑顔を浮かべた。
「……ううん。なんでもなーい。たださー、ちょっと変わったことっていうか、疲れたことがあってさー」
自分の事情を知っている祖母に先ほどのことを話せば心配をかけることなどわかりきっている。そのため千里は平静を装いキッチンへと進んでいく。
「もう、だるだるーって感じなんだよねー」
蛇口を上げて水道から水を汲むと、それを一息に飲み干して息を吐き出した。
「あ、着替えてきちゃうね。今の続きはご飯の時に!」
もう大丈夫だ。千里はそう自身に言い聞かせてから振り返り、祖母の横を抜けて自室へと向かっていった。
それからしばらくして、自室に篭っていつものように千里眼を使いながら絵を描いていた千里だったが、夕食の時間となったので居間にて祖父母である幸子と実と共に過ごしていた。
「——ってわけで、今日学校に転校生が来たんだ!」
「そうかそうか。転校生なんて来たんかい」
「うちはどこら辺なんだい?」
「んー、そこまでは聞いてなーい。っていうかまだそんな親しくなったわけじゃないし……あ、でもなんか席が近いからその子の補佐係? みたいなのを頼まれたんだよね。だからそのうち仲良くなったら聞いてみよっかな」
「そうかい。その子も越して来たばっかりじゃあ大変だいね。越してきたばかりじゃあなんもわかんねえだろ」
「多分ねー。転校生ってことでみんなから話しかけられてたし、ああいうの見ると大変そうだなー、って感じするよね。覚えなきゃいけないこととかもあるだろうし、私だったら新しい道を覚えるまで迷子になりそうかも」
「だけんど、それもちっとベーのことだから助けてやんだぞ。それが人としての義理と人情ってもんだあ」
「うん。補佐も頼まれたし、せっかくなんだから仲良くなり……たいしね」
途中で千里の言葉が不自然に止まりかけたのは、先日の銃撃を思い出してしまったからだ。
「そうだいねえ。いろんな人と仲良くなるんはいいことだよ。うちに連れて来たけりゃ連れて来てもいいんだよ」
「そう、だね……。まあちょっと話してみて仲良くなれたらかな。ちょっとトイレ行ってくるね」
「はいよ」
千里は祖母の言葉を軽く流しつつ、席を立ってトイレへと向かった。
その間考えることは、先ほども話に出てきた件の転校生のこと。
「やっぱり、あの時の子だよね……」
やってきた転校生は
「どうして学校にきたんだろう? 偶然……じゃあ、ないよね、多分」
千里があの時の光景を覗いたのは、ほんの二週間ほど前だ。にもかかわらずこの短期間でハワイから日本に来て転校してきた? そんなのはおかしいと思うに決まっている。
しかもだ。その転校してきた学校には千里がいる。あの光景を見ていた千里と同じ学校に転校してくるなど、偶然にしては出来すぎているように思えてならない。
向こうからは千里のことは見えていなかったはずだが、あの時視線を感じたのも確かだ。
もしや本当に千里の視線に気づいて、見られてはならない場面を覗かれたことで口封じにきたのではないか。千里にはそんなふうに思えてしまった。
「バレちゃダメ。知らないふりをして通すしかない」
命を狙われているかもしれない。そう考えると恐ろしくなってくるものだが、その考えが逆に千里のことを落ち着かせた。
他人から命を狙われる。〝その程度〟のことがどうしたのだ、と。千里にとって最も恐ろしいことは、見ず知らずの他人から命を狙われることではない。それ以上に恐ろしいことをすでに千里は体験していた。
だから、それに比べればなんということはないのだと考えれば自然と恐怖を心の片隅に追いやることができた。
——どうせ、最悪の場合は死ぬだけなんだから、怖がる必要なんてどこにもないよね。
「……けど、サポートよろしくって言われちゃったしなぁ。どうしよう……今日は上手くやれたけど、これから持ってなると……」
先ほどまでの不安を綺麗に消し去った千里だが、だからと言って自分が覗き見をしていたことがバレていいと思っているわけでもない。
可能な限り隠さなければならないし、それは相手が自分のことを狙っているわけではなかったとしても同じことだ。
何せ千里眼といえば聞こえはいいかもしれないが、やっていることはプライベートを無視した覗きだ。他人にバレれば嫌悪の視線を向けられることになるだろうことは容易に想像できる。
「まあ、やるしかないよね。なるようになる。なるようにしかならん! うっし、やるぞー!」
どうなるかなんてわからないが、それでもどうにかなるだろうと千里は気持ちを新たにして意気込むのだった。
——◆◇◆◇——
「おはよう、千里さん」
「あ、来栖さん。おはよ〜!」
翌日、千里が覚悟を胸に教室へ向かうとすでに教室の中には大半のクラスメイトが集まっており、その中には来栖も存在していた。
自身の席に着くなり声をかけられた千里は、昨日感じた恐れなどおくびにも出さず普段通りの様子で笑みを浮かべながら応えた。
「あの、少しお願いがあるんだけど、いいかな?」
それからしばらく他愛のない話をしていると、来栖は一瞬だけためらった様子を見せてから問いかけた。
「お願い? なになに?」
「私、こっちにきたばかりでまだこの辺りのことをよく知らないの。だから、今日の放課後に、空いてたらでいいんだけど、少し案内してくれないかな、って。どうかな?」
「お〜。オッケーオッケー。『熊狩市の遊び人』と呼ばれるこの私にまっかせなさい! まあ別に呼ばれてないんだけどね」
特に難しいというわけでもなし、そういうのも必要だよね、と考えた千里は迷うことなく快諾をした。
その様子は通常よりもテンションが高いように感じられたが、それでも本当に昨夜来栖に対して恐れを感じていたのかと思わずにはいられないほど態度だ。
そんな明るく笑って承諾してくれたことが嬉しかったのか、来栖はホッと安堵したような笑みを浮かべた。だが、その笑みには安堵以外の何か別の思いが混じっているようにも思えるものだった。
「というわけで、地元のショッピングモールです! ……ちっちゃいけどね。まああるだけマシだと思ってて」
そうして学校は何事もなく終わり、放課後となったことで千里は来栖と共に街を歩いていた。
とはいえ、街を案内と言っても都会というほどの場所ではないのだから案内する場所など限られている。
車などの乗り物を使って移動するのであればもう少し何かしらのある場所へと案内することもできるのだが、あいにくと二人とも学生であるため自由に使える乗り物などない。千里は自転車での通学だし、来栖に至っては徒歩だ。
バスやタクシーを使えば移動も楽になるが、自由にお金を使うことができる立場ではない学生としては、ちょっとした移動にお金をかけていられない。
そういった事情から、案内するのは学校からほど近く、歩きで向かうことができるショッピングモールとなった。
しかし、千里は小さいと言ったし、確かに郊外にあるものと比べれば大した大きさではないのだろう。だが、学生が放課後にちょっと遊ぶ程度には十分な大きさがある場所だ。
「ぶっちゃけ、遊ぶ場所ってあんまないんだよねー。ここと、あとは駅前くらい? ああ、あとはちょっと離れたところにゲームセンターとかあるけど、その周りはほとんど何にもないから、大体はここら辺かな。まあ、男子はそのゲームセンターによく行くみたいだけどね」
千里自身はそのゲームセンターに行ったことはないが、場所と状況だけは知っていた。それもこれも、千里眼のおかげだ。
千里眼を使えるようになってから少しして、まずは身近なところを知ることも大事だよね、と考えた千里は自身の行動範囲とその周辺を観察することにした。
その結果、学生の溜まり場と言えるような場所はいくつか把握することができたし、寄らないほうがいい場所も把握することができた。今挙げたゲームセンターもその一つ。少々素行のよろしくないタイプの男子生徒が集まっている溜まり場だった。
もちろん、話に上げたとはいえそれはただ話の一つとして口にしただけであって、来栖から頼まれたとしても案内するつもりはなかったが。
「そうなんだ」
「そそ。なんでも、教師の目に付きづらいからとかなんとか? まあハズレの方にあるしね。あ、一応場所は教えておくけど、あんまし行かないほうがいいよ?」
「大丈夫よ。私も問題ごとに巻き込まれたくないもの」
「だよねー。だからまあそういうわけで、私らはそんな危ないところ? には行かないでここで遊びましょう!」
そんなふうに話をしてから二人は目の前にあるショッピングモールへと進んでいった。
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