第3話
——◆◇◆◇——
千里が『ハワイ旅行』を行なってから一週間が経った。
その間の日々は、学校に行き、授業を受け、放課後には千里があの日見た星空を描くという至って普通の日常だった。
だが、この日は違った。今日は学校に来るまでは同じだったが、来たあとは昨日までとは違った日となった。
その違いとは——
「初めまして、来栖瞳(くるすひとみ)です。両親の都合で海外で生活していましたが、この度日本に来ることとなりました。いろんなところで生活してたのでそっちの知識で話してしまい、おかしなことを言うこともあるかもしれませんが、理解してもらえればって思います。皆さんこれからよろしくお願いします」
簡単にいえば、転校生だ。
今日この日、千里の通う学校に転校生がやってきた。それも、とても可愛らしい黒く長い髪をした女の子。
転校生というくらいだから、当然ながらこの少女——来栖はよそからやって来た人物だ。
だが、千里にはこの少女に見覚えがあった。
いつかどこかで、などという曖昧なものではなく、つい先日会ったばかりの、忘れられるはずもない少女。
いや、会った、というと語弊があるか。何せ、千里と来栖は実際に顔を合わせたわけではないのだから。ただ一方的に千里が来栖のことを見て、知っただけ。そのはずだ。
つまり、一週間前のあの日、複数の男に囲まれていながらもそれを返り討ちにし、千里の『眼』にも気づいたような様子を見せたあの少女。その姿とそっくりなのだ。いや、そっくりというよりも、同一人物と言ってしまっていいだろう。
だが、〝あんな世界〟にいるような少女が、どうしてこんなところに転校生としてやってきたのか。千里にはそれがわからず、ただ目を見開き来栖のことを見ていることしかできなかった。
「千里さん」
「え? あ、はい!」
どうしてあの時の女の子が、と答えの出ない考えに頭を巡らせていると、突然教師に声をかけられた千里。
考え事をしていたために反応が一瞬遅れてしまったが、すぐに返事をし、頷く。
「来栖さんの席は千里さんの隣になります」
生徒の席の配置は上から見ると四角く見える形だが、窓際の後ろにポツンと一人だけ正方形からはみ出す形で千里の席は存在していた。それ故に、千里の隣は誰いなかった。昨日までは。
昨日までは何もなかった場所だったが、今日になって空っぽの机が置かれていた。
この机が今日になって急に用意されていたのは、この転校生のためなのだろうとすぐにわかったため、特に反論異論が出ることもなく席は決まり、その席に向かって転校生——来栖が向かっていった。
「よろしくね。千里さん」
「あ、うん。よろしくね」
千里は〝あの少女〟である来栖が転校生として自分の学校にやってきて、自分の隣の席となったことで動揺していたが、来栖はなんにもおかしなところを見せることなく普通に挨拶をしてきた。
それに応えるように、千里は反射的に笑顔を浮かべながら挨拶をした。
(んん〜? なーんか……ふつー?)
あの時来栖に見られたような気がしていた千里としては、もっと睨まれたり別の言葉をかけられたりするのではないかと警戒していた。
だが、そんな千里の考えに反して来栖はただ笑いかけながら挨拶をしただけ。
「千里さん。来栖さんが馴染めるように、隣の席のあなたが色々とサポートしてあげてもらえるかしら?」
「あー、はい。はいはーい。まかされましたー!」
教師からの言葉に千里は一瞬だけ躊躇った様子を見せたが、この間『眼』を通して視線が交わされたのはやっぱり気のせいだったんだなと理解し、普通の転校生に接するように態度を改めて返事をした。
朝のホームルームを終え、教師がいなくなった後。クラスの中は一気に騒がしくなった。誰もが可愛い転校生のことが気になって仕方がないのだろう。
来栖の周りに集まった者達はそれぞれが好き勝手に質問をし始めたが、質問が重なりすぎてまともに答えられるような状態ではなかった。
そんな中、千里が二度ほど手を叩き皆の注目を集めて口を開いた。
「はーい、みんな一旦落ち着いてー。来栖さんだって困ってるじゃーん。それじゃあ何言ってるかわかんないって」
来栖も転校生としてやってくるのだからある程度の質問や騒がしさは理解していただろうが、それでもやはり転校してきたばかりでいきなり質問攻めとなるのは大変だろう。
千里はそう考え、教師から頼まれたこともあって一旦その場を落ち着かせることにした。
「はいありがとー。それじゃあ質問ターイム——の前に、来栖さん。いきなりで迷惑かもしれないけど、ちょこーっと付き合ってもらいたいんだけど……いいかな?」
「うん。私も早くみんなと仲良くなりたいもの」
来栖も来栖でやって来たばかりなのだから色々と大変だろう。
だが、その大変さや不慣れさを表に出すことなく柔らかく微笑んで千里の言葉に頷き了承した。
そんな来栖の答えに、千里も笑みを浮かべて頷き返し、その場に集まっていたクラスメイト達に向気治って話し始めた。
「ありがと。はーい、それじゃあみんな質問ねー。あ、一気に全員だと答えづらいだろうから一人づつね。挙手したらこっちで指すからー」
千里がそう言うなり、来栖の元へと集まっていたクラスメイト達は各々手を上げ始め自己主張する。
そんな中で千里が適当に目についた者を指差し、名前を呼ぶことで来栖への質問が始まった。
「部活は何か入るの?」
「クラスのsnsあるんだけど、来栖さんも入らない?」
「来栖さんってどこに住んでたの?」
指名された者達はどんどん質問をしていくが、あまり踏み込んだことは聞かず、定番といえば定番な事ばかりを問いかける。
だが、それも当たり前と言えば当たり前だ。高校生はまだ社会的には子供として扱われるし、実際に考えたらずなこともある。だが、こういった場面でいきなり踏み込んだ話をするべきではないという分別くらいある。
それに加えて、この質問で十分であるという理由もある。
生徒達が知りたいのは、『来栖瞳』という個人についてではなく、『可愛い転校生』についてなのだから、今後の話のとっかかりとなるような、なんとなくの上っ面さえ理解することができればそれで十分なのだ。
今の質問よりも深いことが知り多ければ、それこそ親しくなってから聞けばいい。
もっとも、来栖の見目が良いだけあって、中には〝おちかづき〟になりたいと思っている者もいるだろうが、それでもやはりいきなり踏み込んだりはしない。
「部活は今の所はまだ考えてないかな。もうちょっと落ち着いてからの方がいいと思って」
「snsはぜひ。少しでもみんなと仲良くなりたいからね」
「それから住んでいたところだけど、いろんなところを転々としてたかな」
矢継ぎ早に投げかけられる生徒達からの質問に、来栖はまるで最初から答えが決まっているかのように淀みなく答えていく。
だが……
「けど、この間までは——ハワイにいたよ」
ぴくっ。
とある質問だけは不思議と力強く聞こえ、その言葉に千里がかすかに反応した。
それはほんの些細な……少しだけ体を揺らし、一瞬だけ顔が強張っただけの、そんな小さな反応であった。だが、その反応は十分過ぎるほど十分だった。
自身の答えに他人とは違った反応を示した千里のことが、来栖からはよく見えていた。
その程度の反応があったからなんだと言うのか。だからどうしたと、普通なら言うような状況だろう。だがこの二人の場合は……。
「ハワイかあ。なんていうか、すごいね」
「そういうところに住んでたんだったら、やっぱり英語とかできるの?」
だが、千里が反応し、来栖がそれを見ていたとしても、来栖がこの場でそのことについて問いかけるようなことはなかった。
そしてハワイと聞いても何も思うところのない他の生徒達は、千里の反応など気づかずに話を進めていく。
「うん。英語だけじゃなくて他にもいくらか話せるよ。まあ話せるって言っても、そんなに会話ができるってほどじゃないし、書く方はちょっと怪しいけどね」
来栖の答えに、問いかけた者だけではなく他の生徒達も感心したように声を漏らしているが、そこで千里が再び手を叩いて皆の視線を集めた。
「はいはーい! 注もーく! そろそろ一時間目が始まるから質問タイムはこの辺でおしまいねー」
千里の言葉に従って時計を見ると、時間は一限目の開始一分前となっていた。流石にこれ以上話をしていれば、授業の開始に食い込んでしまう。
「ほらほら、解散して。転校初日で問題起こして先生に目えつけられたら可哀想でしょ」
もっともな千里の言葉を受けて、来栖の周りに集まっていた生徒達は各々の席へと戻っていった。
「ごめんねー? なんか騒がしくって」
解散していった生徒達のことを見つつ、ふうっと軽く息を吐き出してから千里も自分の席に戻り、隣の席の来栖へと話しかけた。
「あはは。でもこれも転校生の宿命ってものだと思うし、そんなに悪い気はしてないわ」
「そう? まあこれも最初のうちだけで、そのうち落ち着くと思うから。それに、みんな良い人達だし怖くはないからね。そこは安心してもいいよ。……あ、でも極一部の人たちはちょーっと頭が弱いからおかしなことをしてるかもしれないけど、まあ生暖か〜い目で見守ってあげて」
来栖が少しでもクラスに馴染めるようにという意味でも、緊張を……まあ、しているようには見えないが、緊張をほぐす意味でも、千里は冗談めかしてクラスを見回しながらそう話した。
「聞こえてんぞ、千里。誰が頭がおかしいって?」
「んん〜? 名前を言ってないのに反応するのは自覚してる証拠かな〜?」
千里の言葉を聞き咎めた男子生徒の言葉に対し、千里は相手を小馬鹿にするように言葉を返した。
言っている内容自体はその男子生徒を馬鹿にしているようなものだが、それが 冗談であり、おふざけだということは本人もそれ以外の者も理解しているので喧嘩になることはない。
だが、喧嘩にはならないが、反撃がないわけでもない。
「来栖さん。そいつも大概おかしいから気をつけろよ」
「ちょっとー。私のどこがおかしいっていうわけー?」
男子生徒の言葉に唇を尖らせながら不満を口にしている千里だが、そんな千里に男子生徒は挑発的な笑みを口元に浮かべて話し出した。
「綺麗なものが好きだから、ってふらふらした結果、去年の修学旅行で迷子になった話はみんな知ってると思うけど? あと、柵から身を乗り出して滝に落ちそうになった馬鹿は誰だよ?」
そんな男子生徒の言葉で、クラス中からくすくすと楽しげな笑いが聞こえてくる。
進級したことでクラスのメンバーは変わっているはずだが、それでも全員が知っているほど有名な話である。
だがそのせいで、と言うべきかそのおかげでと言うべきか、千里は可愛らしい見た目もあって皆から愛されるような立ち位置となっていた。
今回来栖のことを教師から任されたのだって、隣の席ということも確かにあっただろうが、その人当たりの良さやクラスでの評価、立ち位置が大きなところだろう。
もっとも、千里にとっては不名誉な話だろうが。
「いや、それはぁ……あ、あれは事故でしょ。事故事故。旅行にはよくあることでしょ? 別に私がおかしいわけじゃないって〜」
男子生徒の言葉に、千里は戸惑いながらもなんとか言葉を返すが、それでもクラスメイト達からの生暖かい眼差しは消えることはなかった。
「あー、もうやめやめ! ほら、みんな前向いて! もう授業が始まるんだから!」
自分の恥ずかしい話を誤魔化すかのように、千里が前を向くように促すと、そこでちょうど始業のチャイムがなり、みんな前を向き直った。
だが、教師の方が遅刻しているようで、授業が始まってもまだやってきていなかった。
「あ、そうだ。そんなことより一時間目の説明をしておこうかな」
「説明? 何か特別なことでもやるの?」
「ううん。そんなことないよ。教えるのは先生の性格とか、今どんな感じのことをやってるのか、とかそんな感じのあれこれだね」
教師が来るまでの間、簡単なことではあるが色々と教えておいた方がいいだろうと、千里は来栖へと話しかけた。
そうして少しの間話していると、三分ほどだろうか。担当の教師が教室にやって来たことで話は打ち切りとなった。
「——っとと。先生来たし、また後でね。あ、でも何かわからないことあったらすぐに聞いて良いから。授業中で先生に注意されたとしても、私が戦ってあげるから安心してね」
「ふふ、ありがとう。それじゃあ、何かあったら頼らせてもらうね」
転校生が来たと言っても特に何か大きく変わるということがあるわけでもなく、その後の授業や休み時間は順調に過ぎていった。
そして昼休み。軽くではあるが学校の案内をしてほしいとの来栖の願い出に千里が頷き、二人は手早く昼食を取ると昼の校舎へと繰り出していった。
「千里さんはどの部活に入ってるの?」
「私? 私は美術部だよ」
「そうなの?」
「そうだよー。意外だった?」
「う〜ん。正直なところを言うと、少しね。今日見た限りだけど、千里さんって運動苦手じゃないでしょう? 体育の時間も結構活躍してたし、運動部でもおかしくないと思ったの」
「え〜? そっかなぁ。活躍して見えた〜? だとしたらちょっと照れるなぁ」
千里と来栖の二人は学校内を歩きながら話をしていくが、来栖の態度はとても馴染みやすいもので、千里も最初に感じた警戒心などとっくになくなった様子で話をしている。
「でも、まあ私自身運動部でもいっかな、って思ったんだよね」
「なら、どうして美術部に?」
「絵を描くことが好きだから、かな」
絵を描く、という行動を千里が好きになったことの始まりは、なんてことはない理由だった。両親に褒めてもらった。自分なりに上手くかけて嬉しかった。もっと上手に描きたかった。
だからずっと書いていたらいつの間にか好きになっていた。そんなありふれた始まりだ。
「私ね、子供の頃から綺麗なものが好きだったんだ。あ、綺麗なものって言っても、宝石とかそういう現金な意味じゃないよ? いやもちろんああ言うのも好きだけど、お金的な意味で好きな訳じゃなくって見た目的なアレね?」
まるで自分が守銭奴のように思われてしまうのではないか。言葉を発してからそんなことを考えた千里は、来栖の顔を見ながら少し慌てた様子で誤解を解こうと言葉を重ねる。
声こそ漏らさなかったが、千里の慌てる様子を見て来栖は口元に小さく笑みを浮かべ、そんな来栖の様子を見て千里はほっと息を吐き出して話を続けることにした。
「おばあちゃんちで見た星空が好きだったし、家族で旅行に行った時の景色も好きだった。その時のことを思い出すのには写真でもいいんだけど、でもそれじゃあ何かが足りなかった。多分、思い出補正で実際の光景よりも綺麗に思えてるだけなのかもしれないけど、それがわかっていても私は写真じゃ物足りないと思ったの。でも、絵なら自分の心の中にあるあの時の風景を思い出ごととっておくことができる気がしたんだ。だから、子供の頃から絵を描くのは好きだったし、じゃあ入ろっかな〜、って感じで美術部に入ったの」
いろんな写真を撮った。家族のものも、風景も、全てを写真という形にして残してきた。
だが、後になって見返してみると、そのどれもが完璧ではなかった。自分の思い出の中の景色は素晴らしいもののはずなのに、それを正確に写したはずの写真は素晴らしさから何かが欠けていたように思えた。
だから、千里は自身の『素晴らしい思い出』を残しておくために、絵を描くことにしたのだった。
しかし、千里がそうして絵を描き、美術部に入ったことは嘘ではないが、その理由が全てでもない。
「それに、嫌なものを忘れるにはちょうど良かったしね」
それは誰に話すつもりがあったわけでもない、そもそも言葉にするつもりもなかった独り言。反応なんて求めていなかったし、来るとも思っていなかった。
だがあいにくと、今はそんな小さな呟きが聞こえてしまうほどの距離に来栖がいた。
「嫌なもの?」
「え? あ、うん。ほら。なんか色々あるでしょ? あー、見なければよかったなー、とかそう思うことって」
思いがけずつ返ってきた言葉に、千里は自分が考えを口に出していたのだと気づき、だがその言葉の真意について話すつもりはなく慌てて誤魔化すことにした。
しかし、そんな千里の姿は明らかにおかしく、視線は目の前の来栖ではなく明後日の方向を見ている。どう考えても何かを隠そうとしているのだと、知り合ったばかりの来栖であろうとも理解することができた。
そんな千里の様子を訝しげに見つめた来栖だったが、何か反応を見せる前に千里が口を開いた。
「それで、来栖さんはどうなの? 何か入りたい部活とかない? 好きなこととかそういうのは?」
あからさまな誤魔化しに一瞬どう対応すべきか悩んだ来栖だったが、知り合って間もないのにここで踏み込んでいくのは悪手であると考えて素直に千里の問いかけに答えることにした。
「私の好きなことは……走ること、かな」
僅かな思考の後に出てきたのはそんな答えだった。だが、好きだという割には何やら来栖の表情は浮かばないものになっている。
「へえ〜。じゃあ陸上部とか?」
「でも……」
再度の千里からの問いかけに、来栖は不意に足を止めた。そして……
「嫌いなことも、走ることなの」
「え……?」
突然の来栖の言葉に、千里は目を見開いて驚きを露わにしながら振り返ったが、そうして千里の視界に入ってきた来栖の表情は、どこか泣きそうな気配を感じさせる笑みを浮かべていた。
「え、えっと……」
「……ごめんなさい。おかしなことを言って。ただ単純に、走ること自体は好きだけど、走ったら疲れるし、汗とか髪が乱れたりするのがあまり好きじゃない、って話よ」
「あ、あー……だよね! 私も体育の後とか汗でべたーってしてると嫌だもん」
今度こそ純粋な笑顔で話す来栖の言葉を聴き、千里は冗談めかした態度で何度も頷きを返して同意してみせた。
そしてくるりと身を翻して来栖から顔を背けると、先ほどまでのように学校を案内するために歩き出し、そんな千里の背中を追って来栖も歩き出した。
「けど、そうだね〜。それじゃあまあ、ゆっくり決めていけばいいよ。別に入らなくてもいい訳だしね。帰宅部だっていっぱいいるんだしさ」
「そうね。じっくり考えてからにしてみるわ」
そうして他愛のない話をしながら、二人は昼休みの校舎の中を歩いていった。
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