第2話

 

「おっとー? 何やら揉め事?」


 千里が『眼』を使ってハワイの街を観察して回っていると、その視界に何やら問題ごとが映り込んだ。

 今の千里の『眼』は、普段の生身の状態であれば絶対に入らないような人気のない奥まった場所にあった。そのため、何かしらの問題ごとが見えるのは、ある種当然と言えただろう。

 むしろ、千里自身それを望んでいた風でさえある。せっかくこんな状況だし、他人からは自分のことなんて気づかれないんだから見に行ってしまえ、と。


「デバガメはよろしくないんだけどぉ……仕方ないよね? だってもしここで見逃して何かあったら証人なんて出てこないだろうし、犯人を追跡できれば事件解決になるかもだし」


 見たところで、警察は千里のような少女が『千里眼』なんてものが使えるだなんて信じてもらえるはずもない。それくらいは千里にも理解できる。だから、何かを見たとしても誰かに言うつもりはないのだが、それでも咄嗟に思いついた理由がそれだけだったので、覗き見する罪悪感を誤魔化すためにそう口にした。


「方法。野郎どもの喧嘩かな? ……って、女の子?」


 表通りからだいぶ外れた路地裏では一人の少女が複数の男たちに絡まれていた。

 だが、絡まれていたと言ってもナンパやちょっとした諍い程度の話ではなかった。少女を中心としてその周囲を男たちが存在しており、その手には時代ハズレの武器——剣が握られていた。

 剣と言っても、全員が全員手にしているわけではない。だが、剣ではないにしても、バールのようなものや鉄パイプなど、全員が武器を持っていることは確かだった。

 そして、それは男たちだけではなく、少女も同じだった。少女の手には、小ぶりではあるが刃物——ナイフが握られている。そのナイフは、軽く見ただけでそこらで買えるような安物ではないのだと理解できる無骨さをしている。いわゆる軍用といったものだろう。


「うわっ! あれ、やばっ! なんか……なんかどうにか……」


 だがそんなナイフを持っていたとしても、所詮は『ナイフ』でしかなく、周囲にはナイフなんかよりもよほど恐ろしいと感じる『剣』という明確な武器を持っている者がいる。そして、その者以外にも多数の敵。


 流石にそんな状況を見てしまえば、千里も落ち着いてそのまま観察を続けるというわけにもいかない。

 だが、現実問題として『眼』を使ってただ遠くから見ているだけの千里に何かできるのかとなると、何もできない。

 やばい。そう思ってもただ見ていることしかできない千里。

 だが、それで問題なかった。より正確に言えば、問題なくなった、というべきか。


「うっわ……あの子めっちゃ強いじゃん」


 千里がその様子を上空から眺めながら慌てているうちに、少女は手にしたナイフで周囲にいた男たちを倒していく。


「心配する必要もなかったっぽいな〜。それならそれに越したことはないんだけ——え?」


 すでに少女に倒され、地面を這いつくばっていた鉄パイプを持っていた男だが、今は鉄パイプの代わりにもっと小さな黒光りする塊——銃が握られていた。


「あ……危ない!」


 それを見て、千里はガタリと音を立てながら立ち上がり少女に向かって危険を促すが、当然ながらその声が聞こえることはない。


 そして少女だけではなく男も千里の声など聞こえるはずもなく、男は動きを止めることも迷うそぶりを見せず、握っている銃を少女へと向け——パンッ。


 千里はただ見ているだけなのでその音は聞こえなかっただろう。だが、その動きから男が銃を撃ったのだと理解できた。


「っ! ……え?」


 だが、その直後に千里から漏れた言葉は、そんな気の抜けた声だった。

 男は確かに銃を撃った。だが、その弾丸は少女に当たることはなく、どこか背後へと抜けていった。


 なぜそんなことが起こったのかというと、男が狙いを違えた——わけではない。

 男はしっかりと少女の体を狙っており、誰かに向かって銃を撃つことに不慣れな様子も見せていなかった。外す要素など、なかったはずだ。


 にもかかわらず、銃弾は少女に当たることはなく、いつの間にか男の元へと接近していた少女がその顎を蹴り上げ、男の意識を刈り取る。


 放たれた銃弾がどうして少女に当たらなかったのか。男が取り出した銃にばかり意識を向けていた千里はその理由がわからなかったが、それでも少女が無傷でいられたことに安堵し、息を吐き出した。


「と、咄嗟に叫んじゃったけど、今のって……銃、だよね? 一般人な訳ないし……え、映画の撮影でもしてるのかなあ?」


 安堵の息を吐いてから一拍置いて、千里はハッとしたように顔を上げて呟いた。

 だが、そうではないことには気づいている。でも、まさか本当に映画のような出来事が起こっているとは思えず、また、その現場を目撃してしまったことを受け止めきれず、自分の考えを誤魔化すかのようにそう口にした。


「というか……あれって、血……だよね?」


 そして、状況が落ち着き、気にすることがなくなってしまえば、他の余計なことに気づくようになってしまう。

 それは時間が経ったことで傷から流れた血が増えたこともあっただろう。とにかく、自身の視界に映っていたはずの普通の地面が、赤く染まっていたことに千里は気がついた。


「じゃあ、あれは……し、死んでる……?」


 地面を染めるほどの大量の血など、普通の生活を送っていれば見ることなどない。

 故に、その千里の反応は当然のことだっただろう。赤く染まる地面を見て、千里は顔を青くする。

 その視線は、地面を赤く染めた『人だったもの』へと移っていき、千里はその死体をはっきりと視界に収めた。


 常人であれば即座に目を背けたくなるようなその光景。だが、千里はそれを映し出している『眼』を解除して逃げるという選択をすることはなかった。


「いや、でもそんなことは——」


 ありえない。そう言おうとして、だが千里の言葉は途中で止まった。

 確かに現代社会で日常を過ごしているのであれば、街中で人が死ぬだなんて、それも殺されるだなんてことは『ありえないこと』だ。

 だが、千里はそんな『ありえないこと』がありえるのだということを知っていた。

 自分が日常と思っている場所で人が死ぬことはあるし、殺されることもある。そしてそれが自分の周りで起こる可能性があることも——ある。


 それを理解していた千里はそのことを思い出すと、スッと感情が消えたような瞳へと変えた。

 その瞳には、それまで感じていたであろう恐怖などかけらもなく、彼女が普段見せるような明るさも消えていた。


 瞳から感情を消した千里は、目を閉じて軽く息を吐きだし、目を開けた。


「——ま、仕方ないよね。何があったのかしんないけど、多分あの人たちの方が悪者でしょ。だって女の子囲って武器向けてたし。しゃーないしゃーない」


 目を開けた千里は、それまでの無感情な瞳など綺麗に消し去り、いつも通りの様子に戻っていた。

 だが、それはおかしなことだ。特殊な『眼』を使っているとはいえ、自分の目の前と言ってもいい状況で人が死んだのだ。その際に感じた恐怖を、一瞬で消し去ることなど普通はできない。普通に振る舞おうとしたところで、どこかしら普段とは違う歪みが出てくるのが人間というもの。

 だが、千里は完璧に『普段通り』の様子へと戻っていた。

 明らかな異常。だが、千里自身はそんな以上に頓着することなく、先ほどの光景を思い出し、その中で傷一つ負うことなく敵を殺した少女に意識を向けた。


「でも、どんな子なんだろう?」


 いったいどのような人物が〝あんな世界〟にいるのかが気になり、『千里眼』を再び発動させ、先ほどの地点を覗くことにした。

 千里が『眼』を使った先ではまだ少女がその場に残っており、千里はその少女のことをよく見ようと、ピントをその少女に合わせてしまった。


「——っ!?」


 その瞬間、少女はバッと振り向いた。その際に何かを言ったようで口元が動いていたが、見ることしかできない『眼』では少女が何を言っているのかはわからなかった。

 しかし、それはどうでもいいと言えばどうでもいいことだ。そんなことよりも大事なことがあった。

 千里が少女に『眼』を合わせた瞬間少女が振り返ったわけだが、その際に少女と千里の視線があったような気がした。


 そう感じた瞬間、千里は咄嗟に能力を切って身を屈めた。だが、慌てていたこともあってそれまで自分が使っていた机を倒してしまい、ガシャンッ、と音が響いた。

 机が倒れるのと一緒に、上に乗っていたスケッチブックやペンが落ちて音を立てる。


 普段であればさして気にならないような音ではあるが、この時の千里にとってはとても煩わしく感じられた。

 少女と目が合ったように感じたとしても、千里は『眼』を使って見たのだからそれはありえないことだ。

 だが、そうわかっていても、この音が原因で自分のことが見つけられてしまうのではないか思えてならなかったから。


「っ! ……咄嗟に隠れちゃったけど……見られた?」


 能力を切って身を屈めてから数秒。遠くから微かに聞こえる生徒達の声だけが聞こえる中、千里はそう呟くとブルリと体を震わせた。


「……なーんて! そんな訳ないよね。だって、見える訳ないもんね。千里眼だよ千里眼。千里の使う千里眼―、なんちゃって! はあ〜、今日はもう帰ろっかな。まだ早いけど、気分乗んないし……」


 そう言いながら立ち上がり、倒してしまった机を起こして、落ちた道具も拾っていく。

 そしてそれらを鞄にしまってあとは帰るだけ……のはずだが、どういうわけか千里は「帰る」と口にしながらも再び席につき直し、しまったはずのスケッチブックとペンを再び取り出した。


「……あの子、綺麗な子だったなぁ」


 呟きながらも動く千里の手が描くのは、先ほど見た少女。ハワイという外国であるにもかかわらず、どこか見慣れた風体の少女。おそらくは東洋系。それも、顔の雰囲気からして日本人ではないだろうかと千里は考えていた。


「できた。……って、こんなの書いてどうすんだろ」


 迷うことなく千里の手は動き、ささっと描かれた少女の姿。だが、手早く書かれたにしては完成したその絵はなかなかの出来をしていた。これまで絵を描いてきた成果が出た、といったところだろう。

 だがその絵を見て、千里は描くつもりもなく、ましてや許可も得ていないのに描いてしまったことに罪悪感と羞恥心を覚え、少女の絵を破ろうとした。けど、その直前で手が止まってしまった。


 どうしてかは千里自身にもわからない。だが、この少女の絵は破いてはいけないような、そんな気がしたのだ。


「……ま、あって困るものでもないし、いっか」


 そう口にして自分を納得させると、千里は画材を片付けていき、空き教室を後にすることにした。


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