千里眼はお見通し
農民ヤズー
第1話
その日の夜は特別だった。
特別綺麗な夜だったわけじゃない。星空なんていつも通りだし、何だったら曇ってたからよく見えなかった。
けど、それでもその日の夜は確かに特別だった。
その日の夜、ギリギリ都会と呼べなくもないけれど、やっぱり田舎なところにあるお婆ちゃんの家で暮らしている私は、暇つぶしに山道を散歩していた。
夜の山道が危険なのは知ってたけど、それでも子供の頃はよく遊んでいた道で今でもよく使う道だからと、特に何かを心配することもなく気軽に歩くことができた。
夜、誰もいない道。この先にあるのは少しこじんまりとした展望台。そこから眺める景色は綺麗で、頭の中に浮かんでくる嫌な光景を消し去ってくれる。
この道を歩く時は、いつもこうして山道を歩いて展望台まで向かい、そこで心の中を空っぽにしていた。
持って帰るのは悩みでも嫌な光景でもなく、たった今見たばかりの綺麗な世界だけ。
だからその日もそうして帰るはず——だった。
いつも通りの道、いつも通りに進み、いつも通りに景色を眺めていた。けど、その日だけはいつも通りに帰宅とはならなかった。
お婆ちゃんの家からは少し離れているところ……この展望台からさらに山の中に進んだ先に、何かの製薬会社だか製薬工場だか分からないけど、とにかく何かがあった。
けど、その場所が赤く燃えているように見えた。
暗い空を、星と月以外の光が赤く染める。木々の間が邪魔をして何が起きているのかはわからないけれど、それでも何かが燃えていることは理解できた。
それも、焚き火程度のものではなく、それなりの規模の火災。
何かあって山火事でも起きたのかと思ったけれど、後で聞いたところによると、その工場で火災事故があったみたい。
とはいえ、そんなことは私には関係ない。ただ、ちょっと火が燃え広がったら大変だな、程度にしか思っていなかった。
でも、そんな考えもすぐに消えた。
その火災で何か薬品が燃えて舞ったのだと思う。そしてそれが風に運ばれて、私の元へと届いた。実際のところはどうなのか分からないけど、突然目が痛くなった。
あまりにも痛くて、耐え切ることができず、ろくに目も開けられないままその日はお婆ちゃんの家に帰ることにした。
ただでさえ暗く歩きづらい道の中を、はっきりと見ることもできずに変えるのは不安だった。
けど、これまで何度も通った道だったからか、微かに見える視界だけで何とか転ばずに戻ることができた。家にたどり着いた時はホッとした。
そのまま洗面台に向かい目を洗ってみたけれど、それでも痛みは消えず、仕方ないので痛みを我慢してそのまま寝ることにした。
前の夜は我慢できないくらい痛かったのに、翌日にはその痛みも無くなっていた。
だからきっと、あの痛みは一時的なものなんだろうと思って気にしないことにした。
——でも、その日以来私には世界がよく『視える』ようになった。
——◆◇◆◇——
「ねえねえ、聞いた? またうちの県から有名人が出たってー」
夕暮れの赤く染まった光が照らす学校の廊下で、数人の少女がとある教室の前で立ち止まって話をしている。
「あー、なんかの大会で優勝したとか新記録残したとかってあれでしょー? なんか最近多いよねー」
「ねー。まじやばくない? もしかしたらうちの学校からもギネスとか出るんじゃない?」
「えー、ギネスって、そんなんでたらめっちゃやばいじゃん!」
「でもこの学校からギネスが出るとしたら、誰だと思う?」
「えー? やっぱ陸部とか?」
「陸部って誰がいたっけ?」
「えーっと……ああっ、東堂とか?」
その後も誰がテレビに取り上げられるのかとか、誰が新記録を出して欲しいだとか話は続いていき、ついにはそんな話にも飽きたのか別の話題へと切り替わっていった。
「あ、そうだっ! 今日はここ行かない? ほらこれ。かわいくない?」
「えー。かわいーっ! やばい」
「駅前だし、結構近いっぽいんだよね」
「じゃあ、これから行こっ!」
そうして女子生徒達は楽しげに話しながらその場を離れていった。
「——きょーうはなーにを見よおっかなー、っと」
そんな女子生徒達の声を聞きながら、夕暮れに赤く染まった空き教室の一角で、千里歩(せんりあゆむ)は机に肘をつきながら本を眺めていた。
その様子はとても楽しげで、まるで旅行に行く先を決めるかのように外国の景色が映った本をめくっていく。
「この間はオーロラ見たし〜、今日はー……おっとお? これが良い感じかな〜?」
本をめくりながら独り言を呟いていた千里だが、その動きが止まった。どうやら気に入ったページがあったようだ。
そこにはハワイのマウナケア山の星空の写真が載せられていた。
「いよっし! 今日の旅行先はけってーい!」
少しの間星空の写真を眺めていた千里だったが、どうやらその写真は彼女のお気に召したようで、彼女の中で何かが決まったようだ。それまでの言葉から察するに、千里はこの写真の場所へと旅行に行くつもりなのだろう。
だが、千里の言う『旅行先』という言葉は、そのままの意味での言葉ではなかった。
「それじゃあ早速……あ」
一度決まれば動き出すのは早く、千里はいそいそとスマホを手にして地図を出した。
だがそこで千里は何かに気がついたようで、手元から視線を外すと窓の外——空へと顔を向けた。
その視線の先にある空の色は、まだ明るい。明るいと言ってももうそろそろ日が暮れる頃合いではあるが、それは千里の求めている色ではなかった。
「う〜ん。星空なんだし、夜じゃないと見えないよね〜。どうしたものかいねぇ……」
千里が気にしていたのはそこだ。星を見るのであれば、夕方では早すぎる。夕方であっても星が見えないわけでもないが、星空を楽しむという意味では問題だろう。もっと夜が更けてからにすべきだ。
しかしながら、ここで疑問が出てくる。千里がハワイの景色を見に旅行に行く、という行為については、まあ理解できる。
だが、だからと言って今の時間を気にする必要は果たしてあるだろうか? 星を見るのに適した時間など、旅行に行った後で調整をするなり、旅行に向かう時間を考えればいいことで、今の時間を気にすることではないはずだ。ましてや千里は学校にいるのだから、今から行くわけでもない。どう考えても星空が綺麗に見える時間を気にするなど無意味だとしか思えない。
だがそれでも、千里はまだ夕暮れには少し早い空を見ながらうんうんと唸り考え込んでいる。
「……って、そうだ。時差があんじゃん! こちは夕方でも、向こうはまだ夜かも! あれ? でも朝だったらどうしよう?」
と、しばらく考え込んでから、日本とハワイでは時差があることを思い出した。だが、時差があることには気づけても、それがどういった形で現れるのかは理解していなかった。
そもそも、地図上のおおよその位置くらいはわかっていても、実際にどれくらい離れていてどこにあるのかもわかっていない。
それを不勉強と取るか、現代人の平均的な姿と取るかは個人の考え方次第だろう。だが、少なくともこの場で千里がハワイの場所や時差を理解していないという事実は確かだった。
そのため、考えるにしても知らなければ何も始まらないと、とりあえずハワイとの時差について調べてみることにした。
「なになにえっとー? ……ハワイよりも日本は十九時間進んでるってことは、今が三時過ぎだから……大体八時くらい?」
小首を傾げながら少し考え込んだ千里はそう答えを出すが、今一つ自信がないようだ。確かに十九時間という数字は微妙ではあるが、単純なたし算なのだからそれくらいは自信を持つべきだろう。それでいいのか高校生。
「ま、ま、ま。とりあえず見てみよっと」
しかし、千里はそんなことは気にすることなく、とりあえず夜っぽいから〝視〟てみようと目に意識を集中させ、『力』を発動した。
「うわっはああぁぁ〜〜〜! すっごい綺麗〜〜っ!」
千里が『力』を使った瞬間、一瞬のラグもなく千里の見ている景色が切り替わった。
そこはつい今しがたまでいた自身の部屋ではなく、屋外。それも、周りの建物がほとんどないような山の中——ですらなく、その更に上。山の頂上すら超えて、空に浮かんでいた。
だが、空に浮かんでいると言っても、それは千里自身ではなく、その視界だけ。彼女の見ている光景だけが、放課後の教室なんかではなく星空を映している。
『千里眼』。それが彼女が使うことのできる特殊な能力で、あの夜から変わった部分だった。
能力の詳細としては、説明するまでもないだろう。距離や遮蔽物に関係なく世界を見ることができる。言ってしまえばそれだけのことだ。
だが、千里にとってはそれで十分だった。
強いて不満を言うなら、実際にその場所に行けるわけでもなければ、匂いや音を感じ取ることができるわけでもない。体に感じる感触はいまだに椅子に座っている状態で、耳に届くのは同じ学校の生徒たちの微かな声なので、本当の意味で旅行に行くことができるわけではない。
これがせめて自室のベッドの上に寝転んでいるのであればまだマシではあるが、あいにくと今は学校であるためにベッドなんてなければ、寝転がることもできない。
そのことに僅かばかりの不満を残しながらも、すぐにその事を忘れて千里は星の海を満喫し始めた。
「でも……んん〜?」
だが、確かに周りを遮るものがない星の海は素晴らしい光景だと思うし、千里自身もそう思っている。
しかし、千里はその光景にどこか物足りない気もしていた。
それはそうだろう。何せ、景色とは遮蔽物あってこそのものなのだから。山があり、木々があり、建物がありと、目的とするもの以外にも存在していて、それら全てが調和しているからこそ美しいのだ。
ただ星の海を見たいと言うのであれば、そもそもハワイである必要はない。千里眼などという能力が使えるのであれば、夜になったら自宅の真上にでも目を向ければいい。そうすれば星を見ることなどいくらでもできる。ただ星空の中を漂うのであれば、それは世界中どこであろうと同じことだ。
だが、そんな星空ではあるが、ことさらハワイの星空が取り上げられるのは、山の上から見た光景だからということに他ならない。
上を見上げれば星空があり、周りに目を向ければ同じように空を見にきた人たちや自然の姿。遠くに目を向ければ人の営みが作り出す光が。
それら全てが揃っているからこそ、見上げる星空というのが美しいと感じることができるのだ。
それ故に、ただ空に視線を漂わせているだけでは足りないと言えるだろう。
「おわっはあ〜! これこれ! こっちの方が断然いい感じじゃん!」
そのことに気がついた、というわけでもないだろうが、千里は他の星を見にきた人々と同じ視点で見てみることにし、視点を徐々に落としていった。
ある程度のところまで高度を下げてから改めて周囲と、そして頭上の星空を眺めてみると、驚きと、満足感にあふれた言葉をこぼした。
「惜しむらくは、私にこれを描けるだけの技量がないってことだけど……ま、それは努力あるのみってね」
千里の趣味は、千里眼で見た美しい光景を自身の筆で描くこと。
だが、専門で習っているわけでもないため、画力の程はさほど高くはない。
それでも、ただ綺麗な絵を描いていたいと思っているだけの千里としては、習って絵を描くのはなんだか違う気がしているため、誰かに習うことはなかった。精々が美術部にはいっている程度のものだが、誰かと一緒に描いたりはしない。
だが、千里にとって絵は所詮趣味でしかなく、自分の思うままに気楽に描けるのであればそれで十分であった。
今だって、美術部としての活動中ではあるが、教師から教えてもらうでもなく、許可をもらった上で空き教室を一人で使っているような状態だ。
普通はたった一人のためにそんな特例は認められないが、千里にはとある事情があった。その事情を鑑みて、学校側は許可を出していた。
「まーでもせっかくだし、ハワイの様子を確認でもしてみよっかな〜」
次に描く絵はもう視た。だがせっかく『眼』をハワイまで飛ばしたのだ。であれば、このまま星空だけ見ておしまい、と言うのは少しばかりつまらない。
そのため、千里は山を降りて街へと向かっていく。
と言っても、実際に歩くわけではなく視点を移動させるだけなので疲労することはなく、時間もさほどかからないが。
「あっちもこっちも外人ばっかり……いや外国なんだし当たり前なんだけどね?」
千里眼で見える景色を楽しみながら、独り言を呟く千里。
誰かがそばにいたら不気味がられることだろうが、部屋には自分一人しかいないので誰かに何かを言われることもない。
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